序章〜防壁の淀み〜
午前中、ティースは城の地下深くへと降りていった。
灰色の髪をひとつにまとめた侍女長、アデルが静かにその後を歩く。彼女はティースの側近として、常に傍に控える存在だ。
地下の最奥――防壁管理室。
すでに魔法技術局の局長、セラス・ヴァルトハイムが待っていた。
銀髪を三つ編みにし、四角い眼鏡の奥で理知的な瞳が光る。浅葱色のローブが、魔法陣の青白い光に照らされて淡く輝いていた。
「ティース様、お待ちしておりました。準備は整っております」
「ありがとう、セラス」
ティースは頷き、床一面に広がる巨大な魔法陣の前に立つ。
その紋様こそ、シルバーグローブ王国を包む防壁の心臓部――。
「では、点検を始めます」
ティースが魔力を注ぐと、光が脈打つように広がった。
防壁の状態、魔力の流れ、各所の結界強度。すべてが一瞬で彼女の意識に流れ込む。
異常なし――そう判断しかけた時、ティースは小さく眉を寄せた。
「……?」
かすかな乱れ。ほんの一筋、魔力の流れに濁りがある。
ごく微細だが、見過ごせない。
「どうかなさいましたか?」
セラスが顔を上げる。
「……少し、気になることが」
ティースは目を閉じ、意識を深く沈めた。
魔力の流れを辿る。そこには確かに、わずかな淀み――水流に小石が詰まったような不自然な感覚。
「セラス、ここ数日、何か報告は?」
「いえ、特には……」
セラスは資料をめくる。メガネの奥の目が数字を追う。
「数値上は正常範囲内です。ただ――」
「ただ?」
「三日前、北の森で小規模な魔物の出現がありました。すぐに討伐されましたが。」
「魔物……」
ティースは小さく息を呑む。
かつて魔物が大量発生した際にも、防壁には似た歪みが生じていた――だが、今回は違う。
もっと深く、もっと複雑な……“何か”が潜んでいる。
「明日、もう一度詳細な点検を行います」
「かしこまりました。私も同行いたします」
セラスが恭しく頭を下げる。
ティースは頷いたが、胸の奥のざらつく不安は、消えなかった。




