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第二話 最初で最後のミス

翌朝、王都の空は抜けるような青空だった。

小鳥のさえずりが爽やかな朝を演出し、石造りの街並みが陽光を反射して輝いている。

それはまるで、俺たち『神の盾』の新たな門出を祝福しているかのようだった。


「あー、清々しいな! 空気が美味いってのはこういうことを言うんだな!」


宿屋の食堂で、俺、勇者アレクは焼きたてのパンをかじりながら声を張り上げた。

向かいの席では、聖女エリスが優雅にハーブティーを啜り、隣では重戦士ガストンが山盛りの肉料理を平らげている。

いつもの光景だ。だが、一つだけ違うことがある。

あの陰気な、いつも疲れた顔をして後ろに立っていた時間魔導師クロノがいないことだ。


「ええ、本当にそうですわアレク様。視界の端にあの暗い顔がないだけで、朝食の味が三割は増した気がしますもの」

「違いない! あいつ、飯食ってる時もブツブツと今日の予定だの、装備の点検だのってうるさかったからな。やっと静かになったぜ」


ガストンが骨付き肉を噛み砕きながら同意する。

俺は満足げに頷き、身支度を整えるために立ち上がった。

腰に下げた聖剣『エクスカリバー・レプリカ』の柄を撫でる。

昨日はアビス・ドラゴンを倒し、Sランクパーティとしての地位を不動のものにした。

そして今日は、パーティの癌だったクロノを追放し、新生『神の盾』としての初仕事だ。


「よし、今日は手始めに『嘆きの渓谷』に行くぞ。あそこのアース・ドラゴンあたりを軽く狩って、三人の連携を確認しよう」

「賛成ですわ。アース・ドラゴンなら、私たちの敵ではありませんものね」

「おうよ! 素材も高く売れるし、クロノの分を引かなくていいから実入りもでかい!」


俺たちは意気揚々と宿を出た。

街を歩けば、すれ違う人々が振り返る。

「見ろよ、Sランクの勇者様だ」「今日も強そうだなあ」

そんな羨望の声を背中に浴びながら、俺たちは王都の北門をくぐった。

誰もが俺たちの勝利を疑っていない。もちろん、俺自身もだ。

負ける要素なんて、どこにもないのだから。


          ◇


『嘆きの渓谷』は、切り立った崖と複雑に入り組んだ洞窟で構成された中級上位のダンジョンだ。

出現するモンスターは岩石蜥蜴やハーピー、そして最奥にはアース・ドラゴンが巣食っている。

俺たちにとっては散歩コースのような場所だ。これまで何度も攻略し、一度として苦戦したことはない。

入り口の洞窟に足を踏み入れると、湿った冷気が肌を撫でた。


「暗いな……おいエリス、灯りを頼む」

「はい、アレク様。……あれ?」


エリスが杖を振るが、光が灯らない。

彼女は不思議そうに杖の先端を叩いている。


「どうした?」

「いえ、いつもなら杖を構えただけで『ライト』が発動していたような気がするのですが……」

