最終話3
やがて、視界に、黒ずんだ石造りの階段が現れた。
地下へと続くそれは、封印が施された古の墓所――今回の目的地だった。
湿った空気と、地の底からの冷気が頬を撫でる。
シオンは隣のエレナに軽く手を上げて立ち止まらせ、後方のリシェルに視線を送った。
……何か様子がおかしい。
封印紋は――もう切れていた。
淡い光は完全に失せ、石段の奥からは濃密な瘴気が滲み出している。鼻腔の奥を焦がすような鉄錆の匂い。肌の上を、見えない冷気が這う。
護衛たちの顔色も、いつになく硬い。
エレナは短く息を呑み、すぐに表情を改めた。
「……どうやら、中に入る必要があるようです」
それまでの穏やかな微笑は影を潜め、翡翠の瞳が鋭く光る。
彼女はくるりと身を翻し、後方の護衛にきびきびと指示を飛ばした。
「どなたか一人は国に増援を。他の方は入口を守ってください。中から眷属が溢れる来る可能性が高い。ここでできるだけ防いでください。」
短い返事が返る。
次に、馬車の荷台から小箱を取り出したエレナは、手早く封印儀式用の魔具を近くの小屋に並べ始めた。
青白い石を柱状に立て、細い銀鎖で結ぶと、淡い光の幕が周囲を包み込む。石段脇にぽつんと、小さな結界空間ができた。仮の休憩所だ。
「シオン様……申し訳ありませんが、こうなってしまっては……討伐しかありません」
真剣な声音。視線が、正面からシオンを射抜く。
「どうか助力を」
短い沈黙のあと、シオンは頷いた。
「わかった」
決めた理由は、一つじゃない。
護衛対象として当然だし……何より、リシェルのことがある。
案の定、背後から鋭い声が飛んできた。
「……なんで?なんでそんな無茶するの? その女がため?私はもういらないの?」
シオンが振り向けば、リシェルの瞳が揺れていた。唇がわずかに震えている。
「なにを言って……」
「そんな依頼死ぬかもしれないのに!引き受けないでよ!」
「バカ……ちがっ…」
咄嗟に否定する。だが、その先を言えなかった。
――隷属紋の解除は、確実じゃない。
ぬか喜びさせて、あとで絶望させるくらいなら、黙っていた方がいい。
彼女の心をこれ以上、無駄に傷つけたくない。
シオンは言葉を飲み込み、視線を逸らす。
重い沈黙が落ちた瞬間、エレナが鋭く口を挟む。
「急ぎましょう。時間が経てば危険が増す一方です」
焦りを煽る声に、思わず舌打ちが漏れた。
その音に、リシェルの肩がぴくりと揺れる。――まるで、自分への苛立ちだと勘違いしたように。
「……俺を信じろ」
それだけを残し、シオンは石段へ足を向けた。
背後から、小さく靴音が追ってくる。
振り返らずともわかる。魂の抜けたような目をしたリシェルが、ためらいもなく俺の後をついてきている。
瘴気は一段ごとに濃さを増し、冷たさが骨まで沁み込んでくる。
――行くしかない。
瘴気を孕んだ空気が、石段を降りるごとに濃くなっていく。
古の王の墓所と呼ばれる地下構造
三人が足を踏み入れたのは、これまで誰一人足を踏み入れたことのない、墳墓の“内側”――外界の開放感は一切届かず、冷たく静かな閉塞が辺りを包んでいた。
呼吸はわずかに詰まり、胸の奥が圧迫されるような感覚が走る。足音ひとつで響く静寂の中、空気は生気を奪うかのように冷たく、決定的な変化の予兆が肌に刺さるようだった。
最初のアンデッドは、入口から二十歩も進まぬうちに現れた。
肉が半ば崩れ落ちた屍兵が、鎧の破片をまとい、よろめきながらも両腕を伸ばしてくる。その背後からは、鎖の軋む音とともに、骸骨が剣を引きずり出てきた。
シオンは青白く光る錬成した武器を顕現させる。刃に宿る淡い光は、地下の闇の中で鮮烈に輝いていた。
一閃。
屍兵の首から上が空を舞い、その全身は霧のように淡く崩れて消えた。血も肉片も残らない、ただの霞のように。
