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最終話4

 長い戦いを終え、少しの休憩を挟んだ後、彼らは帰路についた。

グラディスが討たれたことで、墓所を満たしていたアンデッドや怪異の気配は嘘のように消え失せ、今は石造りの階段を踏みしめる音だけが暗い空間に響く。

シオンの腕の中にはリシェルが静かに眠っている。その体温を確かめるように抱きしめながら、彼はただ前を見据えて歩いた。


 エレナは黙ってその隣に並んでいた。彼女もまた消耗しきっていたが、表情には疲れよりも別の光が宿っている。――あの剣を目にした時に走った衝撃と、胸を満たす焦燥。それが彼女を突き動かしていた。


 やがて、地上の光が差し込む。冷たい風が肌を撫で、重苦しい地下の空気を洗い流してくれる。墓所の入り口には、王都から派遣された護衛騎士たちが待ち構えていた。彼らは一様に緊張した面持ちで、三人の姿を認めた瞬間、ざわめきが起きる。


「……お戻りになられた!」

「まさか?! エレナ様!」


 彼らの視線がシオンの腕に抱かれた女へと注がれると、一瞬ざわりとした空気が走る。だがエレナが一歩前に出て、はっきりと告げた。


「――ヴァンパイアロード、グラディス。討伐を完了しました」


 一瞬の静寂のあと、歓声が広がった。


「討伐……?!討伐?!お。おおおお!」

「この三千年なされなかった偉業を…」


 護衛たちの顔に喜びが広がり沸き立つ。それはまさしく英雄の帰還だった。その熱気に包まれても、シオンは対応をエレナに任せ、ただ無言でリシェルを抱きかかえ、設営された休憩所へと向かった。


 そこは簡素な布を敷いただけのものだった。シオンは膝をつき、リシェルをそっと寝かせる。頬にかかる髪を指先で払い、息が安らかであることを確かめて、小さく吐息をもらした。


 ――それだけで十分だった。


 彼にとっては、討伐の成功も報酬も、王国の安泰すら二の次だ。リシェルがここにいる。ただそれだけが、何よりも確かな意味を持っていた。


 背後に柔らかな風が吹き抜け、その気配に振り向く。

「……シオン様」


 そこにはエレナが立っていた。昼下がりの光に白銀の髪が透きとおり、その翡翠の瞳が彼を真っ直ぐに見据えている。


「お願いがございます」

「……なんだ」


 彼女は膝を折り、深々と頭を垂れる。その仕草には、使者としての威厳ではなく、か弱い一人の女性としての切実さが宿っていた。


「シオン様。私と……婚姻を結んでいただけませんか?」


 静まり返る部屋に、澄んだ声が響いた。

シオンは眉を寄せる。エレナは続けた。


「こう言ってはなんですが、私の実家は侯爵家。王国において揺るぎない地位を持ちます。貴方が望まれるなら、その大切なお人形さんがいても……私は構いません」


 ――大切なお人形さん。

眠るリシェルに向けられた言葉に、シオンの瞳が一瞬だけ険しさを帯びた。


 だが、すぐに淡々とした声が返る。


「悪いな。……断る」


 あまりに即答だった。

エレナの表情が硬直する。彼女は、これまで望みが拒まれたことなど一度もなかったのだ。


「なぜ……?」


 かすれた問いに、難しい顔をしてシオンはただ静かに答えた。


「なぜ?――俺が愛しているのはリシェルだけだ。他を愛するつもりもないさ。」


 その言葉は、刃よりも鋭く、しかし揺るぎない真実として突き刺さった。だが、シオンの表情を見てエレナは思う。何にか複雑な事情があり、そう答えるしかないのだと。


今までの人生、望むものは常に手に入ってきた。地位も、権力も、人の心さえも。だから今回も無碍に断られるなどありえない。エレナはそう思った。


「わかりました。今はその時ではない、ということですね、シオン様。私が必ずお助けいたします。」


 捨て台詞を残し、彼女は翻るように部屋を去った。


 (え?は?えーと。意味が分からん。)


シオンはエレナの言葉に疑問を持ちながらもリシェルの寝顔に視線を戻し、そっと額に触れた。



薄く広がる意識の中で〜リシェルSide〜



――あれ……。


 重たい意識が、ゆっくりと水面へ浮かび上がる。

 あの時何があったのか正直よく覚えていない。ただ

、支えを失ったように体が崩れ落ちた感覚だけが残っていた。


(戦い……終わったの……? シオン……無事……?)


