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後日談8

ある昼下がり。


窓から柔らかな陽光が差し込み、香ばしい茶葉の香りが漂う。リシェルを囲むように、エルメキア、シェリファ、エルファリアの三人が席についていた。湯気を立てる茶器の間に笑みが交わり、穏やかな時間が流れている。


そんなひとときに、ふいにエルファリアが口を開いた。


「あの…お姉さま…その…少しお伺いしたいことがありまして…」


声は小さく、指先が落ち着きなく茶器の縁をなぞっている。


「なに?どうしたの?聞きたいことがあるなら答えるわよ?」


リシェルはお茶を啜りながら軽く応じた。その話しぶりは、冒険者時代に戻ったかのように飾り気がない。


「えーと、お姉さまは冒険者をされてましたよね?」


「ええ、そうね。」


「その…最近のお姉様を見るに記憶にあるお姉さまより派手になったと言いますか…その、メイクが変わったと言ったらいいのか…。見た目に大きな変化が出てらっしゃるので…」


「え?あ…うん。そうね…」


思いも寄らぬ妹の指摘に、リシェルは思わず言葉を詰まらせる。唇に触れた茶杯を少し傾け、動揺を隠すように口に含んだ。


エルファリアは、なおも遠慮がちに続けた。


「それでその…え~と、お姉様の演目が最近本になりまして…ご存じですか?」


「あー、うん。話を聞きたいと言われて二人で答えたわよ?」


「そうなのですね!今大人気で本を手に入れるのがなかなか難しいのですがお読みになられました?」


「え?まだだけど。本がいるの?なんか出版したときに何冊かくれたけど持って帰る?」


「え?!いただけるのですか?家には一冊あるのですが私用には手に入らなくて。いただけるならとても嬉しいですわ。」


「そうなの?いいわよ。ちょっと待っててね。お母様は必要?」


「ええ、いただけるなら欲しいですわ。」


「はーい」


リシェルはすっと腰を上げ、寝室へと向かう。衣擦れの音が遠ざかると、残された母娘はひそやかに顔を寄せ合った。


「お母様、お姉さまは知らないようですが…聞いてもよろしいものでしょうか?」


「貴方が何を聞きたいのか分かりましたが…母の私からあの子に聞くには忍びありません。ですので、貴方に任せますわ。」


「怒られませんか?」


「それは何とも言えませんが、あの子の気質なら大丈夫でしょう。恥ずかしがりはしても怒りはしないと思いますわ」


「わかりました。」

エルファリアが決意をにじませる。


その横で、エルメキアはあくまで知らぬ顔をしてルシアンをあやしていた。赤子の笑い声が、妙に緊張した空気を和らげている。


「おまたせー。」


戻ってきたリシェルは腕に数冊の本を抱え、ぱらぱらと分け始める。


「えーと、これとこれはお母様とエルファリアに。こっちとこっちはクリスティアナが欲しがれば渡しといて。エレナは……精神崩壊加速させそうだからいらないわね。まだあるけどいる?」


