表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/29

第二十七話 アーカーシャ

 マジンZの巨大な残骸を背に、アビスとリディアは、ドームの奥に開かれた通路を進んでいた。

 先ほどまでの戦闘の熱気とは裏腹に、その通路は凍えるように冷たかった。

 壁も床も、継ぎ目のない白い樹脂のような素材で覆われている。

 足音すら吸い込まれる静寂。 空気は無臭で、湿度も一定に保たれているようだが、どこか生物的な生々しさを欠いた、作り物めいた清浄さが漂っていた。

「……なんか、お墓みたいですね」

 リディアが、身を縮こまらせながら呟いた。

 彼女の動物的な勘が、この先に待つ「何か」に対して、生理的な拒否反応を示しているのだ。

「フン。当たらずとも遠からず、といったところか」

 アビスは前を見据えたまま、低い声で応じた。

 彼の魔眼は、この壁の向こう側にある異質な魔力――いや、生命エネルギーの揺らぎを既に捉えていた。

 それは、一個の強大な個体ではない。

 無数の、数え切れないほどの微弱な魂が、一つの意思のように蠢いている感覚。

 不愉快な感覚だ。

 個を捨て、群れに埋没した軟弱な魂の集合体。

「来るぞ、リディア。……心して見ろ。これが、魔法を捨てた愚か者どもの成れの果てだ」

 通路の突き当たり。

 装飾の一切ない、巨大なガラス質の扉が、二人の接近に合わせて音もなく左右にスライドした。

 プシュゥゥゥ……。

 扉の向こうから、冷気と共に、青白い光が溢れ出した。

 二人は、その光の中へと足を踏み入れた。

「――っ!?」

 その光景を目にした瞬間、リディアは息を呑み、言葉を失った。

 そこは、広大な円筒形のホールだった。

 天井は遥か高く、ドーム状になっている。

 そして、その広い空間を埋め尽くすように、無数の「柱」が林立していた。

 太さ一メートルほどの透明な円柱形カプセル。

 淡いブルーの溶液で満たされたそのカプセルが、何千、何万本と規則正しく並んでいる。

 まるで、巨大な図書館の書架のように。

 あるいは、墓標のように。

 だが、リディアを戦慄させたのは、カプセルの数でも、美しくも不気味な青い照明でもない。

 カプセルの中身だ。

 透明な溶液の中に、プカプカと浮かんでいる「それ」。

 無数のコードや電極を繋がれ、微かに脈打っている、灰色の塊。

「これ……って……」

「脳だ」

 アビスが、事も無げに言い放った。

「人間の、な」

 リディアは思わず口元を押さえた。

 見渡す限りのカプセル。

 その全てに、人間の脳が入っている。

 それらが、ただ静かに、培養液の中で眠っている。

『――ようこそ。我々の聖域(サンクチュアリ)へ』

 声が響いた。

 これまでのスピーカー越しの音声ではない。

 脳の中に直接響いてくるような、重層的な声。

 男の声、女の声、老人の声、子供の声。

 数千、数万の声を重ね合わせ、一つの意志として統合したような響き。

「あなたが……アーカーシャ、ですか?」

 リディアが、震える声で虚空に問いかける。

『左様。私はアーカーシャ。この都市管理システムの名称であり、同時に、ここに眠る50万人の市民の総称でもあります』

 カプセルの列が一斉に明滅した。

 まるで、言葉に合わせて呼吸しているかのように。

『かつて、我々は恐怖していました。限りある資源、終わらない争い、そして制御不能な「魔法」という力の暴走に。……肉体があるから、痛みがある。個があるから、争いが生まれる。ならば、全てを捨てて一つになればいい』

 アーカーシャの声が、淡々と歴史を語る。

『我々は肉体を捨て、脳を保存し、意識をネットワークで統合しました。ここでは飢えも、病も、孤独もありません。全ての知識を共有し、全ての感情を平均化し、永遠の安らぎの中で「正解」だけを導き出す。……これこそが、科学が到達した究極の平和。人類の進化の最終形です』

