後日談3-5
「失礼します。シオン様、ご帰還なされました」
その知らせが届いたのは、シオンが海神の試練を受けるため旅立ってからわずか3日後のことだった。
先日、シオンと謁見した部屋とは違い、今は王と王妃、そしてエルシェリアの3人が、王城の一室で婚礼の相談をしていた。華やかな装飾に囲まれたその部屋は、幸せな未来を語る場のはずだった。
「ほぉー!もう帰ってきたか!最速ではないかぁ?ふははは!最近の男は軟弱だなぁ。そんなヤツにエルシェリアを託すなんてできるわけがないなぁ!」
王は心底楽しそうに声を上げて笑った。彼の頭の中では、シオンが試練に失敗し、尻尾を巻いて逃げ帰ってきた情けない姿が描かれていた。この結婚話が流れるかもしれないという事実に、満面の笑みを浮かべている。
「お父様!シオンのことですから、きっと任務を果たして帰ってきただけですわ!」
エルシェリアは、父の言葉に反論した。しかし、彼女の声にはかすかな不安が混じっていた。
「ほぉ、3日ぞ?3日。お前も距離はわかっておろう?向こうでの滞在は半日もないということだぞ?そんな生ぬるい試練でないことは、お前だって知っておろう?」
王の言葉が、エルシェリアの胸をチクリと刺す。確かに、試練の地への道のりは長く、3日で帰還するのは異例中の異例だった。
「うぐぐぐ……きっと、大丈夫です!シオンなら、必ずやり遂げてくれてます!」
言葉を絞り出すようにそう言うのが精いっぱいだった。
「エルシェリア、あなたが信じたい気持ちも分かるけれど、さすがにこれだけ早いと、ねぇ?」
隣に座っていた王妃が、そっとエルシェリアの背を撫でながら、静かに言葉を添える。その言葉が、王の気分をさらに高揚させた。
「色々準備を進めておるようじゃが、この式が無駄にならなきゃいいけどなぁ。ふははは!」
王の高笑いが部屋に響く。その時、控えめなノックの音が扉から聞こえた。
「失礼いたします。シオン様、他一名をお連れいたしました。入室よろしいでしょうか?」
「ふふ、さぁ、どんな言い訳をするのか。エルシェリア、そなたの旦那になる男が、どんな男かしかと見定めい!」
王は面白そうに口角を上げた。
「お父様っ!」
エルシェリアの叱責する声が響く。
「入室を許可する」
王の重々しい声が響き、扉がゆっくりと開いた。いつもの見慣れた冒険者装束に身を包んだシオンが、部屋に顔を出す。一見しただけで分かるほど、彼は身綺麗で、疲れの色も見えない。その姿に、エルシェリアは心の底から安堵し、小さな息を漏らした。
「ただいま戻りました。お義父様、お義母様」
部屋に入ってくるなり、シオンはにやりと笑い平然とそう言い放った。その顔を見ただけで、エルシェリアの不安はすっと消えていった。
「貴様にお義父様と呼ばれる筋合いはないわーーー!!試練は!試練はどうなったぁーーー!」
王は勢いよく立ち上がり、シオンを指さして怒鳴った。
「ちゃんと、認めていただきました」
シオンは淡々と答える。
「ほぉ?ならば証拠は?」
「証拠?」
シオンは怪訝な顔で首を傾げた。
「なんと浅ましい!証拠も持たずになにが認められただ!海神様の試練が、たかが半日で済むわけがなかろう!嘘ばかりつきおって!」
王の言葉に、シオンの眉間にわずかにシワが寄る。少々カチンと来たが、確かに証拠になるようなものは持っていない。ぐっと言葉を飲み込み、仕方なく後ろに控えていたエルメキアに視線を送った。
「おい、証拠ってなんだ?認めた証とかあんのか?」
「あっ!ごめん!あまりのことに僕も渡すの忘れてたよ。えっと、ちょっと待って」
エルメキアがそう言うと、彼女の姿がわずかに揺らぐ。その光景に、近くに立っていた衛兵が驚きの声を上げ、硬質な何かが砕ける音がパキリと響いた。
「はい、これ。僕の鱗。それが証拠だけど、僕がここにいるのに必要なのかな?」
そう言って差し出されたのは、白銀に輝く、まるで宝石のような美しい鱗だった。
「あー、悪い。見せろって言われたし、一応もらっとく」
「うん。あ、後でちゃんと紹介してよ?」
「おうおう」
2人のやり取りはあまりにも自然で、場の緊張感とはかけ離れていた。その様子に、エルシェリアこと、リシェルが怖いほどの笑みを浮かべている。
「ちょっとシオン、何してるのかなぁ?」
その声に、シオンは背筋が凍るような悪寒を覚えた。
