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第二十九話 魔人と勇者の未来

カツーン、カツーン……。


 無機質な足音が、長く続く階段に響いている。

 地下深くに眠る「アーカーシャ」の聖域を後にしたアビスとリディアは、地上へと続く長い階段を上っていた。

「……長いですね、この階段」

 リディアが息を切らしながら愚痴をこぼす。

「文句を言うな」

 前を行くアビスは、涼しい顔でコートを翻しながら登っていく。

 完全体となった彼の体力は無尽蔵だ。


 やがて、頭上に四角い光が見えてきた。

 二人は最後の数段を駆け上がり、光の中へと飛び出した。

 そこは、古代の「中央管理都市」――その中心に位置する中央広場だった。

 周囲には、高層ビルの廃墟が墓標のように立ち並んでいる。

 かつてここから地下へと潜った階段の入り口に、二人は戻ってきたのだ。

 頭上には突き抜けるような青空が広がっていた。

 地下の淀んだ人工の空気とは違う、生命の匂いを含んだ本物の風が吹き抜けていく。

「……ふぅ。やっぱり、外の空気は美味いな」

 アビスは目を細め、深く呼吸をした。

 漆黒のロングコートが風に靡く。

 地下の結界から解放された彼は、今やこの世界で最も自由な存在だった。

「さて、リディア。帰るぞ」

「はい! ……でも、ここから里まで歩くと、三ヶ月くらいかかりますよね?」

 リディアが遠い目をして東の方角を見た。

 幾多の困難を乗り越え、はるばる「西の果て」までやってきた道のりだ。

 帰り道もまた、過酷な長旅になることは想像に難くない。

「三ヶ月? 笑わせるな」

 アビスは鼻で笑い、パチンと指を鳴らした。

「俺様を誰だと思っている。……掴まってろ」

 アビスの足元に、複雑な幾何学模様の魔法陣が展開される。

 空間転移(テレポート)

 最高位の空間魔法だ。

「えっ、まさか飛んで帰れるんですか!?」

「一瞬だ。舌を噛むなよ」

 ヒュンッ! 二人の姿が景色ごと歪み、かき消えた。


 ◇


 勇者の隠れ里。

 平和な昼下がりの農作業中、突如として里の中央広場に空間の裂け目が出現した。


 ズドォォォォンッ!!


