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第三話1

港街アーヴェルンを出て徒歩で1ヶ月。2人は北の峠を越えベレリアまで後少しと言うところまた来ていた。

峠を抜けた先、視界いっぱいに広がる城壁都市――ベレリア。

 石造りの高い城門の上では、陽の光を受けた金色の紋章旗がはためき、市場のざわめきが遠くから押し寄せてくる。

 門前は荷馬車や旅人の列でごった返し、人と馬と商材の匂いが入り混じっていた。


「よう、そこの二人。冒険者か?」

 列の整理をしていた門番が声をかける。


「そうだが」シオンは短く答える。


「なら入ったら真っ直ぐギルドに行け。この街じゃ再登録しないと仕事はできねぇ。それと……」

 門番の視線がリシェルに流れる。

 褐色の肌と金髪、露わな胸元――その一瞬の視線に含まれる意味は、彼女自身がよく知っているものだ。

「……街の中は人目が多い。気をつけな」


 リシェルは薄く笑みを浮かべた。

「ご忠告、ありがと。気をつけるわ」


 門をくぐった瞬間、喧騒の波が二人を包み込む。香辛料の匂い、焼き立てのパンの香り、遠くからの呼び声。

 だが、リシェルの意識は別のものに向いていた。

――周囲の視線。

 褐色の肌、金髪に映える引き締まった肢体と豊かな胸。彼女の存在は、ただ歩いているだけで人々の目を引きつける。


「……また見られてるわね」


「いつものことだ。……綺麗なんだし仕方ないだろ」


 本気なのか冗談なのかぶっきらぼうに言い捨てるシオンの声は、無関心そうでいて妙に優しかった。


 リシェルは一瞬だけ目を瞬かせ、それから唇の端を上げる。

「……ふふ、そっか、そうなんだ。」

 軽く茶化すように返すが、その声色の奥には否定できない満足感がある。



 ギルドの扉を押し開けると、冷たい空気と紙とインクの匂いが出迎える。

 広いホールには依頼掲示板を囲む冒険者たち。黒髪の男と褐色肌の美女という組み合わせは、瞬く間に視線を集めた。


「再登録ですか?」受付の若い職員が顔を上げる。

「そうだ」シオンがギルドカードを差し出す。

 淡々とする職員が作業する中、突起事項を目にする。

そのままの流れでリシェルを一瞥する。


「では……所有物の証明を」

 その一言で周囲の空気がわずかにざわめく。

 リシェルは無言で胸元の革鎧をずらし、褐色の肌に白く輝く紋様を晒す。

 職員の目が一瞬だけ大きくなり、すぐに帳簿へ視線を落とした。

 近くの冒険者の数人が口笛を吹き、何人かは値踏みするような目で見てくる。


 リシェルは笑みを貼りつけたまま視線を逸らす。

 シオンはカードを受け取り、短く「終わりか」とだけ言った。


「……ベレリアでは所有物の行動にも持ち主が責任を負います。お気をつけて」

「心得てる」


 ギルドを出ようとした瞬間、粗野な男が横からぶつかるようにリシェルの肩を押した。

「おっと、悪ぃな……ほぉ…紋もちか…。いい女じゃねーか、いくらだ?」

 吐き捨てるような言葉と下卑た笑い。


 次の瞬間、シオンの手が男の腕をがっちり掴み、微動だにさせない。

 視線が交わる。シオンの目は笑っていなかった。

「……冗談だって」男は腕を振りほどき、人混みに消えていく。


 リシェルは肩をすくめ、「もう慣れたわよ、ああいうの」と軽く言う。


「ああ、それでもだ。そんなことより早く宿を取りに行くぞ。」


「はーい。」

リシェルはそう言ってシオン腕を掴んで抱きしめる。

シオンは赤くなりながらも何も言わずに歩き始めた。


 夕暮れが迫る中、シオンとリシェルは途方に暮れながら街の大通りを歩いていた。


 最初の宿では扉を開けた瞬間に「満室です」と短く告げられる。

 二軒目も同じ。三軒目では帳簿すらめくらず、女将が苦笑して首を振った。


「ごめんなさいねぇ、お祭りのせいで……」


 その一言で、二人はこの街に祭りが近いことを知った。

 聞けば三日後から夏祭りが始まるためそれに合わせて現在、商人や旅芸人、観光客が一気に押し寄せ、どの宿も数日前から埋まっているらしい。


 通りを見渡せば、その言葉を裏付けるようにあちこちで準備が進んでいた。

 木枠に吊るされた色鮮やかな提灯、並び始めた屋台や飾り物、舞台を組み立てる職人たち。

 街全体の空気が浮き立ち、日常とは違う熱気を帯びている。


「……お祭りなんて聞いてなかったわね」

 リシェルがげんなりと呟く。


「峠を越えたせいだな。南側には知らせなんて届かないよ。」

 シオンは歩みを止めず答える。


 それでも、リシェルの視線は屋台や提灯に吸い寄せられていた。

「確かにそうね。……灯籠流しに花火あるんだって……少し見てみたい気はするわ」


「見るのはいいが、宿がなきゃ話になんねーよ」

 シオンは淡々と言い、次の宿へと足を向けた。


 四軒目、五軒目、そして六軒目――どこも同じ答え。


満室。

 