「お前が詠唱をサボっただけだろ。ほら、早くしろよ」

「す、すみません。『光よ、我らを導き給え――ライト』」


正規の詠唱を行うと、ようやく杖の先に光球が浮かんだ。

エリスは首を傾げている。


「変ですわね……いつもはもっと魔力の通りが良かった気がしますのに」


俺は鼻を鳴らした。

クロノがいた頃は、あいつが裏で魔力補助でもしていたのだろうか。いや、そんな高度なことができるわけがない。

あいつはただの時間魔導師だ。攻撃魔法一つ使えない欠陥品なのだから。

おそらく、今日の湿気が杖の調子を悪くさせているだけだ。


「行くぞ。先導はガストン、俺が遊撃、エリスは後方支援だ」

「おう、任せとけ!」


ガストンが大盾を構えて前に出る。

俺たちは洞窟の奥へと進んだ。

しばらく歩くと、最初の獲物が現れた。

岩肌と同化した体色を持つ、体長二メートルほどの岩石蜥蜴だ。


「雑魚か。ガストン、止める必要もない。俺がやる」

「へいへい、出番なしかよ」


俺は聖剣を抜き放ち、地を蹴った。

岩石蜥蜴がこちらに気づき、のろのろと振り返る。

その動きは、まるで止まっているかのように遅く見えた。

これだ。俺の神速の反射神経と剣技。

クロノがいようがいまいが、俺の実力は何一つ変わらない。


「遅いッ!」


俺は蜥蜴の懐に飛び込み、首筋を一閃した。

硬い鱗をものともせず、聖剣が肉を断つ感触が手に伝わる。

岩石蜥蜴は声も上げずに崩れ落ち、光の粒子となって消滅した。


「ふっ、手応えのない」

「さすがですわアレク様! 一撃だなんて!」

「へっ、やっぱクロノがいなくても楽勝じゃねぇか。あいつ、いかに自分が重要かみたいなツラしてたけど、何の影響もねぇな」


俺たちは顔を見合わせて笑った。

不安なんて欠片もなかった。

この時までは。


異変が起きたのは、中層に差し掛かったあたりだった。

洞窟の床には、ところどころに古代の罠が仕掛けられているエリアだ。

普段なら、俺の『直感』が働き、罠の場所をなんとなく避けて通ることができていた。

「右だ」「次は左だ」と、頭の中に浮かぶルートを進めば、何も起きなかったのだ。

だから俺は、今回も迷わずに足を進めた。


カチリ。


足元で、小さな音がした。

俺は動きを止めた。

……今の音はなんだ?


「アレク様?」

「いや、何か踏んだ気が……」


ヒュンッ!!


思考する間もなく、壁の穴から何かが射出された。

風切り音が耳元をかすめる。

俺は反射的に首を傾げたが、避けきれなかった。


「ぐっ!?」


右頬に、焼きごてを当てられたような鋭い痛みが走った。

手で押さえると、ぬるりとした液体の感触。

指先を見ると、鮮血がべっとりと付着していた。


「あ、アレク様!? 血が!」

「な、なんだこれは!? 罠だと!?」


俺は驚愕に目を見開いた。

罠? 俺が罠にかかったのか?