「まぁ!ありがとうございます。では、あと2冊ほどよろしいですか?お友達になった第三夫人方に配りますわ。」


「あー、そういう使い方ね。んー、出どころは内緒ね?表向きはみんな平等に扱うって事だから……エルファリア、まさか姉だとか言ってないわよね?」


リシェルの視線が鋭く細まり、妹を射抜く。


「ひっ…ダダダダダダ大丈夫ですわ!エルメキア様に誓って!」


「なんで僕?!」


不意に振られたエルメキアは困惑の声をあげる。


「え?エルメキア様には嘘をつけないので…」


「あー、確かに。そうだね。うん。大丈夫!エルファリアは白だよ」


エルメキアは軽く記憶を覗き、保証するように頷いた。


「そこまでしなくてもいいのに…。エルメキア、ありがとう。」


「あっはは、お安い御用だよ。」


彼はすぐにルシアンに戻り、再び優しくあやし始める。


「なら、エルファリアはあと2冊ね。お母さまは?」


「私用のものをいただけたのでこれで十分です。エルシェリア、ありがとう」


「はーい。お母様もたくさんあるから必要になったら言ってね。」


リシェルは追加の2冊をエルファリアへ渡し、再び席に着いた。


「それでーですね…」


エルファリアは唇を噛み、視線を泳がせながら切り出す。


「ん?まだなにかあるの?」


「えーーーっと、演劇ではなかった描写が増えていて…。」


「へぇ~。そうなんだ。そういうのいいわね。」


「そうなんです!そうなんですが…その…」


頬に赤みが差し、言葉が続かない。リシェルは胸騒ぎを覚える。


ついにエルファリアは決心した。顔をきゅっと結び、勢いよく声を発した。


「お姉さま!お、お兄様が、は、初めてだったというのは本当なのでしょうか!!」


部屋の空気が一瞬止まる。エルファリアの顔は茹で上がったように真っ赤。リシェルもまた、耳まで染まった。


「そそそそそそうよ!」

声が裏返り、動揺が隠せない。


「そ、そのお姉様の見た目がと、とても派手になっておりますがそれまで経験されるような事は…」


「ないわよ。エルファリア、国を出ても一国の王女だったのよ?そんなリスクのあることするわけないじゃない。」


「…そう…ですよね…。安心いたしました。」


「全く何を考えてるのよ。」


「でもなぜ、シオンお兄様には許したのです?」


「え?」


リシェルの目が泳ぐ。


(なぜ許したか?えーっと…)


答えられるはずもない。心では納得しているし、理解もしている。だが、それを口に出せるかといえば別だ。しかも自分は本を読んでいない。下手なことを言えば齟齬が生じる。


「なぜって理由が必要?」


「必要というか気になりまして…。他の男性と何が違ったのかと…」


困り果てるリシェルを救うように、ルシアンのおしめを替えていたエルメキアが口を挟む。


「ねー、エルファリア。その小説にはどんな風に書いてあるの?出会ってすぐみたいな感じ?」


「えーと、お姉様が捕まって割と早い段階ですね。」


「そっか。リシェルが捕まってからギルドまで何日あったの?」


「何日?ですか?そのような描写は特になかったと記憶しますが…お母さまどうでしょう?」


「なかったわね。そのままギルドに連れて行かれてというような感じだったわ。」


「そっかそっか。実際はギルドまで一週間近くかかってる。その間リシェルは捕縛錠をつけられ、能力的にかなり制限された状態だったんだよ。逃げるなんて不可能なくらいにね。」


「え?!」


エルファリアが目を丸くする。


対して、シェリファは静かに頷き、冷静に耳を傾けていた。


「その間でしっかりとリシェルが惹かれていったって話だよ。」


「そうなのですね!」「そうなの?!」


エルファリアとリシェルの声が見事に重なった。


「「「え?!」」」


三人が同時に声を上げる。リシェルまで驚いていることに、場は一層混乱した。



気まずそうに視線を逸らし、指先でテーブルをなぞるようにしていたリシェルは、ふと顔を上げた。頬にはほんのり赤みが差し、言葉に詰まりながらも返答を探している。その仕草には、王女でありながらも一人の女性としての儚さが滲んでいた。


「はぁー、やっぱりちゃんと自覚してなかったかぁ。」


エルメキアが肩を竦め、柔らかく笑う。


「前にも言ったと思うけど、その感情は誰かに操作されたものでもなくて、君自身の感情だって伝えたでしょ?」


「ええ、それは…。その、今ではそうなんだと思えてたのですが…その時からと言われると驚いてしまって…。」


リシェルは視線を落とし、殊勝な面持ちで呟いた。普段はしっかり者の彼女の、少し幼い弱さが顔を覗かせる。


エルメキアは真顔になり、問いを投げる。


「あのねぇ、賞金首が殺されずに捕縛錠つけられたら、普通どうなる?」


「ギルドに連行されるまでは慰み者にされますね。抵抗することもできませんし…。異性であれば特にその可能性は高くなりますし、そういう光景は何度か見てきました。どうせその後斬首になるので、諦めに似た感じで受け入れるのがほとんどです。」


