#17 抱き枕
楽しい時間はあっという間に過ぎる。いつの間にか寝る時間になってしまった。
「それじゃ、おやすみ〜」
四人分布団を敷き、私と悠加、雨雅さんと枯月さんが隣同士で眠る。
好きな人が隣に眠っているというこの状況。もちろんすんなり眠れる訳もなく、布団と毛布の間に身体を挟んでいるだけの状態が続いた。
自分の心音が早くなっているのを感じながら、眠ろうと必死で目を瞑っていると、隣から小さく「うぅ」と呻くような声が聞こえた。
悠加の声だった。心配になって声のした方に寝返りを打つと、ちょうど同時に寝返りを打った悠加と目が合ってしまった。
悠加が驚いたようにこちらを見る。気まずい。
「七、まだ起きてたんだ」
「うん……」
かろうじてお互いにギリギリ届くくらいの小さい声で話す。
枯月さんと雨雅さんはもうぐっすり眠っているようで、寝息が聞こえてくる。
「七、枕違うと寝れないタイプ?」
「あ、えっと……うん、そうかも」
本当の眠れない理由なんて言えないから、適当に肯定する。
「悠加も?」
「あー……私は抱き枕無いと寝られないっていうか……」
いつも抱き枕を使っているのか、と思い、その様子を妄想してみる。
口角が上がりそうになったのでやめた。
「七が前ゲーセンで取ってくれたやつ使ってるんだ〜」
悠加がにやにやしながら言う。
前に私が悠加と初めてデートした時に、クレーンゲームで取ったものの事だろう。
嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい。
「そっか……使ってくれてるんだ……」
表情筋を抑止できない。おそらく今の私は本当に腑抜けた笑顔をしている事だろう。
「でもどうしよう……抱き枕の代わりになるものでもあれば……そうだ!」
何か良からぬ事でも思いついたみたいに邪悪な笑みを浮かべる悠加。
その瞬間、私の頭に一つの可能性が浮かんだ。
「悠加……まさか……」
「えいっ」
抵抗する間もなく、私は悠加の抱き枕にされてしまった。
悠加の息が近くから聞こえ、心臓の鼓動までもが私の体に響いている。
「ちょ、悠加ぁ……?」
「ほら静かにぃ。栞とゆかり起きちゃうよ?」
悠加はにやにやしながら私の身体を抱きしめる。全身がっちり捕まれてしまい、ほとんど身動きが取れない。
「あ、でも姿勢変えられなくて苦しいとかだったら全然言ってね」
「や、それは……大丈夫。続けていいよ」
この期に及んで私の姿勢の心配をしてくれるなんて!私は危うく惚れそうになった。いや、もう惚れてた。
もし私がここで拒絶していれば円満にこの状況は回避できていたのだろうが、私は睡眠欲よりも下心を優先してしまった。
一切の躊躇いもなく「続けていいよ」なんて情けない、みっともない事を言ってしまった。
ちなみに後悔は一切していない。
「やっぱり七、抱き心地良いねぇ……」
「そうかな……」
腑抜けた返事しかできない。頭が回っていない。
悠加の頭が私の頭の真下あたりに押し付けられている。悠加は丸くなるように私にしがみつく。例えるならばコアラのような姿勢。
すぐ近くから悠加の髪の匂いがしている。
「はー……落ち着く。すぐ寝れそ……」
悠加が安心したようなため息を吐く。
密着しているが、私の心臓が早くなっているのに悠加は気付いているのだろうか。
必死になって落ち着こうとしたが、悠加が心地よさそうに私の脚に脚を絡めてきたから、それは叶わなかった。
抱き枕に脚を絡める事は無いだろう!と言いたかったがやめた。
さて、ここまで現状に対する不満を綴ったが、実際に私を支配していた感情は殆ど幸福だった。
そりゃあ意中の人と添い寝して抱き枕がわりに使われているなんて誰だって嬉しい。
眠れない苦しみよりも、圧倒的にこの時間を過ごす喜びの方が勝っており、いっそ徹夜でこの感触を楽しんでいようかとも思った。
