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ひとつぼしふる

作者: 深海聡

 墨を流したような空は、月の影さえもない新月の夜。

 自分の鼻先さえ見えない闇夜に、セルカはじっと空を見上げていた。

 寝床から出ればたちまち凍えてしまう寒さの中で、その目は見えないはずの星の軌跡を追っているかのように一心に夜空を探る。

 闇夜を、不意に光がひとなぎする。


「来た」


 光に乗って、ポトリと子どものこぶしほどの何かが落ちる。

 月明かりさえもない部屋の中で、それはうねうねと動いて、わずかばかりの燐光を放つ細長い体を伸ばしてセルカを間近から覗き込んだ。

 呼気に合わせて赤いリボンの舌が揺れるそれは、円らな黒いボタンで出来た目で、セルカを見つめる。


「あなたがボクの案内人?」


 首を傾げるセルカに合わせるように体を揺らして、白いちりめんで出来たへびのぬいぐるみはそっとセルカにはい寄ると、その体をしっぽでペチペチと叩いた。


「そうだよ。説明は、もう済んでいるみたいだね」


「さっき落ちた星が、教えてくれたよ」


 そう呟いて視線を落としたセルカに、へびのぬいぐるみはシュルリと巻き付く。


「わたしを案内人に選んだあなたの行き先は、闇夜のお茶会だけど、良いの?」


「うん。この夜だけは、自由にどこにでも行けるみたいだけど、行きたいところも、やりたいことも決まっているから」


 わずかばかり光っているようだった案内人の体が、星を集めたように輝き始める。

 その輝きに照らされて、闇に沈んでいたセルカの姿が浮かび上がる。

 やせっぽちで、灰色の薄汚れた子猫が目をしょぼしょぼさせながら眩しそうにへびのぬいぐるみを見る。


「じゃあ、行こうか」


 案内人の声と共に、足元がトプンと水に沈む。

 何の変哲もなかった木の床が、いつの間にか静かな湖に変わる。


「闇夜のお茶会へ」


 湖に一歩踏み出せば、漣が立っていたはずの水面が扉になって開く。

 それに目を輝かせて、セルカは後ろを振り返りもせず、そこに飛び込んだ。




 光ひとつない闇世の中を、まばゆく輝く案内人が導く。

 それは不思議と心と、体と、全てを吸い寄せる光で。

 これに付いて行けば、必ずたどり着けると思わせる不思議な光だった。


「お待ちしておりましたわ」


 まろやかで深みのある、耳に心地の良い女性の声に、セルカは夢見心地だった気分からふと引き戻される。

 瞬きを繰り返して辺りを見渡せば、あれほどまばゆく輝いていた案内人の体は光を失い、その代わりに至る所に置かれた硝子細工のような何かにほのかな光が灯されている。

 小さな蝋燭ほどの光が、星屑のように無数に揺らいで青白い光を投げかける。

 周囲の人物の顔や服装は見えないほど、自分自身の手元にある茶器やそこに満たされたお茶が湯気を立てている様子が分かるほどの、絶妙な明かりの加減にセルカは息を止め、ゆっくりと吐く。


「ご安心くださいな。姿かたちは見えずとも、ここにいる者たちは皆わたくしに招かれる資格を持つ者であれば」


 主催者らしき女性が、ゆったりと言葉を紡ぐ。

 その言葉を、誰もが聞き漏らすまいと傾聴している様子にセルカも再び息を詰めていた。


「最後の参加者がいらしたところで恐縮ですが、既に夜も更けて参りました。そろそろ、皆様にお分けするお品についてのお話しをさせていただきましょう」


 わずかな衣擦れの音を立てて、女性が立ち上がったらしい気配がする。


「まず、あなたにはわたくしのいちばんの宝物を」


 お茶会のテーブルはどうやら細長い形をしているらしく、女性のいちばん近く、最も上座に座っていた誰かにチャリ、とかすかな音を立てて宝物の鍵らしき金色に光るものが渡された。