 爆音と共に着地したのは、黒いコートの長身の男と、赤い髪の少女。

 畑仕事をしていた村人たちが、腰を抜かしてひっくり返る。

「な、なんだ!? 敵襲か!?」

「いや、あれは……リディアお嬢様!?」

「無事だったのか!」

「……おい、隣にいるあの男は誰だ?」

「すげぇイケメンだぞ……まさか、婿を連れて帰ってきたのか!?」

 ざわめきが広がる中、里の奥から、ドシドシと地響きを立てて走ってくる巨体があった。

 スキンヘッドに極太の眉毛、丸太のような腕を持つ巨漢。

 リディアの父、勇者の末裔バルドルだ。

「リディアーーーッ!! 無事だったかーーッ!!」

 バルドルは涙と鼻水を垂れ流しながら突進してきて、リディアを強烈なハグで押し潰した。

「ぐぇっ……お、お父様、苦しい……!」

「よかった! 本当によかった! お前が死んだら、父さんはどうやって生きていけばいいかと……うおおおん!」

 男泣きする父親をなんとか引き剥がし、リディアは息を整えた。

「も、もう。心配しすぎですよ。私だって勇者の端くれなんですから」

「バカ言え! お前はまだ子供だ! ……ところで」

 バルドルは涙を拭い、ようやくリディアの隣に立つ長身の男に気づいた。

 途端に、その表情が鬼の形相へと変わる。

「……誰だ、貴様は」

 バルドルの全身から、歴戦の戦士としての殺気が噴き出す。

 愛娘の隣に、見知らぬ男が、あろうことか親密そうに立っている。

 父親としての警戒レベルはマックスだ。

「リディア。まさかとは思うが、旅先で悪い男に騙されたんじゃないだろうな? どこの馬の骨だ! 名乗れ!」

 バルドルが巨大な戦斧に手をかける。 リディアが慌てて止めに入ろうとするが、それより早く、アビスが一歩前に出た。

「……フン。相変わらず騒々しい男だ」

 アビスは、バルドルの殺気を涼風のように受け流し、不敵な笑みを浮かべた。

「久しぶりだな、バルドル。……俺様の正体も見抜けんとは。やはり筋肉で脳まで埋まっているようだな」

「な、なんだとォ!? 初対面でその口の利き方は……!?」

「初対面? 笑わせるな」

 アビスが、スッと右手を挙げた。

 その指先から、ドス黒い魔力が揺らめき立つ。

 その魔力の質を、バルドルが見間違えるはずがなかった。

 五年前、世界を恐怖のどん底に叩き落とした、あの禍々しいオーラ。

「き、貴様……まさか……アビス、なのか!?」

「いかにも。魔人アビスだ。……文句あるか?」


 シン……。


 里全体が静まり返った。

 村人たちの顔が恐怖で引きつる。

 アビス。

 伝説の魔人。

 それがなぜ、完全な姿でここにいるのか。

 バルドルが後ずさりし、戦斧を構える。

「なぜだ……! なぜ呪いが解けている!? リディア、離れろ! そいつは危険だ!」

 しかし、リディアはバルドルの前に立ち塞がった。

「戦斧をしまってください! アビスさんは、もう敵じゃありません!」

「な、何を言っている!? 奴は魔人だぞ! 世界を滅ぼす悪魔だぞ!」

「違います! ……アビスさんは、私の『相棒』です!」

 リディアの宣言。

 バルドルは目を白黒させた。

「あ、相棒……? ペットじゃなくてか?」

「はい! 私たちは対等なパートナーとして、契約を結び直しました! アビスさんは、私と一緒にいてくれるって約束してくれたんです!」

「なっ……」

 バルドルは絶句し、恐る恐るアビスを見た。

 アビスは腕を組み、フンと鼻を鳴らした。

「そういうことだ。……勘違いするなよ、バルドル。俺様がこの里にいるのは、リディアとの契約があるからだ。貴様ら人間と馴れ合うつもりはない」

「け、契約だと……? まさか、リディアを人質に……」

「人質などではない、バカ親父。……俺様は、リディアという『便利な下僕』を確保したのだ」

 アビスは口の端を吊り上げ、リディアの頭にポンと手を置いた。

「この先、死ぬまで俺様の世話をさせてやる。飯を作り、寝床を整え、俺様の退屈を紛らわせる。……そういう契約だ」

「な、な、な……っ!?」

 バルドルの顔が、茹でダコのように真っ赤になった。

 恐怖の魔人相手とはいえ、父親として聞き捨てならない言葉がある。

「し、死ぬまで一緒だと!? しかも、飯に寝床……つまり、ど、ど、同棲宣言かァァァッ!?」

「お父様!? 声がデカいです!」

「許さん! 許さんぞ! たとえ魔人だろうが魔王だろうが、可愛い娘をそんな得体の知れない男と同棲させるわけにはいかん!」

 バルドルが泡を吹いて激昂する。

「誤解ですってば! アビスさんの言う『世話』っていうのは、あの、その……」

 リディアが必死に弁解しようとするが、アビスは面倒くさそうに溜息をついた。

「……チッ、話の通じない奴だ。おい、石頭。よく聞け」 アビスがバルドルを見下ろす。

「俺様は何もしない。ただ、そこにいて、リディアに世話を焼かせてやるだけだ。……例えるなら、そうだな。貴様の娘が、手のかかる『ペット』を飼い続けるのと変わらん」

「……ペ、ペット?」

 バルドルの動きが止まる。

「そうだ。俺様は衣食住の全てをリディアに依存する。リディアがいなければ、俺様は飯も食えん。……つまり、主導権はリディアにあるということだ」

 アビスは、とんでもない詭弁を涼しい顔で言い放った。

「な、なるほど……?」

 バルドルの脳内で、単純な論理回路がカチカチと組み上がっていく。

 リディアが世話をする → アビスはリディアがいないと生きていけない → つまり、リディアがアビスの主人(飼い主)!