「進化、だと……?」

 アビスが、低い、地を這うような声で唸った。

 彼はカプセルの一つに近づき、ガラス越しに中の脳を睨みつけた。

 その深紅の瞳には、かつてないほどの嫌悪と軽蔑の色が浮かんでいた。

「笑わせるな。これが平和? これが進化だと?」

 アビスが振り返り、両手を広げてホール全体を指し示した。

「ただの標本じゃねえか。痛みがない? 当たり前だ、死んでいるのと同じなんだからな。争いがない? 結構なことだ。だが、そこには勝利の快感も、敗北の屈辱もねえ。……そんなものは『生』とは呼ばん。ただのデータの集積だ」

 魔人は、個の頂点に立つ存在だ。

 欲望のままに生き、力で全てをねじ伏せ、己の存在を世界に刻みつける。

 彼にとって、個性を捨てて均一化されたこの光景は、生理的に最も受け入れがたい「醜悪」そのものだった。

『……理解不能。貴方のような野蛮な魔導生物には、この高潔な精神の統合は理解できないでしょう。個への執着こそが、争いの火種なのです』

「ああ、分からねえな。分かりたくもねえ」

 アビスの掌に、漆黒の炎が灯った。

 ゆらりと揺れるその炎は、見ているだけで魂が吸い込まれそうなほど深い闇色をしている。

「貴様らの言う『平和』とやらは、俺様にとってはヘドが出るほど退屈なんだよ。……安心しろ。その永遠の安らぎごと、灰にしてやる」

 アビスの殺気が膨れ上がる。

 本気だ。

 彼は、この施設の、いや、ここに眠る50万人の脳全てを焼き払うつもりだ。

 彼にとって、これらはもはや人間ではない。

 ただの不快な「部品」でしかない。

「消えろ、ヘル・フレ――」

 アビスが炎を放とうとした、その瞬間。

「ダメですッ!」

 アビスの前に、リディアが立ちはだかった。

 両手を広げ、魔人の視界を遮るように。

「……あ?」

 アビスの手が止まる。

 彼は不機嫌そうに目を細め、眼下の少女を睨み下ろした。

「どけ、リディア。こいつらは敵だぞ。俺たちを殺そうとした。それに、こんな醜いガラクタども、生かしておいても世界のためにならん」

「それでも、ダメです!」

 リディアは引かなかった。

 彼女は、背後のカプセル群を一瞥し、そして真っ直ぐにアビスを見上げた。

「彼らは敵でした。私だって、殺されかけました。……でも、この人たちは、今はもう戦えません。武器も持ってないし、抵抗もしてない。……ただ、そこにいるだけです」

「それがどうした。無抵抗なら殺しやすい。それだけのことだ」

「違います! ……無抵抗な相手を一方的に殺すのは、戦いじゃありません! ただの虐殺です!」

 リディアが叫ぶ。

「それに……アーカーシャさんは言いました。『我々』って。……形は変わってしまったけど、このカプセルの一つ一つに、かつて生きていた人たちの心が、記憶が残ってるんです。……まだ、生きてるんです!」

「生きてる? これがか?」

 アビスは鼻で笑った。

「管に繋がれて、水に浮いて、夢を見てるだけの肉塊が、生きていると言えるのか?」

「言えます!」

 リディアは即答した。

「心があるなら、それは『人』です。アビスさんが犬の姿になってもアビスさんなのと同じように……姿が変わっても、命の重さは変わりません!」

「……っ」

 アビスが言葉に詰まる。

 犬の姿。

 それを引き合いに出されるのは、彼にとって痛いところだった。

 確かに、姿が変わっても魂は変わらなかった。

『……勇者リディア。貴方の主張は非論理的です』

 アーカーシャの声が割って入る。

『我々は敵対存在です。貴方たちを排除しようとしました。論理的に考えれば、貴方たちが我々を破壊し、将来の憂いを断つのが最適解(ベスト)なはず。……なぜ、庇うのです?』

