後日談7
子供が無事に生まれた。
名は――「ルシアン」。
「エル」を継ぐとややこしいことになりかねない、ということでこの名に決まった。
エルメキアとしては「エル」をどうしても付けたかったようだが、リシェルとシェリファが真剣に反対し、渋々ながらも頷いた。
エル、シェリア、そしてシオンを足した名。
子に重荷を課すつもりはなかった。ただ、確かに「シオンとエルシェリアの子」だと分かる名にしたかったのだ。
エルシェリアことリシェルからは――シオンのように実直で真摯であるように。
シオンからは――リシェルのように気高く優しい人であれと。
そしてエルメキアからは……「伴侶として私を最大限に愛するように」と、わけの分からない願望を口にしたため、これは全員一致で却下された。
――そうして月日は流れ、生後六ヶ月。
シェリファとエルファリアは街中にタウンハウスを購入し、こちらに腰を落ち着けることになった。さらに、なんと転移門まで開通したのだ。用途は限定的で、使用を許されるのはラトリアが認めた者だけ。常識では考えられない処置だが、クリスティアナの強い後押しと、神竜エルメキアの圧倒的な発言力によって実現してしまった。
その結果――お義父様とお義母様は、仕事を終えると毎日のように訪ねてくるようになった。トーラスとサイラスを連れ、二人揃って仲睦まじく我が家で夕食を共にし、孫とひとしきり遊んでから満ち足りた顔で帰っていく。
ちなみに夕食の支度は、なぜかエルメキアが誰よりも楽しげに担っていた。時折エルファリアやクリスティアナが手伝いに加わり、にぎやかで温かな食卓になることもしばしば。皆の助けを借りながら、生活はゆったりと落ち着いていった。
――そんなある日の夕食後。
エルメキアが椅子を押しのけ、立ち上がると同時に手をポンっと打った。
「君たち、明日から明後日までちょっとデートしてくるといいよ。」
唐突な提案に、俺もリシェルも思わず動きを止めた。
子育てはまだ始まったばかりで、しかも授乳中だ。いきなり「デート」などと。
「大丈夫!君たちの不安も分かるけど、その辺は何とかなるから。たまには二人でゆっくりしてくるといいよ。いいよね?シェリファ?」
にこにこと笑いながら、エルメキアが横にいるシェリファへ振る。
「ええ、その間は私とエルメキア様で見ておくわ。エルメキア様もこう言ってくれてるのだし行ってきなさいな。」
「うむ!それがいい!ちゃーーーーんとワシが見ておくから行ってくるといい。ルシアーーン、おじぃちゃんですよー。ベロベロ……」
隣ではお義父様が、すでに孫を抱き上げながら頬ずりをしている。もはや完全にメロメロだ。
「いいのかしら?」
リシェルが俺の顔を見上げ、不安げに問いかける。だがその声音には、ほんのりと期待の色も混じっていた。
「そうだな。みんなが言ってくれてることだし、たまにはいいんじゃないか?」
「そうそう。たまにはね。ちゃんと息抜きすることも育児には重要なんだよ。僕がいるんだし、そこは甘えていいんだよぉ。」
エルメキアがさらに追い打ちをかけるように、明るい声で後押しする。
「うーーーーーん……わかった。うれしいのは確かだから少し羽根を伸ばさせてもらうわ。でも、どこに行くの?」
「ふっふっふぅー、それはねぇ………内緒!リシェルちゃんとシオンは着替えだけ持ってくといいよ。後はあっちで用意してあげるから。」
「用意してあげる?」
俺はエルメキアの言葉に眉をひそめる。ルシアンを見てくれると言いながら、準備まで整っているとはどういうことか。