 陽は傾き、路地に長い影が落ち始めていた。


「はは、こうなるといよいよ野宿か?」


「え?!いやよ。せっかく街についたんだもん。久しぶりにゆっくりベッドで寝たいわ。」


「だよなぁ。」


 そんな会話をしつつ宿のある場所から大通りに戻ろうとした時、近くでしわがれた声が響いた。

「やめておくれっ……!」


 シオン達は反射的に音の方へ向かう。

 そこでは、小柄な老婆が二人組の男に押さえ込まれ、荷物を奪われそうになっていた。

 一人が老婆を羽交い締めにし、もう一人が荷物を引き抜こうとしている。


 リシェルは即座に踏み込み、背後から男の腰を容赦なく蹴り飛ばした。

 鈍い衝撃音と共に男は壁に叩きつけられ、呻き声をあげて崩れ落ちる。


 素早く背後にまわったシオンを残る一人が振り返る――その刹那、シオンの右手に黒い光が瞬き、

 空気の中から鋭い剣身が形を取り、男の首元に突きつけられる。


「――放せ」

 鋭い声が、路地全体の空気を凍らせ男の首から一筋の血が流れる。


「ひぃ」


 男は血の気を失い、老婆を突き飛ばす。

 その身体が倒れ込むより先に、リシェルが腕の中へと収めた。

「おばあちゃん、大丈夫?」


 男が怯えたように後ずさり逃走の気配をみせると、シオンの手の中の剣を跡形もなく消した。

 男は何も言わず、蹴られた仲間を引きずって路地の奥へと消えていく。


リシェルに支えられた老婆は、肩で息をしながらも二人を見上げる。

「……あんたたち、本当にありがとうねぇ」


「当たり前のことをしただけですよ」

 シオンは淡々と答える。その声音には驕りもなく、ただ事実を述べるだけの落ち着きがあった。


 だが老婆は首を横に振った。

「私はマリアっていうんだい。命の恩人に何もしないなんて性分じゃなくてね。せめて礼をさせておくれ」


「お気持ちだけで十分です」

 短い返答だったが、その言葉には柔らかさがある。


「いやいや、そういうわけにはいかないさ」

 マリアは頑固そうに笑みを浮かべ、リシェルの腕を軽く握った。


「……あんたたち、旅人かい?」


「ええ。峠を越えてきたばっかりよ……」

 リシェルが答えると、マリアはふと眉を上げた。


「じゃあ、宿はもう取ったのかい?」


 リシェルとシオンは顔を見合わせ、シオンが正直に口を開いた。

「いえ、どこも満室でした。祭りのことも知らずに来てしまって」


「やっぱりねぇ……」

 マリアは小さくため息をつきながらも、何やら思案の色を見せる。

「なら、礼の代わりにうちの部屋を使ってくれないかい。ちょっとしたアパートメントみたいな貸し部屋をしていてね、一部屋空いてるんだよ」


 リシェルの瞳がぱっと輝く。

「ほんとに?!」


「ああ、もちろん。料金なんていらないさ。恩返しだよ」

 マリアはにこやかに笑った。


 だがシオンは首を横に振った。

「貸していただけるだけで十分ありがたいです。なので、料金はお支払いします」


「そんなこと……」

「部屋を貸していただける恩人に、ただで泊まるなんて俺にはできない性分でしてね。料金はお支払いさせてください。」

 シオンの言葉に、マリアは思わず吹き出した。


「こりゃ一本取られたね。わかった、料金はもらうよ。ただし特別料金だ。それでいいね?」


「わかりました。ありがとうございます」

 シオンが礼を述べると、リシェルはにっこり笑って肩の力を抜いた。


「よし、それじゃあついておいで。部屋は大通りのすぐそばさ。祭りの会場も歩いてすぐの好立地だよ」

 マリアが笑顔で軽やかに歩き出し、二人はその後ろ姿を追った。


裏路地を抜けると、目の前に広がったのは鮮やかな色と音の洪水だった。

 色とりどりの布で飾られた屋台、香ばしい匂いを漂わせる鉄板、威勢よく掛け声を飛ばす商人たち。太鼓の音が遠くから響き、空気そのものが熱を帯びているようだ。まだこれで準備の途中だというから驚かされる。