 リディアは、アーカーシャに向かって答えた。

「論理とか、計算とか、そんなの知りません。……ただ、私は勇者だから。目の前で、誰も傷つけさせたくないだけです。それが例え、敵だった人でも!」

 青臭い、子供の理屈。

 綺麗事だ。

 戦場では真っ先に死ぬタイプの思考だ。

 だが、その真っ直ぐすぎる瞳には、一点の曇りもなかった。

 アビスは、その瞳を知っている。

 どんな絶望的な状況でも、自分アビスを信じ、共に戦い抜いてくれた、相棒の瞳だ。

 数秒の沈黙。

 アビスとリディアの視線が交錯する。

 殺意と、意志。

 魔と、聖。


 やがて、アビスは深く溜息をついた。

「……はぁ。心底、呆れた女だ」

 アビスの手から、漆黒の炎が霧散して消えた。

「アビスさん……?」

「勘違いするなよ。俺様は別に、こいつらを認めたわけじゃない。……ただ」

 アビスはコートの襟を直し、そっぽを向いた。「俺様の相棒(リディア)が、そこまで言うなら……その顔を立ててやるのも、魔人の度量というものだ」

 それは、アビスなりの最大の譲歩だった。

 かつての彼なら、邪魔する者は味方ごと焼き払っていただろう。

 だが、今の彼は違う。

 リディアとの旅が、犬としての生活が、そして「相棒」としての絆が、彼の中に微かな――しかし確実な変化をもたらしていた。

「……ありがとうございます、アビスさん!」

 リディアの顔がパァッと輝く。

「フン。礼には及ばん。……その代わり、今日の晩飯は豪華にしろよ。あと、肩も揉め。全力でな」

「はい! お任せください!」

 アビスは、再びカプセル群に向き直った。

 殺意は消えているが、その瞳にある冷ややかさは変わらない。

「聞いたか、アーカーシャ。……このお人好しの勇者に感謝するんだな。本来なら、今頃貴様らは灰になっていたところだ」

『……理解不能。……論理的矛盾(パラドックス)。……しかし』

 アーカーシャの声に、初めて感情のような揺らぎが混じった。

 それは、困惑か、それとも――安堵か。

『現在の状況を、「停戦」として処理します。勇者リディア、魔人アビス。貴方たちの行動データは、我々の予測演算モデルには存在しないものでした』

「予測できたら、面白くねえだろうが」

 アビスはニヤリと笑った。

「未来ってのは、計算で弾き出すもんじゃない。……俺様たちが、力ずくで切り拓くもんだ」

『……記録しました。貴方たちの旅路に、興味深いデータが得られることを期待します』

 カプセル群の照明が、ゆっくりと輝きを弱め、穏やかな薄緑色へと変わっていった。

 それは、敵意の消失を示すサインだった。

「行くぞ、リディア。ここは薬品臭くて敵わん」

 アビスが踵を返す。

「はいっ!」

 リディアは、最後にもう一度、無数のカプセルたちに深々と頭を下げた。

「さようなら。……どうか、安らかに」

 二人は並んで、来た道を戻り始めた。

 その背中を、50万の沈黙した瞳が見送っている。

 魔人は、殺さなかった。

 勇者は、守り抜いた。

 かつて世界を二分して争った二つの種族が、今、小さな「共存」の形を見つけたのだ。 地下深くに眠る、悲しい科学の墓標の前で。

「あ、そうだアビスさん。出口までの道、覚えてます?」

「……知らん。貴様が先導しろ」

「ええっ!? 私も方向音痴ですよ!?」

「知っている。……まあいい、壁をぶち破って直進すれば地上に出るだろ」

「ダメですってば! 無駄な破壊は禁止です!」

 静寂な通路に、二人の漫才のような掛け合いが響く。

 それは、いつもの日常が戻ってきた証でもあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