「んーと、色々条件があるからそこへしか行けないんだけど、そこへは僕が送って僕が迎えに行ってあげる。それでもって、そこに全部用意されてるから二人は楽しむだけでOKってわけ。」
「なんだかえらく抽象的ね。」
「明日までの楽しみってことだよぉ。」
「わかった。エルメキア、よろしくね。お父様もお母様もルシアンの事よろしくお願いします。」
俺とリシェルはそろって深く頭を下げた。
「ふふふ、ルシアンとずっと一緒って楽しみだわぁ。エルシェリア、明日朝には迎えに来るわね。エルメキア様、タウンハウスの方で預かってよろしいかしら?」
「僕はそれでもいいよー。」
「んむ、ゆっくり二人で楽しんでくればいい。ワシはルシアンを愛でる!はぁーーー、ジィジですよぉー。すぅ~はぁ~すぅ〜……」
――じぃさん、ルシアンの腹を嗅ぎはじめたぞ。ルシ吸いだ。
「ちょっ。お父様?!」
「あっあっキャッキャ!」
ルシアンは大喜びで笑い声を上げた。
翌朝。
シオンとリシェルは、エルメキアの言いつけ通り、普段着と着替えを詰めた道具袋だけを用意し、リビングに並んで立っていた。
「うんうん、それでいいよ。それじゃあ、送るからね。」
エルメキアが軽く指を鳴らした瞬間、周囲の風景が水面のように揺らめいた。
「あーあ」
小さく嘆息しながらも、エルメキアに支えられ手を振るルシアンの姿が見える。
柔らかな光に包まれた刹那、シオンとリシェルの視界がふっと揺らぎ――
次の瞬間には、すでにまったく異なる場所へと立っていた。
足元は苔むした灰色の巨石。
周囲には円を描くように巨石群が林立し、まるで天空を指し示すかのようにそびえていた。
人の世界ではとうに失われた、古代の祈りの場――ストーンヘンジを思わせる神秘の環。
空は澄み切り、眼下には白銀の雲海が広がっている。
雲は生き物のようにゆったりと流れ、時折その切れ間から蒼い大地や湖が遥か下にのぞいた。
ここが浮遊島であることを悟った瞬間、ふたりは言葉を失う。
その時、清らかな鈴音のような声がふたりの頭に響いた。
――「ここからまっすぐ行くんだよー。道の先に“天龍庵”があるからね。明日の夜くらいにここに戻って来てね。」
それは確かに、エルメキアの声だった。
しかし周囲に姿はなく、風に溶けるように声だけが残響を残して消えていく。
つい、「OK」「了解」と言葉を返す2人だが「聞こえてるのだろうか。」と笑いあった。
石環の奥には、一本の道が雲の上を延びていた。
敷き詰められた石畳は淡く光を帯び、まるで“天空の道”そのもの。
両脇には白梅と紅梅が交互に植えられており、花弁は風に舞い、雲海の流れへと吸い込まれていった。
しばし歩くと、やがてその先に宿が姿を現した。
瓦屋根を戴く木造の建物は、日本の温泉宿を思わせる造り。
軒先には赤や朱の提灯が柔らかな光を灯し、入口には龍の彫刻が施された太い柱が立っている。
だが普通の宿と違うのは、その佇まいに漂う“気”だった。
天地の理そのものが形を取ったかのような静謐で、歩み寄るほどに胸の奥が安らいでいく。
玄関をくぐると、そこは広々とした土間。
黒光りする石床が敷き詰められ、中央には雲を模した水盤が静かに揺れている。
龍の眷属と思しき小柄な人影が、すでにそこに控えていた。
布で顔を覆っているため種族は判然としないが、着物姿の所作から女性だろうと推測できる。もっとも、体の凹凸を隠す装いのため、それすらも定かではなかった。
「ようこそ、天龍庵へ。どうぞ、こちらで靴をお脱ぎください。」