「うわ……やっぱり昼間と雰囲気が全然違うわね」


 リシェルが周囲を見回しながら、軽く息を弾ませる。


「そうか?」


「そうよ!、あの時は……まぁ、シオンが必死で宿探してたからしっかりとは見ていないけど…。」


「気を使ってくれてたんだな。ありがとう」


「ちょっ、別にそんなんじゃないし」


「ふふ、仲がいいねぇ、あんたたち」


 マリアがにこやかに笑い、二人の様子を横目で見る。


「そう見えますか?」


「見える見える。まるで長年連れ添った夫婦みたいだよ」


「えっ、それはさすがに——」


 リシェルが慌てて否定しようとした瞬間、シオンはあっさりと口を開いた。


「まぁ……そんな感じです。」


「はぁっ!? ちょ、ちょっとシオン!?」


「よく似たもんだろ?」


 軽く笑って言うその声には、からかいと、ほんの少しだけ真実が混ざっている。


 その“真実”の意味に気づいてしまい、胸の奥がくすぐったくなる。


「……っ」


 頬が熱を帯びるのを隠そうと、慌てて視線を逸らす。


「うぅ……私だけ意識してるみたいで、なんかずるい……」


 文句を言いながらも、ちらちらと横目で彼を盗み見る。

 シオンは何事もなかったように前を歩いているのが、たまらず憎らしかった。


 マリアはその様子をおかしそうに眺め、口元を隠して小さく笑った。


「こりゃ、祭りの屋台より見物かもしれないねぇ」


そのつぶやきにピクリと反応するリシェル。


「……あっ、ほら見て、あの屋台! あの模様、珍しくない?」


 リシェルが強引に話題を変えるように、少し前方の屋台を指差す。

 そこでは色鮮やかな布細工が風にはためき、子どもたちが楽しそうに飾り付けを手伝っていた。


「確かに、織り方が面白いな。ああいう柄は北東の方でしか見ないな。」


「へぇ……じゃあそういう職人さんも来てるのね」


「かもな。」


 シオンは首を傾げる。長年冒険者として各地を渡り歩いてきたリシェルにしては、反応が新鮮すぎる。


「……お前、こういうの初めて見るのか?」


「うん。エイベルより北はほとんど来たことなかったから。こっちの雰囲気も、品物も、目新しいものばかりよ。」

「意外だな。お前なら大抵のものは見てると思ってた」


「ふふっ。寒いのはちょっと苦手なの」


 リシェルは布の端を摘み、ひらひらと揺らして見せる。


「ほら、これも。色味が独特で、ちょっと面白いわ」


 リシェルは布を揺らしながら、どこか楽しげに目を細める。琥珀色の瞳が光を映し込み、普段より柔らかな笑みを帯びていた。


「こういう柄、私に似合うかしら?」


 リシェルは布の端を握り、少し照れくさそうに肩越しにシオンに差し出す。

 揺れる布が光を受けてきらめき、彼女の嬉しそうな表情がより引き立っていた。


「似合ってるよ。てか、似合わないものを探す方が難しいだろ。」


「っ……ち、違っ……そんな大げさなこと……」


 口では否定しながらも、耳まで赤くなり、指先が布を離せずにいる。


 その様子をマリアは楽しげに眺め、肩を揺らす。


「へぇ……、その反応はどう見ても…ねぇ」

とマリアがシオンを見るとニコリと微笑んで頷く。


「ちがっ……!」

 さらに声を上げて否定するが、心の奥ではくすぐったさがじわりと広がっていた。


 通りの端では、若い職人が太鼓の皮を張り直しており、乾いた音が小気味よく響いていた。香辛料の匂いが風に乗って鼻をくすぐるたび、リシェルはつい足を止めそうになる。

