6話 断罪のワルツ
くるくる、くるくる、とまるで舞踏会で大好きな人と踊るように軽快に回る。
人で溢れかえっていてまともに歩ける状況じゃないはずなのに、その女に導かれるままリリーは人の隙間を流れるように移動する二人。
リリーの前には、狂気と愉悦が入り混じった熱のこもった瞳に、口が裂けたように引き伸ばされて引き攣った笑みを浮かべる女がいた。楽しげな笑い声が、悲鳴の中で一等異質に響く。一見すればただの不審者のように見える女のことを、リリーはよく知っていた。
「……ジュリエット。どうしてあなたがここに…………?」
緊張の色を帯びた瞳が、目の前の相手――変わり果てた姿のジュリエットを射抜くように向けられる。
ジュリエット・フェリー二。
反王国派であるフェリー二子爵の一人娘で、ルイスが懸想していた相手。そして、リリーが断罪されるはずだったあの日に、王家への反逆罪の容疑として捉えられたはずだった。
「今はまだ、取り調べの最中で、あなたは牢屋に幽閉されているはずじゃ……?」
「えぇ〜? リリー様って、わたしぃのことにー、興味があったんですかぁ〜?」
理性のカケラも感じさぬ、狂気に満ちた瞳で、口元を歪めて笑う。歌うように、壊れたオルゴールのように、ジュリエットは声を上げる。その笑みはゾッとするほど冷たく、リリーはすぐに逃げなければとジュリエットの体を押し除けようとした。
「んん〜? ダメですよぅ、リリー様ぁ。私はあなたに用があるんですからぁ!」
逃げようともがくほど、リリーを捕まえるジュリエットの手は強くなる。痛みを感じるほどの力に、リリーはどこにそんな力があるのかと舌打ちをしたい気落ちになった。
「ねぇ、ね〜え〜、リリ様ぁ! 教えてくださいよぉ!」
「……っ!」
ぐいっと力任せに手を引かれ、リリーの口から苦痛に満ちた息が漏れる。しかし、ジュリエットは気にしていないようで、聞き取れないほど小さな声で何かを呟くと、顔をパッと上げる。
「リリ様ならぁ、知ってるんですよねぇ!? だって、あの男が、言ってましたよぉ? ……ねぇ、ねぇ! ねぇってば!!」
正気じゃない彼女の様子にリリーは心の底で恐怖心が湧き上がってくるのを感じ、顔を歪める。しかし、次に見た光景に驚いて目を丸くする。
目の前のジュリエットの瞳に、狂気の底から浮かび上がるように一瞬だけ正気が宿る。正気の彼女は何かを恐れ、そして、痛みに喘ぐように涙を流しながらリリーの腕に縋り付く。
「お願いします。お願いします。もうやめてください。もう、もう、私は、――私は「物語」の人形になりたくないっ」
頬を伝う涙を拭うこともできず、震える声でリリーに助けを求める。その光景にリリーは体を硬直させ、息を呑む。
――どうしてジュリエットが「物語」のことを知っているの?