にこやかな気配を纏うその声は、柔らかく二人を包み込む。
促されるまま、シオンとリシェルは並んで腰を下ろした。
靴を脱ぐと、土間に漂う空気がさらに穏やかになり、素足に触れた畳の温もりがじんわりと広がってゆく。
障子の向こうからは、淡い香木の薫りと、遠くで湧き立つ温泉の湯気が溶け合った香気が流れ込み、心を自然と和らげた。
「さあさ、お二人共コチラでございます。」
先程の女性が2人を先導して部屋へと導く。
周囲に他の客は誰もいない。
女性に導かれ、シオンとリシェルは静かな廊下を進む。
やがて視界が開け、二人は朱塗りの小橋の前に立った。
橋を渡り始めた瞬間、景色は一気に広がる。
正面には、白砂に流れるような砂紋が描かれた枯山水の庭。
点在する岩と青々とした苔が静かな調和を織りなし、足元の清らかな流れがその庭を潤している。
川は温泉の湧き水を源としており、柔らかに湯気をまとっていた。
水面には石灯籠の明かりが揺らめき、淡い光を抱いた川が庭全体を幻想的に映し出している。
遠くを見渡せば、薄い湯けむりの向こうに障子越しの灯が点々と浮かび、まるで雲海に漂う楼閣のよう。
立ち止まった橋の上から眺めるその光景は、庭の美を最も引き立たせるために計算され尽くしているのだと感じられた。
シオンもリシェルも、自然と息を呑み、その一瞬に心を奪われる。
女性は二人の様子を見て、微笑みながら静かに促した。
「どうぞ、この先がお部屋でございます。」
女性は微笑みを浮かべたまま、襖を開け、二人を部屋の中へと案内した。
畳の香りと障子越しの柔らかな光が差し込む、落ち着いた和風の広間。
部屋の隅には小さな卓が置かれ、窓の外には庭の眺めが一望できる。
「こちらでお寛ぎくださいませ。」
女性はそう告げると、静かに一歩下がり、二人を見つめる。
その視線には優しさと柔らかな気配が満ちていたが、決して干渉することはない。
「何か必要なものがあれば、すぐに申し付けください。……ああ、それと、そちらの奥には露天風呂がありますので、ご興味があればご利用ください」
そう言い残すと、女性はゆっくりと襖の方へ歩き出す。
一度だけ後ろを振り返り、にこやかに手を挙げた――
その仕草が、まるで「ここから先は、二人だけの時間です」と告げているかのように思えた。
襖が閉まる音と共に、二人は静かな部屋に残された。
外の世界の気配は遠く、聞こえてくるのは庭の川のせせらぎと、遠くで揺れる湯気の音だけ。
その瞬間、天龍庵の特別な時間が、二人のためだけに静かに流れ始めた。
一方その頃。
シオンとリシェルを送り出したエルメキアは、まだ幼いルシアンを腕に抱き、満足げに微笑んでいた。
二人の姿が消えた瞬間、まるで雷が落ちたかのように泣き出したルシアンだったが、エルメキアが優しく抱きかかえ、あやし続けると、次第に落ち着きを取り戻し、今では機嫌よく笑っている。
まだ朝も早い。
シェリファが訪れるまでには、もう少し時間があるだろう。今はただ、エルメキアとルシアンだけの静かなひととき。
「あーあ、だーあ。」
幼い声を響かせながら、無邪気に甘えてくるルシアン。小さな手を伸ばしてエルメキアの顔や首筋に触れようとする仕草に、エルメキアは胸の奥から愛おしさがこみ上げるのを抑えきれなかった。
――未来の旦那様の幼少期。
その事実は、彼女の心に不思議な重みと温かさを与える。だが同時に、ルシアンがエルメキアの龍紋を強引に奪ったことも、否応なしに思い出させた。
生まれる前からそんな力を持ち合わせていたとは、想像だにしなかった。