「より一層の研鑽(けんさん)に励みます」


 わずかに震えを含んだ、まだ年若いと分かる女性の声で答えが返り、その人が立ち上がって深く一礼した気配を残して、ふと存在が消える。

 受け取る品を受け取って、退席したのだろう。

 知識として知ってはいても、緊張に、乾いた口を潤そうと茶器を持ち上げた指先が汗に滑りそうだ。


「あなたには、わたくしの記憶を」


「必ずや、次代に引き継ぎましょう」


 差し出された本を受け取って、魂を震わせるようなバリトンの声が、悲しみと憂いを呑んで闇に落とされ、その人も深く一礼して去る。

 そんなやり取りが、何度も何度も繰り返されて。

 年齢も性別もバラバラな参加者が、皆何かしら大切そうなものを譲り渡され、名残惜し気に言葉を交わして去っていく。

 そう。

 これは、送別のための会。


「そして、あなたには――」


 目の前に立った主催者に、セルカは顔を上げて、初めてその姿を見る。

 今までなぜその姿が見えなかったのかと不思議になるほど、彼女は目に染みるほどの白を纏っていた。

 白い髪、白いドレス、全身を覆う純白のヴェール。

 真っ白な中で、その双眸だけが夜の空を切り取ったかのような不思議な青をしていた。


「わたくしの9つめの命と、霊薬を差し上げます」


「キアーラ」


「シェリルカリッサ……どうか、あなたの望みのままに」


 真っ白な年老いた猫が、灰色の猫に姿を変えていたはずのセルカの足元をひと撫でしていく。

 長年の勤めを終えた猫が、安息の地へと続く道へと消えていくのを、ぼんやりと見送る。

 ふと足を止めて彼女が振り返って、ひと鳴きする。

 その声に、セルカは――シャリルカリッサは、灰まみれの服の裾を翻して、必死に走り始めた。


「あの日、あなたが助けてくださらなかったら、年老いて力が弱まったわたくしにはお役目が果たせなかったでしょう。あの日わたくしが使わなかった残り物で恐縮ですけれど、でも、これでやっと全てのお役目が……」


 真っ白な猫は、そっと鼻をひくつかせて、夜空に漂う何かをかぎ取るような仕草をする。


「ああ、匂いが変わった」


 そして、キアーラと呼ばれた猫はかすかに笑ったようだった。




「そして、灰まみれの少女は手にした薬瓶をひとりの少年に与えました」


 くすんだ金色の髪を結い上げた女性が、本を読み聞かせている。

 温かな暖炉では炎が時折爆ぜ、その前に置かれた毛足の長い敷物が掛けられたソファに座った子どもたちは真剣な面持ちで物語に聞き入っている。


「少女を庇って死に掛けていた少年は、焼けた大地に雨を呼び、芽吹きをもたらして回りました。少年は、不思議な力を持つ一族だったのです。その様子を見届けて、少女は静かな眠りにつきました。猫の与えた命は、凍えて尽きた少女の命を補う、望みが叶うまでのほんのひとときの命だったからです」


