06 入院患者
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酒場には多くの【ならず者】が出入りする。
耳をすませば、酔った勢いで口にする愚痴が聞こえてくるのが稀な事ではないのは、どの時代にもある事だった。
「クソッ!裏切り者が良い生活をしやがって!」
「だが、ひと目も有るし忍び込むのも難しい。何より逃げ道を確保するだけの金も無いだろう」
「・・・・・・・」
モリアーティ教授の部下【モラン】が耳にしたのは、そんな会話だった。
そして彼は【良い生活】のワードを聴き逃さなかった。
「なんだい兄さんがた。随分とシケた酒盛りだねえ。怨み事かい?話を聞いてやろうか?」
そう言って、モランは自分の飲んでいたボトルから酒を注いでやった。
三人の男達は顔を見合わせたが、既に刑期を終えた後なので、昔の話をしても罰せられる事はないと判断した。
それに、他人に話す事で楽になるのは確かにある話だ。
自分達はロンドンに長居をするつもりも無いし、恥はかき捨てできる。
地元の奴なら、何かの手助けになるかも知れないと考えた。
「昔の事だが実はな、俺達は強盗をやっていたんだ」
「強盗?勘弁しくれ、金はそんなに無いぞ」
「安心しろ。ちゃんと刑務所で刑期を終えて、一応は真っ当な人間になっている」
男達は、注がれた酒を一気に飲み干した。
「だがな、そんな俺達にも許せない事がある。それは捕まった俺達を裏切って隠していた金の在りかをバラし、無罪放免された奴だ」
「司法取引って奴だな」
犯罪者も、警察に有益な情報を提供する事で、減刑や無罪放免され新しい戸籍を与えられる事がある。
これは現在の警察組織でも一部の国で行われているらしい。
「加えて奴は隠し金の全てを白状した訳じゃなく、放免後に生活する資金を隠していたようだ」
「それで、それを資金にして病院を経営し、今では富豪の仲間入りなんだとよ」
「死刑になったボスも、あの世で恨んでいる事だろう」
「そりゅあ、許せないわなぁ。話の内容だと居場所は掴んだんだろ?文句ぐらいは言ったのか?」
男達は首を横に振った。
「奴を見付けた時に顔を見られちまってな。元々が自分の経営している病院の特別室に患者として住み込んでいたんだが、それ以後は警備を増やして、散歩の時もガッチリガードされてるよ」
「ただでさえ人の多い病院じゃあ、騒ぎになる前に取り押さえられちまうな、確かに」
モランは、少し考え込む素振りをみせて、ゆっくりと口を開いた。
「あんた達が、今後も真っ当な人間でありたいなら、知らない田舎へ行って一からやり直すべきだ。だが、もしも少し手を汚す覚悟があるなら、良い人を紹介してやろう」
今日会ったばかりの男に、犯罪話を持ち込まれて、頷く奴は居ない。
「紹介?」
「ああ。俺は【教授】って呼んでるが、その人の指示通りに動けば、復讐を遂げて逃走資金と逃走ルートを用意してくれるだろう」
「そんな人が居るのか?」
「話がうますぎないか?」
男達は、弱味につけこまれ何かに巻き込まれる気がした。
「心配するのは分かるよ。ただ、話を聞くだけでもどうだ?あんた達をゆすっても、脅しても、金なんて出ないだろ?」
「確かに、俺達を騙す利点なんて無いが・・・」
意に沿わぬ仕事をさせられても、逃げるかも知れない。
家族も無ければ資産も無い。
日雇いの仕事にありついて、酒を飲むしかできない彼等を騙してもメリットはない。
「先ずは、その裏切り者の居る病院とか、詳しい話を聞こうか?二・三日後には、ここで紹介できると思う」
「まぁ、その【指示】とやらを聞いても損はないだろうな」
男達は【教授】とやらの話を聞いてから、考える事にした。
「そう言えば、自己紹介がまだだったな。俺はセバスチャン。セバスチャン・モランだ」
セバスチャン・モランは、約束通り三日後に酒場に現れた。
「教授に会うんだな?」
「話を聞くだけだ。後は、それから考える」
モランに承諾し、三人組は彼の指示した馬車に乗り込んだ。
馬車には背中を丸めた紳士が既に乗っていた。
「モランから話は聞いている。走りながら話そうか・・・」
その男が杖で馬車の天井を叩くと、馬車はゆっくりと走り出した。
「儂の考えたプランだが、先ずは患者を装おって、うちのモランに下見をさせる。医者の目は誤魔化せんから適当に患者を見繕うとしよう。その上で、夜中の警備が手薄な時間に二人が侵入し、奴を脅すなり殺すなりするが良い。その際はモランも同行させる。アレは警察の巡回予定も熟知しているから、スケジュール管理にもってこいだ。残る一人は、外で馬車の準備だ。逃げる時に馬車が消えていたら嫌だろ?その馬車で港まで走り、翌朝出航のアメリカ行きの貨物船に乗り込む予定だ。旅券も当面の生活費も、その時に渡してやる」
「だが、もしも奴が警察に通報していたらどうする?」
教授は頭を左右に振った。
「警察が待ち構えていたら、お前さん達は旧友に会いに行くだけだ。それに相手は警察を呼ばんよ。襲われる理由を話して病院経営の資金源を調べられたら、今から監獄行きになるからな」