それでも、今はただ無邪気に笑い、「うーう、だーだ」
と楽しげに声を上げる存在。どんな理屈よりも先に、その姿が可愛く思えて仕方がない。
『この子がどう育つのか、本当に楽しみだよ。』
エルメキアは心の中でそう呟き、そっとルシアンの髪を撫でる。
『僕の龍紋を奪ったんだから、ちゃんと覚悟するんだよー?』軽口のように思っていると、不意にルシアンがピタリと動きを止め、真顔になった。大きな瞳をキョロキョロと動かし、額に玉のような汗を浮かべている。
――生後六か月とは到底思えない反応。
それさえも可笑しく、また可愛らしいと感じてしまうのだから、エルメキア自身がどれほど彼を溺愛しているかがよくわかる。
そんな穏やかな時間の中――
トントン、と軽く扉を叩く音が響いた。
「はー…」
エルメキアが返事をしようとしたその直後。
「おにぃさま!おはようございます!!」
返事を待つ間もなく、堂々と扉を開けて入ってきたのはエレナだった。
完全にこの子のことを忘れていた、とエルメキアは内心で苦笑いを浮かべる。
「あら、エルメキア様おはようございます。あの、お兄様は?」
「――あー、二人は少し育児休暇を与えることにしたんだ。」
「育児休暇?ですか?それで?」
「今は留守って事だよ。」
「なっ?!なんですって!!かわいい妹を置いて!何処へ行かれたのですか!!すぐに追わないと!お兄様が寂しがりますわ!」
勢い込んで詰め寄るエレナに、エルメキアは「えーと、大丈夫だと思うけど…」と肩をすくめる。
「何を言ってるんです!血を分けた妹ですよ?朝のご挨拶もないなんて。私、どうすればいいのですか?!」
「えーと、シオンと血の繋がりはないよね?」
「なっ?!私とお兄様の血がつながっていない……?それでは私は……他人?!え?ということはお兄様がお兄様ではなくて、他人様で???え?シオン様なのですか?え???なら、結婚できるのでは?妹でないなら結婚できるんじゃ…」
「あ!いや、そうだね!君たちは兄妹だったよ!僕がうっかりしてた。どこかすっごく遡ればきっと兄妹だよ。」
一瞬、エレナの瞳に光が戻ったのを見て、エルメキアはこのタイミングの危うさを悟る。芽生えかけた誤解を、すぐに摘み取るのだった。
「え?エルメキア様もうっかりされることあるんですね。よかったですわ。お兄様がお兄様でなければ結婚を申し込もうと思っておりましたの。兄妹で結婚なんてハレンチなことにならなくてホッといたしました。」
「アハハ…」と引きつった笑みを浮かべるエルメキア。
「まぁー、その、なんだ。シオンもたまにはお休みが必要だろ?シオンやリシェルが君を大切に思っているのはわかるけれど、あの子たちも人間だ。たまには休みをあげないとね?」
「わかるよね?」と、問いかけるように微笑むエルメキア。
その声音は軽くもありながら、どこか諭すような温かさを含んでいた。
エレナは素直にこくりと頷いた。
「そうですわね。少し寂しいですが……お兄様、寂しがらないかしら?」
またその言葉か、とエルメキアは内心で額に手を当てる。どうにもこの会話が無限にループしている気がして、ほんの少し辟易とした。
「大丈夫だよ!あっそうそう、シオンから伝言を預かってる。『大丈夫だから心配しないように』ってさ。」
「まぁ、そうなのですね。」エレナの顔に安堵が浮かぶ。
「たしかに……お兄様にも休息は必要ですわ。お姉様と仲良く、ゆっくり過ごされるのも良いかもしれませんね。」
「でしょ……」と、エルメキアが肩の力を抜きかけたその時。
――ドバンッ!
