後日談3-13
アルバ国での事件から十日、シオンたちはルーメン国へ戻っていた。縁談は破断となり、フレイグの本性も明らかになったことで、エルファリアは以前の快活さを取り戻し、心が軽やかになったように見えた。
しかし、リシェルには一つ、大きな懸念があった。あの一件以来、エルファリアのシオンを見る目が、どこか微妙に変わっているのだ。血の繋がった妹だからこそわかる。その目には好意とも、興味ともつかない揺らぎがある。リシェルから奪うつもりはないだろうが、それでもシオンに対して特別な関心を抱いているのは明らかだ。
もしかすると、本人も気づかぬうちに惹かれてしまったのかもしれない。
とはいえ、今のところエルファリアは何も言わず、行動もしていない。リシェルの心をやきもきさせるのは、その微妙な距離感だけだ。そう、やきもきといえばエレナも同じだった。
アルバ国で完全に露見したエレナの変調。
以前はシオンの妻になりたくて、すべてを捨てて追いかけてきた女性だった。しかし、シオンに断られ傷心したところを、クリスティアナの旅に巻き込まれ、再会したときには彼女の精神は崩れかけていた。シオンとリシェルに救われ、リシェルの口添えで「妹のような存在で、家族のようなものだ」と告げられたことで、エレナはゆっくりと変性した。
シオンとリシェルがいなければ、彼女は以前と変わらない。だが、特にシオンが関わると、幼児のように振る舞う癖が強く出る。
今日もふらりと現れ、まるで子どものように、シオンに抱き上げてほしいと告げた。シオンは目を丸くし、リシェルに目で確認すると、リシェルは呆れた笑みを浮かべながら頷く。
この時、エレナが望んだのは、両手で高く持ち上げられること。
成人した女性がそれを求める──不思議としか言いようのない光景だ。シオンが何度か抱き上げると、エレナは満足げに笑みを浮かべ、すっと部屋を去った。
その背中を見送る二人は、やきもきというよりも、どこか恐怖混じりの感情を覚えた。思考の道筋が理解できず、ただ乾いた笑みを浮かべるしかない。
その後、エルメキアとクリスティアナが部屋に現れ、しばらく居着くことになった。その後増えたエルファリアは、なぜか自然とシオンの横に座り込み、にっこりと笑っている。
リシェルは、なんとなくその原因を予想していた。
定期的にフレイグに嗅がされていたという薄めた催淫薬――その影響で、擬似的な恋愛感情を抱きやすくされていた。最初はその矛先がすべてフレイグに向かい、彼が悪く言うシオンは、むしろ嫌悪の対象でしかなかった。
しかし転機となったのは、フレイグが雇った劇団による演目。――惚れた女のために、男が命を賭して戦う物語。
その演目を何度も見た後、港でエルファリアの落下事故が重なる。
通常、海に落ちれば命はない。だが、シオンはためらいもなく後を追い、命懸けでエルファリアを救った。
演目の影響も加わり自身をヒロインに置き換えてしまったのだろう。
もともとそうした状況に弱いことは、リシェル自身がよく知っている。自分もそういう状況には弱いのだから。
そこに催淫薬の影響が加わったのなら、エルファリアの意識へ無自覚にシオンが刷り込まれても不思議ではなかった。
理解はできる。だが、共有はできない。
渡すわけがないのだから――。リシェルは大きくため息をついた。
「エルファリア、そこは私の場所。あんたはこっち。」
リシェルは、シオンの隣から少し離れた席を指さして示す。
ぽかんとした顔で疑問符を浮かべるエルファリア。
「わたし、ここがいいのですが?」
「だーめ。シオンの隣は私の席だから。それだけは譲らない。早くこっち来なさい。」
「あ、そういうことですか。すみません、お姉様。」
――やはり無自覚か。そちらのほうが、よほど厄介だとリシェルは感じた。
エルファリアは楚々と席を立ち、リシェルに指示された椅子へと移る。
だが、その間もシオンから目を離さない。――むしろ、自分が見つめている自覚すら怪しい。
シオンの隣に腰を下ろしたリシェルがエルファリアを睨むと、ようやく彼女の視線が泳いだ。