言われてみれば、もっともな事だ。
教授の話を聞いた三人は、おおよその納得を示した。ただ、
「でもよぉ、なんでソコまでしてくれるんだ?あんたらに利はねぇだろう」
「だからこそ、モランを同行させるのだ。病室暮らしの金持ちなら現金は望めないだろう。だが、証券や小切手、宝石類などが有るだろうからソレを頂く。下見をさせるのも、場所を特定しておいて効率化する為だよ」
「証券とかは、足がつくぜ。強盗やってた俺達をも、現金か宝飾品しか奪わなかったくらいだからな」
「それくらいのコネは、儂ならば持っとるよ」
教授と呼ばれる男は、三人組に復讐と逃走を手助けする代わりに、裏切り者の財産を頂くつもりらしい。
「お前たち達が断っても、我々だけで財産は奪いに行くつもりだがね。警備の薄い所に金目の物が有るとは、放置すべき情報ではないからかな」
一般の富豪の家より侵入しやすく、警備が少なく、警察も巻き添えにできない【患者】が多数居る病院に金品が隠されているのだ。ある程度の犯罪者が知ったら放ってはおかないだろう。
「分かった。あんたの強盗計画に便乗させてもらうとするよ」
もはや、三人組が居なくとも計画は実行される様だ。
逆に、モランの助けが無い場合、情報収集や警察の動き、下準備はできないし、教授が居なければ活動資金と証券などの現金化ができないので資金面で計画は頓挫する。
「儂は【計画と金策だけ】だ。調達したり実際に動くのは、お前さん達とモラン逹じゃからな。失敗しても儂は知らんよ」
「承知したよ。役割り分担だが自己責任って訳だな」
「日時はモランに連絡させる」
皆が同意して、教授が杖で天井を叩くき、止まった馬車から三人は降りた。
御者席に同乗していたモランとアイコンタクトを交わすと、三人組は馬車を離れ、モランは馬車の中へと滑り込んでいった。
「どうです?奴等は使えそうですか?」
「大丈夫だ。お前も居るし、難しい話ではない。それに・・・」
「それに?」
教授は、モランの耳もとで小さく話し始めた。
「実はな、大佐。その病院の医院長からも【相談】を受けていてな」
「確か、トルヴェリアンとかいう医院長ですよね?」
ここからは三人組に聞かせない方が良い話だ。
「そのブレシントンという出資者との契約が無ければ、もっと利益がでるのにと、前金で幾らかもらっておるのだよ」
「じゃあ、病院への出入りも、病室の鍵も自由なんですか?」
「多少は騒いでも大丈夫な様に、看護婦を遠ざけておくそうだ」
「じゃあ、ほぼ成功じゃないですか?」
「それに一挙両得、いや【三得】と言う訳だ。医院長には例の探偵を呼ばせて面目も立たせるが、正直に話さない依頼人に奴は立腹してしまうだろう」
教授はホームズの性格も熟知している様だった。
「医院長は立場もあるし共犯だから、警察や探偵には本当の事は言わないでしょうが、あの三人は失う物がないので危険なのでは?」
「我々の事を話すと?その為に大佐に港で乗船するまで見張ってもらうんじゃないか。アメリカ行きの貨物船が大西洋で沈む事は珍しくない」
「あの船に乗せるんですね?分かりました」
海上保険法がイギリスで制定されたのは後の1906年だが、その前身的保険契約が無かった訳ではない。
14世紀にはイタリアで前身となる制度が存在していたし、イギリスでも1666年のロンドン大火を切っ掛けに、各種保険が登場している。
保険が有れば保険金詐欺が発生するもので、出航直前に荷を降ろしたり、沖合いで他の船に積み替えた空船を大海で沈め、乗員は並走していた船に救助させて保険金を手にする手口が存在するらしい。
「船の事故ともなると、全員が助かるとは限らないからね、大佐」
「教授の御意志は船長に伝えておきます」
こうして準備された【事件】は、この数日後に発生した。
「畜生!良い葉巻を吸ってやがるな」
「やはり殺そう!コイツが喋らなければボスも死ななかったかもしれねぇんだ」
「まだ時間は有る。一応は自殺に見せ掛けろよ。せっかく寝込みを襲えて争った跡が残らなかったんだからな」
「流石だな、モランさんは。自殺なら警察が動く事も無いだろう」
翌昼、ブレシントン達の依頼を断った件の探偵も、再び病院へと来たのだった。
「警察は【自殺】と断定したが、ホームズは【殺人】であり、その強硬症患者と息子が犯人のうちの二人だと考えているんだね?」
「あの強盗だとすれば五人組。首領は処刑され、一人は司法取引。残り三人と靴跡や葉巻の数が一致する」
だが、トルヴェリアン医師の評判を知るワトスンは、内心疑問に思う。
『一応は患者を診察したトルヴェリアンが、健常者と見間違えるだろうか?』
だが、強硬症の患者が残した住所はデタラメであり、犯行と無関係と考えるにはタイミングが良すぎるのだ。
ホームズは、狙われる理由を正直に話さず彼を不快にしたブレシントンの遺体を見て小声で口にする。
「今ごろ犯人達は海の上だろう。いや、下かな?」