 そのたびにシオンが軽く背を押し、マリアが「まったく、仲のいいこと」と笑っていた。


屋台の並ぶ通りを抜けると、徐々に喧騒が遠ざかっていった。

 代わりに聞こえてきたのは、夕暮れの風が軒先の風鈴を揺らす、かすかな音だけ。

 背後から漂ってくる香辛料や焼き魚の匂いも、次第に薄れていった。


「ここだよ。ほら、見えてきた」


 マリアが指差したのは、三階建ての石造りのアパートメントだった。

 外壁はクリーム色で、バルコニーには花の鉢植えが並べられ、街の喧噪から少し離れた立地もあって、どこか落ち着いた雰囲気がある。


 階段を上って辿り着いた二階の一室。

 マリアが鍵を回して扉を開けると、近くの魔道具を操作すると柔らかなランプの光がともり二人を迎えた。


「わぁ……広い!」

 思わずリシェルが声を上げる。

 そこはリビングと小さなキッチンが一体になった空間で、奥には扉で仕切られたベッドルーム。

 さらにリビングの横には、高級な宿でも滅多にお目にかかれない、独立した浴槽のある浴室やトイレまであった。


「シオン! お風呂だよ! 本物の、お湯張れるやつ!」


 リシェルは駆け寄って浴槽を覗き込み、子どものように目を輝かせる。


「すごいな。湯船付きの部屋なんてめったにないぞ。」


「やばい……今すぐ入りたい……!」


 嬉しさを隠しきれず、頬まで緩ませながら浴室を見回すリシェルに、シオンは小さく笑みをこぼした。


「気に入ってくれたみたいだね」


 マリアが満足そうに頷き、部屋の鍵を差し出す。


「ここがあんたたちの部屋だよ。荷物を置いて少し休んだら、夕食においで。」


「いいの?」

 浴室の前からリシェルが顔だけ覗かせ、期待に満ちた目でマリアを見る。


「今からじゃ大変だろうからね。祭りの準備で食堂はどこもいっぱいだよ。」


「ありがとう!マリアさんの手料理……楽しみ」


「ふふ、じゃあ決まりだね。声をかけに来るから、それまで好きに過ごしておくれ」

 そう言ってマリアは軽く手を振り、自分の部屋へと戻っていった。


残された二人の部屋には、夕焼けの柔らかな光が差し込み、外の祭りの音が遠くにかすかに響いていた。

 リシェルは再び浴室の前に立ち、今度は湯船の縁に指を滑らせながら、夢見るような声を漏らす。



「ねぇ、シオン……これ、ほんとに好きなだけ入っていいのよね?」


「誰も止めねぇよ。好きなだけ浸かって、のぼせるまで堪能すればいい」


「のぼせるまでって……私は子供かっ!」

 そう言いながらも、口元は緩んでいる。


「……ただ、のぼせて助けることになって俺が触れたら、隷属紋が発動するかもしれねぇからな。わかってんだろ?気をつけろよ。」


「あ、たしかに…。あの醜態はあまりさらしたくないわね」


 リシェルは肩をすくめたが、次の瞬間、わざと視線を逸らしながら口角を上げる。


「――ま、シオンが相手なら別に……いや、なんでもない」


「……今、言いかけたよな」


「気のせいでしょ? そんなに気になるなら、わざとお風呂で倒れてみせようか?」


「冗談でもやめろ。」


「あはは…」

 愉快に笑うリシェルに、シオンは額に手を当て、深いため息をついた。


 シオンは窓際の椅子に腰掛け、そんな彼女を眺めた。


「なによ?」


「……夕陽に照らされてるお前が光に映えて、ほんとに綺麗だなって思って。」


「っ……な、なにそれ……!」

 慌てて浴室から離れ、リビングに戻ってくるリシェル。