勢いよく扉が開かれ、弾丸のように飛び込んできたのはエルファリアだった。
「お兄様! お姉様! おはようございます!!」
その轟音に驚いて、ルシアンが「ふえぇっ」と泣き出す。
慌ててエルメキアが赤子を抱き直し、必死にあやした。
「エルファリアさん、騒がしすぎますわよ?」
エレナは少し眉をひそめて言った。
「未来の私の夫が泣き始めてしまったではないですか……」
「「え?」」
エルメキアとエルファリアは、同時に目を丸くした。唐突すぎる言葉に思考が止まる。
「そうか! その手が!!」
エルファリアの目に、不穏な光が宿る。
「ないからね! 二人とも、絶対にないからね! 全く、何を言ってるんだい。」
必死に制止するエルメキア。
だが、エレナは涼しい顔で返した。
「え? お兄様とお姉様の息子ですよ? 伴侶にふさわしいのは未婚の私しかいないではないですか?」
「それなら、私でも大丈夫ですわよね?」と、すかさず乗っかるエルファリア。
「ダメですわよ? あなた、お兄様の第三夫人でしょ?」
「えーーーー! ズルい!」
「ズルくはありません。」
「いやいや、二人とも! ないからね? 自分がいくつかわかってる?」
「23ですわ。」
「二十歳です!」
「この子が結婚できるとして、早くても18年とか20年後だからね?」
「それが何か?」
エルファリアはハッとし、エレナは全く理解していない様子で答えた。その反応の差が鮮やかすぎて、エルメキアは頭を抱える。
「いや、何かって……いくつ年の差があると思ってるの? 君がエルフとかならまだ分かるけど……」
「私は気にしませんわよ?」
「ルシアンが気にするからね!」
「ふーむ、おかしいですわね。だって、エルメキア様は三千歳以上。ルシアンの嫁になるのでしょう?」
「うぐ……」
「なら、私が四十だとしても、百分の一くらいにしかならないと思うのですが。」
「うぐぐ……ぼ、僕はこれ以上変わらないからね! 容姿も性格も性質も! 君たちのように、変化を短い期間できないんだよ!」
「ふむ、ならば!老いを克服すればいいのですね!」
「なんでそうなるのーーーー?! ちょっと助けて! エルファリア!」
「え? 私に振らないでくださいよ! こんなの無理ですよ、無理!」
エルメキアの悲鳴をよそに、エレナは完全に暴走していた。
かつて真祖討伐に臨んだ時の彼女なら、口が裂けてもこんな言葉を吐くことはなかっただろう。
だが、旅の中で心を摩耗し、シオンたちの庇護下に入り、行きたくもない船の上で二度と見たくもない演劇を連夜見せられ、精神的に打ちのめされていた。
そのうえで「シオンの妹」という一言が彼女の中で天啓のような響きで彼女を救った。その行動が全て「妹だから許される」へと変換され、やがて「実は血の繋がりがある兄だった」と誤認し、最終的に「婚姻を断られたのは兄妹だから」と妄想を膨らませ――シオンの前で見せる精神年齢が崩壊した。
その結果至ったのが「しおんおにいたま、最高でつ!」という境地で今のエレナである。
それは謎を超えて、もはや狂気だった。
「事情はわかりました。」
いつの間にか傍らに立っていたシェリファが、静かに口を開いた。
突然の登場に、エルメキアとエルファリアが揃って驚きの声を上げる。
「何度ノックをしても出てこられませんでしたし、中から声は聞こえておりましたので……勝手ながら上がらせていただきました。」
さらりと言いながら、シェリファは小さく息を吐いた。
「エレナさん。ルシアンとの婚姻は、私が認めません。」
「え? なぜ……」
「なぜも何も、貴方が幸せになるまでに時間がかかりすぎます。ルシアンの幸せもありますが……貴方の幸せも大切なのですよ?」
「そんな……私は……」
「いいえ、いけません。それほどまでにシオン様が好きなのであれば、貴方も子をもうけ、その子に託してはいかがです? 男の子であればルシアンの良き友になれるでしょう。女の子であれば、ルシアンとの愛を育むかもしれません。」
「ルシアンと私の子が……結婚……。お兄様と私が結婚するも同義?!」
いや、違うだろ。
