04 ワトスンの妄想2
「次なる事件と言えば【まだらの紐】だったかな」
【まだらの紐】は、遺産を管理している動物博士が、相続人を毒蛇を使って殺害していく事件だ。
実は、後で調べ直して分かったが、ホームズは、この事件で幾つかの的外れな推理をしていた。
一つは、蛇が呼鈴の紐を伝わって出入りしていたと推理していたが、垂直に木登りできる蛇は稀で、更に紐となると皆無だ。
東洋に棲息するアオダイショウと言う蛇は垂直な木登りが得意らしいが、毒はないそうだ。
勿論、件の蛇にも無理だったろう。
ただ、紐を降りる事ができるのと、呼鈴の穴を使っていたのは間違いない。
二つ目は、蛇の餌にミルクを使っていたと推理した事。
ミルクを飲む蛇は居ないそうだ。
三つ目は、口笛で蛇を操っていたと推理した事。
蛇は振動なら兎も角、音には鈍感なそうだ。
四つ目は、蛇を金庫に入れて隠していたと推理していたが、粗雑な金庫だったとしても、例え冬眠する様な蛇だとしても窒息するのではないだろうか?
五つ目は、被害者の死体には目立った症状がなく、短時間で死んだものとの報告があったが、ホームズが述べた蛇の種類/クサリヘビ科の毒では、傷口が大きく晴れ上がり、数時間から数日苦しんで死ぬ。
「これらの推理は、詳しい者でなくては、その場で納得しただろう。だが、ホームズともあろう男がミスを犯すだろうか?」
確かに我々はホームズを過大評価してきたのかも知れないが。
「だが、これらの的外れな推理が、何かを隠す為のものだったら?」
蛇は頭が悪いが、訓練して覚えさせる事はできる。
蛇は耳は悪いが鼻は良いので、匂いで追いやる事や呼び寄せる事はできる。
持ち主が死んで開かなくなった金庫の中には何が入っているのかは不明だ。
蛇の種類を偽る事で、原産地を勘違いさせ、流通経路を誤認させたのではないか?
少し調べたワトスンが簡単に考えただけでも、これだけの事が推測できた。
「蛇の侵入ルートは呼鈴の穴と紐だろうが、帰還ルートは別に有るんだろうな。それに地位がある人間が金欲しさに人を殺すのも難しい。でも逆ならば・・・」
また推理ではなく疑問なのだが、死んだ学者が管理していた遺産は、全額残っているのか?
ホームズは、この件に関しては無関心だったのか、彼は調べていない。
更に、人間が死んでいるのに、なぜ依頼者は警察を通さずにホームズに頼みに来たのか?
多くの疑問や要因を踏まえて、ワトスンは次の様なシナリオを考えた。
―――――――――――
金策に走り回っている男性がいた。
巷の噂で聞き付けた、例の【悪い仲間】が相談に乗ろうと話し掛けたのだろう。
話を聞くと、管理を任されている他人の遺産を半分以上使い込んでしまい、一時的にでも半分は支払えれる様にしたいとの事だった。
男は困っていた。
確かに、ろくな担保も無く借りられる額ではなかったのだ。
金融機関からは断られ、闇金融さえ断っているらしい。
男性は動物博士で、珍しい動物を集める為に一時的に借りるつもりだったが、それが積もり積もって半分を越えていたのだった。
「研究成果が認められれば、直ぐに補填できるはずだったんだ」
『卵がかえる前に雛を数えるな』。東洋では『取らぬ狸の皮算用』とか言うらしい。
「期日は?」
「二人いる相続人のうち一人の結婚が決まったんだ。その時に遺産の半分を渡さなくてはならない。あと一年も無い」
「難しいな。アイツに頼めば何とかなると思うが」
紹介された男は、年配の職人の様だった。
「確かに、そんな金額を無担保同然で貸す奴なんかいないだろう。使い込みがバレれば、逮捕されて学者としても終わりだろう」
「何とかならないか?」
「そうだな。あんたのアリバイが成立する範囲で、その相続人達に死んでもらえばいいんじゃないか?」
「殺すのか?」
「あんたが直接手を掛けなくても良い方法を考えてやる。その相続人が住んでいる家は古いのか?」
「ああ。由緒のある建物だ」
「ならば、所々にガタがきてるだろ?家の修繕業者として俺を下調べに行かせろ」
「まぁ、それはくらいはできるが・・」
勿論この男は、とある探偵の変装だ。
家を下見に来た修繕業者は、いろいろと下見をし、修理箇所を指摘すると、遺産管理人である動物博士の許可を得て手直ししていく。
動物博士は修理業者の指示で、床が痛んでいたと言う部屋から別の部屋へと荷物を移しはじめる。
無作為に空き部屋を選んだ様に見せているが、実は業者に指定された部屋だったのだ。
一週間程の調査期間の最終日。業者は遺産相続する娘の部屋に取りかかる。
「この部屋の呼鈴は、本来が使用人を呼ぶ為の物ですが、今は学者先生がソノ部屋を使ってます。ただ、将来に再利用するかもしれませんので、紐を固定してベルは外しておきましょう」
「そうだな。部屋に持ち込んだ動物がベルで騒ぎだすと困る」
動物博士は与えられた返答を口にした。