その光景に、後方のエレナが瞳を見開く。
(……これは、ただの物理的な斬撃ではない。聖属性……いや、浄化の力……)
胸の奥が高鳴る。
(すごい!!……この力……必ず王国に連れて帰らなきゃ)
彼女にとって恋愛は情熱や情愛よりも、能力と資質の選別だった。自らが授かった聖なる血と、この男の力が交われば――想像するだけで胸が躍る。どれほど優秀な子が産まれるか。その一点こそが、エレナの価値観における「恋愛」の核心だった。
一方、リシェルは心ここにあらずの表情で、その横を通り過ぎる。
しかし、戦いの手は止めない。
ゾンビが足元から這い寄れば、無言で炎を纏わせた魔法剣で焼き払い、骨の兵が立ちふさがれば清浄な水の奔流を叩きつけて骨片ごと洗い流す。幽霊のように揺れる亡霊は、風の刃を放って霧散させた。淡々と、機械的に。感情を切り離したように。
本来ならば、アンデッドへの特効を持つのはエレナだ。だが、彼女の浄化魔法は詠唱の準備にわずかな時間を要し、シオンとリシェルの即応には一歩及ばない。結果として、彼女が狙った敵は、ほとんど二人によってすでに倒されてしまう。
それでもエレナは卑下せず、淡々とシオンの力を褒め称えた。
「見事です、シオン様。その刃はまさに天の恵み」
その言葉に、リシェルの耳がかすかに動く。
胸の奥に、鈍い痛みが走った。ほんの一瞬、シオンの笑顔を幻視し、それがエレナに向けられていると錯覚してしまった自分に、さらに冷たい衝撃が重なる。
だが、シオンは淡々と短く返すだけだった。
「仕事だ」
その無愛想な一言の裏で、彼の意識の多くはリシェルに向けられていることなど、当の本人は知る由もない。
戦いを繰り返しながら、三人は墓所の奥へと進む。
やがて石造りの通路は、突然途切れた。目の前に広がるのは、天井の見えない巨大な空洞。漆黒の虚空に、遠く低い位置で青白い炎がちらちらと揺れている。
それは炎と呼ぶには静かすぎ、光と呼ぶには冷たすぎた。
よく見れば、その炎は城壁の上に灯されている。
空洞の底には、青白い火を焚く城が静かに佇んでいた。塔の先端は闇に溶け、城壁の影が空洞内に複雑な影を落としている。
足場は狭く、石橋のような通路が空洞の縁から伸びている。その下は奈落だ。
進むごとに、炎に照らされたアンデッドが現れる。
鎧を着込んだ騎士型の屍兵、鎖に繋がれたまま這い寄る異形、翼の千切れたガーゴイル。どれも正面から立ち向かってくる。
シオンの錬成剣が振るわれるたび、光の軌跡が闇を裂き、敵を霧に変える。
エレナは後方から援護し、詠唱を終えた浄化魔法を叩きつける。遅れは取るが、当たれば確実に葬る。
リシェルはその隙間を埋めるように、炎・水・風を巧みに切り替え、敵を断った。
空洞を抜けるまでに、十数回の小競り合いがあった。
そのたびに、三人の呼吸は自然と合っていく。だが、その表層の調和とは裏腹に、心の奥にはそれぞれ別の思惑と感情が渦を巻いていた。
やがて三人は王城へと辿り着き、順調に奥へと進む。
中央に続く石造りの階段を登りきった瞬間、濃い闇が視界を覆い尽くした。
黒い霧が揺らめき、冷気と共に全身を包み込む。
シオンが一歩踏み込み、エレナも後に続く。
リシェルも遅れまいと足を進めるが、耳の奥で不快なざわめきが生まれた。
「……視界を遮っているだけ?」
エレナが小さく呟き、両の手を掲げる。
結界の光が幾重にも広がり、黒霧を押し退けていった。
やがて広間が姿を現す。
鎖に繋がれた影が、中央の王座に静かに座している。
ヴァンパイアロード“グラディス”。
その名を知るだけで、多くの人間が震え上がる存在だ。
シオンは腰に手を添え、警戒を緩めずに歩を進める。
だが、リシェルの足が唐突に止まった。
リシェルside
(……なに……?…これ…?)