その場の誰もが心の中で突っ込んだが、口にはしなかった。余計に話がこじれるのは目に見えていたからだ。
「そ、そうかも知れませんわね。ですから、貴方もどなたか良き伴侶を……」
「そうですわ! 早く結婚して子をなさないといけませんわ! 女児! そう、女の子を!! となると……いけませんわ! 王国にいる英雄は女性……。お兄様たちと釣り合うものなどいないとしても、せめて英雄……英雄候補くらいでなければ……!」
突然アクセルを全開にしたエレナに、場は一気に置いていかれた。
「……え、エレナさん? 英雄や英雄候補となると、なかなか難しいのでは……」
「大丈夫です。私も英雄ですし!」
その一言に場がざわめく。確かに、真祖討伐に関わった彼女を英雄と呼ぶことは可能だ。だが、その功績の多くはシオンのものであり、一般的にいう「英雄」とは意味が異なる。
シェリファはエルメキアに視線を送る。
すぐに意図を察したエルメキアは、エルファリアへと向き直った。
「クリスティアナを呼んできて。」
「え、あ……はい!」とエルファリアが慌てて部屋を飛び出す。
その間に、シェリファはエレナへと向き直った。
「あーっと……エレナさん? 英雄クラスや候補については、何人か心当たりがあります。もしよければ、私の方から話をしましょうか?」
「本当ですか! お母様! 私、感激いたしました!! ぜひお願いいたします!」
シェリファの呼び方も既に『お母様』となっているがもう誰も何も言わない。シオンお兄様のお母様なのだし、私に優しくしてくださるのだからお母様で大丈夫と謎思考でも働いているのだろう…。
「ええ……わかりました。ただし、夫となられる方を……貴方は本当に愛せますか?」
「へ? もちろんですわ。私に女児を授けて、ルシアンとの未来を作ってくださる伴侶を愛さないわけがありませんわ!」
いや、そうじゃないだろ!
再び二人は心の中で全力で突っ込んだが、やはり何も言わない。ただただ厄介だとため息をつきつつも、能力面を考えれば……とわずかな期待を抱き始めていた。
なにしろ、彼女は元々「超」のつく才女であり、侯爵令嬢としての教育も根底にしっかり残っている。壊れてさえいなければ、極めて優秀な人材なのだ。
「わかりました。近日中にお話をさせていただきます。
――さぁ、貴方もそろそろ仕事の時間なのではなくて? 後は任せて、行ってらっしゃい?」
「あっ、そうですね! ありがとうございます、お母様! それでは私、お仕事してきます! では後ほど!」
そう言うと、エレナはエルメキアの腕に抱かれるルシアンへ歩み寄り、そっと額に唇を落とした。そして、元気よく部屋を出ていく。
入れ替わるように、扉の向こうからクリスティアナが姿を現した。
エレナの件で迷惑をかけている自覚があるのか、その足取りはおどおどとしている。
「ようこそ、クリスティアナ様。」
シェリファが笑顔で迎えた瞬間、クリスティアナは「ひぃ」と小さな悲鳴を上げた。
やがて席が整えられ、クリスティアナは三人の真正面に座らされた。
エルファリアは人数分のお茶を淹れ、湯気の立ち上る香りが部屋に広がる。エルメキアは腕に抱いたルシアンを優しくあやし、揺れる小さな笑顔が場を和ませていた。
しかし、その和やかさを壊すように、シェリファが茶を一口含むと、眉をひそめる。
「まだまだですね。精進なさい。」
エルファリアに向けられた指導に、部屋の空気が一瞬ぴりりと張り詰めた。
そんな中、座らされたクリスティアナは、困惑を隠せずにいた。
(エレナさん…いったい何をしたの?! 何をやらかしたのーーーー!?)
心の中で大声で叫ぶが、もちろんそれを口に出すことはできない。
「さて、クリスティアさん。少し教えてほしいのだけど…。」
不意にシェリファが話を振ってきて、クリスティアナの背筋がびくりと震えた。
「はひ!」
慌てて姿勢を正し、返事をしてしまう
。
「エレナさんのことなのだけど…」
「ひぃ〜…」
口から漏れたのは、言葉にならない悲鳴。すでに頭の中はパニックだ。
(なにしたの、なにしたの、なにしたの?!)
