後日談6
出産予定日が近づき、もうすぐ会える――リシェルはその日を心待ちにしていた。
昼下がりの部屋では、いつものようにエルメキアとクリスティアナが遊びに来ており、穏やかな時間が流れている。シオンは依頼で外出中。エレナは朝からふらりと現れ、シオンに仕事の愚痴をぶつけて頭を撫でてもらうと、満足げにどこかへ消えていった。……相変わらずの謎行動である。
ちなみにエレナの“幼児退行”は一向に改善の兆しを見せない。最初は怖さすら覚えたが、今ではもう慣れてしまった自分がいた。
そんな折、コンコン、と扉を叩く音が響く。
立ち上がっていたリシェルが返事をしながら扉を開ける。
「はーい、少しお待ちを……」
扉の先を確認した瞬間、バタン! 一秒も経たずに閉めていた。
(ななななななっ!? なんでお母様が!? まさか幻!? 出産間近でホームシックにでもなった!? 幻!?)
「こらっ! エルシェリア! 開けなさい!」
――本物だった。
慌てて再び扉を開けると、そこには紛れもなく母シェリファの姿があった。
(嘘でしょ……こないだ帰省して戻ったばかりなのに!?)
「入ってもよろしいかしら?」
(え、なんで!? どうして!?)
「えっ……ええ、どうぞ」
動揺しながら招き入れると、その後ろから妹のエルファリアも顔を出す。
「お久しぶりね、お姉様!」
気安く声をかけてくる妹に、リシェルの思考は完全に停止した。
二人を部屋に通すと、エルメキアが「やぁ、よく来たね!」と笑顔で迎える。
一方のリシェルは大パニック。
(部屋は片付いてるし、飲み物もある……! でも実母の突然の訪問ってこんなに緊張するもの!?)
気づけばクリスティアナが気を利かせて椅子を並べていた。
リシェルの思考は、なおも停止したままだった。
※
場の仕切りはエルメキアが引き受けていた。
「出産近いんだから、リシェルちゃんは座ってていいよぉ」
そう言ってお茶を淹れ、それぞれに配膳していく。
その味は芳醇で爽やか。同じ茶葉を使っているのに、リシェルには決して出せない深みだった。
皆がその腕前を褒めると、エルメキアは珍しく照れたように笑う。
「へへー、これ得意なんだ。いつもエルメロスが喜んでくれてね。だんだん上達したよ」
和やかな空気が一瞬流れたが、すぐに母の声が落ち着いて響いた。
「あなた、体はどうなの? 大丈夫?」
「え? あ……はい。大丈夫です。ありがとうございます。ところで……お母様とエルファリアはどうしてこちらに?」
誰もが気になっていた疑問を、ようやく口にできた。
すると――
「はい! お姉様! 私、英雄ロック様へ婚姻を申し込みに来ました!」
――ブッシュウッ!!
盛大に吹き出したのはクリスティアナだった。
「ゲホッ、ゲホッ……すみません、変なところに……」
リシェルの冷たい視線が突き刺さる。『アンタ、何した?』と無言で問いかける目。
クリスティアナは必死に「違う違う!」と手を振る。
「お姉様ご存じありませんか? エレナ様の旦那様で、真祖を討伐した英雄ですわ!」
「そうなのよ。まずはあなたに顔を見せてから、その後向かおうと思ったのだけど……全然わからなくて」
……いや、わかるわけない。エレナに伴侶はいない。
(どうしてそうなった……?)
「えーっと……なんでエレナだと?」
「え? エルメキア様が当事者だとおっしゃいましたし、ヒロインの名前も“エルナ”と一文字違いでしたのですぐに!」
……そうだ。あの時、脚本用の打ち合わせで名前を聞かれて「エル」と答え、身バレ防止に“ナ”を足した。それだけの話。
そのはずが偶然が重なって、エレナだと勘違いされてしまったのだ。
(どうするのよこれ……!)
