成功でも失敗でもなく、生存
颯
真は部屋の片隅に立ち尽くしていた。カリンの静かな語りを聞きながら、目の前の世界がぐらつくような感覚を覚えていた。彼女の過去の話は、まるで自分がずっと目を背けてきた現実を突きつけられるかのようだった。
彼はカリンの横顔を見つめた。
その瞳には、言葉では表せないほどの深い傷と、それを抱えたまま歩き続ける覚悟が滲んでいる。目の前のカリンは、自分よりもずっと若いはずなのに、その内面には何十年もの人生を詰め込んだような重さがあった。
颯真は思わず自分の手を見る。震えていた。
彼は自分のこれまでの悩みを思い返していた。会社の評価が思ったように上がらないこと、会議でうまく発言できなかったこと、同僚との些細な人間関係のいざこざ……。
そして、経済破綻の影響を受けて失業した。それらは彼にとって重要だった。いや、人生そのものだと思っていた。けれど、今となっては、それらがいかに小さく、取るに足らないものだったかを痛感せずにはいられなかった。
「俺の悩みなんて……まるで、子どもの駄々だ。」
心の中でそう呟きながら、彼は自嘲気味に笑った。カリンが経験してきた地獄と比べれば、自分の世界はなんて安っぽく、薄っぺらいのだろう。
カリンは話を終えると、無言でモニターに視線を戻した。その動きはあまりに自然で、彼女にとっては、この壮絶な話ですら日常の一部でしかないのだと感じさせた。
一方、颯真の心の中では、感情の嵐が吹き荒れていた。
憤り、自責、そして畏敬——それら全てが入り混じり、頭の中をぐるぐると駆け巡る。彼は自分がこの部屋に立ち入った時とは、まるで別人になったかのように感じていた。
彼はふと、カリンの手元のノートに目をやった。そこには、彼女がモニターの情報を分析しながら書き込んだメモがびっしりと埋め尽くされている。
それは複数の言語が入り混じった文字の海だったが、その一つ一つに彼女の命を削るような情熱が込められていることを、颯真は直感的に感じ取った。
「俺は……何をしていたんだ?」
その問いが胸の奥に深く突き刺さった。
カリンのように全身全霊を捧げて生きる覚悟もないのに、どうして自分が人生について語れたのだろう。自分はただ、安全な場所から物事を眺め、文句を言い、少しの傷でさえも過剰に恐れていたのではないか。
颯真は思わずカリンに話しかけた。
「君は……すごいな。俺なんかが言える言葉じゃないけど、本当に、すごい。」
カリンは一瞬だけ手を止め、彼を見た。
その瞳は、褒め言葉を受け取るというよりも、ただ静かに彼の言葉を聞き流しているようだった。そして淡々と、こう返した。
「ただ、生き延びただけよ。それが唯一の勝ち残る方法だったから。」
その言葉は、颯真に新しい視点を与えた。
人生とは、成功や失敗で測れるものではなく、生き延びるその過程にこそ意味があるのだと。颯真はそれ以上何も言えず、ただその場に立ち尽くしていた。
カリンの世界を垣間見たことで、自分がこれからどう生きるべきかを問われているようだった。そして彼は、自分が小さな殻の中に閉じこもり、そこから一歩も外に出ていなかったことを、痛感した。
その瞬間、颯真は初めて、自分の旅の本当の意味に気付き始めた。
「自分の小さな世界を壊すこと」——それこそが、この旅の出発点であり、目的なのかもしれないと。