「少し待ってくれ、ちゃんと話すから。あと、お義父様にこれを」
シオンは、エルメキアから受け取った白銀の鱗を、王に向かってひょいと投げた。王はとっさに手を伸ばし、見事にキャッチする。その感触は、ただの鱗ではないことを物語っていた。
「は?これは?は???」
王は信じられないといった顔で、掌の鱗をまじまじと見つめる。
「神龍エルメキアの鱗ですよ。それでいいんでしょ?」
シオンは事もなげにそう言った。
「え?これをどこから?え?」
「あー、もう。エルメキア、頼む」
シオンがすっと部屋の奥に進み、その後ろから人化したエルメキアが続く。
「やぁ!久しぶりだね!エルドラ!」
エルメキアは王に向かって、まるで旧友に再会したかのように気さくに声をかけた。
「は?久しぶり?エルメキア?え?」
王は混乱を隠せない。
「君とは結構会ってるはずだけどなぁ。えーっと、シェリファ、久しぶり。そっちのシェリファの若い頃にそっくりなのがエルシェリアかな?大きくなったねぇ」
エルメキアは王妃にも挨拶をし、そしてエルシェリアに優しい眼差しを向けた。ポカンとエルメキアを見つめる王族一同。彼らは今、目の前の女性が何を言っているのか理解できなかった。
「えーと、僕、エルメキアね?わかる?海神とか言われてたけど」
その言葉で、一同の顔色が変わる。
「え?!ははぁーーー!」
王が咄嗟に頭を下げると、それに倣って王妃とエルシェリアも深々と頭を垂れた。にわかには信じがたいが、もしも嘘だったとしても、竜神を名乗る者を軽んじるわけにはいかなかった。その時、エルメキアの腰のあたりから、純白の鱗を携えた尻尾がふわりと生えた。その光景に、一同はただ呆然と見つめるしかなかった。
「えーと、鱗が証になるけど、ちゃんと伝えておくね。僕は彼を認めたよ。彼が僕の封印紋を壊してくれたんだ。晴れて僕は外に出れることになったから、少し旅に出ます。エルメルスやアマルとも話はついてる。この国を守る約束はこれからも守るけど、僕は別の地に移るからね?分体は置いてあるから、これまで通り子供が生まれたら連れてきてね。よし!これで満足。ありがとね、シオン」
そう言い終えると、エルメキアはシオンとリシェルの横にちょこんと座った。
「みんな顔上げてよ。そんなだと話しづらいじゃん」
エルメキアの言葉に、各々がゆっくりと顔を上げる。海神を名乗る存在が、まさかこんなにもフランクだとは誰も想像していなかった。言いたいことは山ほどあるけれど、何をどう口にしていいかわからない。そんな空気が部屋を満たし、重い沈黙が流れる。
「えーっと、シオン。どうにかなんない?」
エルメキアは困ったようにシオンに視線を送った。
「え?俺?いや、俺、ここで一番場違いな人間だぞ?」
「そんなの知らないよ。僕が今頼れそうなのは、君だけだからさぁ」
その言葉に、シオンは絶望的な気持ちになる。
エルメキアさん、それやめて!リシェルからものすごく睨まれてるから!目が!マジで怖いから!
「えーと、なわけで、竜神の試練には合格できたので、エルシェリアと結婚は認めてもらえますかね?」
シオンが恐る恐る口にすると、王や王妃が答える前に、エルメキアがポンと手を打った。
「あ!そっか!その話だよ!その話!」
「なにが?」
シオンが尋ねると、エルメキアは満面の笑みで答えた。
「結婚だよ!よし!」
エルメキアはそう呟くと、目を閉じて両手を組んだ。すると、彼女の体から光の柱が立ち昇り、それは優しくシオンとリシェルを包み込んだ。やがて光は収束し、リシェルの腹へと吸い込まれていく。
「これは……」
「エルシェリア、よかったわね」
意図を察した王妃は慈愛に満ちた目で娘を見つめる。
「え?なにが起きたのですか?」
エルシェリアは状況が飲み込めない。
「うわぁー、マジかぁ。僕もこんなこと初めてだよー」
エルメキアは驚いたように呟く。シオンも何が起きたのか全く分からず、エルメキアに視線を送る。おい、一体何が起きたんだ?俺にもわかるように説明してくれ。と
「2人の婚姻に僕が加護を与えました。ついでにシオンに僕の龍紋を送ったら弾かれて、お腹の子にとられちゃった。初めてだよこんなこと。えーと、僕はどうやらその子の番になるみたい。よろしくね、お義父さん、お義母さん」
エルメキアはあっけらかんと答えた。
「「はぁーーーーーー?!」」
シオンとリシェルの声が、部屋中に響き渡る。