脳髄を掻き乱すような衝撃が走り、心臓が一拍遅れて脈打つ。
視界が歪み、呼吸が乱れた。
心臓が一拍遅れて脈打ち、呼吸が乱れる。
しかし、前を行く二人は何事もない様子で進んでいる。
シオンは手を腰に添えたまま警戒を崩さず、エレナは静かに結界の魔力を観察していた。
(……聞こえて…ない? この音……私だけ……?)
“音”と呼ぶには不明瞭すぎる。
低く唸るような、あるいは囁くような、輪郭のない声。
けれどそれは確実に、彼女の心を抉ってくる。
次の瞬間――視界が歪んだ。
そこにあったのは、シオンとエレナが抱き合い互いに唇を重ねる光景。
熱を帯びた視線と、触れ合う距離感。
頬を紅潮させたエレナが、彼に甘えるように身を預けている。
(……嘘……だって……)
理性はすぐに否定した。
さっきまで一緒にここへ来たのだから、こんなはずはない。
これは何かの術、幻覚だと分かっている。
――なのに、心がざわめく。
幻だと知ってもなお、胸の奥が締め付けられる。
その瞬間、目の前の2人は霧散する
『未来の姿じゃないの?』
どこからともなく、声がした。
耳の奥で響くその囁きは、確かな悪意を孕んでいる。
(未来……? そんな……)
脳裏に、エレナの姿が焼き付く。
澄んだ瞳、上品な所作、弱みを見せても可憐さを失わない甘え方――
その全てが、自分にはないもの。
(私なんて……あの子のように可愛くなんてできない………)
思考が雪崩のように崩れていく。
リシェルとエレナが並び立ちエレナの手を握るシオンが形作られていく。
ああ、選ばれるたのは、あの人だ。
きっともう決まっている。
彼女が来てから――シオンは私に「愛してる」を、一度も言ってくれなくなった。
『彼は彼女に優しさを見せる機会が増えたんじゃない?』
たしかにそうだ。胸の奥にモヤモヤとした鬱屈した感情がたまっていた。だから、彼にひどい態度をとった自覚はある。
(……嫌われて当然だ)
頭の奥で、過去の記憶が勝手に再生される。
――人前で醜態を晒し、街の噂になったあの日。
――愛を紡げば、胸元にある隷属紋が白く光る、そこから視線を逸すシオンの表情。
ああ!
そうだ私にはこれがある…普通じゃない…。
私は異常だ…。
離れていくのも当然だ…
いや、彼は視線を逸らしたか?むしろ…
『そんな貴方を見て目を背けない人間なんているの?』
…そうだ…そんな人いるわけない
私が私すらも、自身のことなのに目を背けたくなる
あれを知っている男が、どうして私を選び続けられるだろう。
(私……なんで彼を繋ぎ止められてたんだろう)
(なんで……愛される事が当然だなんて、思っていたんだろう)
――そうか。
彼にはふさわしい人が、できたんだ。
『そうね。だから貴方はもう用済み』
(はは、私、用済みなんだ)
胸の奥が、冷たく満たされていく。
痛みよりも、空虚が勝っていく。
『ねぇ――死んであげたほうが、役に立てるんじゃない?』
もう、自分の思考なのか、他人の囁きなのかすら分からない。
(……そうか。そうだよね。私がいると彼の迷惑になるなら……いっそ……)
手が勝手に動く。
腰の短剣に指が触れる。
感覚は冷え切っていて、刃の重みがやけに遠く感じられた。
「リシェルッ!」
鋭い声が、現実を引き裂いた。
リシェルが気づくよりも早く、シオンは短剣を掴み、その手を鮮血に染める。
次の瞬間、刃を振り払った彼の顔が目の前に迫った。そこには、怒りと焦りが入り混じっていた。
「何してやがる!」
