最適トレーニング理論の実証
そこで待っていたのは、銀髪の少女が血を吐いて倒れている光景だった。
「おい、大丈夫か?」
慌てて駆け寄ると、少女の顔は青白い。
「すみません…また、倒れてしまって…」
『また』?この子は常習的に倒れているのか?
天衡識理が自動的に作動する。
【対象分析】
名前:エリス
年齢:17歳
状態:栄養失調、魔力枯渇
特徴:隠された高い魔力資質
「何日食べてない?」
「…三日です」
俺は宿で買った非常食を差し出した。
「食え。それと水も」
「ありがとうございます…でも、お代が…」
「いらない。データ収集だ」
嘘だった。この感情は数値化できない。
エリスが食事を終えると、血色が戻ってきた。
「お名前を教えていただけませんか?」
「ソウマだ。お前は?」
「エリスです。冒険者になりたくて…でも実力が」
彼女は俯く。
「実力は後からついてくる。問題は方法論だ」
「方法論…?」
「お前の戦闘スタイルを見せてみろ」
近くの訓練場で、エリスが剣を振る姿を観察した。
【戦闘分析結果】
筋力:D-(やや劣る)
敏捷性:C(平均的)
魔力:B+(隠れた高資質)
技術:E(未熟)
特殊適性:回復魔法との親和性 異常値
「面白い」
「え?」
「お前の魔力は回復系に特化している。だが使い方が間違ってる」
エリスの目が輝いた。
「教えていただけるんですか?」
「データ収集のためだ。効果的な指導法を分析したい」
また嘘をついた。本当の理由は数値化できない。
「三週間で基礎を仕上げる。ついてこれるか?」
「はい!お願いします!」
エリスの笑顔に、胸の奥で何かが動いた。
──三週間後──
「ソウマさん、今日の訓練メニューは?」
「今日でヒールブレードの基礎は完成だ」
エリスは剣を構える。その動きに、三週間前の迷いはもうない。
「筋力がC+、敏捷性もBランクまで上がった」
俺は満足げにうなずく。
「計算通りだ」
この三週間で、エリスは見違えるように成長した。
基本的な剣術はもちろん、回復魔法を剣に応用するヒールブレードを習得。さらに回復魔法を攻撃に転用するリバーサルエッジ、体力と魔力を同時に回復するライフドライブまで身につけた。
「でも、まだ実戦経験がないんですよね」
「その通りだ。理論だけでは限界がある」
その時、受付のニーナが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「ソウマさん!丁度良かった」
「どうした?」
「フォレストベアの凶暴化が相次いでいるんです。ギルドマスターが独自に調査を指示しているんですが、騎士団は『たかが魔物の異常行動』って取り合ってくれなくて」
「それで?」
「このまま放置するわけにはいかないって、ギルドマスターが。調査をお願いできませんか?」
俺の脳内で即座に計算が始まった。エリスの実戦経験と調査の必要性、両方を満たす最適な案件だ。
「報酬は?」
「調査だけなら銀貨80枚。討伐まで可能なら金貨5枚です」
「受ける。ただし、彼女も同行させる」
エリスが驚いて振り返った。
「え、私も…ですか?」
「実戦データが必要だ」
「でも、危険では…」
「大丈夫だ。俺の計算に狂いはない」
俺はエリスを見つめる。
「それに、君は三週間で別人になった。自信を持て」
エリスの瞳に決意の光が宿った。
「はい。お供させていただきます」
翌朝、二人は森へ向かった。
「フォレストベアって、どんな魔物なんですか?」
「体長3メートル、体重500キロ。通常は森の奥に住む大人しい魔物だ」
歩きながら説明を続ける。
「だが凶暴化すると攻撃性が97%上昇、戦闘力も1.4倍になる」
「何が原因で凶暴化するんでしょう?」
「…それが問題だ。通常の原因が見当たらない」
俺は心の中で思考を巡らせる。この異常な凶暴化、何か人為的な匂いがする。
森に入って約2時間。異様な静寂に包まれていた。
「鳥の声が聞こえませんね」
