後日談3-10
アルカニア連合国。
広大なグランドリア大陸の南に、その国は存在していた。大地に根を張る大陸の国々とは異なり、この国は大小さまざまな群島が、宗主国を中心に海を盟約として結びついた独立国家である。
潮の香りと波の音が国を包み、陸の国にはない独特の空気がそこにはあった。
シオン一行は船に揺られて六日目、ようやくこの地へとたどり着いた。途中いくつもの島に立ち寄り、安全を確認し補給を行いながらの旅だったため、時間はかかったが、その分無事に到着できる安心感も大きかった。
桟橋へと降りてくる面々の様子は実にさまざまだった。興奮で瞳を輝かせ、異国の景色に声を弾ませる者。疲れ切った表情で肩を落とす者。顔を青ざめさせ、今にも倒れそうな者。恐怖に怯え、身体を小刻みに震わせる者。あるいは、楽しげに笑う者。それぞれの心情が色濃く表に出ていた。
原因は一つ。寄港地で雇い入れた劇団の公演である。彼らが披露した演目は、一行それぞれの心に深く突き刺さり、時に感動を、時に恐怖を与えた。人によっては胸に宝物を抱えたように余韻を楽しみ、人によっては悪夢を見せられたように顔色を失った。
エルファリアにとって、それは心震えるほどに素晴らしい物語だった。何度も「もう一度」と公演をせがみ、繰り返し見入った。自身の姉たちが回を重ねるごとに顔を曇らせていく様子など、彼女の目には映らなかった。
リシェルの心境は複雑だった。無邪気に「素敵だ」と繰り返す妹の姿は愛おしい。しかし題材は紛れもなく自分自身の過去である。恥ずかしさもあれば、英雄シオンの姿を知ってもらえる喜びもあった。自分の話だと打ち明けることもできず、羞恥と不安と誇りがない交ぜになった感情が胸をかき乱していた。
それでも思い返す。かつて初めてこの演目が公開されたとき、自分もまた妹と同じように何度も足を運び、シオンと共に「素敵」と笑い合っていたのだ。
やはり自分と妹の感性は似ている。血のつながりを改めて強く感じていた。
「エルシェリア殿。船の旅は楽しんで頂けたかな?」
声をかけてきたのはアルカニア連合国の王子、フレイグだった。まずはエルファリアに挨拶をし、その後でリシェルへと歩み寄る。
順序を誤らない点は評価できる。だが、その瞳に宿る下卑た色をリシェルは敏感に感じ取っていた。
「ええ、おかげさまで快適でした。ご配慮いただきうれしく存じます。」
形式ばった言葉で返し、微笑みを作るリシェル。
「それは何よりだ。皆様の歓迎を込めて、今宵は我が王宮で最高の贅を凝らした宴を催しましょう。」
そう言いながら、自然を装いリシェルの肩に手を置いた。エルファリアではなく、姉へ。
公衆の面前、一国の王子の振る舞い。無下に叩き払うことはできない。リシェルの胸の奥で瞬間的に沸き上がった殺気を、必死に押し留めた。
「フレイグ様、こういったことは妹のエルファリアにのみしてくださいまし?」
婉曲に、しかし確かに「触れるな」と伝える。だが――
「妊娠されている女性を気遣うべきかと思いまして。大切なエルファリアのお姉様なら尚のこと。」
(このクソ野郎……いけしゃあしゃあと)リシェルは心中で毒づいた。冒険者となる前なら「そういうもの」と納得したかもしれない。だが今は違う。
「旦那も帯同しておりますので、いらぬ気遣いは無用に願います。」
はっきりと告げると、ようやくフレイグの手が肩から離れた。
「フレイグ様ありがとうございます。身重な姉を気遣っていただいて。私、そのお優しさに感激いたしました。」
エルファリアは純粋な笑顔で頭を下げる。
その様子を見ながら、リシェルの胸にふと疑念がよぎる。もし自分が冒険者にならず、シオンとも出会わなければ――今の妹と同じ反応をしたのではないか?と。自分が王城に残り続けた姿。それが今目の前にいるエルファリアなのかもしれない。重なる姿にため息を落とした。
「いえいえ、エルファリア。男として当たり前のことをしたにすぎない。下民の男では、このような些細なことには気づかないだろうからね。」
(イラッ)
ナチュラルにシオンを侮辱するフレイグ。そのたびにリシェルは心をざわつかせる。しかし当の本人は表情ひとつ変えず、無言で従っていた。あまりに気に留めない様子に、リシェルは思わず小さく呟いた。
「ごめん…」
「気にしてないから、気にするな。」
あっさりと返す声。航海中もそうだった。シオンは繰り返し侮辱を受けても、ただ流すように受け止めていた。すると次第に、エルファリアをはじめ従者たちの態度も悪くなっていった。扱いはぞんざいになり、言葉は刺々しくなる。見かねたリシェルが注意すれば、はっきりと不満を口にするほどに。
リシェルの我慢の限界はとっくに超えていた。だが暴走しないのは、シオンがそれを望まないから。夜ごと交わす言葉の中で、彼は「妹を一番に考えればいい」と告げていたのだ。
「お兄様も少しはフレイグ様を見習ってお姉様の身を案じてください!」
エルファリアは強い口調でシオンを責める。声は次第に熱を帯びていった。
「なぜタラップの前を歩くのです!お姉様の隣にきて手を差し伸べるのが殿方のあり様ではございませんか?階を登る時は姉上の後ろを歩き、階を下る時は姉上の前に出る。何がなさりたいのです!もう少し貴族としてのあり様を学ばれるべきではございませんか?」
「ああ、すまない。これは冒険者としてのやり方だ。足りぬことは自覚している。下民には下民のルールがある。フレイグ殿との差は如実だろうが今はこれで満足してくれ。」
「なっ!向上心というものがないのですか!姉にふさわしい旦那であろうとは思わないのですか!!」
口調はどんどんと激しくなる。その様子を、フレイグは薄ら笑いを浮かべ眺めていた。
「悪いな。言い訳するつもりはないが貴族社会のあり様というのにうとくてな。」
「何をおっしゃてるのです!!そんなだから…えっ…???」
興奮したエルファリアがシオンに詰め寄ろうとタラップを引き返した瞬間、足を踏み外した。
一瞬の浮遊感。差し伸べられたシオンの手も掴めず、そのまま海へと吸い込まれていく。
周囲から悲痛な叫びが上がる。
「エルファリア!!!」
リシェルの叫びが響いた。
(お姉様?)