 だが、その耳先までほんのり赤いのをシオンは見逃さなかった。


「急にどうした?」


「……なっ!あんたが変なこと言うからじゃない!」

 視線を逸らして髪を耳に掛ける仕草は、明らかに照れ隠しだった。


 いや、ならなぜこっちへ来たと思ったがシオンはわざと追撃せず、ただその横顔を眺めていた。

 外から聞こえる太鼓の音と、窓から吹き込む風の匂いが、二人の距離をさらに近づけていく。


 しばらくして、扉をノックする軽い音が響いた。

「二人とも、準備できたよ。おりておいで」

 柔らかな、けれど朗らかに響くマリアの声だった。


 リシェルは肩をびくりと揺らし、さっきまでの赤みを残したまま視線を泳がせる。

「……ほら、行くわよ」

 そそくさと先に立つが、歩きながら耳の赤さはますます濃くなっていた。


 シオンは立ち上がり、何も言わずその後ろをついていく。


階下へ降りると、マリアの部屋の扉からふわりと香ばしい匂いが漂ってきた。

「お腹、空いてるだろう? 沢山お食べ。」

 マリアはにこやかに二人を迎え入れ、テーブルの上には温かな湯気を立てる皿が並んでいた。


 リシェルは「うわぁー。すごいわね。マリアさん、ありがとう」と呟き、席に着く。


 シオンはマリアに向け、丁寧に言った。


「本当に助かります。こんなに用意していただいて」


「なぁに、遠慮なんかいらないよ。若いのはいっぱい食べて、いっぱい笑っておくれ」


 マリアの声は、焚き火のように温かく部屋を満たしていた。


食事を終えると、マリアは茶器を置きながらふと真顔になった。


「二人とも、壁は厚くしてあるからね。……夜は好きにしていいよ」


「え、あの……」


 言葉を詰まらせたリシェルの横で、シオンは苦笑いを浮かべただけだ。


「仲のいい二人だってことは、わかってるから。関係を聞くほど野暮じゃないよ。」


 マリアはおどけるようにウインクして、後片付けに立つ。


 部屋に戻るなり、リシェルがため息混じりに言った。


「……絶対、勘違いしてるわね」


「そうでもないだろ」


「はぁ?」


「毎晩してるだろ?」


「隷属紋のせい、だってば」


リシェルは視線を逸らす。


「いやいやか?」


少し真剣な顔でシオンが聞く。


「……別に…」


 その答えに、シオンはわずかに口角を上げた。


 わずかな沈黙の後、リシェルは妖しく微笑んだ。

テーブルに手をつき、腰をしなやかにひねって女豹のように身体を伸ばす。上目遣いでシオンを射るその視線は、甘く鋭く、抗えない魅力を放つ。

ゆっくりと舌で唇を湿らせたあと、指先をその唇に軽く押し当てる。

その仕草だけで、空気に熱を帯びた緊張が走る。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


「で、今夜は私をどうするの? 好きにしていいのよ?」


 これはやってやったとリシェルがしたり顔になる。どうせ毎晩のことなのだ、事ここに来て恥ずかしさなどあるわけもない。挑発くらいはリシェルにもやる余裕ができていた。


「まずは……風呂でも入るか」


「……は?」


 肩透かしを食らい呆けた顔をするリシェルを置き、シオンはさっさと浴室へ向かった。


 ――だが、数分後。


 扉が開き、リシェルが入ってくる。タオルをきゅっと握りしめ、勝ち誇ったような顔をしているくせに、湯船に沈むと途端に落ち着かない様子を見せた。


「……何、じっと見て」


「いや。乱入してきたくせに、落ち着かないのが面白くてな」