 不安が胸を締めつけ、必死に目を開けようとしたその瞬間――。


「お願いがございます」

「……なんだ」


 聞き慣れない、けれど澄んだ女性の声が耳を打った。

 エレナだ。彼女は静かに、しかし決意を込めて続けた。


「シオン様。私と――婚姻を結んでいただけませんか?」


 息が止まった。

 まぶたの裏が真っ白に染まる。


(……婚姻……?)


 信じられない。まさか、そんなことを口にするなんて。

 さっきまで気になっていた戦いの行方も、体の重さも、もう何も頭に入らない。


 今、目を開けてはいけない。

 気づかれてしまえば、この会話を聞いていたことが知られてしまう。

 でも、聞かなければ……もっと怖い。


(シオン……受けるの……? 私、捨てられる……?)


 胸がざわつく。奪われる。失われる。

 そんな言葉ばかりが頭を埋め尽くし、鼓動がやかましく響く。


「悪いな。……断る」


 あまりに即答で。

 リシェルの心臓が跳ねた。


(……え?)


 戸惑う間もなく、シオンははっきりと言い切った。


「なぜ…?」


「なぜ?――俺が愛しているのはリシェルだけだ。他を愛するつもりもないさ」


 世界が止まったように感じた。

 胸の奥に澱んでいた恐怖も、不安も、一気に吹き飛ばされる。

 頬が熱くなる。口元が緩みそうになる。


(……シオン……私だけ……? 私だけを……?)


 嬉しくて、涙が出そうで、でも今は目を開けられない。

 気づかれたくない。悟られたくない。

 ただ、この幸福に身を委ねていたかった。


「わかりました。今はその時ではない、ということですね、シオン様。私が必ずお助けいたします。」


 エレナが部屋を去った気配がした。エレナのちぐはぐな返答に少し疑問は覚えたがそんなことはどうでもいい。


 今はもう2人きり…。

 目を覚ましてもおかしくな…シオンの指が額にそっと触れた。

 それだけで、胸の奥がたまらなくなって。


(……もう、我慢できない……)


 無意識に、彼へ縋るように腕を伸ばして――抱きしめていた。



            ※



 縋るように抱きついてきたリシェルを、シオンは反射的に抱きしめ返した。

 その仕草はごく自然で、まるで彼女がそこにいるのは当たり前だとでも言うように。


挿絵(By みてみん)


「……気がついてたのか?」


 耳元で低く囁かれ、リシェルの体がぴくりと震える。


 ばれた。


 そう思った瞬間、焦りを誤魔化すように彼女は顔を背けた。


「べ、別に……。知らないわよ、そんなの……!」


 ツンとした声音に、シオンは苦笑を浮かべる。

 だが次の瞬間、リシェル自身が自分の頭を小突いた。


(……違う。こんな言い方じゃダメ。私……本当は……)


 唇を噛み、ようやく堰を切ったように言葉があふれ出す。


「怖かったの……! シオンがいなくなったらって……!