「エルメキア様、どういうことですか!」
「龍紋ってなんだよ!」
シオンは信じられない気持ちで怒鳴った。
「えーと…その…君たちに加護を与えたのはその通りで、その…僕もさ、ほら、封印からシオンが解き放ってくれてね。なんかその、いいなーって。だからここに来るまでに何度も龍紋送ってたんだけど、全部弾かれちゃって…」
エルメキアはバツが悪そうに視線を泳がせる。
「ちょっと待て!聞いてないぞ!つか、龍紋ってなんだよ?」
「あ、それは僕の操を立てる証。僕の伴侶になる証だね。受け入れてくれれば成立するんだけどね…」
「はぁ????え?俺、弾いてたの?つか、送ってきてたの?」
シオンは愕然とする。
「あ、うん。エルメルスとアマルのようにいけるかなぁーって」
「押しかけ女房過ぎて怖いわ!で、それが腹の中ってことは、俺たちの子に?」
「うん。君が弾いたのを、すかさず取り込まれた。普通ないんだけどね。君たちの子は、すごいことになるよ」
「すごいことになるよじゃない!!」
シオンの手刀が、ずぶりとエルメキアの顔に沈んだ。
「うぎゃーーーー!君!今、亡晨込めたでしょ!バチクソ痛いんだけど!」
顔を両手で覆い、転げ回るエルメキアを、王族一同はただ呆然と見守っていた。
「まったく、冗談が通じないんだから」
「冗談で嫁が増えてたまるか。俺はリシェルだけで良いんだ」
「リシェル?」
エルメキアが首を傾げる。シオンは慌てて口を塞ぐが、時すでに遅しだった。
「あ、大丈夫。少し記憶読むから」
エルメキアはそう言うと、そっとリシェルの頭に手を置いた。
「え?うそ…」
エルメキアの顔が、みるみるうちに赤くなる。
「ええ?!マジで?!え?リシェルちゃん…いいの、それで?!」
その言葉に、リシェルの顔も真っ赤になる。
「シオン。これもしかして…」
リシェルがエルメキアを指さし顔を青くする、それと反比例するようにエルメキアの顔がニヤニヤと赤らむ。
「ひゃーーーー!すごいね君たち!人の営みというのはこうまで…」
「おい、黙れ」
シオンは両の拳でエルメキアの側頭部を挟み、グリグリと締め上げる。もちろん拳には亡晨を弱めたものが薄っすらと…。
「あがががが!やめ…あー!いたい!いたい!いたいよ!シオン!ギブギブ!ごめん!許して!」
「二度とすんなよ?」
「わかったよ!」
その光景を見ていた王が、激昂した。
「きさまぁーーーーーー!うちの娘になぁーーーにをしたぁーーーーー!」
王は近くにあった飾り剣を抜き、シオンに切りかかってきた。
「ほら!こうなるだろうが!」
シオンが盾で攻撃を防ごうとした、その瞬間だった。王妃様の華麗な蹴りが、王の頭をぶち抜いた。
「あなた、少し大人しくしててください」
王妃は優雅な所作で、物理的に王を黙らせていた。
「あはは、シェリファは昔から凄いね。うんうん、いい夫婦だ。えーと、リシェル?君に一つだけアドバイス」
いつの間にか真面目な顔に戻ったエルメキアが、リシェルに語りかける。その声は、まるで聖母のように優しく、慈しみに満ちていた。
「君の今のその気持ちは本物だよ。仮初やうそなんかしゃない。君が感じて、君たちが育んだ、嘘偽りのない愛の形だよ。君の愛も大概すごいけど、君の旦那になる人の愛も、びっくりするレベルだ。神龍の愛を振り払うくらい、君を想ってる。だから、自信を持って幸せになりなさい。他の誰も、君すらも認められなくなっても、僕だけは君たちの愛の確かさを認めてあげる」
その言葉は、まるでリシェルの心を優しく抱きしめるようだった。
「うぅ…ぐぅ…ふぁい…。ありがとうございます」
顔を隠しながら、リシェルは涙に震えていた。
「これはもう、認めるしかありませんね。あなた?」
王妃が王を優しく見つめながら言った。王は、頭を抑えながらも、ぐぬぬ…と唸っている。
「ぬぬぬぬぬぬぬぬ、貴様!!きーさーまぁーーーー!はぁはぁはぁ…ふぅ……うぐぐ…ワシが悪かった。すまない。娘を幸せにしてやってくれ…」
王がようやく、重々しい声でそう口にした。
「はい!わかりました、お義父さん!」
シオンは満面の笑みで答えた。
「ぬあーー!まだお義父さんと呼ぶことを許してはいないわっ!」
王の叫びが、部屋に響き渡る。だが、その声には、もう怒りではなく、どこか諦めと安堵が混じっているようだった。
いつも読んでくださりありがとうございます。




