後日談3-11
到着時に小さな一悶着があったものの、夜には城館を挙げての盛大な宴が催された。煌びやかな灯火が揺れ、絢爛たる装飾が施された大広間には、アルカニア連合国を構成するアルバ国の貴族たちが集っていた。
酒杯のきらめきと楽の音が交わる中で、しかしその空気はどこかちぐはぐで落ち着かないものだった。
リシェルは静かに果実水を口に運びながら、眉根を寄せる。――なぜ、宗主が不在と分かっていながら自国に招いたのか。宗主バルロード・アルバが会議のため席を外しているのは理解できる。だが、宗主のいないこの時期に他国の王族を呼びつけ、宴でもてなすなど、越権行為に等しい。招待を主導したフレイグの振る舞いに、彼女は強い違和感を覚えずにはいられなかった。
その疑念は、クリスティアナも、エレナも同じだった。三人の視線は自然と交わり、互いに無言のうちに頷き合う。
そして、最も胸騒ぎを覚えていたのはエルファリアだ。今朝まで夢見心地で浮き立つ心地にいたのに、今は正反対。フレイグの一挙手一投足に、不安と恐怖を感じてしまう。歯の浮くような台詞や、場違いなほどに芝居がかった言動。そのどれもが彼女の心をざわつかせていた。
――宗主不在の中で、彼が代理を務めるのは確かに筋が通る。だが、この豪奢な宴は本当に許されるものなのだろうか?
視線を巡らせれば、会場の貴族たちもまた困惑しているのが見て取れる。彼らは誰もが「これは何の宴なのか」を理解していない。交渉を進めていた国の姫が突然姿を現し、理由も明かされぬまま催された宴。戸惑いとざわめきの渦が、大広間を覆っていた。
そんな中、フレイグが上機嫌な笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「どうだい、エルファリア。君のために用意した宴だ。楽しめているかな?」
「は…はい。このような盛大な宴を開いていただいて誠にうれしく存じます。」
答えるエルファリアの視線は、右へ左へと落ち着きなく泳いでいた。助けを求めるようなその様子は、朝方の毅然とした彼女の姿からは想像できないほどに狼狽していた。
「ですが…その…よろしいのでしょうか? 宗主様が不在の状態でこのような催しは失礼にあたりませんか?」
正直な不安を口にした瞬間、フレイグは人懐っこい笑顔を崩さずに答える。
「ええ、もちろん大丈夫です。不安にさせたなら申し訳ない。そうだ! エルファリア、これを見てください。」
「これ? 指輪をですか?」
「ええ。この指輪の青は精神を落ち着けてくれるのです。遠く離れたこの地にきて、今朝はあんな事もありました。少し精神がお疲れになっているんですよ。」
「わかりました…ありがとうございます。」
エルファリアはフレイグの差し出す指輪を掌に載せた。透き通るような蒼の輝き。その美しさに見惚れた刹那、意識がふっと遠のきかけ――
パキリ。
何かが割れる音が、確かに耳の奥で響いた。次の瞬間、意識ははっきりと覚醒していた。精神を安定させる効果など感じられない。それでも、フレイグが自分を気遣ってくれたこと自体は否定できない。だからこそ、彼女は礼を口にした。
「お心遣い、ありがたく存じます。」
その言葉を受けたフレイグの笑顔が、わずかに歪む。なぜ効かない、とでも言うように。しかしすぐさま作り笑いを取り戻し、穏やかな声で返す。
「エルファリアの不安が少しでも和らいだなら、何よりだ。」
その様子を、ずっとエルメキアが観察していた。そして、不意ににやりと笑う。
(ふふ、本当に飽きさせないなぁ。この男はなんて愚かなんだ。それにしても卑劣な男だよね、まったく。できたらこの子の血は、僕の大切な子孫には入れたくないな。)
そう考えていた瞬間、不意に頭を小突かれた。
「うごっ!」思わず呻き、頭を抱えるエルメキア。
「シオン、なにすんの?!」
「何千年も生きた神龍が、自分の尊厳を傷つけるような真似はやめとけ。ここまで高潔に生きてきたなら、そのままでいろ。」