「落ち着いてるわよ」


「そうか? さっきから視線、やたら泳いでるけど」


「……それは……湯気のせい」

 返す声が少し上ずる。


「湯気のせい?あっはははは!そうか、湯気のせいか」

意味不明な言い訳にシオンが腹を抱えて笑い出す。


「なっ!!」


「じゃ、これも湯気のせいだな」


意味不明な言い訳を口にしてリシェルの唇に優しく重ねた。


「……っ」


 返事を詰まらせる顔を見て、シオンは満足げに笑みを深めた。


「挑んできた以上、最後まで付き合えよ」


「……っ、そんなつもりじゃ――」


「いいから」


 シオンの声が、湯よりも熱く肌をなぞった。


〜リシェルSide〜


カーテンの隙間から差し込む朝の光が、私のまぶたをそっとなぞった。

 瞼の奥がじんわりと明るくなり、意識が浮かび上がってくる。


 目を開けた瞬間、自然と上体を起こしてベッドの上に腰を下ろした。

 足は布団の中に収めたまま、座った姿勢で横を向くと、すぐ隣に――穏やかな寝息を立てるシオンの顔があった。


 ……あぁ、もう二か月以上も一緒にいるんだ。


 最初のころは目を覚ました直後に押し寄せる後悔や葛藤、自己嫌悪ばかりだった。


 でも今は、それが嘘のように消えている。

 代わりにあるのは、満たされた安らぎと――隣に彼がいる幸福だけ。


 シオンは行為の前、必ず隷属紋を発動させる命令をしてくる。


 そのおかげで、「これは隷属紋のせい」という言い訳を、私はいつでも手元に置いていられた。


 ……そう。彼は、いつも私に逃げ道を与えてくれている。


 そのことに気づいた瞬間、胸の奥がくすぐったくて、切なくて――どうしようもなくその優しさが嬉しかった。

 ……そんな感情すら隷属紋の影響なのかもしれないけれど…。ふっと不安が心をかすめる。


 ――違う。そんなはずない。

 小さく首を振り、その考えを追い払う。この想いこの感情はたしかに私のものだ。他の何かに左右されたそんな陳腐なモノなんかじゃない。


ただリシェルはこの紋さえなければこの感情を素直に受け入れられたのにと心の片隅に不安を抱えていた。


 座ったまま、そっと彼の髪に触れる。

 少し乱れた黒髪が指に触れ、温もりが指先から胸へと伝わっていく。

 この人がいなければ、私はきっと、あのまま……孤独で、冷たい世界にいたはずだ…。


シオンに出会ってからの事が次々と思い出されてくる。その中で思わず心に沸いた感情 ――好き。


 心の中だけに留めておくつもりだった想いがより強い言葉になってするりと唇からこぼれた。

「……愛してる」


 自分の口から漏れた言葉に焦りを覚えるのも当然、返事なんてあるわけがないと認識して安心した。


 だからこそ、その直後に返ってきた声に、心臓が跳ね上がった。


「……俺もだよ」


「っ――!?」

 息が詰まり、思わず背筋が固まる。半分眠たげな顔でこちらを見ているシオンに、慌てて言い訳を口にした。


「だ、だから違うってば! えっと……そう! “愛してね!”って言ったの!」


「愛してるだろ?」


「ち、ちがっ……!」


「つか、“愛してね”のほうが恥ずかしくないのか?」


「なっ……! そ、それは……!」

 言葉を探して口をぱくぱくさせる私を、シオンが面白そうに眺める。


「……顔、真っ赤だぞ」


「そ、それは……もうっ!!!!!」


 私は思わず枕を引っつかむと、シオンの顔を覆い隠すように押し付けた。恥ずかしくて顔が見れない…。