※
その瞬間、黒い鎖が悲鳴を上げ、広間全体に冷気が走った。
中央に座していた影が、ゆっくりと顔を上げる。
赤黒い瞳が、底知れぬ嘲笑を湛えてこちらを見据えていた。
「……人間の情愛とは、かくも脆く、甘美なものだな」
ヴァンパイアロード“グラディス”が、立ち上がった。
鎖は断ち切られ、黒霧が一気に膨れ上がる。
「エレナ!」
シオンの呼びかけに、エレナが頷き、すぐさまリシェルの傍に駆け寄る。
「リカバリー!」
淡い光がリシェルを包み、胸のざわめきが少しずつ引いていく。
けれど心の奥底の負荷は強すぎて、瞼が重く、意識が遠のく。
(……シオン……ごめん……)
最後にそう呟くと、リシェルはその場に崩れ落ちた。
シオンは咄嗟に彼女を抱きとめ、そっと床へと横たえる。
そして顔を上げ、燃えるような眼差しでグラディスを睨み据えた。
「……てめぇ……」
低く、地を這うような声。
シオンが剣を錬成させる。
その眼には、普段の冷静さは欠片もなく――ただ怒りと殺意だけが燃えていた。
「俺のリシェルに……手ぇ出してんじゃねぇ!!」
床が爆ぜ、粉塵が舞い、シオンの姿が掻き消える。
次の瞬間には、双剣が闇を裂き、グラディスの胴を抉っていた。既に最大級の強化を自身に施している。
「ほう……速いな」
受け流そうとするも、刃がすでに次の形へと変化していた。
穂先の鋭い槍が稲妻のように突き込み、グラディスの頬を裂く。
シオンは間髪入れず槍を消し、鎖鎌を顕現。
鉤が床をえぐり、火花を散らす。
足に絡みついた瞬間、鎖を通じて衝撃が走り、グラディスの膝が沈む。
「チッ……!」
体勢が崩れたところに、戦鎚が現れる。
重さと速度を兼ね備えた一撃が振り下ろされ、床石が粉砕、衝撃波が広間を駆け抜ける。
防御したはずの腕が消し飛ぶ、グラディスは押し退けられた。
だが追撃は止まらない。
棍――両端の重りが空を裂き、連撃を浴びせる。
上下左右、突き、薙ぎ、回転。
その一撃ごとに床が陥没し、壁が削れ、破片が雨のように降り注ぐ。
大剣に変わると、間合いの外から一気に踏み込み、上段からの斬り下ろしが闇を裂く。
一連の連撃は通常の兵なら数秒で十数人を葬る威力。
鉄門ですら粉微塵にする力が、いま全てグラディスへ向けられている。
「……お前、何者だ」
苛立ちを隠さず吐き捨てるグラディス。
短剣が閃き、心臓を狙った突きが深々と刺さる。
だが、グラディスは笑う。
胸の傷が光り、瞬時に肉が繋がり全身が再生する。
シオンが距離を取ろうとしたその時、背後からエレナの声が響いた。
「ここからは私の領域です――結界展開」
青白い光が床一面を覆い、複雑な魔法陣が広がる。
その瞬間、空気が変わった。
グラディスにとってそれは重く、冷たく、皮膚の下にまで食い込むような圧迫感があった。
おもわず眉をひそめる。
「……なるほど、再生阻害か」
再び双剣が唸り、右腕が切断される。
グラディスは闇で繋ぎ直そうとするが、光がそれを焼き払う。
足、翼、腹部――次々と切り裂かれ、焼かれ、欠損したまま。
棍が薙ぎ、戦鎚が叩き潰し、鎖鎌が締め上げる。
グラディスの防御はことごとく破られ、広間の床はもはや原形を留めていない。
「これで……終わりだ!」
大剣を握り直し、首を狙った斬撃――
――だが。
切断されたはずの右腕が光を突き破り、一瞬で再生。
大剣は弾き飛ばされ、床を滑り消え去る。
「なに?!」
エレナの結界は健在のはずだ。