聞きたいこと、知りたいことが山ほどあった。リリーは、とりあえずジュリエットをなんとか保護できないかと考えるが、それよりも前に彼女の体からカクンと力が抜ける。人混みの中、リリーの腕に縋りつきながら座り込むジュリエットにリリーは声をかけようとした。
だが、リリーが話しかけるよりも前に、ジュリエットが天を仰ぐように首をのけぞらせ、再び狂気を孕んだ笑い声を響かせる。
「あははははははは! もうダメだ! もう無理だ! 嫌だ、嫌だ、嫌だ! 助けてよぉ、ルイス様ぁ!」
涙で顔を歪めながら、それでも引き攣った笑みを浮かべ続ける。まるで壊れた人形のようだった。
「ジュリエット、あなたは一体――?」
リリーがジュリエットに言葉をかけようとした時、正面から「光よ」と聞き慣れた声が聞こえてくる。その声にハッとして顔をあげると、民衆の向こうから複数の人たちがこちらに向かって来るのが見えた。その人物たちは全身を黒色の服装で身を包み、胸元には王家直属の魔法騎士団を示す紋章が輝いている。
黒くて裏地が赤色の短いマントが風に揺れ、動くたびに光を吸い込んでいるようだった。そして、その人たちに中心には、リリーのよく知る人物、エルリック・アンネットが立っている。
「戒めの環を描け――《アレスト》!」
エルリックの詠唱と共にジュリエットの足元に魔法陣が展開され、光の鎖が彼女の四肢を拘束した。
「あは? なぁに、これ〜?」
どうして身動きができないのか理解できていないのか、ジュリエットはガチャガチャと音を立てながら光の鎖から抜け出そうとしている。その後ろに、エルリックと魔法騎士の人たちが立つと、気配を察したのかジュリエットは一瞬動きを止める。
諦めたのかと思ったら、ジュリエットは首をグルンっと後ろに向けてニタニタと笑い始める。
「あはは! 騎士団の皆様ぁ〜、ご機嫌ようぅ〜?」
鎖に縛られながらもジュリエットはまるで礼を尽くすようにお辞儀をしようとする。その異様さに一部の騎士たちが不愉快そうに顔を歪めていたが、ジュリエットは気が付いていないように笑っていた。
「牢獄からの脱獄、および、侯爵令嬢誘拐の嫌疑で逮捕させていただく……といっても、こいつには聞こえてないみたいだけどな」
エルリックが嫌悪の視線をジュリエットに向ける。普段からよく苛立っている彼だったが、今のエルリックはまるで逆鱗を踏まれたかのように険しく顔を歪めていた。
「……お兄様?」
見知った顔にリリーはほっと肩の力を抜く。すると、全身のこわばった体からも力が抜けたようで、リリーはその場に倒れ込みそうになる。
「リリー!」
それに気が付いたエルリックの手が届くよりも先に、後ろから誰かに体を抱き止められる。
リリーが顔を向けると、青ざめた顔色、そして、焦燥と恐怖が入り混じった瞳で見つめるヴィンセントがいた。
「リリー!? どこか怪我はないか? すまない、俺がいながらこんな……」
「いえ、大丈夫です。それよりも、殿下の身に何もなくて安心しましたわ」
「俺の心配なんか今はどうでも……!」
そこでようやくヴィンセントはエルリックたちの姿に気がついたように、驚いた表情を浮かべる。エルリックを除く騎士も一国の王子がいることに驚き、手が止まっていた。
「ヴィンセント殿下、お怪我はありませんか。差し支えなければ、妹……リリーはこちらで面倒を見ますが」
「……あぁ、いや、結構だよ。俺が彼女を連れ出したんだ、最後までちゃんと送り届けるよ」
「……お言葉を返すようですが、妹に危害を及ばせた殿下の言葉を、俺は信じることができません」
「……っ!」
「なので、リリーをこちらに。家族の俺が、家まで送り届けます」
リリーの頭上で交わされる言葉にはお互いの苛立ちがこもっていた。その声を聞きながら、リリーは自分で帰れると物申したかったが、今更になって恐怖で震える足は止まりそうになかった。
ヴィンセントはエルリックの言葉に何も言い返すことができなかった。リリーを連れ出し、危険な目に合わせたのは事実だったからだ。
自分なら、彼女を絶対に守ることができる、とそう思っていたからこそ余計に自分の不甲斐なさが悔しかった。
――こんな弱い自分で、一体どうやってリリーを運命から救い出せるっていうんだ。
キツく引き結んだ唇を強く噛み締める。すると、その唇にそっとリリーが手を伸ばす。
「……そんなに、強く噛み締めたら、綺麗なお顔が真っ赤に染まりますよ」
リリーはヴィンセントを安心させるように、親指で彼の唇をなぞる。それは、あの断罪の夜にヴィンセントがしたことと同じことだった。そのことに気がついたヴィンセントは驚きで目を見開く。
