データ収集には肉体強化が必須だ
「死ぬかと思った…」
暗闇から一瞬で意識が戻る。
ここは…どこだ?
睫毛の隙間から見える木漏れ日、耳に届く鳥の鳴き声、体に触れる草の感触。どれも記憶にない。
身体を起こして周囲を見回す。見知らぬ森の中だ。
最後に覚えているのは、オフィスでの残業中、急激な胸の痛みと…。
「状況解析開始…」
自然と口から漏れた言葉。データアナリストとして生きてきた職業病だろうか。
しかし次の瞬間、驚くべきことが起きた。
視界に情報が浮かび上がる。
【環境データ】
気温:22.3℃
湿度:61.7%
危険生物遭遇確率:32.4%
「なっ…なんだこれ?」
混乱しつつも、俺の分析思考は止まらなかった。
「転移か、それとも転生か…異世界である確率は高いな」
冷静さを取り戻す。この奇妙な能力を試すように、目前の一本の木に意識を集中した。
【オークの木】
樹齢:28年
硬度:C-
特徴:実が食用可(栄養価B+)
「興味深い…この能力は…」
さらに集中を深めると、より詳細な情報が浮かび上がった。
【天衡識理】Lv.1
-対象の基本情報をランク化
-危険予測機能
-自動分析(視界内)
「『天衡識理』…星を測り、理を識る。あらゆるものを分析するための能力らしいな」
異世界転生と同時に授かった特殊能力。混乱するよりも先に、その性能を確かめたくなる自分がいた。
「さて、まずは自己分析だ」
自分自身に意識を向ける。
【ステータス】
名前:ソウマ(結城蒼真)
年齢:18歳
筋力:E+(平均以下)
知性:A↑↑(優秀で飛躍的成長の可能性)
耐久力:E(平均以下)
「…ふざけるな」
唖然とする。知性以外のステータスがこれほど低いとは。
「これでは正確なデータ収集ができない。基準値の信頼性が低すぎる」
データアナリストとして生きてきた前世の習慣だ。正確な分析をするためには、信頼できる基準が必要。
その基準が自分自身なら、まずは自分を鍛え上げるべきだ。
「結論。分析精度を上げるには、基準となる自分自身が強くなるのが論理的必然だな」
一度決めたら、俺は迷わない。
この森から出て、人里を目指した。幸い、天衡識理が方向を教えてくれた。
小さな町に到着したのは日没前だった。
「アークライト?人口約3,000人…まずまずの場所だな」
町の入り口で警備兵に怪しまれたが、説明すると特に問題なく通してもらえた。
「意識を失って森で目覚めた、か。災難だったな」
「ええ、まあ…」
最初に目指したのは宿屋だ。
幸い、森で見つけた薬草や鉱石を売って、当面の滞在費は確保できた。
「ザットイン・ベル」という名の宿に一番安い部屋を借り、そこを拠点に計画を練る。
「まず必要なのは、筋力と耐久力の向上だ。目標はCランクまで引き上げる」
部屋に戻り、床に座って紙とペンを取り出した。
そこに俺は理論的なトレーニング計画を書き始めた。
【効率的筋力強化計画】
-腕立て伏せ:100回×3セット(朝・昼・夜)
-腹筋:100回×3セット(朝・昼・夜)
-スクワット:100回×3セット(朝・昼・夜)
-ランニング:5km(朝・夕)
「これで3ヶ月あれば理論上はEランクからC+まで上昇可能だ」
次に「効率的資金調達計画」も立てた。
「昼間は単純労働で収入を得て、夜間と早朝はトレーニングに充てる…完璧だな」
計画を立て終わると、俺は早速実行に移した。
翌朝から猛烈なトレーニングが始まった。
「ぐっ…74…75…」
腕立て伏せをしながら、筋肉の状態を分析する。
「筋繊維の収縮効率はまだ向上の余地がある…」
宿の裏庭で早朝からトレーニングする姿は、すぐに町の噂になった。
「おい、あの若者は毎朝あんなことをしてるのか?」
「ああ、『データ収集のため』だとか言ってな」