「そうか! そういうことか!」

 バルドルがポンと手を打った。

「つまり、リディアは伝説の魔人すらも手懐け、支配下に置いたということか! さすが俺の娘だ! ガハハハハ!」

「……えぇ……」

 リディアが脱力する。

 アビスは「勝手に納得してろ」とばかりに肩をすくめた。

 こうして、ギリギリのところで親バカの逆鱗は回避された(誤魔化された)のだった。「よし! 娘が魔人を『飼う』というなら、父として反対する理由はない! さあ、帰還祝いの宴会だ! 腹いっぱい食わせてやれ!」

「はーい……。ほら、行きましょうアビスさん」

「……やれやれ。騒がしい一族だ」

 リディアが呆然とする村人たちを促し、前代未聞の「魔人帰還パーティー」が幕を開けた。


 ◇


 その夜。宴の席。

 村人たちがアビスを遠巻きに眺めながら酒を飲む中、バルドルが深刻な顔で地図を広げた。

「……リディア。お前が無事で何よりだが、外の世界は今、とんでもないことになっているぞ」

 バルドルが指差したのは、大陸全土を示す地図だ。

 そこには、無数の「×」印や、危険を示すドクロマークが書き込まれていた。

「四天王が倒され、そして、お前たちが『浄化者(ピュリファイア)』を沈黙させた。……これで、世界を脅かす巨悪はいなくなった」

「平和になったってことじゃないの?」

 リディアが肉を頬張りながら首を傾げる。

「逆だ」

 横からアビスが口を挟んだ。

 グラスのワインを優雅に揺らしている。

「強大な支配者が消えれば、後に残るのは『力の空白』だ。……秩序を失った世界は、欲望のままに荒れる」

「その通りだ」

 バルドルが重々しく頷く。

「今、大陸全土で力の均衡が崩壊している。主を失った魔物の群れが暴走し、小悪党や盗賊団が各地で略奪を繰り広げ、力を持つものが群雄割拠して領土争いを始めている。……今の世界は、統治者のいない混乱の極みにある」