「おいっ、ぐっ……もが……!」

 枕の向こうでくぐもった声と、もぞもぞ動く気配がする。


「そんな現実はなかった! いい?!」


「もが……わかった、わかったから。」


 しぶしぶ了承した声を確認してから、枕を退けた。


「……で、本当になかったことにしていいのか?」


「っ……!」

 一瞬、心臓が跳ねて返事に詰まる。


「いいの! なにか文句ある?」


「いや、別に」


 その短い返事と同時に、視線がふっと柔らかくなる。

 朝の光を受けたシオンの横顔が、どこか穏やかで切なげにうつる――私の胸の奥がわずかに熱を帯びた。


「……あはは、ホント楽しいよ」


 不意に告げられた言葉と、快活な笑顔に、息が詰まった。

 目を逸らし、何かを言い返そうとしても声が出ない。頬の熱がじわじわ広がって笑みがこぼれそうになる、……その感覚が、どこか心地よくあり恥ずかしくもあった。


 そんな時――


「朝御飯ないでしょ? 準備ができたら食べにおいでなさい。」

 部屋の外からマリアさんの声が響く。


 その瞬間、胸にかかっていた緊張がぱっとほどける。

 恥ずかしさから抜け出せる、絶妙すぎる助け舟。思わず、救われたように息をついた。


「……行くでしょ?」


「わかった」


 二人でベッドを降り、それぞれ身支度を始める。

 私は髪を整え、服の乱れを直し、化粧をはじめる。

 ふと横を見ると、準備を整えたシオンが窓から屋台通りを眺めたまま、こちらを振り返らずに椅子に座っていた。


 ……あれ?ずっと窓の外を見てる? もしかして、見ないようにしてくれてる……のかな。

 本当にそうかは分からないけど、そう思っただけで胸がきゅっとなる。


 ――べ、別に嬉しいとかじゃないし。

 ただ……その、こっちの集中を邪魔されないのは助かるってだけよ。

 ほら、化粧ってのは細かい作業なんだし……


 気づけば、普段よりも丁寧に手を動かしている自分に、軽く舌打ちしそうになる。


 ……まったく、なんでこんなに意識してんのよ。


「準備できたわよ」


 口にした瞬間、自分の声がほんの少しだけ震えていることに気づく。


 シオンがこちらに視線を向け、ふっと目元を緩めた。


「いつ見ても綺麗だが、ちゃんと化粧をしたお前は別格だな。」


「っ――な……なによ……急にそんな……!」


 胸の鼓動が、さっきからどんどん大きくなっていく。

 まるで耳の奥まで響くようで、落ち着けと自分に言い聞かせても、拍動はさらに速さを増すばかりだ。


 ――ちょっと落ち着きなさいよ! 私の心臓!

 コイツのコレはいつものことじゃない、いちいち騒ぐんじゃないっての……!


 それでも……ちゃんとお化粧してよかった、と心の片隅でほっとしてしまう自分もいる。


「べ、別に……そんなこと言われても……その……」


 言葉が途中でつかえて、ますます焦る。


 私は無意識に唇を尖らせながら、強めの歩幅で距離を取った。


「……もう、行くわよ!」


 悪態めかして言い捨て、ほんの一瞬だけ彼の顔を見たあと、早足に部屋を飛び出した。

 背後から聞こえるシオンの小さな笑い声が、耳の奥で熱を帯びたまま残っている。


いつか仕返ししてやるから!

読んでくれて、ありがとうございます。

第三話は上中下の3回に分けて投稿する予定です。

文章量は回によって少し差がありますが、よろしくお願いします。

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