ドキリとする。心を読むことは、エルメキアにとって十八番。だが、己の思考を読まれるなど今まで一度もなかった。今まさに心に浮かべた考えを、シオンが感じ取り、制したのだ。その事実に、彼女は心底驚かされる。
「ねぇ、シオン。僕は君にとってなに?」
思わず口をついて出た言葉。リシェルも、他の皆もいる前で。聞かなくてもいいことを聞いてしまった。
「ん? 家族だろ?」
即答。気負いも逡巡もなく、自然体の声だった。その瞬間、エルメキアの胸の奥に温かな感覚が広がっていく。
「それは、僕を嫁にしたいってことかなぁ? ウリウリィー」
「嫁ならリシェルがいる。それに息子の嫁に手を出す気はないよ。」
「え? いいの?」
「いいも悪いも決めるのは俺の子だ。それがエルメキアを選ぶなら、別に文句はないよ。」
「へー。じゃあ拒絶されたら家族じゃないとか?」
「家族だろ。それとこれは別だ。リシェルの何代も上のばーちゃんだろ?」
またも迷いなく言い切られる。
「ばーちゃん……」
その一言は鋭い刃のようだった。だが不思議なことに、エルメキアの胸には温かい感情がじんわりと生まれていた。
「あの、シオン様! 私はどうですか?」
割り込むように、クリスティアナが声を上げた。
「え? クリス? えーと、妹分?」
返答に困ったシオンは、リシェルがよく口にしている言葉を思い出し、そのまま口にする。
「妹?! 妹のように思っていただけてたのですね! ということは私ももはや家族!! これはお父様に報告しなくては!!」
「あーあ、シオン変な方向に捉えてるわよ? あれ。」
「じゃあ何かって聞かれてもな? リシェルにとってクリスも妹みたいなもんだろ?」
「まぁ、そうだけど…。」
「ならそれでいいよ。」
「では、私はどうでしょうか?」
今度はエレナが現れる。
「え? エレナはどうって何が?」
「私も家族ですよね? 仲間はずれにはしないですよね?」
「え…いや、家族ではないだろ?」
その一言に、エレナの顔がみるみる陰った。
「はは、私なんてどうせ嫌な女だし…ただの勘違いした押しかけ女房…押しかけることすらできなかった悲惨な女ですし…」
「…シオン。お願いだから、あの子も家族だって言ってあげて?」
あまりの不憫さにリシェルが口を挟む。
「それは構わないが…」
「あの子も私の妹みたいなものだから。」
リシェルの姉としての性質がここでも顔を覗かせる。
「あー、エレナ? お前もちゃんと家族だからな? 妹みたいなもんだから。」
「ほんとですか?!」
パッと花が咲くように笑顔を取り戻すエレナ。
「あ…ああ。」
シオンは内心「とんでもないことになったな」と思いつつも、頷いた。
「あんたら私の妹分だからシオンの妹枠に収まっただけだからね? 妹は結婚もできないから! 旦那を共有する気はないからね? それはわかってるわよね?」
「はい! わかりました。リシェルお姉様!」
エレナの変わり身の早さには誰もが目を見張る。初めて会ったときの彼女は、こんな様子ではなかったはずなのに。
そんな彼女を横目に、リシェルは密かに思案を巡らせていた。――このまま拒絶していても埒があかないのなら、いっそ…と。
そんなことも知らず、エレナは満足げに宴の席へと戻っていく。彼女の周囲には、次々とアルバ国の男性貴族たちが集まり、丁重に彼女をもてなしていた。天性の人誑し――いや、男たらしと言うべきか。サイラスはその様子にヤキモキしながら見守るしかなかった。
だがその外交とも呼べる振る舞いが功を奏し、次第に国の重鎮たちも状況を理解し始める。やがて、エルファリアやリシェル、そしてエルメキアの元へと挨拶に訪れる者が現れた。辿々しいながらも確かな会話。互いに探り合いながらも、確実に前進する一歩がそこにはあった。
リシェルとエルファリアは、にこやかに笑みを絶やさず応じる。エルメキアだけは、いつも通りの奔放な振る舞いを崩さない。だがそれもまた、神龍と呼ばれる最上位の存在だからこそ許されるのだろう。