説明の言葉を探していると、再びノックが響いた。
「はーい」
リシェルが逃げるように立ち上がり、母と妹に断りを入れて外に出る。
扉を開けると、そこには可憐な少女が一人立っていた。
――いつの間にか出来上がった“暗黙のルール”がある。
それは、シオンへの婚姻の打診は 本人が一人で家を訪ねること。
誰が言い出したのかは不明だが、どう考えても仕切っているのはクリスティアナだ。
「わたくし、オラリオ神聖王国から参りました。リーゼ・フロマイトと申します。あの……シオン様への婚姻をお願いしたく存じます」
深々と頭を下げるリーゼ。
これが、ここ最近の“いつもの日常”だった。
リシェルは、ホッと息を吐く。
(よかった……いつものパターンね)
そう思いながら、いつものようにクリスティアナを呼ぶ。
「ちょっとクリスー?お願い……」
そこで――ふと。
母と妹の存在を、すっかり忘れていたことを思い出した。
あまりのことに、都合よく記憶から消し飛んでいたのだ。
「はい! お姉様!」
嬉々として立ち上がったクリスティアナが、きっぱりと告げる。
「隣の部屋でちゃんとお話をしてまいりますわ。結果は後ほどお知らせしますので!」
そう言うなり、リーゼを連れて軽い足取りで去っていく。
(なーーーーっ! この状況、どうしろってのよぉ!!!)
リシェルの心の叫びが虚しく響く。
「エルシェリア、今のは……何です?」
冷静な声で尋ねてきたのはシェリファだった。
「あー、えっと……その……シオンへの婚姻申し込みが絶えなくて……」
途端、母の表情が鋭くなる。
「あなた……まさか……」
「え? どうしたのです? お母様、何がわかったのです?」
エルファリアも首を傾げる。
「エルシェリア。……ちゃんと話しなさい」
「え、えへへ……」
乾いた笑いしか出てこない。誤魔化せるはずもないが、喉が勝手に笑っていた。
「……あー、えーっと、その……」
観念したように、リシェルは口を開く。
「エルナが、私です……」
その瞬間、シェリファは額を押さえ、深く頭を垂れた。
ロックという名を耳にしたことがあるはずだ。あの時シオンが名乗っていたのだから。エルナも「エル」という偽名をよく使っていた。そしてそこに一文字足して「エルナ」。
そうなると、ラトリアをはじめ周辺国がこぞって姫を差し出した英雄はシオンとなる。クリスティアナやエレナがシオンの側にいることにも納得がいく。
海でエルファリアが落ちた時、無傷で救出できたのも、真祖を討伐できるほどの男であれば容易だっただろう。エレナを追いかけても全容は見えてこないわけだ…。
はぁ――っと、長めのため息が漏れた。
継承権を放棄してくれてよかった。もし国にこのことが知れれば、国が割れるどころではない。周辺国から何を言われるか想像もつかない…。
「ええ!!!ではシオン様がロック様なのですか!!」
エルファリアが突然大きな声を上げ、喜びを露わにする。
「では、私、お姉様のところに嫁ぐのですね…」と、顔を両手で押さえてクネクネと喜ぶ。
「なわけないでしょ!」
「ええ?!なぜです? お母様にも英雄に嫁ぐように言われましたし。」
「私がいるのにアンタまで嫁いでどうするのよ? それに、旦那を誰かに分ける気なんてないわ。」
「そんな…では私は何のためにここへ…」
「ちょっと待ちなさい。あなたがエルナだとして、あのような生活を?」
そこでリシェルはハッと気づく。この二人は演劇を観て状況を理解しているのだと。
リシェルが賞金首になり、隷属紋を施される場面も知っている。描写は簡略化されていたし、実際にどこまでのことが起きていたかは分からないだろう。だが、事実は変わらない。
「だ、大丈夫よ? シオンが助けてくれたし…。私の名誉も回復してくれたからね? 大丈夫!」
「はぁー、エルドラになんて説明しましょうか…。まさかあなたのことだとは…」
「あの、お母様? 私のシオンお義兄様との縁談は?」
「ありません。何を言っているのですか。実の姉と旦那を共有してどうするのです!」
「そんなぁー。では私はどうすれば…?」
その瞬間、ガチャリと扉が開く音が響いた。
「ただいまぁ……え…」
「シオンお兄様!!」
エルファリアは席を飛び出し、駆け寄ろうとした。
その瞬間、シオンに脇を抱えられ、高い高いの状態に。
「お兄様! お会いしたかったですわ!」
その感情表現はリシェルよりも過激だが、そっくりだった。
「ありがとう。エルファリア、久しぶりだね。」
シオンはエルファリアを床に下ろす。
「お義母様、先日は大変お世話になりました。」
ペコリと頭を下げるシオンを、エルファリアは腕を取って席まで連れていく。
それを見たリシェルは盛大なため息をついた。
「こちらも大したことはできずに申し訳ありませんでした。」
「いえ、式も開いていただけましたし、感謝しかありません。それで、これは?」
