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2話 望まぬ縁談と猶予

 父がいる執務室の扉を開けると、険しい顔をしたシャルル・アンネットが正面の机に肘をついて座っていた。



「こんばんは、お父様」

「挨拶はいいからそこに座りなさい」



 言葉の端々からシャルルの静かな怒りを感じ、リリーは声には出さず、心の中で苦い笑みを浮かべる。



 王家主催の華やかな夜会を、自らの舞台のように気ままに踊ったのだから、シャルルからお咎めを受けるのはわかっていた。リリーが自由に振る舞えば、それだけ家族に迷惑がかかると知っていても、「リリー」の意思を受け継いだ今の自分が何もしないという選択肢はなかった。



「何のために呼び出したかわかっているな」

「はい、お父様。私の行動で迷惑をかけてしまい、申し訳ありません」

「それはよい。結果として反対勢力を一網打尽にできたのだからな。しかし、それとは別にだな……リリー、その、気持ちは大丈夫なのか?」



 険しい顔のままシャルルは聞きづらそうに視線を逸らす。リリーは父が何を聞きたいのかわからず首を傾ける。


「お前の大好きなルイス王子に婚約破棄を突きつけられて平気なのかって聞いてるんだよ」



 いつの間にか執務室に入ってきていたエルリックが父の言葉を翻訳してくれた。直球に言葉にするエルリックに、シャルルは焦ったように彼の名前を呼ぶ。エルリックはリリーの正面のソファに座ると、顰めっ面でシャルルと一緒にリリーの言葉を待った。


 リリーは一瞬二人が知りたい内容がわからずきょとんとした顔を見せるが、すぐに何を尋ねているのかを察する。



 二人はリリーの恋の行く末を心配していたのだ。



 しかし、二人の心配は杞憂でしかなかった。



 今のリリーにはルイスへの愛情はなく、そこにあるのは幼い子供を見るような慈愛の感情のようなものだった。もちろん、「リリー」は心の底から彼のことを愛し、大切に思っていた。それが、「物語」による強制的な感情なのか、それともそれこそが彼女の本心だったのか。今となってはわからないことだったが、後者であればいいなとリリーは思う。



「私はもうルイス様のことを想ってはおりません。もちろん、この国の王子として、立派になって欲しいとは思いますが、それ以上の感情はありません」

「リリー、しかし、お前はあんなに王子のことを好いていたではないか」

「ええ、その気持ちを抱いていたことは否定しません。ですが、自分を好いてくださらない方にいつまでも縋るほど、私は愚かではありませんわ」



 散々ルイスとのことで醜態を晒した過去がある中で、この言い分が通るのかはわからなかったが、正直に今の気持ちを話すしかなかった。今の自分からしても「リリー」の執着は異常だったのだ。言い換えれば、「物語」の強制力が異様だったとも言える。



「そうか……それならよいのだが…………」


 はっきりと言い切るリリーにそれでもシャルルは心配そうな視線をよこす。シャルルとは対照的に、目の前に座る兄は心配どころか不審者を見るような目をしていたが、リリーは気づかないフリをした。


「それよりも、こいつの処遇はどうなるんですか」

「まだ、正確な知らせは来ていない。国王陛下がどのように判断されるか……」


 シャルルは手元にある王室からの手紙を見つめながら渋い声で答える。夜会が中止になり、すぐに届けられたそれにはどうやらリリーが他国の王子に求婚されたことは書かれていないようだった。


 ここは黙っているのがいいのだろうか、そんなことを考えていると、シャルルが深いため息をついた。ただでさえ忙しい父に苦労をかけてしまっていることが心苦しかった。


「……話は以上だ。王室から連絡が来ればすぐに動けるように、今日はゆっくり休みなさい」


 シャルルの言葉でその場は解散となる。父に見送られる形で執務室を出ると、エルリックはリリーの方を見ることなく反対方向に歩き出す。


 リリーはその背中を見送りながら、自分も部屋に戻ろうとして足を止める。そして、遠ざかる兄に向かって「お兄様」と声をかけていた。


 エルリックはリリーの呼びかけにピタッと足を止めたが、振り返ることはなかった。



「おやすみなさい」



 リリーが挨拶をするとエルリックの肩がわずかに揺れたような気がした。しばらく兄の動向を観察していたリリーは、エルリックが挨拶を返す様子が見られないのを確認してから、自室に向かって歩き出す。


 小さくなっていく背中を、今度はエルリックがじっと見つめていた。


 エルリックは、ずっと感じていた違和感に目を向ける。



 自分の妹なのに、まるで別人のように大人しくなったリリー。これまでの彼女なら、王子に婚約破棄をされたなら泣いて縋り、他の貴族たちの笑い物になっていたことだろう。そして、誰も味方がいない夜会の場で、悲劇の悪役として幕を閉じるはず――だった。