 思い掛けない話の展開に息を飲む子どもたちを見渡して、女性はにっこりと笑みを浮かべる。


「少年は少女の亡骸を抱いて、三日三晩祈り続けました。そして――」




 少年は、目の前に現れたまばゆく輝くそれを、目を眇めて見る。

 白いちりめんでできた蛇は、リボンの舌を揺らめかせながら表情の伺えない真っ黒な目で少年をまっすぐに見上げ、無情に告げる。


「――闇夜のお茶会は、定員だよ。これは、ご主人からの餞別」


 カチャンと、硬い音を立てて置かれたそれは、銀のはさみ。

 それは運命を結ぶ力を与え、あるいは断ち切る力を持つ、はさみだ。

 それを手にした少年は、それを与えた者の意図を汲み取って、かすかに笑った。


「では、この力の全てを捧げよう」


 そして、ひとつの星が流れる。

 まばゆく輝く軌跡を残した星が、ふる。

 少年は、全ての運命を、その身に宿る奇跡の力を捧げて祈った。

 少女が全てを捧げて少年と、愛する皆の幸福を願ったように。

 少年は少女の幸福を祈った。




「あらあら、寝てしまったわ」


 暖炉の温もりに誘われたのか、話を聞いていたはずの子どもたちはいつの間にか眠りに落ちてしまったようだ。


「……可愛い寝顔だこと」


 そっと頬に触れれば、むずかるように眉が寄せられる。

 子どもたちは、いつの間にか互いを抱きしめ合うようにして眠りに落ちていて、その仲睦まじさに思わず女性の顔がほころぶ。


「まるで物語の少年と少女ね……でも、あなたたちには幸せな日々があって欲しいわ」


 黒い髪と、暗がりでは灰色にも見えるくすんだ金色の髪をそっとなでる女性の手つきは優しく、慈しみが見える。


「キア。あの子たちは寝てしまったの?」


 扉を開けたままにしていた部屋に黒髪を結い上げ、美しい衣に身を包んだ女性が顔を覗かせる。

 寄り添って眠る子どもたちに目を止め、傍らにいる女性に朗らかな笑みを浮かべる女性を、お仕着せを着た女性――キアと呼ばれたくすんだ金色の髪の女性が出迎え、そっと手招きする仕草に応じてその場を離れる。


「はい、ジュリア奥様」


「そう。リーチェはまだあちらで話の切れ目が見えないのよ……」


 子どもたちを起こさないようにひそめられた声が遠ざかり、扉が小さな音を立てて閉ざされる。

 すると、眠る子どもたちの上に、どこからともなく小さな輝きがポトリと落ちた。


「どうか、今世では願い叶うように」


 呟くような声が、光の糸になって降る。

 その光は、眠る幼子を包むように、そっと融けて消えた。




 少女は、軒先にうずくまる白い年老いた猫を抱き上げる。


「お前も宿なしなの? ……少しだけだけど、ボクのごはんをあげるよ」


 本来の性別を隠すためなのか、灰色に汚れた髪を適当に割いた布でくくり、大きさの合っていないシャツとズボンに身を包んだその子は、凍える猫を懐に抱いて、かすかに微笑んだ。

 食べる気力がないのか、命のあるものを放っておけなかったのか。

 少女は少ししかないミルクがゆを、皿ごと猫の目の前に置いた。

 傍らには、布でぐるぐる巻きになっている、けがの程度が激しい少年が青白い顔で横たわっている。

 布の隙間から零れ落ちる、少年の髪は汚れて艶を失ってもなお、目を引く黒髪だった。


「この人が助かるなら、皆が助かるなら、ボクはどうなっても構わないのに……」


 すすがついて薄汚れた頬を、涙が滑り落ちていく。

 その涙を、わずかなご飯を食べ終えた白い猫がそっとなめ取る。

 その瞳は、夜空を切り取ったかのような不思議な青をしていた。




 それは、星と降る運命の物語。

 それは、ある猫の最後の勤めの物語。

 それは、ある少年と少女の願いの物語。

 そして――



「グウェン、ご苦労様」


 落ちかかってきたくすんだ金の髪を撫でつけて、その女性は白銀の蛇からそれを受け取る。

 銀色のはさみを大切そうに道具箱にしまって、彼女は淡く微笑む。

 白いちりめんで出来た蛇の人形を、大切に掌で包み込むようにして彼女はそっと口づけを送った。


「どうか、今世では――」


 呟くような声は、祈りとなって夜の闇に降る。

 そう。

 そしてこれは、ある魔女が繋いだ(えにし)の物語。

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― 新着の感想 ―
闇夜のお茶会とは一体どういうものなのか、気になりますねー。
2025/01/17 08:44 退会済み
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