それでも、グラディスは全身を瞬時に再生し、闇を纏って立っていた。
「楽しい時間だったぞ、シオン」
微笑みながら、欠片も傷のない姿を見せつける。
「だが、ここからが……本番だ」
グラディスの肩や腕の筋肉が膨らみその存在感を大きくしていく。
「そなたら程度の者が、この三千年……現れなかったとでも思うか?」
その声が途切れると同時に、グラディスの口角がゆっくりと持ち上がる。
唇の端が湿ったように歪み、舌先がわずかに覗く。
――にちゃぁ……と、耳障りなほどいやらしい笑みが、大広間に滲んだ。
刹那、グラディスの気配が空気ごと弾けた。
視界が闇に呑まれ、爆ぜる衝撃が前方から押し寄せる。
シオンは咄嗟に双剣で受け流した――が、腹部に焼けるような痛み。見れば、刃のような黒い骨片が自らの腹部に突き刺さっていた。
「……っ!」
腹部のそれを抜き捨てると骨片は粉々に砕けた。しかしその欠片が四散した途端、地面や壁で小さな爆発を起こす。
“自らの肉を武器に変える”――人間には到底できぬ、無限再生ゆえの戦い方。それは異常な自爆攻撃だった。
シオンは即座に間合いを詰め、大剣で左足を切断する。
黒い血が飛び散り、巨体が揺らぐ。だがグラディスは切断された足を握り残った方で跳び退く。次に切り飛ばされた足を握り潰すようにして粉砕した。
そこから新たな骨槍が突き出され、まるで矢の雨のようにシオンを襲う。
「チッ……!」
シオンは錬成した盾でなんとか防ごうとしたが、防ぎきれなかった一本の刃が肩を穿ち、内部で瞬間的に炸裂する。
肩が弾け飛ぶことはなかったものの、その痛々しさと深刻さは一目でわかる。
その瞬間、エレナが手をかざす。
掌から淡い蒼光が溢れ出し、傷口を覆うように渦を描く。
光がシオンの肩に触れた途端、焼け焦げた血管の裂け目や筋繊維が瞬時に繋がり、痛みが和らぐ。
刹那のうちに肩は元の形を取り戻し、戦闘に支障が出ないほど回復していた。
爆発の危険は残るものの、幸いにも部位を切り飛ばすと再生にわずかな遅延が生じる。
シオンはその遅延を巧みに利用し、足、翼、腕と順番に欠損させながら戦場を制圧していく。
双剣が閃き、棍が薙ぎ、鎖鎌が絡み、戦鎚が骨を砕く――
破壊の連鎖が続くたび、グラディスの動きはわずかに鈍るが、それでも笑みを崩さない。
その間、広間の後方でエレナは結界を維持しながらシオンを回復しつつ低く呟いていた。
「……おかしい、完全な再生阻害のはず……なのに……」
唇を噛み、額に汗を滲ませながらも魔力供給を止めない。
やがて、ハッと目を見開くと叫んだ。
「シオン様! 真祖のヴァンパイアというのは、神の使いとされる伝承もあります!
もしそれが本当なら、彼は……聖も魔も超越した存在かもしれません!!」
その言葉の余韻を残したまま、エレナは声を絞るように呟く。
「……だから封印した……殺すことができなかったから……?」
「――そうだ、よく気づいたな、小娘」
愉快そうに喉を鳴らし、グラディスが応える。
シオンは警戒しながら武器を構え間合いを取る。
「そのとおりだ」
闇を纏い直し、赤黒い瞳を細める。
「貴様たちが我を裏切り、この地に封印した……我は貴様たちのために尽くしたというのに、だ。
平和になった世には要らぬとな……このような場所に3000年…3000年だぞ!!!」
低く、湿った声が広間を満たす。
「だから――滅ぼしてやる」
グラディスの眼が細まり、湿った笑みがゆっくりと形を変える。
「……あの時も、そうだ!