 だけど、現実はそうはならなかった。



 リリーは婚約破棄以上の手土産を持って、やり返してみせたのだ。傲慢で、プライドの高いエルリックの妹とは思えない、周到さと狡猾さで、影に潜んでいた獲物を吊し上げた。




「――あれは、誰だ?」




 凛とした背中に重なるのは一体誰なのだろうか。



 エルリックの呟きは、静まり返った暗闇の中に消えていった。





 *





 次に王室から連絡が来たのは、夜会から数日経った後だった。



 リリーは父であるシャルルと一緒に登城し、宮廷の応接室でグラディアント王が来るのを待った。シャルルは宮廷で働いているため、ここの独特な雰囲気には慣れていると思ったが、何度も額の汗をハンカチで拭っていることから緊張しているのが伺えた。リリーは単純に陛下と会うことに緊張しているのかと思ったが、実際は娘の処遇がどうなるかが気になっていただけだった。



 性格には難があるリリーだったが、シャルルには可愛い娘であることは間違いなかったから。


 長い沈黙が二人の間で続く。外で囀る鳥の音が、窓ガラスを通して聞こえてくる。



 どれくらい待っただろうか。控えめなノックが聞こえてくると「国王陛下がお越しになられました!」と歯切れの良い、毅然とした声が応接室に響き渡る。二人の騎士が両開きの扉を静かに押すと、その間からグラディアント王がゆっくりとした足取りで入ってくる。



 リリーとシャルルは立ち上がって一礼し、「国王陛下に謹んでご挨拶申し上げます」と口上を述べる。グラディアント王は片手をあげて応えると、「顔を上げて、楽にしなさい」と言って向かい側のソファに座る。二人は彼の言葉に従い、姿勢を正すとソファに腰掛ける。



「今日はどんな理由で呼び出したか、わかっておるな」


 グラディアント王の低い声が鼓膜を刺激する。


「はい、陛下」


 彼の問いかけにリリーは背筋を正したまま、静かに答えた。


「其方の婚約破棄についてだ。そして、アルシア王国の王子が示した求婚の件も、だ」


 婚約破棄以上のことは知らされていなかったシャルルが小さく息を呑む。その様子を横目で見ながら、リリーの胸の奥では「やっぱり」と冷たい諦めが広がった。


 悪女としての一生を描いた「物語」からようやく解放されたというのに、今度は国のためにと傀儡にされるというのか。


 リリーは険しい表情で、グラディアント王を睨み上げる。不敬だとかは考える余裕はなかった。それほど、この話はリリーにとって何がなんでも避けたい話であったのだ。


「アルシア王国が……? なぜ、ルイス殿下との件に彼の国が関わるのですか?」


 困惑するシャルルにグラディアント王が答えようとしたが、それよりも前にリリーが口を開く。



「簡単な話ですわ、お父様。アルシア王国は婚約者のいなくなった私を娶りたいと宣言したからです」

「なんだと……! なぜそんな話になったのだ!」

「私にもわかりません。あちらの国の王子とは面識もなく、夜会などでも会ったことはないはずです」



 シャルルが知りたがっている答えは、リリーだって知りたいことだった。突如現れたその王子は、まるで古くからの友人のようにリリーに話しかけ、あまつさえその隣の座を欲していた。そこに立つのは自分しかいないという態度は傲慢以外の何者でもなかった。



「ヴィンセント王子はリリーと面識があるようだったが?」

「そのような事実はありません」


 グラディアント王の探るような視線に、リリーはすぐに否を返す。今のリリーならいざ知らず、ルイスしか見えていなかった「リリー」に他の男の影などあるはずがなかった。


 だからこそ、余計に訳がわからないのだ。

 どちらの「リリー」もヴィンセントのことは知らない。なのに、彼はリリーのこと知っているのだから。


 自分の知らないところで何かが蠢いているような感覚がして、心がざわつく。


「……君は、この縁談を呑みたいと思うか」


 氷を彷彿とさせる眼差しがリリーを捉える。隣に座るシャルルがひゅっと短い悲鳴を上げるのを聞きながら、リリーはよくよく考える。



 この縁談を受け入れて、新たな「物語」の歯車になり下がるか、それともリリーとして立って「空白」のページを歩き始めるか。



 模範生なら前者を選ぶのだろう。だけど、リリーは――。



 顔を伏せて黙り込むリリーにグラディアント王は初めて表情を崩し、疲れたように小さく息を吐き出す。


「あちら側は今すぐの返事を求めていない」


 その言葉にリリーは驚いて顔をあげる。


「リリー、君に猶予を与えよう。一月後までに答えを見つけなさい」


 グラディアント王は目尻を下げると、フッと慈愛を込めてリリーに微笑みかける。



「どちらを選んでも、今回に限り我が名にかけて必ず尊重すると誓おう…………これは我が愚息の無礼に対する謝罪の証だ」



 まるで我が子を思うような優しい眼差しにリリーはわずかに瞳を大きく開く。




「後悔のない道を選びなさい、リリー」





 *




 グラディアント王の話が終わると、リリーは一人だけ応接室から追い出された。父と陛下は他に話し合うことがあるとかなんとか。


 グラディアント王の命でつけられた護衛騎士はリリーの数歩後ろでニコニコと笑ってついてくる。その騎士はセドリック・モンターニュと名乗り、第一魔法騎士団に所属する魔法騎士だった。