「彼女ご自身のことを英雄だと言ってましたけれど、それはどういう意味かしら?」
「え?英雄?」
クリスティアナは一瞬固まったが、その言葉に少しだけ余裕が生まれる。
「え〜と……エレナは、わが国の英雄で間違いありませんよ?」
「真祖討伐の功績でかしら?」
「へ? え? いえ、違います。そうですね……今の彼女からは想像できないかもしれませんが、真祖討伐を果たす前より、すでにエレナは英雄です。」
胸を張って答えるクリスティアナ。しかし一方で、なぜこの話題を問われるのかと不思議でならない。
「対アンデッド、治癒、補助、抑制、封印――そういった分野に特化した神聖魔道士であり、わが国では“聖女”と呼ばれておりました。この分野において、彼女以上の存在は周辺国を見渡してもおりませんわ。あ……ただ、対アンデッドに関してはシオン様の方が上ですね。」
その一言に、三人の目が大きく見開かれた。
「うそ?!」「すごい…」「それほどの逸材が、なぜ……」エルメキア、エルファリア、シェリファの順で驚く。
「そうですね。わが国としても決して失いたくない逸材でした…。先日父に文を送ったのですが――どうやらエレナは、シオン様に請われて嫁ぐために国を出たらしくて。」
「「え?!」」
「わが父も、エレナの両親も、“シオン様なら”と許可したようで……」
「そんなことに……」
シェリファが頭を押さえる。
「ああ、僕もその辺の記憶を見たかもしれない。あの子、シオンのためにすべてのキャリアを捨ててたもんね。まぁ、全部あの子の思い込みでシオンも驚いたみたいだけど…。」
「そうですね…普通に考えてなかなか斜め上の解釈をしたようで…。ですが、エレナはシオン様に迷惑がかかるかもしれないからと侯爵家を捨て、“望まれたら戻る”という保険までかけ、下準備万端でこちらに来たよんですよ?お兄様の完全塩対応になんであそこまで思い込めたのかは私も謎なんですが…。」
「なんてこと……」
ため息混じりにシェリファが言葉を漏らす。
「クリスティアナさん、すぐに手続きを。エレナさんが妹だというのは構いませんが、対外的にはそうもいきません。シオン様の夫人の一人として扱えるようにしてくださいな。」
「え? よろしいのです?」
「そうしておかねば、あまりにあの子とご両親が不憫でしょう。」
「――ああ、それなら第二夫人にしてあげてくれるかな? あれだけの覚悟をもって来たのだから、少しはね?」
「ええ、それは構いません。お兄様の第二夫人、第三夫人と言っても何か問題があるわけではありませんし。」
「それと国に文を出してください。クリスティアさんから送れば、“今やっと夫人になった”のではなく、“以前よりその地位にあった”と報告できます。当人が恥ずかしがって隠していた――と、無理やりにでもこじつけてあげるしかありませんが。」
「分かりました。」
「さて、それでエレナさんですが……シオン様の第二夫人となる以上、条件は同じです。その点をうまく説明して、彼女の体面を整えてあげてください。」
「はい……」
面倒な仕事を押し付けられ、クリスティアナは小さく肩を落とす。
「そこでですが……彼女の夫候補として、当家のサイラスはいかがかしら?」
「お母様?! サイラスをよろしいのですか?!」
驚きに声を上げるエルファリア。
「もちろんです。それほどの才能を持たれた方なら、わが国の最高を紹介すべきでしょう。」
当然といった様子で、シェリファは静かに答える。
「えーと、サイラス様ですか? エレナのことですので、彼女が気に入れば私は誰でも構わないと思います。家へは戻れませんし……ただ、エレナをそちらの国に連れて行かれるのは困ります。もしサイラス様に娶っていただけるなら、サイラス様にも私たちと同じ条件、国から離れた人材になることを願います。」