しかし、普段から健康的な生活を送り一日七時間半の睡眠は欠かさない私にとって、布団に寝転がったまま眠気を耐えるというのは、いくらこの状況であれど不可能だった。
約三十分の格闘の末、私は眠りに堕ちた――
明晰夢、というものがある。
夢の中で夢と自覚している夢の事である。逆説的に、夢というものを利用して好き勝手な事ができる、という状態とも言える。
私は今それを見ていた。
「七、愛してるよ」
絶対に言わないであろうワードを囁きながら、私の頭を撫でる悠加。
私はどうやらソファ、或いはベッドのような柔らかい場所に座っているらしい。そして、悠加はその隣に座っている。
その表情は普段悠加が見せないような少し妖艶な笑み。
「悠加……私も……その、愛してる、よ……」
夢の中でさえ恥ずかしくなる。
ああ、なんて幸せな時間だろうか。こんな幸せで私は許されるのだろうか。
明晰夢は睡眠の質が低い時に見ると聞く。そして、身体が圧迫されていると睡眠の質は下がるらしい。
要するに、私は今、悠加に抱かれているが故に悠加に膝枕される最高の夢を意識を鮮明に保ったまま見ることができている。という事である。
悠加には感謝してもしきれない。
「七、そんな固くならないで、好きなだけ甘えていいんだよ?」
悠加はそんな事言わない!というような、自分の夢に対し解釈不一致を覚える気持ちと同時に、ただ純粋にその言葉を喜ぶ気持ちがあった。
ここは夢であるから、何も躊躇う必要などなかった。
私は腑抜けた声で肯定の言葉を述べ、愛の言葉を馬鹿みたいに繰り返し囁きながら悠加のお腹に抱きついた。
夢はその人の欲望を示すというが、それならば夢がその欲望を教えてくれる事もあるのだ。
私は自分が悠加に甘えたがっていたのだということを今更理解した。
「そんなにがっつかなくても、私は居なくなないよ?」
「居なくならない?ほんと?」
「ほんとだよ〜。ずっと傍にいるからね……」
ああ、夢というのはなんて幸せな物なのだろう。
いずれこれが現実にならないだろうか。
「ずっと一緒だよ悠加ぁ……んへへ、んへへへへ……」
おそらく今の私はかなり気持ち悪い。自分の夢に出てきた、自分の妄想が描いた好きな人に、気持ちの悪い笑い方をしながら甘えているのだ。
しかし、そんな事を考えている暇は私には勿論無く、ただ幸せの中に身を投じていた――
「……な……」
「起……て……」
今度は間違いなく、夢では無い、悠加の声だった。
「へっ……あ……朝……か」
悠加の声は私の隣ではなく、上から聞こえてきていた。
そして、目を開いて確認すると私が今抱きしめているのは悠加ではなく毛布であった。
「あ、起きた!」
声のする方に顔を向けると、私を真上から悠加が覗き込んでいた。
「七、今寝言すごかったよ。ずっと『んへへへ……』みたいな笑い方してて……」
「えっ、ちょ!悠加、どこまで私言ってた?!」
大慌てである。私は飛び起きた。
ずっと一緒、なんて言葉を聞かれていたら恥ずかしすぎる。ただでさえ変な笑い方を聞かれて恥ずかしいのに。
「笑ってるだけだったよ?」
「あっ、安曇起きたか」
安堵していると、雨雅さんが歯ブラシを咥えながらやってきた。
「あ、おはよ〜」
枯月さんも、既に服を着替えて待っていた。
「あっ、えっと……おはようございます。……ところで、今何時……」
どうやら私は結構寝てしまっていたようだ。
まだ眠たい身体で立ち上がる。
「七、めっちゃ楽しそうだったけど……いい夢でも見た?」
「へっ?あっ、いや、その……なんでもない!」
適当な言い訳も思い浮かばず、私は逃げるように洗面所へ向かった。
帰宅同好会の睡眠時間
七の睡眠時間は作中でも触れている通り、七時間半は必ず眠る。
悠加は日にもよるが基本は七時間、栞も同じくらい眠る。
ゆかりは度々徹夜したりする。日頃から五六時間しか寝ていない。