 平和になるどころか、絶対的な恐怖が消えたことで、タガが外れたように混沌が広がっているのだ。

「嘆かわしいことだ」

 アビスが冷笑する。

「恐怖による支配がなくなれば、人間どもは自らの欲望で自滅する。……やはり、この世界には『王』が必要なようだな」

 アビスは立ち上がり、月に向かって手を伸ばし、掴み取る仕草をした。

「俺様は魔人アビス。この世の全ての魔を統べる者だ。……この混乱を鎮め、愚かな人間どもをひざまずかせ、絶対的な秩序を与えることができるのは、俺様しかいない」

 それは、単なる破壊衝動ではない。

 彼なりの「王道」であり、果たすべき使命感ですらあった。

 世界が彼を恐れるなら、その恐怖で世界を束ねるまで。

「だから、俺様は征くぞ。……この腐りかけた世界を、俺様色に染め上げるためにな」

 高らかに宣言するアビス。

 リディアは、そんな彼を呆れたように、しかしどこか嬉しそうに見つめた後、ニカッと笑った。

「うん! いいですね、世界征服! ……でも、悪いことはさせませんからね! 私がずっと監視してますから!」

「フン。勇者が魔人の世界征服を手伝うなど、聞いたこともないぞ」

「手伝うんじゃなくて、監督です! ……相棒ですから!」

 リディアはアビスの肩をバシッと叩いた。

 アビスは苦笑し、やれやれと首を振った。

「……まあいい。世界征服は、一朝一夕で成るものではない。……まずはこの混乱した大陸を巡り、地盤を固める必要がある。……長い旅になるぞ」

「はい! 望むところです!」


 ◇


 数日後の朝。

 二人は里を出て、朝霧が立ち込める街道へと足を踏み出した。

 世界は広い。

 そして今、世界は統治者を失い、未曾有の混乱の中にある。

「行くぞ、リディア。まずは西の商業国家だ。あそこの物価が安定しないと、俺様の好物の輸入菓子が手に入らん」

「ええーっ、そんな理由ですか!?」

「重要な問題だ。……さあ、急ぐぞ」

 アビスが先頭を切って歩き出す……かと思いきや、数歩で立ち止まった。

「……あー、面倒だ」

 アビスが、心底億劫そうに溜息をついた。

「どうしたんですか? 忘れ物ですか?」

「違う。……歩くのが面倒になった」

「はぁ!? 世界征服に行くんですよね!? まだ出発したばっかりですよ!?」

「俺様は魔人だぞ。王たる者が、なぜ平民と同じ道をトボトボ歩かねばならん」

 アビスはふてぶてしく言い放つと、ニヤリと口角を上げた。

 そして、パチンと指を鳴らす。


 ポンッ!


 白い煙と共に、アビスの姿が縮んだ。

 煙が晴れたそこにいたのは、漆黒の毛並みを持つ、愛らしいポメラニアン(似の生き物)だった。

 かつては呪いで強制されていた姿。

 だが今は、彼自身の意思で選んだ姿だ。

(おい、リディア。リュックを開けろ)

 犬の姿のアビスが、頭の中に直接話しかけてくる。

「ええっ……まさか、アビスさん……わざわざその姿になるんですか? せっかく人間に戻れたのに」

(当たり前だ。……それに、こっちの方が都合がいい)

 アビスは、呆れるリディアを尻目に、ピョンと器用に跳躍し、リディアの背中のリュックへと飛び込んだ。

 そして、慣れた手つき(足つき)で荷物を押し退け、自分だけの特等席を作ると、真剣な声音で告げた。

(いいか、リディア。今の世界は混乱の極みにある。小悪党どもがそこら中に蔓延っているが、奴らは俺様のような強者が現れれば、すぐに尻尾を巻いて猫を被るだろう)

「あー……確かに。アビスさんの本来(魔人)の姿を見たら、みんな怖がって逃げちゃいますもんね」

(そうだ。奴らの本性を見極め、裁きを下すには、俺様が「無害なペット」であると油断させておく必要があるのだ。ありのままの世界を見るための、これは高度な諜報戦術だ)

「……本当ですかぁ? ただ歩きたくないだけじゃないんですか?」

 リディアがジト目で背中を振り返る。

(……フン。両方だ。文句あるか)

「もう……! アビスさんったら、自由すぎます!」

 リディアは文句を言いながらも、その顔は笑っていた。

 背中に感じる、確かな重みと温もり。

 それは、彼女にとって一番安心できる「相棒」の証だった。

「じゃあ、行きますよ! 世界征服の旅へ!」

(おう。まずは飯を用意しろ。腹が減っては戦ができん)

 リュックの隙間から、黒い鼻先とつぶらな瞳が覗く。

 その瞳は、街道の遥か先――彼がこれから手中に収めるべき、混沌とした世界を見据えていた。


 魔人アビスと勇者リディア。

 「飼い主とペット」から始まり、世界を揺るがす戦いを経て、彼らは今、誰よりも強い絆で結ばれた「相棒」となった。

 リディアの軽快な足取りに合わせて、リュックの中のアビスが揺れる。

 一人と一匹の旅は、まだまだ続いていく。

 いつか、この広大な世界を全て手に入れ、全ての美味しいものを食べ尽くすその日まで。

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