車とお父さん
僕の嫌いな自動車。僕の嫌いな自動車は教えてくれる。色々な自然について教えてくれる。
例えばいつか、雪が溶けたばかりの様な冷たい水は、ワイパーに引きずられて凄く伸びるという事なんかも教えてくれた。勿論、それ指して、言葉で説明したのは車そのものじゃない。車に乗るのが好きなお父さんだった。
「見てみろ、凍る位に冷たい水は伸びるだろう?油やアルコールみたいに、薄く広くな。粘性が高くなると見る事もできるな」
お父さんは車が好きだったから、車に関わる事は幅広く色んな事を知っていた。「アンタ車の事以外何も知らないわけ!?」と、お父さんが助手席に乗せる為に連れてくる女の人はよく怒鳴っていたけど、でもそれってやっぱり、車に関わる話だけは認めてたって事だと思う。僕は車が嫌いだけど、車を通して見える自然についてお父さんが教えてくれるのは好きだった。今でも好きで、時々、今の現実が寂しくなった時には思い出したりするんだ。
「見てみろ、永次。アクセルってのはな、速度を直接上げるんじゃない。速度を上げる加速度を操作するという行為なんだ。ハンドルも同じだ。俺達運転者は、タイヤが描く軌道をではなく、軌道の傾向である曲率を操作しているんだ。操作というものは、全て二次的な関与なんだよ。だから難しいんだ」
お父さんは、車の中ではまるで学者みたいだった。車の窓を通してなら、世界が何でもよく見えているみたいだった。僕は、お父さんの思い出を通して、車の中から外の世界全体を見通す。…僕の嫌いな車の中で。
それで、何故僕は、そんな僕を賢くしてくれさえする車が嫌いなのか。それは、やっぱりお父さんのせいだろう。
お父さんの生き方の。でも僕はお父さん自身や、お父さんの生き方が嫌いなのか、よく分からない。そりゃあ憎んだりもした事もあるけど、本当に今でも分からないんだ。
お父さんは、どんな溝にタイヤが嵌っても、決して車を置いて助けを呼びに行ったりしなかった。そんな時は、子供達、つまり僕と弟とが煩く何か言うのを無視して、じっと考えた。じっと考えて、何かを試していた。
自分で出来る事は何でも試したんだ。自分の持っている道具を、道端に落ちている板切れや何かを使って試した。そして、大抵はいずれ、本当にどうにかしたのだ、そのスタックした状況を。時間を掛けて頑張っている内に。僕らが道端の虫取りに夢中になっている内に。まあ時々は、誰か親切なドライバーが偶然に通り掛って。でも、必ずどうにかなった。頑張り続けてどうにかした。お父さんの車は、どんな溝に嵌ってしまって傷ついても、必ずそこから抜け出したんだ。これは事実だ。一度や二度の事じゃない。
でも、あの日は違った。何人か目のお父さんの恋人が、その助手席から去って行った日の事だった。お父さんは、当ても無く、多分意味も無く、僕達兄弟を乗せて二時間ほどドライブした後、僕達とお父さんとが住むアパートのすぐ傍で、
「お前たち、ここで降りろ」
と言ったのだった。意味が分からず、まごつきながら黙って降りる僕らに、助手席の窓を開けて、運転席からお父さんは言った。
「どうも、俺達はもう、いけない。…いけない。何しろ、俺がちゃんとしていないんだ。だから、一緒には」
そして続けた、「お前たちは、あの部屋でこれからも暮らせ。食い物は置いてある金で買え。幾らかはあるから。その内大家さんが、家賃を取りに来るだろうから、その時『お父さんがいなくなった』と話せ。世間の大人はみんな、何て言うのか、ちゃんとしている筈だから、お前たち子供をほっといたりはしないよ。俺と違うから。ちゃんと、お前たちが飯を食って寝れる所に連れてってくれる筈だ。きっと」と。
「お父さんは?」
と僕は聞いた。
「俺はいけない。みんなみたいにちゃんとしてないんだよ。お前たちには悪いと思うが、どうももう駄目だ。溝に嵌った。抜け出せないんだな」
話すのはそれで最後だった。お父さんは、さよなら、とも、元気でな、とも言わないで、車と一緒に走り去った。車だけはお父さんと一緒だった。僕達は、置いていかれた。お父さんは「溝に嵌った」と言っていたけど、車を置いて何処かに行った事は決して無かった。だけど、僕達は違った。悔しいけど、それだけの事だ。車は、お父さんにとって一番。僕達は、それより下。だから僕は、車が嫌いなのだ。お父さんを嫌いにならない限りは、車を嫌いにならない訳にはいかない。
それなのに、大人になった僕は今、大嫌いな車に乗っている。乗らなければ生活出来ない土地なので、乗らない訳にはいかない。お父さんの様に生きる訳にはいかないし、そもそもできるとも思えないので。ああ生きたいとも思わない。僕が似た様に生きても、きっと耐えられない。もっとも、お父さんも、お父さん自身の生き方に耐えられたのかは分からないけれど。でも、ああしか出来なかったのだろう、とは、何故か納得する。不思議な事なのだけれど、恨むより先に納得してしまう。僕が、もう少し不運で生活が苦しかったら、また違ったかも知れないけれど。
でも、車は嫌いだ。乗れば乗る程、嫌いでたまらない。嫌いな物から離れられないという事も嫌いだ。
僕は車が嫌いだ。それだけで十分だ。この世の中には、誰だって嫌いなままでいるしかないものもあるさ。それだけさ。
その嫌いな車から、またワイパーに引き延ばされる冬の冷たい水の線が見える。それで、時々考え込んでしまうのだ。一体、どっちが自然な生き方なのだろう、と。そうしなければ生活が出来ないから嫌いな車に乗り続ける僕と、生活より好きな車に乗り続ける事を選んだお父さんの去って行く姿と。本当は、こんな二択はよしたほうがいいのかも知れないが、どうにも考えてしまって堪えようがない。