こうして、奇妙でぎこちないながらも、宴は確かに進んでいった。
夜も更け、宴も酣となった頃。
最後の杯が交わされ、賑やかなざわめきもやがて余韻を残して静まっていった。
客人たちはそれぞれに部屋をあてがわれ、明日への休息を取る時間となる。
そのはずだった。
しかし――なぜかエルメキアは、当然のようにシオンたちの部屋へとついて来ていた。
「なんでいるんだ?」
シオンの怪訝な声に、エルメキアは涼しい顔で答える。
「ひとりじゃさみしいでしょ? 家族なんだし、いいよね? ダメかな? リシェル」
「え、ええ、大丈夫です…。」
「リシェルに聞くな! ダメだ。部屋に戻れ」
「えー、なんでよー? 部屋に一人とか暇じゃん、いいじゃん?」
「……はぁ……寝るときには部屋に戻れよ?」
「はーい」
軽く手を振って承諾の意を示すエルメキア。その返事に、シオンは苦々しい表情で頷き、今度はリシェルの方へと向き直った。
「それで、これからどうなるんだ?」
「あー、うん。ちょっとわかんないのよ」
「わからない? なぜ?」
「今の状況ってかなり意味不明なのよね」
リシェルは髪を耳にかけながら小さく息を吐く。
「縁談の特使として彼は来たのだけど、もし話がうまくまとまってこの国で調印が必要だったなら――宗主不在はまずあり得ないの。外交っていうのは国と国との約束事。トップ不在で勝手に決めていいわけがないでしょ?」
「外交? 縁談なんだよな?」
「王族の縁談なんてそんなものよ」
苦笑を浮かべながらも、その目は真剣だった。
「そんな状況でこの国に招かれたっていうのがね。下手したら戦争につながる案件よ? 必要のない調印をでっち上げて、私たちを誘拐したのと変わらないからね。私たちはそこまで望まないから穏便に済ませるつもりだけど……」
「国同士のやりとりとなると確認はしたんだろ?」
「したわ。けれど、特使経由でのやりとりなのよ。もしそこが謀っていたら、私たちには分からない」
リシェルは水の入ったグラスを指先で弄びながら視線を落とす。
「今日の宴でのアルバ側の貴族たちの反応を見ても、かなり怪しいのよねぇ……。もし王子の暴走なら、今頃は貴族会議でも開いているかもしれないわ」
その時。
コツ、コツ、と部屋の扉がノックされた。
控えていたメイドを通じて入室を許可すると、フレイグを伴ったエルファリアが姿を現す。
「夜分遅くにすみません、お姉様」
エルファリアは明らかに様子がおかしかった。視線を定められず、助けを求めるような表情を浮かべている。
「いいわよ。それで、何しに来たの?」
「それは私から話そう」
エルファリアの前に、庇うように出たのはフレイグだった。その仕草にリシェルの眉がわずかに寄る。
「今は妹と話しております」
「エルファリアは今朝の一件でだいぶ心を弱らせていてね。こちらの意図がうまく伝わるか心配なんだよ」
「エルファリア、話して」
「……あの……」
小さな声を出しかけた瞬間、フレイグが鋭く目を細め、エルファリアを射すくめる。
怯んだように彼女は肩を震わせ、そして――
「……フレイグ様から伺ってください……。私の軽挙でこれ以上ご迷惑はかけれません」
唇を噛みしめながらそう告げると、視線を逸らして俯いてしまった。
その姿に、リシェルの眼光が鋭く光る。
(こいつ……エルファリアに何をした)
「エルファリアもこう言ってくれていますし、私からお話しさせていただいても?」
柔和な笑みを浮かべるフレイグ。
「……そうなの?」
「……はい……」
「わかった。それでご用というのは?」
「はい。先日お話した、エルシェリア様に確認していただきたいものです」
「縁談の際に必要な公式文書へのサイン、というものだったかしら?」
「はい。この場で少し詳しく話をさせていただいても?」
「ええ、お願いできるなら助かるわ」