 隣にいたいの。ずっと……私を…置いていかないで……」


 泣き笑いのような顔で、必死に縋りつくリシェル。

 シオンは黙ってその頭を撫で、時折「悪かった」「心配させたな」と謝りながら、彼女の想いをすべて受け止めた。


 そして、真っ直ぐに瞳を合わせる。


「心配するな。俺が愛してるのは、今も昔もお前だけだよ。それにきっともうすぐその怖さも無くなる…。」


「え?それはどういう…」


 言葉を最後まで伝える前に、優しい口づけが落とされた。

 リシェルの頬が熱に染まり、彼女の震えはようやく静まっていった。


 ――その時。

 控えていた護衛の一人が、出発の報告をしようと部屋に入ってきた。

 しかし、目に映った光景に足を止める。


(……これは邪魔をする場面じゃないな)


 彼は気づかれないように音もなく扉を閉じ、仲間のもとへ戻ると小声で囁いた。


「……もう少し、このままでいいだろう…」


 薄暗い部屋に残されたのは、互いの温もりを確かめ合う二人だけだった。


その後、ベレリアへ帰還した。


 討伐の報せはすでに王国へ届き、ベレリアの街も沸き立っている――。


 だがその熱狂に包まれる前ベレリアの街へ入る前のこと。エレナはシオンへ最後の言葉を残そうとしていた。


「シオン様。今一度確かめさせてください。」


 再び膝を折り、深く頭を垂れる。

 その姿は凛として美しく、しかし秘めた執念が透けて見える。


「確かめる?」


「はい。どうか、私との婚姻をご検討くださいませ。王国においての地位、そして未来を――必ずお約束いたします」


 シオンの眉がわずかに動く。

 即座に断ろうとしたその時、エレナの視線がちらりと横に流れた。

 そこには、まだ本調子ではないリシェルの姿。


「……もちろん、貴方の大切なお人形さんを傍に置いたままで構いません」


 柔らかく微笑みながら告げられたその一言に、何か悩む表情をする。

 リシェルはやはりと確信を深めた。


「……前にも言ったが受け入れることはできない。」


 淡々と、しかし揺るぎない。


「そう……ですか。ありがとうございます。貴方の悩みは理解いたしました。」

 エレナは静かに立ち上がり、シオンを見つめる。


(俺の悩み?)


シオンの頭に疑問符が浮かぶ。


「覚えていてください、シオン様。私はちゃんと貴方の元に戻ってまいりますから。その時までに問題もちゃんと解決されてくださいね。」


(こいつは何を言ってるんだ?)


シオンの困惑が深くなる一方だった。そんなことをしってかしらずかエレナはくるりと踵を返し、馬車へと戻っていった。

 

残されたのは、重苦しい沈黙。


「戻ってこなくていいんだが…。つか、何を考えてるんだ?」


 シオンは額に手を当て、ため息をつく。


やがて、街の門が見えてくる。

 遠くからでも聞こえるざわめきは、いつもの喧騒とは明らかに違う。

 祭りのような喧騒。誰もが浮き立ち、通りは人で埋め尽くされている。


「これは…すごいわね………」


 人々の声と楽師の奏でる音色に包まれながら、シオンとリシェルは群衆の中を歩いていた。

 道端の子供たちが花びらを撒き、露店が並び、笛と太鼓の音が空気を震わせる。


「……やけに盛り上がってんな」


 シオンは苦笑いを浮かべる。英雄の凱旋などの歓待を望んではいない。

 だが人々にとって国を滅ぼしかねない脅威が去った大きな出来事なのだ。


「シオン!リシェル!」


 人混みをかき分けて駆け寄ってきたのは、家主のマリアだった。

 その大声に、人々の歓声がさらに重なる。


「あんたらよくやったよ。ホントよくやった。あたしも鼻がたかいよ」


 マリアの言葉に、拍手と歓呼が一斉に巻き起こる。


「マリア…私は何もしてないわ。なんだかとても恥ずかしいのだけど…」


 リシェルは頬を赤らめながら歩く。そこには討伐後の弱々しい姿はなく既にいつものリシェルへと戻っていた。


「ありがとう!」「救世主だ!」「シオン様!リシェル様!」

 次々と声をかけられ、祝福の花びらが舞い散った。


馬車の中


 その光景を、ひときわ豪華な馬車の窓からエレナはそれを見つめていた。



 彼女の翡翠色の瞳は、通りを歩くシオンを追い続けていた。

 人々に囲まれ、歓声と花びらを浴びるシオン。


「……皆に祝福されてる。ふふ……やはり、そうよね」


 小さく呟く声には笑みが混じる。だがその奥に、かすかな寂しさが滲む。


 窓越しに見える二人は、どこか揺るぎなく見えた。

 胸の奥が、きゅっと痛む。


(――シオン様必ずまた会い来ますわ。その時は必ず……)