そんな馬鹿な。俺は今まで一度だって、こんな初歩的な罠に引っかかったことなどない。

『神の盾』の勇者が、矢ごときで顔に傷を負うなどありえない。


「……っ、運が悪かっただけだ。たまたま、俺の直感が外れた」

「そ、そうですわよね。猿も木から落ちると言いますし」

「おいおい、気をつけろよアレク。顔に傷がついたら女が寄ってこなくなるぞ」


ガストンが軽口を叩くが、その表情には僅かな焦りが見えた。

俺は舌打ちをして、エリスに回復を促した。


「エリス、ヒールだ。傷跡を残すなよ」

「は、はい! 『癒やしよ――ヒール』」


温かな光が頬を包み、傷が塞がっていく。

だが、痛みの余韻はいつまでもジンジンと残っていた。

おかしい。

いつもなら、怪我をした瞬間に「怪我をする前の状態」に戻っていたような……いや、それは錯覚だ。

回復魔法とはこういうものだ。痛みが残るのは当たり前だ。


「……進むぞ。少し慎重に行く」


俺は苛立ちを隠すように歩き出した。

だが、その「慎重さ」こそが、俺たちの歯車を狂わせていった。


          ◇


「おい、またかよ! 落とし穴なんて聞いてねぇぞ!」

「きゃあッ! 服が、服が汚れてしまいましたわ!」


それから一時間後。

俺たちは泥と煤にまみれて、洞窟の広間にたどり着いていた。

たどり着いた、というよりは、這々の体で転がり込んだと言うべきか。

道中、俺たちは数え切れないほどの罠にかかった。

天井から網が落ちてきたり、床が抜けて汚水溜まりに落ちたり、麻痺毒の霧を浴びたり。

その度にエリスが回復魔法を使い、ガストンが力任せに突破してきたが、消耗は激しかった。


「ハァ……ハァ……どうなってんだ、今日のダンジョンは」


俺は膝に手をついて荒い息を吐いた。

体の節々が痛い。

麻痺毒の影響か、指先が少し痺れている。

いつもなら、こんな疲労感を感じることはない。

ダンジョンの最奥まで全力疾走しても息一つ切れなかったはずだ。


「アレク、俺の盾を見てくれよ。もうボロボロだぜ」


ガストンが差し出した大盾は、無数の傷とへこみで歪んでいた。

雑魚モンスターの攻撃を受けるたびに、盾の耐久度が目に見えて減っていく。


「メンテナンスはどうなってるんだ! 出発前に確認したのか?」

「知らねぇよ! いつもなら勝手に直ってたんだ! きっとクロノの野郎が、最後に整備をサボりやがったんだ!」

「あの陰気男……! 追放される腹いせに、私のローブにも解れ魔法をかけたに違いありませんわ!」


エリスのローブも、あちこちが破れて肌が露出している。

俺たちは口々にクロノへの罵倒を吐き出すことで、自分たちの不安を誤魔化そうとした。

そうだ、これはあいつの呪いだ。あいつがいないから弱いんじゃない。あいつが何か仕掛けたせいだ。

そう思い込まなければ、足が震えてしまいそうだった。


「グルルルル……」


その時、広間の奥から地響きのような唸り声が聞こえた。

巨大な影が、のっそりと姿を現す。

全身を鋼鉄のような岩石で覆った巨竜、アース・ドラゴンだ。

俺たちが何度も狩ってきた、このダンジョンのボス。


「……来たな、デカブツ」


俺は聖剣を構え直した。

満身創痍ではあるが、相手は所詮アース・ドラゴンだ。動きは遅いし、攻撃パターンも単純だ。

こいつを倒せば、今日の不運も全てチャラになる。


「ガストン、ブレスを盾で受け流せ! その隙に俺が懐に入って首を落とす!」

「おう! 任せろ!」

「エリスは攻撃力強化のバフをかけろ!」

「はいっ!」


俺たちは散開した。

アース・ドラゴンが大きく息を吸い込む。

土砂を含んだ茶色のブレスが、ガストンに向かって放たれた。


「ふんッ! 『鉄壁の構え』!」


ガストンがスキルを発動し、大盾を地面に突き立てる。

いつもなら、ブレスは盾の表面を滑るように逸れていくはずだ。

そう、いつもなら。


ドゴォオオオオン!!


「ぐギャアアアアッ!?」


凄まじい衝撃音と共に、ガストンの絶叫が響いた。

土煙が晴れると、そこには無惨な光景があった。

大盾はひしゃげ、ガストンの巨体が後方の壁まで吹き飛ばされていたのだ。

全身が泥まみれになり、腕が不自然な方向に曲がっている。


「ガ、ガストン!?」

「な、なんでだ……? 盾スキルは……発動したはず……」


ガストンが血を吐きながら呻く。

俺は背筋が凍りついた。

直撃? あのガストンが、たかだかアース・ドラゴンのブレスで?

今までなら、ブレスの角度が微妙にずれたり、ガストンが奇跡的なタイミングで足場を変えたりして、直撃コースから外れていた。

だが今回は、真正面から全てのエネルギーを受け止めてしまったのだ。


「よそ見をしている場合ですか!」


ドラゴンの尻尾が、横薙ぎに俺を襲う。

速い。

記憶にある動きよりも、遥かに速い。

いや、違う。これが本来の速度なのか?

俺は聖剣でガードしようとしたが、間に合わなかった。


ドガッ!!