「はは、本来ならダメなんですがね。宗主不在でのやりとりでご不安を抱かせているのは確かでしょう。この場で説明させていただきます」
フレイグは余裕を感じさせる笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「まず、エルシェリア様にご確認いただきたいのは、わが国の建国憲章です。この中には他国に明かせない取り決めや盟約が記されております。当家の姫となるなら、これを受け入れていただく必要があります」
「わかったわ。それをエルファリアと一緒に見ればいいのかしら?」
「いえ、今回はエルシェリア様お一人で構いません」
「私だけ?」
「はい。まずはご確認いただき、ご納得いただければサインを。その後でエルファリアに見せる形になります」
「私が納得できなければ?」
「残念ながら今回の縁談はそこで終了です。そして――エルシェリア様には他言無用の魔法契約をしていただくことになります」
「……重いわね」
「申し訳ございません。ですが、全て事前にお伝えしていることを、我々の誠意と受け取っていただければ」
「わかったわ。エルファリアと話す時間は取ってもらえるのかしら?」
「もちろんです。それでご不安が払拭されるなら。お気持ちが固まりましたら外のメイドにお伝えください。当家の最重要文書ですので、案内役を差し向けます」
フレイグはそう告げ、退出のために扉へ向かう。その間際、彼はエルファリアの手を取り――
「不安なのは分かります。ですが私の持つあなたへの愛は本物です。この縁談があなたと紡ぐ未来への第一歩となるよう願っております」恭しく口づけを落とす。
一瞬、彼女の瞳が見開かれた。
次の瞬間――まるで霧が晴れるように、曇りのない笑顔が浮かぶ。
さっきまで怯えに揺れていた瞳が、熱を帯びた光を宿す。
頬は赤らみ、口付けられた手を両手で抱きしめるように見つめていた。
姉妹だからこそ分かってしまう。今のエルファリアは心を持っていかれた。
「エルファリア、あなたはどうしたいの?」
エルファリアは先程の怯えた姿とは違い恍惚と手を眺めている。
「どうしたい? ですか?」
心ここにあらずと言った感じでオウム返しに応える。
リシェルはそこまで思考が停止するものかとため息をつきたくなるがぐっと堪えた聞き方をかえた。
「ええ、縁談を前に進めていいの? 結婚するの?」
「ええ!もちろん!!とても素晴らしい方ですわ」
問いかけに、さっきまで迷いに満ちていた彼女が、迷いなく答える。
「わかった。ならそう伝えてきなさい」
「わかりました」
嬉しそうに微笑むエルファリアは、軽やかな足取りで扉の外へと消えていった。
「まったく……うれしいのはわかるけど、骨抜きにされすぎよ」
「そうだな。まぁ、幸せそうでいいんじゃないか?」
「確かにそうだけど、あんな感じだと不安になるわ」
「はは、確かにな」
笑い合う二人のところへ――ガチャリ、と扉が再び開く音が響く。
入ってきたのは鎧をまとった屈強な男。背筋を伸ばし、威厳を纏ったその姿が部屋を圧した。
「案内役を任されました、近衛騎士団隊長グロマーズと申します」
「はい。よろしくお願いします」
「それではこちらへ」
グロマーズが恭しく扉を押し開け、エスコートの所作を見せる。
それに従い、リシェルはシオンとともに席を立った。
「申し訳ございません。国家の重要な機密となりますので、旦那様にはお部屋でお待ちいただけますでしょうか。エルシェリア様の安全は我々が責任をもってお守りいたします」
「……だって。『いやよ』って言いたいところだけど仕方ないわね。ごめん、シオン。少し待ってて……」
「わかった」
シオンは言葉を飲み込む。――「何かあれはわすぐに知らせろ」など、不適切すぎて口にできなかった。
「じゃ、行ってくるわ!」
そう言い残し、リシェルはグロマーズの後に続いた。
いつも読んでくれて本当にありがとうございます。




