和泉家の息子
連がインターホンを押してすぐ、ドタドタと音を立てながら、誰かが降りてくる音がした。そして、扉の前に立ったかと思えば、勢いよくそれを開く。
「翔! 翔が見つかったというのは本当ですか!」
「落ち着いて。俺は新田連、探索者地区の職員で……こちらが息子さんです」
サジンは目の前の女性を見て、呆気にとられた。この人が自分の母親。覚えているような、いないような、複雑な感覚を味わっているようで、その表情は硬かった。しかし、頭に残る記憶を辿って、何か思い出はないかと考える。
しかし、忘れたような感覚もないのに、頭からすっぽりと記憶が抜け落ちたようだった。最後に覚えていたランドセルを買ってもらった記憶すら、何色のものだったか、どこで買ってもらったのかを思い出せない。
「どうも、です。えっと……ごめんなさい。思い出せなくて」
「──っ! 無事でよかった……!」
駆け寄ってきた女性に、思い切り抱きしめられるサジン。思い出すことはできなかったが、なぜか安心感はあった。確証はないが、昔もこんなことをしてもらったことがある気がする。
「俺はそろそろ行かなきゃいけないんですけど、その前に、彼に何があったか軽く説明させてもらいますね」
連がこれまでの経緯を順に説明する。九条家の庭で発見され、一時的にそこに滞在していたこと。10年近くダンジョンに居たため記憶が曖昧になっていること。死んでも元の世界に戻れず、別のダンジョンに送られたこと。
詳しい経緯はまだ調べている途中だ、と言うと、一枚の紙を取り出し、女性に渡した。
「探索者育成地区の連絡先です。翔君に何かあったら、警察だけでなくこちらにもご連絡いただければと」
連はサジンのことを、その名で呼ばなくなった。サジンはそのことに驚き、自分に本当の名前があることを実感する。これからは、かけると呼ばれたら、何かしら反応しなければならないと、心に刻んだ。
大人同士で話を少しした後、連はサジンを置いて行ってしまった。その場には、サジンとその母親のみが残される。気まずい空気が漂っていた。
「えっと、中に入りましょ。おかえり、翔」
「ただいま、です」
サジンが住んでいた家は、優利の家と比べてかなり小さかったが、見てきた街並みからして、優利の家は基準にならないことを悟った。それに、サジンはこの空間が、どことなく気に入っていた。
「手、洗わないとですよね。どこで洗えばいいですか」
「そうね。ついてきて」
洗面所に案内されたサジン。三本の歯ブラシと、一本の小さく古びた歯ブラシがあった。サジンは無意識に足を乗せる台座を探したが、すぐ自分はそんなものを使わなくても手が洗えると思い直す。それをどうしてか寂しく思ったサジンは、聞いてみることにした。
「黄色い台、しまっちゃったんですね」
それを聞いた母親は、ぽろぽろと涙を流した。何か言ってはいけないことを言ったかと、口を抑えるサジン。そして、どうして”黄色い”という色なのかわからず、少しばかり混乱する。
「大きくなったのね」
「はい。背は伸びましたよ」
どこかズレた返答をするようになってしまったが、この場所で過ごしたこと、ここで育ったことを、なんとなく理解したサジン。手洗いを終えた後、リビングに案内され、話をすることになった。
様々な小物が置いてある中、サジンはあるものに視線が吸い寄せられた。写真だ。大人二人と、小さな男の子が一人、それと、抱き抱えられた小さな女の子が一人写っている。隣には、イルカのショーを見つめる小さな女の子の写真が置いてあった。
「これは?」
「最後に撮った家族写真よ。ランドセルを買った時に、全員で撮ったの。隣のは、あなたの妹ね。イルカのショーがとっても好きなのよ」
その時、サジンのカバンの中から声が漏れ出した。いや、漏れるどころか騒いですらいた。母親の目の前で石像を取り出すのは躊躇われたが、隠すこともないと思い、女王の像を取り出した。
『見せるのじゃ見せるのじゃ! あーっ! これじゃ! 小さい頃のサジン! 懐かしいのう懐かしいのう』
「お人形が喋ってる……?」
「なんというか、えっと、説明すると長くなるというか」
『安心せい、全部わしが説明してやろう。あんなことやこんなこともな』
何を言い出すんですか、とサジンは呆れたが、ちゃんと説明はするようなので任せることにした。机の上に石像を置き、母親と向かい合うようにして座る。準備が整ったのを見て、女王は過去を語り始めた。
『こやつは魔物たちから”サジン”と呼ばれておる。”迷宮の囚人”という意味で、文字通りわしらの世界に閉じ込められた人間じゃ。たまにそういった人間が迷い込むのじゃが、大半は数回死ぬと体内の魔力が尽き、元の世界に戻るんじゃ』
自分の呼び名にそんな意味があったのか、と驚くサジン。自分に話していないことを母親に語るのを見て、目の前の女性が家族という特別な存在であることを、改めて認識する。
『しかし今回のサジンは違った。わしらの世界の環境に適応し、身体に無尽蔵の魔力を蓄えるようになったのじゃ。完全にこちらの生物となったサジンは、命が尽きようと別の場所で蘇り続けた。ずっと行方知れずだったのは、こういう理由だったわけよ』
「つまり、ずっとダンジョンにいたのですね。純一さんの言っていたことが当たっていたなんて」
『そっちじゃわしらの世界をダンジョンと呼ぶようなのでそちらに合わせるぞ。サジンはダンジョンで蘇り続けるうち、わしの領域……石の国へと流れ着いたのじゃ。人間が来ることなど滅多になかったから揉めに揉めてのう、結果的にわしらで世話をすることになったんじゃが』
「最初はひどかったです。食べ物もまともじゃないし、とにかく鍛えるのじゃ~の一点張りで、ずっと戦わされてましたからね。というかそれで1回死にましたし」
『人の世話などやったことないんじゃから仕方なかろう! もう一度石の国に来るまでは、サジンの方が詳しいじゃろ。話すがよい』
どこまでもマイペースな女王に呆れながら、サジンは覚えている限りの出来事を話す。サジンの母は、またぽろぽろと涙を流しながら、じっと聞き入っていた。
「女王が鍛えてくれたおかげで、死ぬ回数は少なくなったと思います。色んなダンジョンを転々とするうちに、火の精霊の長と会ったんです。彼には魔力の使い方を教えてもらったり、加護をいただきました。少なくとも、女王よりかは優しかったですね」
『なんじゃーその言い方は! あいつのいるところなど暑すぎて住めたものじゃないわい。居心地の良いわしらの国と互角といったところか』
「話を折らないでください。確かに暑すぎて加護があっても長くは持ちませんでしたが、色々なことを教えてもらいましたよ。もう少し住みやすい所で暮らせるようにと、魔物たちが住む街に送ってくれたんです。そこで、生活に関することや、言葉をもっと学びました」
『本当ならそこで一生を過ごしてもおかしくはなかった。寿命と共に魔力が尽き、そこで生を終えると思っていたのじゃが、そう上手くはいかぬ』
サジンの昔話はまだ続く。10年という年月をどう過ごしてきたのかが、断片的に明らかになっていくのだった。