「あと、床が一部痛んでます。ベッドを動かすと床が抜けるかも知れませんから、ベッドを固定しておきますね」
「ありがたい。嫁入り直前に怪我でもしたら大変だ」
業者は簡単な修理は終わったが、床の修理をしなくてはならない部屋が数ヶ所ある事を告げる。
「床の修理は、また後日行いたいと思います」
「そうしてくれ。今は結婚式前でゴタゴタしているから大工事は困るんだよ」
動物博士以外の者も、この提案には反論は無い。
多くの職人が出入りするなら、結婚式の後に願いたいと考える。
「で、どうなんだ?」
「下準備は終わりました。あとはコチラの手順書通りに」
修理業者は、請求書や見積書と一緒に、暗殺の計画書を引き渡した。
「残った遺産の半分を振り込み次第、こちらから人員と道具を送る」
「残金の半分だと?」
「どうせ、あんたの金じゃ無いんだろ?それとも捕まって全額失いたいか?」
「少し考えさせてくれ」
遺産金額は、既に調べられている。
当然、残金も概算がでる。
「畜生!人の弱味に突け込みやがって」
反感は感じるが、彼に選択肢は無かった。
計画書には、残る遺産相続人を殺害する手順まで書いてある。
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計画書のあらましは、こうだろう。
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・こちらの案内状を持ったメイドを雇う。
・メイドが手渡す金庫と、飼育箱に入った蛇とを受取り、計画書は他者に見られない様に金庫に保管する。
・蛇にはミルクを染み込ませた餌を与える。
・蛇は、食事の時以外は指定の飼育箱に入れて飼う。
・殺害を実行したい時は、潜り込ませたメイドに話し、夜中に餌を抜いた蛇を呼鈴の穴から送り込む。
送り込んだ後にタバコの煙を吹き込んで、確実に相続人の部屋へ落ちる様にする。
メイドは殺害実行の睡眠直前に、遺産相続人にミルクを飲ませるか、寝間着にミルクの匂いを付ける。
蛇の飼育箱は実は二つあり、飾り箱に見立てた作りとなっており、両方が同じ匂いがする様になっている。
メイドは、その一つを相続人の部屋に調度品として忍ばせる。
相続人の部屋に落ちた蛇は、ミルクの匂いを目指して寝間着にまで至り、噛み付くか、気が付いて暴れる女を噛んで、死に至らしめる。
蛇には飼育箱で休むように仕付けてあるので、計画が失敗しても成功しても蛇は匂いを便りに飼育箱へと逃げ込むだろう。
翌朝、死体発見のどさくさに紛れて、メイドが飼育箱を回収すると証拠になる蛇は消滅するのだ。
一人目が始末できたら、残る一人の相続人は『部屋の床修理の為に他の手頃な部屋が空いてない』と称して、件の部屋に寝泊まりしてもらい、再び蛇を放つ。
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蛇は、インド経由で入手可能だったクサリヘビを用いたかったが、品切れだった為にアメリカから輸入したサンゴヘビを用いた。
ただ、探偵が『サンゴヘビ』と言うと、普段に博士が取引しているルートから仕入れられるか分からなかったので、博士ルートで仕入れられる『クサリヘビ』と偽る。
この計画書通りに行って、二人が死ねば、遺産は管理者である博士が預かるしかない。
前金で貰っているので、このまま成功させても良いが、問題は、この博士から計画者や協力者の情報が漏れる恐れがある点だ。
変装していない【悪い仲間】や【メイド】の安全も、上に立つ者の責任である。
「不審な死亡事件なのですから、有名な探偵に調査を依頼してはいかがですか?」
当然だが、件の探偵を推薦するのは、侵入させたメイドだ。
残った相続人と秘かに部屋を替わった探偵は、実は殺害方法を全て知っているので、口笛の様に聞こえるタバコの煙を吹き込む音を合図に呼鈴の紐を激しく叩く。
出口側の紐から伝わる異常な振動に驚き、煙を掻い潜って戻る先には博士の顔が有るだろう。
驚く博士は暴れて蛇に噛まれて死ぬ。
もし噛まれなくても、部屋に飛び込んだ探偵が隙を見て毒針を刺して口を塞ぐ。
実際の博士が、ほぼ即死だった事から、探偵が毒針で殺したと判断するのが真実だろう。
探偵は、証拠になる物には一切話題を振らず、無知な者が納得できる様な嘘で犯行方法を解説する。
検死の為に警察が来る前に、侵入させたメイドが予備の鍵で金庫を開けて、計画書などを引き取る算段だろう。
先の相続人死亡も殺人だと判明し、そんな家の仕事を辞めていくメイドも居る筈だ。
「あくまで、妄想だがな。疑いだすときりがないが、確かにおかしな点はある」
ワトスンは、他の事件に関しても、再検証してみた。
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実際、原作では博士が管理していた遺産に関しての記述は無い。
そのまま残っていたのか?目減りしていたのか?