「ええ、英雄ロックにエルファリアをお願いしようと思ったのですが…ここに来てからあなただとわかりました。それに、この子も出産が近いでしょうし、不安かと思いまして。」
「それは心強いです。ありがとうございます。それで、エルファリア様の件に関しては…」
「そうなんです! 私、お兄様に比べて英雄ロック様がどんなものか見定めるつもりだったのですが…まさかお兄様がそのロック様だとは思わず、驚きましたわ。」
「そ、そうですか。」
「それで、シオン様に婚姻の打診をと思ったのですが、お母様にダメだと言われまして…駄目ですか?」
「ダメよ! 絶対ダメ! あなたはあなたでちゃんと見つけなさい。肩書が必要ならエルシェリアとして…は、まずいわね。私が第一夫人になるから、ややこしいことになるわ…となると、シオンの嫁はリシェルじゃないとまずいわ。」
名前一つでしかないが名前一つが重要なのだ。ルーメン国のエルシェリアか冒険者のリシェルか。同一人物だとしても大義名分が大きく変わる。
「そうなると私がちょうどいいですよ? お姉様? エルメキア様と四人で仲良く暮らしませんか?」
「いやよ。仲良く暮らすくらいならいいけど、シオンは譲らないから。」
「むぅ、シオン様はどうなんです?」
「はは、俺はリシェルを愛しております。それ以外はどうしても扱いに差が出るでしょう。友人や妹くらいのお付き合いならできるでしょうが、それ以上は無理です。なので、相手に期待を持たせないよう、全てお断りしております。」
「なんてお優しいのですか…私、感動しました…」
リシェルは頭をかく。すでにもう目の置所というか観点違いすぎる。
「今後聞こえてくることなのでお伝えしておきますが、最近、第二、第三夫人を迎えることになりました。」
「「え?」」
シェリファとエルファリアが同じ表情を浮かべる。
「これはリシェルから政治的な話で縛られた姫たちを自由にするための案として受けました。今は40人ほどの嫁がいるらしいですよ。正直、顔も分かりません。」
シオンは快活に笑う。
「それは、一体?」
エルファリアが小さな声で尋ねる。
「彼と一緒になるまで国に戻ってくるなって言われた女性が溢れかえったのよ。恋愛もできずに国のために集められた娘達が無為に過ごすのよ?可哀想じゃない。だから名目だけ与えることにしたの。それが飲めるなら国に帰って話し合ってこいってね。で、その条件でシオンの妻は大量にいることになってる。隣のクリスティアナが筆頭ね。彼女がそれを仕切ってるわ。全員把握してるのはたぶんあの子だけじゃないかしら?」
「では、お姉様、私もその枠に!」
「はぁ? 聞いてた? 共有はなしよ? あなたは別に恋愛して、別の人と恋をしなさいって話よ?」
「はい、わかっております。ですが、名目上、わが国にも必要だと感じました。」
「確かに…」
シェリファも同意する。
「特別扱いはしないわよ? いいの?」
「遊びに来るくらいならいいのですか?」
「それくらいなら…」
「なら、お願い致します。お姉様からお兄様を奪おうなどとは思っていませんわ。ご安心ください!」
「わかったわよ。条件は後でクリスティアナから聞いてね。継承権も破棄するようなのもあるから、わかってる?」
「はいっ!」
「お母様、これでよろしいのですか?」
「そうね。この状況で娘を送らないわけにもいかないのは確か。ただ、あなたの地位だと色々大変なことになるのも目に見えているし…。この結果が最良だと思うわ…」
「そう…なのですか…。わかりました。」
「はい! それじゃあ決定だね!」
パンッと手を打ち、エルメキアが締める。
「でも、ちゃんとシオンくんはエルファリアちゃんにお断りしようか? いい? あれは一種の儀式みたいなものだからね?」
「え?ああ、わかった。」
「エルファリアをリシェルの妹としてではなく、一人の女性として扱うようにね?」
「わかった。」
シオンはエルファリアに向き、真面目な顔で話し始める。
「エルファリア様、あなたの気持ちはとても嬉しいです。ですが、申し訳ありません。私はリシェル以外を愛することはできません。あなたが愛や恋で私に婚姻を申し込まれたわけではないかもしれません。しかし、今後どれほど請われても、私はあなたの気持ちに応えることはできません。このような形でしか報いることができないことをお許しください。」
「はい…もちろんです…」
エルファリアの頬に涙が伝う。
「あれ? なんで? そんなつもりは…うぅっ……お姉様どの…じあわぜわ…いのっでおり…まず…」
「うん。よくできたね。」
エルメキアがエルファリアを優しく包み、頭を撫でる。
無自覚に始まっていた恋は、無自覚のまま終わりを告げた瞬間だった。
静かな夕暮れ、エルファリアの嗚咽だけが響く。姉も母も何も言わず、優しく見守っていた。
バタン!