その言葉に、シェリファとエルファリアの顔がさっと青ざめる。リシェルの口から聞くにはあまりにも生々しい現実で、二人の心を冷たく打った。


「で、君はどうなった?」


エルメキアが静かに問いかける。


「何も…。宿の一室を与えられて、何もなくギルドへと連れて行かれました。」


リシェルの答えはか細いが、確信がこもっていた。


「うん。今考えるとわかると思うけど、あれ高級宿だからね?しかも、無理な行軍せずに毎日宿をとってお風呂にも入って、食事も三食食べてたよね?」


「そう言えば…」


リシェルの眉がわずかに動き、記憶を探るように目を細める。


「どうせ死ぬのだからと自暴自棄になりかけてた君に、シオンはなんて言ってた?」


「……」


リシェルは口を閉ざし、過去の情景を思い返す。いわれのない罪で捕らえられ、後悔ばかりが胸を埋め尽くしていた日々。死ぬ前の最後の時間だと、与えられた食事や宿を“慈悲”と受け取っていたあの頃。どうせ死ぬのだからと、適当で良いと漏らした自分に、彼が言った言葉――。


「大丈夫だ。死にはしないから安心しろ…自棄になるくらいなら…おれを…俺を恨めって…」


かすれた声で言葉を紡ぐリシェル。その瞬間、胸の奥にあの日の温もりが蘇る。


「よく覚えてるじゃないか。そうだよ。その通り。事あるごとにそれを彼は口にしてたよね。何度も何度も。」

エルメキアが微笑む。


「…そう…でしたね。」

リシェルの瞳が潤む。


「その時くらいから君はシオンを意識していたよ。聡い君は、その時点でその後何をされるか理解してたみたいだし。」


「そう言えば、なんとなくそんな風になるのかと思ってました。彼ならそれも構わないかとも思ってたような気がします。」


リシェルは頬を赤らめながらも、当時の自分の心情を掘り起こすように言葉を紡ぐ。


「そうだね。しっかり自覚してなかったみたいだけど、状況を把握したうえでちゃんとその後をイメージして理解していたんだよ。」


エルメキアの声は優しくも確信に満ちていた。


「結構誤解があるから言っておくけど、隷属紋に対象へ好意を寄せる効果はないからね?」


「え?!」


リシェルが思わず声を上げる。


「隷属紋は命令に従わせるだけ。好意に関しては全く効果は出ないよ。だからちゃんと相手を憎めるし、逆に愛せる。憎んでも殺せないし、傷つけられない効果はあるけどね。」


そこで一息ついて続ける


「そう。だから君は最初の1週間で彼に惹かれて、彼の行動の意味に気づいて好意を寄せて、バルドから真実を聞かされて、君の予想以上の結果に強く愛を自覚したんだよ。実はもっと早い段階で君はシオンを愛してたのにね。」


その言葉に、リシェルの瞳からぽろりと涙がこぼれ落ちた。


「よかった…本当によかった……」


「だから、前から言ってたのに。本当にバカだなぁ。」


エルメキアは優しく微笑み、リシェルの涙を受け止める。


「信じようとはしてたんです…。あの時の感情は自分のものだって…。でも、時折不安になって…。私の愛は不誠実なのではないかって…。なのに独占したくて、他には渡したくなくて…。彼と一緒にいたいのに、彼を愛してるのに…。今、とても幸せで、だから怖くて…」


嗚咽混じりの声で、リシェルは心の奥に隠していた不安を吐露した。


「そうなんだ。それは辛かったね。」


エルメキアはそっとリシェルの隣に座り、その頭を撫でる。


「大丈夫だよ。君自身の、君の心で君がちゃんと愛したんだ。そこには他の誰も関わっていない。ちゃんと君自身の思いなんだよ。」


「私、ここまで人に執着したことなかったから、本当に分からない時があって…」


「初めて“本気の愛“っていうのを知ったんだよ。みんな同じだからね。それに君、一度もお付き合いしたことないんだから戸惑っても仕方ないよ。いい相手が見つけてくれて良かったね。」