 第一魔法騎士団とはジュリエットおよびその一派を捕える際に協力していたため、セドリックともリリーは面識があった。



 セドリックは陽だまりのような笑みを絶やさず、階級に関係なく誰にでも分け隔てなく接することができる人物だった。ただ笑っているだけなら誰でもできるが、彼の魔法騎士としての実力は確かなもので、騎士団の中でも五本の指に入るほどだった。



 そして、セドリックの生家は古くからヴァレリア王家に忠誠を捧げる臣下の家系でもあり、権力も武力も金も持ち合わせる彼は社交界でも注目をあげている。




「大変なことになったね、リリー様」




 ぼうっと庭園で空を眺めるリリーにセドリックが話しかける。立場としては公爵家の娘であるリリーの方が上ではあったが、歳が近いこともあってリリーは彼に堅苦しい態度を取ることを禁じていた。


「ルイス殿下との一件が終われば、田舎に行って悠々自適に過ごすって言ってなかった?」

「私だって、そのつもりだったわ」


 揶揄うようなセドリックの口調にリリーは口を尖らせて不満を隠しもしない。


「リリー様は不幸の星の下にでも生まれたのかな? それとも、神様に愛されているのかな?」

「どちらにしても、運命は私のことを何がなんでも離したくないくらい大好きなようね…………全く、いい迷惑だわ」

「でも、そのおかげで、俺はこうして君と一緒にいられる訳だから嬉しいけどね」


 歯の浮くようなセリフにリリーは全身の鳥肌が立つのを感じる。嫌そうな視線に気がついたセドリックは声をあげて笑った。


「君くらいだよ、俺のことをそんなふうに見てくるのは。そんなに俺は苦手かい?」

「苦手じゃないわ。ただ、その上辺だけの言葉を吐かれるのが嫌なだけよ」


 ジトっとした目で見つめると、彼は笑って「それじゃあ、本題を話そうか」と言った。




「ヴィンセント殿下の素性を洗ったよ」




 セドリックの言葉にリリーは顔つきを真剣なものに変える。何も言わなくても秘密裏に動いてくれる彼らに、国家転覆の危機を未然に防ぐという大役を与えることで恩を売っておいて良かったと心から思った。



「アルシア王国は緑豊かな小さな国だけど、天然の魔鉱石が採れる要の場所でもある。そんな国に生まれた第一王子、ヴィンセント殿下は幼い時から優秀だったそうだよ。全ての学問において優秀な成績を収め、剣技、魔法の才もあるとか――まるで、神の恩寵を授かった奇跡の子だって、ね」



「だけど、私はそんな有名の殿下のことを知らなかったわ」

「それは、ヴィンセント殿下がある年齢までその存在を隠して生きていたからだと思う。それも、本人の意思で」

「どうして? 後継者争いに巻き込まれないため? それとも、他に理由があるの?」

「そこまでは、俺たちでもわからなかったんだよね。ただ、噂ではヴィンセント殿下は何かを待っていたらしい」



 太陽の光を編んだような金色の髪と、蒼穹を宿した瞳をもつヴィンセントは、社交界にいればきっとその美貌から噂が絶えなかっただろう。だけど、実際に彼はその存在を完璧に消して過ごしてみせ、見事にリリーの「物語」の登場人物となった。



「マティアスとも話していたけど、このタイミングで姿を表したってことは、ヴィンセントが待っていたのは、リリー様じゃないかって」

「私……?」

「そう。リリー様に目的があって、あの瞬間を待っていたんじゃないか、マティアスはそう言ってた」



 確かに、リリーを狙うのならあの夜会の日は絶好のチャンスだった。ルイスからの婚約破棄および謂れのない罪の断罪パーティーを利用すれば、近づくことも容易かったことだろう。だけど、その目的もなぜリリーを待っていたのかも、わからないことばかりだった。



「直接ヴィンセント殿下に確認するしかないのかしら……」





「――俺のこと、呼んだ?」





 二人の話に割り込むように、静謐な優しさを含んだ声が庭園に響く。


 リリーは驚いて体を硬直させ、セドリックは腰に下げていた剣に手をかけ、リリーを背中に隠す。二人が警戒しながら庭園の入り口を見ると、そこには絵画から抜け出したような気品のある美丈夫が二人に向かって歩いてきていた。




「…………ヴィンセント殿下」




 ここにいるはずのないその人――ヴィンセント・アルトリウスを呆然と見つめる。彼はおかしそうに口元で笑うと、とろけるような甘い瞳でリリーを見つめる。

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― 新着の感想 ―
序盤から怒濤の展開ですが、 リリーの今後が非常に気になります。 ここからどうなるのか、気になるのでブクマさせていただきました。
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