 エレナは窓からそっと視線を外し、深く息をついた。

 馬車はゆっくりと進み、人々の祝福の中を英雄と共に街へと入っていく。


歓声に包まれながらも、ようやく冒険者ギルドの扉をくぐったシオンとリシェル。

 外の喧騒が嘘のように、ギルド内は少し落ち着いた空気に包まれていた。

 すでに知らせを受けていたのか、多くの冒険者たちが待ち構えていて、二人を見ると一斉に歓声を上げる。


「よくやったな、シオン!」

「リシェルも無事で何よりだ!」

「まさかグラディスを討ったなんて……」


 口々に投げかけられる声に、リシェルは戸惑い気味に小さく頭を下げる。

 シオンは苦笑しつつも簡潔に応え、カウンターで待つバルドの元へ進んだ。


「……任務は完了した。グラディス滅んだ。」


 その言葉に、ギルド内の空気が一瞬張り詰め、すぐに大きな歓声と拍手に包まれる。

 バルドは深く頷き、感慨深そうに二人を見た。


「よくやってくれた……本当に、よくやった。王国の使者殿も、それで間違いないな?」


 視線の先には、エレナがいた。

 馬車から降り、礼服の裾を整えた姿でギルドに現れた彼女は、凛とした佇まいで頷いた。


「はい。王国の名において、この討伐任務が完全に達成されたことを証明します」


 その宣言により、再封印の護衛ではなく討伐としての任務が正式に完了とされた。


 報告が終わると、ギルド内の熱気は少し落ち着いたものの、笑い声や話し声がまだ響き渡っていた。

通りの方はさらに賑わいを増し、屋台の呼び声や子どもたちの歓声が折り重なり、まるで街全体が小さなお祭りを続けているかのようだった。


エレナは別れの挨拶のため、シオンの前へと歩み出た。


「シオン様。本当にありがとうございました」

 彼女は深く一礼し、翡翠の瞳をまっすぐに向ける。


「私は明朝、王都へ報告に戻ります。……ですが、必ずまた貴方のもとに戻ってまいります」


 あまりに自然な言葉に、シオンは思わず苦笑いを浮かべた。


「結果は変わらんぞ?」


 横でリシェルがむっとしてシオンの背中を小突き、半ば拗ねたように囁く。

「……愛されてて、よかったじゃん」


「やめろ」

 シオンは小さくため息をつく。


「ええ、大丈夫です。早く貴方をお救いいたします。次の再会を楽しみにしてますわ」

 そんな二人のやり取りを見て、エレナはわずかに微笑み、振り返らずにギルドを後にした。


(救う?救うってなんだ???つか、救うと言うなら拗ねたリシェルを残すとかマジで勘弁してくれ。)

シオンは思わずため息をもってエレナを見送った。


 しばらくして。

 ギルドの喧騒が落ち着いた頃、バルドが二人を呼び出す。


「シオン。リシェル。ちょっと来い」


 重厚な扉を閉め、部屋に3人だけになるとバルドは腕を組んで口を開いた。


「……お前の要求が通ったぞ」


「……」

 シオンは眉をひそめる。


「つーかだな」


 バルドは苦笑を浮かべて机に肘をついた。


「正直、お前らの功績がでかすぎて、国も報酬の扱いに困ってたんだ。そんな時に“隷属紋の除去”なんて話を持ち込まれて、逆に助かったらしい。大義名分が立ったってわけだ」


 バルドの言葉に、リシェルがはっと顔を上げシオンをみる。

「……っ!」

 その表情は驚きと、信じられないという想いに揺れていた。


 シオンは視線を逸らし、淡々と答える。

「……それでいい。金や名声なんざ、どうでもいい」


長らく読んでいただきありがとございます。

次が最終話となります。

よろしくお願いいたします。

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