「頭がどうかしてるんじゃないか?」
そんな声も耳に入ったが、俺は気にしなかった。
「筋肉の成長率は予測通りだ。計算に狂いはない」
日々の鍛錬に加え、町の仕事も引き受けた。木こりの仕事は筋力トレーニングにもなるし、運搬の仕事は耐久力向上に効果的だ。
「薪割りの効率性は、腕の角度を少し下げると向上する」
そんなアドバイスをしたことで、雇い主の評価は上がった。
「助かるが、お前さん…なんでそんなに細かく分析できるんだ?」
「効率的なデータ収集をしているだけだ。当然だろ」
「変わった若者だな」
雇い主は苦笑いを浮かべた。
「でも、お前のおかげで作業効率が上がってる」
「当然の結果だ」
俺は胸を張った。
「データに基づいた最適化だからな」
2週間が経過すると、最初の成果が出た。
【ステータス】(2週間後)
筋力:E+ → E++(徐々に向上中)
耐久力:E → E+(わずかに向上)
「予測通りの進捗だ…だがまだ足りない」
1ヶ月が経過した頃には、町の人々は俺のことを「分析狂い」と呼ぶようになっていた。
食事をしていても、
「この肉の調理温度は最適値より低いな。栄養価を最大限抽出できていない」
商店で買い物をしていても、
「このリンゴ、価格設定が市場相場より高い。不当だな」
そんな発言を繰り返すから、商人たちからは嫌われ始めた。
「あいつ、また数字のことばっかり言ってるぜ」
「普通に話せないのかね」
気にしない。データの正確さこそが重要だ。
トレーニング開始から3ヶ月。
黙々と続けた努力が、ついに目に見える形で結実した。
【ステータス】(3ヶ月後)
筋力:E+ → C(良好なレベルに向上)
知性:A↑↑ → A+(さらに向上)
耐久力:E → C-(大幅に向上)
「理論通りだな。俺の計算に誤差はなかった」
鏡に映る自分の体は、明らかに変化していた。痩せていた体に筋肉がつき、持久力も大幅に向上した。
「データ収集の基盤は整った。次のステップに進むか」
ある日、宿の主人が声をかけてきた。
「お前さん、毎日すごい鍛え方してるな。何か目指してるのか?」
「正確なデータ収集だ」
「はぁ?」
困惑する主人に、俺は淡々と説明した。
「この世界のあらゆるデータを収集し、分析するためには、まず基準値である自分自身の強化が必要だった」
「次のフェーズ?」
「実戦データの収集だ。明日から冒険者ギルドに登録する予定だ」
主人は頭をかきながら笑った。
「変わってるな、お前さんは。でも…確かに逞しくなった。最初に来た時とは別人だ」
俺はうなずいた。
「当然だ。俺の理論は完璧だからな」
そんな会話をしていると、胸の奥に小さな温かさが宿った。
「この感情は…数値化できないな」
俺は心の中で呟く。
データには現れない、でも確かに存在する「何か」。
それが俺の中で静かに育っていた。
トレーニング4ヶ月目。筋力と耐久力はCランクに到達し、知性はA+を維持している。
「実戦データが必要だ…」
冒険者ギルドに向かう道すがら、今日の訓練メニューを考えていた。
「筋力のさらなる向上には、実際の戦闘データが必要だ」
町の人々からの視線は気にならない。
彼らは俺のことを「筋トレ狂いのデータオタク」と呼ぶようになっていたが、その評価の正確さは半分程度だろう。
「まあ、理解されなくても構わないが」
冒険者ギルドの扉に手をかけながら、俺は満足げに微笑んだ。
「さて、次は実戦データ収集だ」
筋力C、耐久力C、知性A+。
かつてのE+ランク少年は、既に最強への道を歩み始めていた。
だが、俺はまだ知らなかった。
このギルドで、俺の人生を大きく変える出会いが待っていることを。
「データ収集の第二段階、開始だ」
俺は扉を開いた。
そこで待っていたのは、銀髪の少女が倒れている光景だった。