北境の戦乱、魔獣の群れ、諸侯の反逆――
我はお前たちのために剣を振るい、血を啜り、影を狩った。
夜明けを迎えるたび、誰よりも先に立ち、誰よりも遅く退いた」
わずかに視線が遠くを彷徨う。
「我が背を預けた戦友も、救った民も……皆、笑って見送った。
だが――平和になった瞬間、耳にしたのは感謝ではなく、囁きだった。
“あの怪物を、この世に置くべきではない”と」
握った拳が軋み、闇が滲む。
「王も、聖職者も、刃を交えた仲間すらも……
皆が一つの意志で、我をこの地に縛り付けた」
湿った嗤いが広間を舐めるように響く。
「恩を仇で返す――それが人間だ」
闇の衣が膨れ上がり、熱を孕んだ風が渦を巻く。
「だから――許さぬ」
床石が爆ぜ、黒い瘴気が噴き出し、広間が一気に闇へ沈んだ。
シオンは片目を細め、踏み込みの姿勢を取る――次の瞬間、戦場が再び燃え上がる。
「……そうか。だが、そんな事は俺の知ったことじゃねぇ」
低く吐き捨てるような声。
グラディスの眉がわずかに動いたその瞬間、シオンは口の端を上げた。
「同情はしてやるよ。人のために必死で頑張ったのにぃー! ボクチンを裏切っなぁー! ゆるさないぞぉー! ――だったか?」
わざと甲高く、芝居がかった声色で、グラディスの過去の言葉を真似る。
その挑発は、明らかに意図的なものだった。
グラディスの目に、冷たい殺意が宿る。
「貴様……」
だが、シオンは止まらない。
「だから、なんだ?」
双剣を握る手に力を込め、真正面から叫ぶ。
「俺の知ったことじゃない。――お前は、俺の一番大切なものを奪おうとした。それだけで、お前を滅ぼすには十分な理由なんだよ!」
その言葉は、広間に鋭い刃のように響き渡った。
「――亡晨」
次の瞬間、シオンの両手に、星々を呑み込み夜空そのものを凝縮したような剣が形を成す。長く、鋭く、光と闇がせめぎ合う刃――見る者の魂を凍らせる気配が漂った。
グラディスの瞳孔が僅かに揺れる。理屈ではなく、本能が告げていた。
――これは、存在そのものを削ぎ落とす。と
幾千年を生きた吸血鬼であるはずの自分の腕が、次の瞬間には消えていた。血も、肉も、骨も、欠片すら残さず。再生の気配も訪れない。
「お、おのれ……何を……」
声に滲むのは初めての恐怖。
シオンは口角を吊り上げた。
「冒険者ってのはな、奥の手を二つ三つは隠してるもんなんだよ。俺の二つ名は“萬色”――すべての色を持つ者。ギルドの連中は勝手にそう呼んでる」
グラディスは呆然と剣を見つめる。
「では……それは何だというのだ」
シオンは肩をすくめる。
「さあな。知るか。ただ一つ――俺はお前を滅ぼせる」
エレナは結界を維持しながら、その剣を凝視していた。
(色をすべて内包する刃……いや、それ以上? もしや、聖も魔も、理さえも超える……そんな存在――?)
確信には至らない。ただ、背筋を走る悪寒だけが、答えを先に示していた。
(規格外だ…)
エレナの中で初めての感情が湧く
(だからこそ……欲しい。)と
望まなくとも手に入るそれが彼女の生きてきた道だ。
そこに初めて異物が交じった。
グラディスは嗤おうとした。だが、震えが止まらない。
次の瞬間シオンの斬撃がグラディスの胴を狙う。
咄嗟に手にしたレイピアで防ごうとするが意味をなさない。
「我よりも……化け物ではないか……」
その言葉を最後に、身体は音もなく霧散し、虚空へと消え去った。
シオンは剣をそっと手放す。亡晨は闇に溶け、何もなかったかのように消える。
「……っ、く……」
よろけた身体を、エレナが咄嗟に支える。
「今の力は……?」
「知らねぇ。俺のスキルだ。消耗が激しすぎてまともに使えない……正直限界だ。」
ヴァンパイアロードが消えた広間は、澄んだ気配と静寂を取り戻す。
エレナはシオンをリシェルの元まで運び、座らせた。
リシェルは、かすむ視界の中で二人を見た。
シオンが、まるで頼るようにエレナの肩に身を預けこちらに向かってくる。
(……そんな、あの人に……)
薄れゆく意識の中、微かに悲しみを称えた笑みを浮かべ――
「ああ……やっぱり……」
切なげな呟きと共に、再び深い眠りへと落ちた。
読んでいただきありがとございます。
最終話後2話で完結予定です。