「それで今日は何よ? なんでここに勢ぞろいしてるの? さっきなんかエレナまで来たのよ? シオンに“高い高い”してって。あの子どうなってんの?」
「……それは俺も気になってた。」
シオンも同意せざるを得なかった。エレナの変化は顕著で、回復の兆しは見えない。むしろ意味不明な要求を突きつけては帰っていくのだ。長居しないぶん助かってはいるが……。
「あー……エレナちゃん、あのままかもね。」
エルメキアが申し訳なさそうに口を開いた。
「え? 戻らないの? 一時的なものじゃなくて?」
「……たぶん。」
「どういうこと?」
「“たぶん”だから断定はできないけどね。クリスティアナちゃんと相当やばい旅をしてたらしくて、神経が限界まで擦り減ってたんだ。自我崩壊寸前のところを僕らが拾ったんだけど……そのとき変な刷り込みが起きちゃったみたいで。で、人格がちょっと変性したみたい。」
エルメキアは言葉を選びながら続ける。
「そこにあの連日公開で心を痛めてその後に“家族“だ“妹“だって言われたもんだから――『私は妹だから助けてもらえた。シオンの妹だから甘えていい』って思い込んじゃったみたいでね。その時だけ精神年齢が五歳児くらいまで下がる。正直お手上げだよ。シオンとリシェルが絡まなければ普通にしていられるんだけど……定期的に二人を探すんだ。」
「嘘でしょ……」
「残念だけどホント。」
リシェルは魂が抜け落ちたように肩を落とし、シオンは引きつった顔になる。
「クーリースゥゥゥ! アンタどうすんのよ? あの子、侯爵令嬢でしょ!?」
「えーと……お姉様、どうすれば……」
「知らないわよ、そんなの……」
そう言って頭を抱えていたリシェルがふと気づくと、エルファリアがシオンの隣まで来ていた。
「あの……シオンお兄様?」
「ん? なんだ?」
「エレナ様に“高い高い”してあげたんですよね?」
「ああ、したよ。」
「わたし、エルシェリアお姉様の実の妹です。」
「うん、知ってる。」
「なら、私もシオン様の妹ですよね?」
「……義妹だな。」
「高い高いしてください!」
ガタン!
テーブルに額をぶつける音が響き、シオンが隣を見るとリシェルが突っ伏していた。
「あんた! 何言ってんのよ!? わかってる!?」
「はい! お姉様! 話を聞いていて興味が湧きました!」
「そういうことじゃないでしょ! なんでそうなるの!?」
「えー……駄目ですか?」
「………………あーもう。わかったわよ。シオン、してあげてくれる?」
「ああ。いいけど……」
シオンは立ち上がり、エルファリアの両脇に手を差し込む。軽く持ち上げ、天井へ向かってふわり、ふわりと。
「きゃーーー! すごい! すごい!!」
子供のように喜ぶエルファリア。その姿は、エレナの反応と瓜二つだった。
ふと気づけば、エルファリアの後ろにクリスティアナが並び、そのさらに後ろにエルメキアが並んでいた。
「あんたら……シオン、いい?」
「ん? ああ、別に構わないよ。」
「やったーーー!」
「いやぁ、僕もさっき聞いてて体験してみたくなっちゃって。アハハ。」
「……何なのよ一体。あ、サイラスも加わる?」
護衛として部屋にいたサイラスに冗談半分に声をかけたリシェルだったが、返ってきたのは思いがけない反応だった。
「おおっ! 俺もいいんすか?!」
「え……うん。」
冗談とも言い出せず、了承してしまうリシェル。
サイラスは嬉々として列の最後尾についた。
(うそでしょ?!)
リシェルの心の悲鳴は、誰にも届かなかった。
――ちなみに、たっぷり三周した。
そして、ふとリシェルがシオンの耳元で小さくつぶやいた。
「……出産が終わったら、してほしい……かも。」
「はは、喜んで。」
暖かな日差しに包まれながら、穏やかで平和な時間が流れていった。
いつもありがとうございます。
後日談3が思った以上に長くなりました。
掲載してわかったのですが文章量が本編並に……。
一応、本編の方が長いので大丈夫なはず…