「ああ。普段の30%しか生物がいない」
天衡識理が周囲を分析し続ける。
その時、地響きのような唸り声が響いた。
「来るぞ」
巨大な影が木陰から現れた。フォレストベアだ。
【分析結果】
攻撃性:97.3%(異常に高い)
戦闘力:通常の1.4倍
状態:興奮、凶暴化
「エリス、準備はいいか?」
「はい!」
フォレストベアが巨大な前足を振り上げ、突進してきた。
「右!」
俺の指示でエリスが横に跳ぶ。
「今だ!ヒールブレード!」
青白い光を纏った剣が毛皮を切り裂く。
「ガルルルルッ!」
フォレストベアが痛みで暴れる。エリスは咄嗟に後方へ跳んで巨大な前足をかわした。
「すごい…訓練の成果が出てます!」
「当然だ。続けろ!」
戦闘は続いた。エリスのライフドライブが身体能力を向上させ、疲労を回復させる。
「今度は決定打だ。リバーサルエッジを狙え!」
エリスが回復魔法を攻撃に転用する。剣が緑がかった光を放ち、フォレストベアの胸部を貫いた。
傷口が異常に膨張し、フォレストベアが苦痛の咆哮を上げる。
そして巨大な体が地面に倒れ込んだ。
「やりました!」
エリスが振り返る。その顔は充実感に満ちていた。
「戦闘時間19分47秒。計算より3分短い。上出来だ」
その時、森の奥から拍手の音が聞こえてきた。
「誰だ?」
俺は警戒する。
「素晴らしい戦いだった」
現れたのは立派な髭を蓄えた中年男性。
だが、その正体を天衡識理が示した瞬間、俺は驚愕した。
【分析結果】
名前:グラウス・ディノス
職業:ギルドマスター
実力:推定Aランク
危険度:極低(敵意なし)
「ギルドマスター…?」
「おっと、失礼した。私がギルドマスターのグラウスだ」
エリスが慌てて頭を下げる。
「ギルドマスター様が直接…!」
「君たちの戦いを最初から見させてもらった。特に君」
グラウスはエリスを見つめた。
「その独特な戦闘スタイル、これは君が独自に編み出したものか?」
「いえ、ソウマさんが教えてくれたんです」
グラウスの視線が俺に向いた。
「ほう。君が指導者か。なるほど、これは興味深い」
俺は内心で疑問を抱く。ギルドマスター自らが現地調査に来るというのは異例だ。
「ところで」
グラウスは周囲を見回した。
「フォレストベアの凶暴化の原因だが、一応の見当はついている」
「原因が?」
「詳しくは後日説明しよう。今日はお疲れ様だった」
グラウスは去り際、俺に小声で言った。
「少し話がある。今度、一人で来てもらえるか」
俺は無言で頷いた。
その瞬間、俺は察知した。
この凶暴化、単なる自然現象ではない。
…ふむ。
何かがおかしい。
帰り道、エリスは興奮していた。
「すごかったです!実戦って、こんなに…」
「どうだった?」
「心臓がドキドキして、でも不思議と冷静でした。ソウマさんの指導のおかげです」
俺たちが宿に着くと、エリスが突然俺を抱きしめた。
「本当に、ありがとうございます」
この瞬間、俺の脳内でエラーが発生した。
体温、心拍数、抱擁の圧力…数値は計測できても、この感情は分析できない。
「私、本当は...」
エリスが言いかけて口を閉ざす。
「何だ?」
「いえ、何でもありません」
だが、その瞬間の表情に、俺は深い悲しみを見た。
数値化できない「何か」が、彼女の心に重くのしかかっている。
「…効率的な感謝表現だな」
俺はぎこちなく答えた。
だが内心では認めざるを得なかった。
この感情は、データでは測れない。
夜、俺は一人で考えていた。
フォレストベアの凶暴化、グラウスの謎めいた言葉、そしてエリスの隠された秘密。
すべてが繋がりそうで、まだ見えない。
だが一つだけ確実なことがある。
俺はエリスを…この感情を、守りたい。
数値化できない想いを、胸に秘めながら。
明日からは新しい段階だ。
騎士団試験まで、あと一週間。
俺たちの真の実力が試される時が来る。
そしてその時、すべての謎が明かされるだろう。