後日談3-4
プライベートな謁見を終えたのち、リシェルを王城に残し、シオンはただ一人『海神の試練』へと向かった。
ルーメン国の船で離島まで送り届けられる。昨日の昼前に出航したというのに、海上で一夜を明かし、到着したのは翌日――想像以上に遠い道のりだった。
目の前に現れた島は、それほど大きな規模ではなさそうに見える。まだ全容を確かめたわけではないが、遠目に眺めるかぎりは、海上にこんもりと盛り上がったひとつの丘のような島影にすぎなかった。
島は丸みを帯びたドーム状をしており、その裾からまっすぐ突き出すように長い波止場が伸びている。船はそこに静かに接岸した。
どうやら、このドーム状の島の内部にこそ海神が祀られているらしい。
波止場を進み島へ足を踏み入れると、大きな門がそびえ立ち、その脇には守兵と兵の待機所が設けられていた。
シオンをここまで案内してきた兵が門番へ言葉を交わすと、こちらを振り返り手招きをする。
「シオン殿。この先に進めば海神様がおられます。そこで試練をお受けください。命を落とすような危険はございませんので、どうかご安心を。それでは……ご武運を」
「ああ、感謝する」
短く礼を告げ、シオンは門の奥へと足を踏み入れた。
背後で、扉が重々しく閉じられる音が響く。
内部は思いのほか明るかった。天然のヒカリゴケが壁一面に散らばるように群生し、淡い光で洞窟を照らしているのだ。人工的な装飾は一切なく、ただ暗がりに伸びる自然の通路を歩いていく。
やがて開けた広間へと出た。そこは異様なまでに広く、地面には淡く脈動するように光を帯びた紋章が刻まれている。それ自体がひとつの光源となり、場全体を神秘的な空気で包み込んでいた。
「お? 久しぶりのお客さんだね。試練を受けに来たのかな?」
広間の中央――そこには一体の龍が悠然と鎮座していた。だが、その巨体から放たれる声は、想像していた威圧感とは裏腹に、驚くほど気さくで軽やかだった。
「よろしく頼む」
シオンが近くへ歩み寄ると、龍はゆっくりと顔を上げ、じっとその瞳で見据えながら語り出した。
「なるほど、試練を受けに来たということは……貴族の位を持たぬ身でありながら、王族との婚姻を望んだ、ということかな?」
「ああ、そのとおりだ。俺は――エルシェリアという姫と結婚した」
「エルシェリア、エルシェリア……ああ、あの娘か。出奔したと聞いていたけれど……そういうことだったのか。君もなかなか苦労しているんだねぇ」
「知っているのか?」
「ああ。王族の子は生まれるとすぐに、必ず僕のもとへ連れて来られるからね。それに、外で兵士たちが話す声くらいは聞こえる。その子が城を出奔したことくらいは知っているさ」
「なるほど。――それで、試練というのは具体的に何をすればいい?」
「なんでも構わないよ。僕が君を“認める”と感じれば、それで試練は終了だ。得意なことで挑んでくれればいい」
「得意なこと、か……」
シオンは腕を組み、しばし難しい顔をして考え込む。
「どうした?自信のあるものが無いのかい?」
「いや……ここに来て思ったんだが、アンタを討伐するのは違うなと思ってさ」
「ほう?随分な自信だね。人間の君が、この僕を?」
龍の気配がふっと冷ややかなものに変わる。
「まあ、戦って勝てるとは思っていないけどな」
「なんだそれは。君は本当に不思議なことを言うね」
「一つ、聞かせてくれ。なぜ、アンタはここにいる?」
「どういう意味かな?」
「足元に刻まれているこれは……封印紋だろう?」