「はい……」


リシェルは涙を拭い、かすかに笑みを浮かべる。その姿を、シェリファもエルファリアも黙って見守っていた。今は言葉を差し挟むべきではないと、二人とも理解していた。


「だから、素直に受け入れられたでしょ?初めてがとても幸せに感じていたでしょ?まぁ、翌日の自己嫌悪はリシェルの性癖に起因するものだったし…」


「っ!」


その言葉にリシェルの肩がびくりと震える。


「性癖?ですか?」


思わずエルファリアが首をかしげ、その単語を拾ってしまった。


「ちょ!エルメキア!それ以上はダメよ!」


リシェルが真っ赤になり、慌てて声を上げる。瞬間的に、いつもの調子を取り戻すと同時に、心の奥底で一つの理解に辿り着く。


――自己嫌悪は、愛することそのものにではなく、“受け入れられない自身の性癖”に対して抱いていたものだったのだ。


気づいた瞬間、胸の中で何かがほどけるように楽になった。


シェリファはため息をつき、落ち着いた声でエルファリアに言う。


「エルファリア、リシェルがどんな癖を持ってるかは知りませんが、それは深く聞くものではありませんよ?分かりましたか?」


「え?…はい…わかりました。ただ…その…それは誰しもあるものなのでしょうか?」


質問に、リシェルもシェリファも「どう答えたものか」と難しい顔をする。


「もちろん!あるに決まってる。」


エルメキアが軽く笑い飛ばすように言った。


「どんなモノを持っているかは人それぞれだから、そこに間違いなんてないよ。ただ君の姉は自分が思い描いていた形と少し違ったから困惑しただけさ。もしかしたらエルファリアも悩むかもしれないし、案外簡単に受け入れられるかもしれない。そこで重要なのはパートナーとなる相手がそれを許容するかしないかって話だけだから。」


「パートナーですか?」


「そう。相手になる人がそれで良いならそれで良いんだよ。そこの価値観が合わないと辛い部分もあるだろうけど、そこに折り合いをつけて二人の関係ってものはできていくんだよ。逆に言うと君が受け入れられない性癖の相手かもしれないしね。お互い様さ」


「はぁ…では、シオン様とお姉様はそこも一致してたってことですね?」


「うん!そうだね。たぶん…」


「え?」


リシェルの瞳に不安がよぎる。出産後、体が落ち着いてからは行為が途絶えることもなく続いていたのに――もしかして彼は無理をして合わせていたのではないか、と。


「知らないよー。だってシオンの記憶、そこのあたり見せてくれないと言うか覗けないんだもん。正直、僕に覗けないことがあるなんて思ってもみなかったよ。」


「「「えっ?!」」」


三人の驚きの声が重なった。エルメキアですら覗けない領域があるなど、誰も想像していなかったのだ。


「あれ、どうやってんだろね?聞いても教えてくれないんだよねぇ。だから、リシェルちゃんと行動したあたりからは全くわかんないんだよ。ただ一つだけ言えることは、君をものすごく愛してるってことだけかなぁ。まっ、それだけわかればいいでしょ?」


気楽に言い放つエルメキア。その言葉に、リシェルは耳まで真っ赤に染め上げられ、震える声で答えた。


「はい…」


シェリファがやわらかく口を開く。


「さぁ、エルファリア。質問はそこまでにしておきましょう。リシェルがこんなに真っ赤になるなんて、私も驚きましたもの。」


「う…」


リシェルも自覚があるのか、小さく呻く。


母は優しく娘を見やりながら言葉を添える。


「エルファリア、次は貴方です。公式にはシオン様の第三夫人となっていますが、実質は違いますよ?ファリアとしてしっかり恋をしてちゃんと幸せをつかみなさい。別に恋をしなくても貴方が幸せだと感じるならそれもいいでしょう。ただ、ちゃんと自身の将来を見据えて、しっかり人生を謳歌しなさい。」


「はい!お母さま。」

エルファリアは元気いっぱいに応えた。エルファリアの中では漠然とだがその道筋はできていたのだから。


「それはそれとして、先日なんですが……」


こうして、ある日の昼下がりに開かれたグロリア家の女子会は、シオンが帰宅するまで続いていくのだった。



いつも読んでくれてありがとうございます。


後日談のストックはここで一旦ストップです。

続きを書いた時にはまたよろしくお願いします。


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