冷たい海が全身を打ち据える。重く絡みつくドレスが身体を海底へと引きずり込む。赤い目を光らせ魔物たちが迫る。
海に落ちることはすなわち死。
生きたまま食い散らかされ、骨だけを残す惨たらしい最期。王族であろうと下民であろうと関係はない。
(海に…落ちた?え?死ぬの?)
すると魔物の一匹が迫る――
ドボンと響くような水音と共に黒髪の影が飛び込んできた。泡をまとい、真っ直ぐに自分へと泳ぎ寄る姿。シオンだった。抱きとめられ、ドレスを切り裂かれ、動きやすくしてくれる。
魔物は一度驚いて退いたが、すぐに群れをなして再び迫ってきた。
(助けに…来てくれた?この海に?なぜ?あれほど叱責したのに…。私はなぜ叱責を?この方はそれほどのことをしただろうか?)
エルファリアの心に不思議な余裕が湧いた。状況は絶望的で刻一刻と死の瞬間が近づいているというのに。
絶望が迫る中、シオンは微笑み、エルファリアの頭を撫でた。そして、片腕をお尻に回し――
(なっ!何をなさるのです!!この状況でお尻に触れるなんて!!)
羞恥と怒りが混じった瞬間、エルファリアの身体は強烈な力で水面へと弾き飛ばされた。お尻を押して海面へと押し上げてくれたのだ。
(助かったと思った瞬間、シオンの悲惨な未来が目に浮かび後悔した。)
豪快な水音と共に、風のクッションが彼女を受け止める。リシェルの魔法だった。むせ返りながら水を吐く妹の背を、姉は優しく撫でた。
「げほげほ、お、おでぇざま…。ゔぇ、おにいざまが…わだじのぜい…」
「シオンなら大丈夫よ。あなたが無事でよかったわ」
「でも、うびに…だいりょうのまぼの……げっほげほげほ…だずげないど…」
エルファリアは這い寄り岸壁と船の間の水面をみる。のぞき込んだ瞬間、赤い血と肉片が浮かぶ水面に悲鳴を上げた。
その直後、海面が盛り上がり黒髪の青年が飛び出してくる。無傷のままの姿に、リシェルは落ち着いて風の魔法で受け止めた。
「リシェル、ありがとう。妹は無事だったか?」
「うん。ありがと。あなたが素早く飛び込んでくれたおかげで無傷よ。」
「それなら、よかった。」
「一応魔石拾っとく?だいぶやったんでしょ?」
「ここで活動する気はないし任せるよ。」
「わかった。なら、回収しておくわ。」
リシェルの魔法が海を巻き上げ、魔石を含んだ死骸を陸へと打ち上げる。「んー、微妙ね。あ、これは良いかも。」と次々に魔石を抜き取る。クリスも参加し、赤い鱗を持つ魔物を見つけた。
「お姉様、これは?なんだかすごい気がするのですが?」
「おおー!ホントすごいわ!クリス、ナイス!まさかそんな大物までやっちゃってたなんてラッキーね。」
ソフトボール大の魔石を抜き取り、フレイグへと差し出す。
「はいこれ。貴方の国で採れた魔石だから。」
呆然と魔石を受け取るフレイグ。その視線はシオンへと向かう。あの一瞬でいくつの魔物を屠ったのかと。
「ほら、エルファリア。立ちなさい。行くわよ?」
「え?あ…お姉様待ってください。あの足が…」
「どうした?動かないのか?」
横で話を聞いていたシオンがエルファリアに声をかける。
「あっ、は、はい…」
照れたように返事をし俯くエルファリア。
リシェルは即座に察した。あの表情は危険だ。妹の興味の対象がフレイグからシオンへと移り始めている。
血を分けた姉だからこそ、はっきりとわかる。
「サイラス!エルファリアをおぶってあげて。」
即座にサイラスへ指示を出し、妹を任せた。放っておけばシオンが背負ってしまう可能性があったからだ。
やはり妹にシオンを近づけてはダメだ。リシェルはその事を再認識するのであった。
そんな中その光景を、エルメキアは楽しそうに眺めていた。
いつもありがとうございます。