「……驚いたな。これが分かるのかい?かなり古い術式のはずだけど…」
「ああ。つい先日、“真祖のヴァンパイアロード”のところで見たんだ。名前は……グラディスだったか、グラディウスだったか」
「えっ?グラディスが封印紋の中にいると? どういうことだい?人魔戦争を人間側の勝利に導いた英雄の一人じゃないか!」
「ああ、戦争が終わった後に封印されたらしい。俺が会った時は、“人間を滅ぼしてやる”なんて言っていた。相当、危ない奴だったな」
「信じられない……あの子が、そこまで変わってしまうなんて……」
「まあ、そこで見た紋と同じだから、アンタも無理やり封じられたのかと思ったんだ」
「違うよ。僕は自らここに居るんだ。――伴侶である初代国王エルメルスとの約束だから」
「伴侶? ということは、アンタ……雌なのか?」
「僕らにオス・メスの区別はないよ。どちらにでもなれる。ただ、子を成すことはできないけどね。だからエルメルスは“アマル”という人間を伴侶に迎えたんだ」
龍は、懐かしむように遠い昔を語る。その声音は柔らかく、かつての幸福をいまも胸に抱いているかのようだった。
「じゃあつまり、アマルという妻と……アンタ、“龍神”を同時に伴侶にしていた、ということか」
「龍神?ああ、うん。僕のことはエルメキアと呼んでくれればいいよ。エルメルスが僕に贈ってくれた大切な名前なんだ。で、君の言う通り、彼は二人の伴侶を持っていた」
「……嫌じゃなかったのか?」
「嫌、という感覚はなかったな。王として必要なことでもあったし、アマルもとても良い子だった。それに二人の子供も可愛かったしね」
「……そうか」
「けれど、ほどなくして二人は死んでしまった。人の寿命は短いからね……。最期の時に彼は僕に、この国と子孫を守ってくれと託して逝ったんだ」
「なるほど……“国が襲われると龍が現れる”っていう噂は、本当だったんだな」
「うん。あれは僕の魔法さ」
エルメキアは小さく笑い、続ける。
「だけど二人が亡くなったあと、宰相にこう言われた。――僕を抑える存在がいなくなったせいで、民が恐れている、って。あの時の彼の申し訳なさそうな顔は、今も忘れられない」
「……だから自ら、ここに封じられる道を選んだってのか?」
「そういうことだよ。怖いと言われれば、僕にできることは一つしかない。――眠って過ごせばいい。王家の子孫を見せに来てくれたし、それなりに幸せでもあったからね」
その表情は柔らかくも、どこか自分を納得させるような陰を帯びていた。
「……すまんが、俺にはその気持ちは理解できない。アンタは、本当にここから出たくないのか?」
「はは、正直だね。……そうだな。久しぶりに陽の光を浴びてみたい気はする。ここに居ると鱗がすぐにくすんでしまうんだ」
「ふむ。じゃあ俺の試練は、“アンタに光を浴びせる”。それでいいか?」
「面白いねぇー、できるものならやってごらん?僕に陽光を届けるには、この結界そのものを破壊するしかないけどね?」
「ほぉ。確認だが暴れたり復讐したり、ルーメン国への加護が失われたりはしないよな?」
龍は大きく笑う。
「あはは!僕がそんなことをするわけないだろう。ここに居なくても国は守れるさ。ただ、“怖いからここに居てくれ”と頼まれただけだからね」
「……やっぱり、不憫に思える」
「そうかい?僕は幸せなんだけどな。……多分」
(龍ってやつの価値観は、本当に分からないな。純愛なのか、それとも……ただの従順さか? なんでこんな場所で幸せだなんて言えるんだ?)