その表情を見て弱々しく笑う彼女は、ようやく仕返しができたことに満足そうにする。そして、ヴィンセントの手を借りながらも体を起こすと、彼に向き直る。
「殿下、今はお兄様の言うとおりにしましょう……私も、少しやりたいことができましたので」
「……リリーが言うのなら」
ようやく頷いたヴィンセントを見てエルリックは苛立ったように小さく鼻を鳴らす。王子にたいして不敬とも取れる行動に、リリーは心のうちで冷や汗をかくが、ヴィンセントは気にしていないようだった。
「お前な、外に出るならちゃんと護衛をつけろ。お忍びで来ようとするからこんな目に遭うんだぞ」
ジュリエットの横を通りながらリリーは兄のもとに行くと、いきなり小言が飛んでくる。
「ちゃんと殿下が護衛をつけてくださいましたよ? ただ、ちょっと予想外のことが起きただけで……」
「ちょっと?」
「いえ、言葉の綾ですわ」
兄の一瞥に込められた圧に息を呑みながら、リリーはすぐさま言葉を継ぎ足す。エルリックは頭を勢いよく掻きむしると深いため息を吐き出す。そして、目の前のジュリエットに目を向けた。
「たまたま、騎士団に居合わせただけで、こんなことになるとは……最初に上がった報告も、刃物ぶん回してる奴がいるって話だったんだけどな」
エルリックでもなぜここに囚われていたはずの罪人がいるのかわかっていないようだった。ジュリエットはケラケラと笑いながら、空を仰いでおり、正気は取り戻していないように見えた。
そんな彼女のことをリリーは同情と痛みを含んだ瞳で見つめる。
――彼女の言葉が嘘でないのなら、きっと彼女も「物語」に人生を狂わされたのね。
リリーの瞳の奥には、「物語」の観測者としてではなく、一人の人間としての光が宿っていた。
そして、その様子を高いところから観察していた人物がいた。
真っ黒な全身を覆うマントに身を包んだその人物は手で丸を作ると自身の目に持っていく。目を細めながら、徐々に落ち着きを取り戻す群衆と、その間で対応に追われる騎士たちを観察する。しかし、すぐに飽きたように顔を動かすと、丸の中にリリーたちが収まる。
その人物はニヤリと大きく口を歪めて笑う。
「「物語」は終わらない。結局お前らは、「物語」の上で踊らされるキャラクターにすぎないのだから」
ペンを取れば、この場をもっと混乱に落とすこともできる。だが、その人物がそれをすることはなかった。
「これはただの実験――あっちは、生きた人間に「物語」を上書きできるのか」
騎士団に取り押さえられた刃物を持った男に視線を送る。結果は良くなかったが、一人分の「物語」に違う「物語」は掛け合わせることができないようだ。
予想通りの結末に興味を失ったのか、すぐにジュリエッタの方に視線が戻ってくる。その人物の興味は男よりも彼女にあるようだった。
「――そして、こっちは、ただのキャラクターに「物語」を教えるとどう変化するか」
誰も生きていて、自分が「物語」というレールを歩かされているとは思わないだろう。そこであえて外側から「物語」の存在について気づかせてやると、どうなるのか。
「やっぱり、あの女も狂ったか」
その人物は隠しきれに愉悦の笑みを浮かべながら、反対の手にどこからか取り出したペンと古びた本を持つ。
「あー、なんだっけ? 「物語」の人形になりたくない……? あはは、それすらも言わされているとは思わないんだからおかしいよな」
開かれた本は白紙だった。何も書かれていない「空白」のページに、その人物はとんっとペンの先をつける。
「よしよし、それなら、華々しく、謎を残して死んでいく役をお前にあげようじゃないか。最高にミステリアスで、心が躍る役だろう?」
スラスラと文字を書いていくが、インクが紙に乗った瞬間、文字は本に吸い込まれるように消えていく。
「うん、これでいいか。さぁ、あのお嬢さんの「物語」を正すために動きますか」
ぐーっと体を伸ばすと、その人物は立ち上がる。眼下では光の鎖に縛られながらも、自分の首に手を伸ばすジュリエットと、それを止めようとしている男たちがいた。
その人物は、無駄に足掻く彼らを見て、笑みを深くすると、興味を失ったように踵を返してその場から離れていく。
*
『四肢から血が流れ出しても、ジュリエットの動きは止まらない。ゆっくりと両手が彼女の首に向かっていく。ジュリエットは「いや、嫌だ」と何かに懇願するように涙を流し続けているが、不思議なことにそのことに気がつくものはいなかった。
そして、彼女は自分の首に手を回し、力を込める。その時ようやく騎士の一人がジュリエットの様子に気がついたが、時はすでに遅かった。
こうして、ジュリエットの一生は終わりを迎える』