「がはッ……!」


わき腹に強烈な衝撃。

肋骨が数本、へし折れる音が体内で響いた。

俺の体はボールのように弾き飛ばされ、地面を何度も転がった。


「痛い、痛い痛い痛いッ!!」


激痛。

呼吸ができない。

視界がチカチカと明滅する。

今まで「かすり傷」程度しか負ったことのない俺にとって、骨折の痛みは想像を絶するものだった。

脂汗が噴き出し、涙が勝手に溢れてくる。


「アレク様ァ!!」


エリスの悲鳴が聞こえる。

ドラゴンが、倒れた俺に向かってゆっくりと歩み寄ってくる。

その巨大な足が、俺を踏み潰そうと持ち上がる。


「エリス! ヒールだ! 早くしろ!」

「い、今やります! でも、魔力が……!」

「言い訳すんな! 死ぬぞ! 俺が死ぬんだぞ!」


俺は無様に叫んだ。

勇者の威厳などかなぐり捨てて、這いつくばって後退る。

エリスが必死に杖を振るが、飛んできたのは微弱な光だけだ。

傷は塞がらない。痛みも消えない。


「ひ、ひぃ……」


ドラゴンの足が振り下ろされる。

俺は目を瞑り、死を覚悟した。

その時、脳裏にクロノの顔が浮かんだ。

あいつはいつも、こんな絶望的な瞬間に、涼しい顔で立っていた。

そして次の瞬間には、俺は何事もなかったかのように剣を振るっていた。


(助けてくれ、クロノ!)


心の中で叫んだ。

だが、時間は巻き戻らない。

世界は反転しない。

ドスゥン!!

ドラゴンの足が地面を揺らす。

俺は間一髪で横に転がり、プレスを回避した。

だが、衝撃波で吹き飛ばされ、再び壁に叩きつけられる。


「逃げるぞ! 撤退だ!!」


誰が言ったのか分からない。

もしかしたら俺が叫んだのかもしれない。

俺たちはプライドも名誉も捨てて、出口に向かって走り出した。


「待って! 私の足が!」

「うるせぇ! 早く走れ!」


エリスが転ぶが、俺は手を貸す余裕すらなかった。

ガストンも片腕をだらりと下げたまま、必死の形相で走っている。

後ろからドラゴンの咆哮が迫る。

死の恐怖。

本当の「冒険」とは、こんなにも恐ろしく、痛々しいものだったのか。


          ◇


ほうほうの体でダンジョンを脱出した時、日は既に暮れかけていた。

俺たちの姿は、朝の輝かしい英雄像とは程遠かった。

鎧は砕け、服はボロボロ、全身泥と血にまみれている。


「はぁ、はぁ……死ぬかと思った……」


俺は地面に大の字に倒れ込んだ。

体中が痛い。

ポーションは全て使い果たした。

マジックバッグに入っていた予備の回復薬は、そういえばクロノが管理していたのだった。

あいつが置いていったバッグは、宿屋に置いたままだ。


「なんで……なんでこんなことに……」


エリスが泣きじゃくりながら、汚れた髪をかきむしる。

ガストンは無言でうずくまり、折れた腕を抱えて震えている。

俺は空を見上げた。

一番星が光っている。


「……今日は調子が悪かっただけだ」


震える声で、俺は呟いた。


「そうだ、今日は星の巡りが悪かった。装備の整備も不十分だった。それに、あのドラゴンはきっと変異種か何かだ」


自分に言い聞かせるように、言い訳を並べ立てる。

認められない。

俺たちが弱かったなんて。

クロノがいなければ何もできない張りぼてだったなんて、認めるわけにはいかない。


「……帰るぞ。今日はもう休んで、明日また出直す」


俺は痛む体を引きずって立ち上がった。

二人は何も言わずに俺に従った。

だが、その目には、朝にはなかった「不信」と「恐怖」の色が、確かに宿っていた。


王都への帰り道、俺の頭の中で、別れ際のクロノの言葉が何度もリフレインしていた。


『君たちが思っている直感や運は、全て僕が作っていたものだ』


「……ふざけるな」


俺は吐き捨てるように呟いた。

そんなはずはない。俺は勇者だ。選ばれた人間だ。

あんな陰気な男に守られていたなんて、あってたまるか。


だが、ズキズキと脈打つ脇腹の痛みが、冷酷な現実を突きつけていた。

これが、俺の人生で初めて刻まれた「消えない傷」だった。

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