「ただいま帰りました!」
空気を読まず、エレナが部屋に入ってくる。シェリファとエルファリアに会釈すると、そのままシオンの前に立つ。
「お兄様、高い高いがいいです。」
そう言って両手を上げ、抱えやすい姿勢をとる。
周りは呆然と眺める中、シオンはエレナの脇を抱え、持ち上げる。
ふわり、ふわりと天井に投げられるのをキャーキャー喜ぶエレナ。すでに成人した女性で、年齢的にはリシェルに一番近い。
少しして地面に下ろすと、エレナが話し出す。
「今日のパーティーは最低でした。何度も打診されて仕方なくパーティーを組んだのに…あろうことか、お兄様の悪口を言うんですよ? 騙されてるとか! ひどいと思いませんか? 私はお兄様以外のお兄様なんていらないのに。」
そう言い、プリプリ怒りながら最後に「頭を撫でてください」と要求。ひとしきり撫で終わると満足したのか、「では、お兄様おやすみなさいませ!」と去っていった。
誰もが唖然とし、エルファリアですら泣くのをやめる。
その中で、リシェルが笑い始める。
「あっはっはっ! エレナには誰もかなわないわね。ほんとあの子は。」
「ええ、でも大丈夫なの? あの様子で問題ないのかしら?」
シェリファが真剣に心配する。
「さぁ? 三女だって言ってたけど侯爵令嬢だしね。問題しかない気がするけど…本人が幸せそうでいいんじゃない? 私たちが何言っても変わらないし。」
「そうなの?」
「うん。だいぶ話したけど妹がいいって。もう謎よ、謎。謎の思考。」
「あの…お兄様? 私もさっきのしてください。」
今度はエルファリアがシオンに「高い高い」をせがむ。
「いいけど、いいのか?」
リシェルに確認をとる。
「ええ、そんなにいいのかしら? 私も…」
「リシェルはダメだよ。出産が終わってからね。ということで、2番目は僕だ。」
ちゃっかりエルファリアの後ろに並ぶエルメキア。
「そう。なら、仕方ないわね。」
という謎理論で参加したシェリファ。
「え?! お母様まで?!」
リシェルの素っ頓狂な声が上がる。
そのとき、クリスティアナが駆け込んできた。
「お姉様。まとま……その次は私です!!」
言い終わる前に、すでに列に並んでいた。
今回はしっかり4周した。
一様に皆が満足気な表情を浮かべているのをリシェルが羨ましそうに眺めていたとかいないとか…。
その後、エルファリアと仲の良くなった姫たちに『高い高い』の情報が伝わり、シオンがそれくらいならと請け負ったことにより、数多の姫が押し寄せることになった。
結果、クリスティアナが新たなルールを設け、街の発展に寄与した者のみが「高い高い」をしてもらえる褒賞てして扱われるようになる。そのため、街の発展は急速に進んだという。
ちなみに、ある国王妃(43)は後にこう語っている。
「大人になってからあのようなことをされたのは初めてでしたので、とても新鮮で楽しかったですわ。皆様もよろしければ、旦那様にやってもらうことをお勧めします。……うちの旦那は受け止めきれず潰れてしまいましたけれど……何が太った? だ、殺すぞ!!……あっ、つい思い出してしまって…オホホホホホ。」
今日も今日とて、ベアレスは平和だった。
大人になってからの肩車とか高い高いとかやってもらえるならしてもらうといいですよ。
怪我をしないように注意してくださいね。
意外と素敵だとかなんとか……しらんけどー!
今日も読んでいただきありがとございました。