「うし。やっぱ俺の試練は、“お前に陽の光を浴びさせる”これに決めた!――この天井を破ればいいだろう? 崩れ落ちても平気か?」
「大丈夫だけど……本当にやるつもり? この結界は僕が全力で暴れても壊れないほど頑丈なんだよ?」
「おう!なら、契約成立ってことで」
シオンはニッと笑い、呟いた。
「――亡晨」
シオンの両手に、夜空そのものを凝縮したような剣が現れる。星々を呑み込み、光と闇がせめぎ合う刃。長大で鋭いその剣が、淡く明滅しながら形を成していく。
「な……!? 君、それ、なに?! そういえば狂ったグラディスはどうしたの?彼、神の寵愛を受けてるから死なないはず…まさか君……」
エルメキアの言葉を無視し、シオンは全身に強化を施すと跳躍した。
地面が爆ぜ、瞬く間に天井近くまで舞い上がったシオンが、両の剣を振り抜く。
パリン、と小気味よい音が響き、天井に亀裂が走る。そこから眩い日差しが差し込み、洞窟内へと降り注いだ。
「う、わっ……! 穴……開いた……」
シオンは再び跳躍し、天井を突き抜けて外へと飛び出す。
連続して轟音が響き、地面に刻まれた紋も薄らいでいった。天井にはやがて光の輪が生まれ、それが完全に結実すると――。
轟音と共に、大量の土砂が一気に崩れ落ちた。
エルメキアの巨体はその大半が土砂に埋もれ、かろうじて顔だけが覗いていた。
「おい、大丈夫か!?」
陽光を背に着地したシオンが、手を差し伸べる。
その手がエルメキアの中でエルメルスに置き換わったように感じられた。
(あ、早く彼の手を掴まないと…)
咄嗟にそう思った。その瞬間エルメキアの身体を光が包み、人の姿へと変わっていく。巨大な体積が失われた分、さらに土砂が崩れ落ち――驚いたシオンは近くにあった彼女の腕を掴んで跳び上がった。
お姫様抱っこと呼ぶには程遠く、ぶら下げるような格好だったが――ふと見上げるエルメキア。逆光の中で彼の面影はエルメルスと重なっていた。
「……エルメルス?」
「ん? 何を言ってるんだ? って、ひ、人?! え?人間?!」
空中でシオンは慌てふためき、自分が何を掴んでいるのか理解していなかったらしい。その言葉でエルメキアも我に返った。
「ぷっ……あはは! いいね。君の勝ちだよ、シオン。僕は君を認める。……にしても、人化しちゃうとはね。それも女性の姿とは」
エルメキアは再び光に包まれ、龍の姿へと戻る。苔むし、黒ずんでいた鱗は、陽光を浴びると殻のように剥がれ落ち、美しい白銀の鱗が露わになった。
「うっわ!気持ちいいー! シオン、ありがとう!」
龍の背に乗せられる形となったシオンは、その神々しい姿にただ呆然と見入っていた。
「……神龍」
「え? ああ、そうだね。僕は神龍種だ。知らなかったのかい?」
「あ、ああ」
「ふふ、そうか」
土砂の上へ戻ったエルメキアは、シオンを背から降ろすと今度は自ら人の姿へと変わる。白銀の髪に、知性を宿した紺碧色の瞳。東洋の巫女を思わせる衣を纏い、音もなく地面に降り立った。
「……エルメキア、なのか?」
「うん、僕だよ。君の存在が、僕を人化させたみたい。まさかこんなことになる…と………エルメルス? アマル? ……どうして……」
「は? 何を――」
シオンが視線を追うと、そこには確かに何かの揺らぎがあり、目には見えない存在が佇んでいる気配があった。
「うん……うん、分かったよ……ありがとう。僕も愛してる。……ふふ、うん、分かった」
エルメキアは涙を零しながら、確かにそこにある“何か”と会話を交わしていた。
シオンも察して、何も言わずに見守る。
やがて彼女は振り返り、笑顔で告げた。
「シオン! 僕はここから離れることにする。エルメルスとも話ができたしね。これからもこの国を守ることに変わりはないけれど、旅立つ時が来たみたいだ!」
「そうなのか?まぁ……納得しているならそれでいいが…どこへ?」
「えっとぉー、それでその……申し訳ないのだけれど、一度ルーメン国まで連れて行ってくれないかな?」
「構わないが飛んで行くのか?」
「本来の姿では目立ちすぎるからね。君が来た方法で同行させてもらえるほうがいいかな?」
「わかった。聞いてみるよ。多分大丈夫だと思う。」
そのとき、完全武装の兵士たちが駆け込んで来た。
「シオンさまぁーー!! ご無事ですかぁーー?!」
(いや……この状況で“無事”も何も……。俺がやったことじゃなきゃ、死んでるって)
そう思いながらも、必死に様子を確かめに駆け寄ってくる兵士たちの真摯な姿に、シオンは思わず胸を打たれていた。
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