クリスティアナは一国の王女としての威厳をまとい、きっぱりと答えた。
「ふふ……貴方、やはりラトリアの王女ですわね。とてもいいですわ。もちろん、そちらの言う通りに致します。サイラスはこの街で暮らす冒険者となるよう命じます。婚姻がなれば、ですが。」
「お母様?!」
「エルファリア。静かにしなさい。」
「次期槍聖ですよ?! 英雄に最も近い男がサイラスですよ? 本当にそれでよろしいのですか?」
「他に釣り合いの取れる者など、当家には居ませんから。」
淡々とシェリファは答える。その言葉が真実かどうか、クリスティアナには判断できなかった。
「クリスティアナさん。当家に“世界に名だたる槍聖トーラス”がいるのはご存じですね?」
「はい。」
「その孫は十を超えます。その中で最も才能を色濃く受け継いだのがサイラスです。トーラスの息子たちも皆、名だたる槍の使い手となりましたが、誰一人トーラスを超えることはできませんでした。そのトーラスが“自分を超える”と断言したのがサイラスです。あと二年で、トーラス自身が至れなかった高みに至るだろう、と。そのような逸材です。いかがでしょう?」
「……エレナにとって、良縁になると思いますが……なぜ急に?」
混乱を隠せないクリスティアナ。
「今朝、エレナさんが“ルシアンと結婚する”と……」
「ぶーっ!」
盛大に吹き出すクリスティアナ。
「ごっ、ごめ……ごっほ、ごほ……ごめんなさい。」
「いえ。」
シェリファは涼しい顔のまま、話を続けた。
「まぁ、なので結婚は却下しました。その上で、“子の世代に託せばよい”と諭したのです。すると、“子を設けたい”と。英雄か、英雄候補以上の伴侶が欲しいと。」
「子に託す……ですか?」
「男の子が生まれれば良き友に、女の子が生まれれば愛を育むかもしれない、と説きましたの。」
その瞬間、クリスティアナの瞳が大きく見開かれる。
「その手があったか!!」
「「「え?」」」
三者三様の驚きの声が重なる。
「分かりました、シェリファ様! 私、全力でサポートいたします! ですので……私に、顔が良くて機転の利く、内政向きの男性を紹介していただけませんか?」
戦闘や補助はエレナの血筋に任せるとして、エレナの血筋となれば相当な美人になるのはわかる。ならばクリスティア自身の伴侶も見目麗しくなければ太刀打できない。そして、政治や外交、知に長けた存在は自分の子に担わせる。――クリスティアナは閃いてしまったのだ。そして胸の奥で固く誓う。
(絶対、女の子を産む! シオン様の血を我が王家と交わらせるために!)
密かに、エルファリアもまた同じことを考えていた。
(私も……早く結婚して、ルシアンの伴侶を産まなければ……!)
「あなた達…」
シェリファは思わず両手で頭を抱えた。
エルメキアはルシアンを抱きながら、微笑を浮かべる。
『この子に良い伴侶が見つかるといいなぁ。……まぁ、三人でも四人でも、同じだけ愛してくれるならそれでもいいからね。』
そう思って見下ろすと、ルシアンがしっかりと頷いたように見えた。
その頃、シオンとリシェルはのんびり最高の休暇を楽しんでいた。ルシアンの女難が、静かに幕を開けていたなど知る由もなく…。
いつもありがとうございます。
シオンに関わった女性たちは、みんなそれぞれに幸せを見つけていきます。
彼女たちの恋愛の価値観は、今の時代とは少し違うけれど。
それでもちゃんと、自分の形の幸せにたどり着くんです。
そしてルシアンはというと……。
最終的にお嫁さんが何人になるのかはわかりませんが、間違いなくハーレムを築くことになりそうです。




