ダンジョン少年の帰還
その少年は、口いっぱいに雑草を頬張りながら、雑草と一緒に状況を飲み込もうと努力していた。今度は草を食べながら死んだのか、とすら思った。
「野生児だ。野生児を召喚しちゃった」
「一応聞くけど、知り合いじゃないよな……?」
「そんなまさか。えっと──」
少年の目の前には二人組の人間がいた。男と女で、同じぐらいの年齢のように見える。なかなか失礼な話だが、少年の本能は、目の前の人間をさほど脅威に感じなかったし、強そうにも思えなかった。
周辺を見渡してみると、自然に見合わないような大きい建物が見える。実際のところかなり距離が近く、少年は思わず声を漏らす。それを見て、二人組のうち片割れ、女性の方が、少年に声をかけた。
「日本語、わかる?」
色は黒いが、あまりにも整っていない髪型に、形の保っていない服。浮浪者ともとれるようなその風貌に、きょろきょろと周りを見てばかり。現代人としてあまり見ないタイプなことは間違いない。
にほんごとやらが理解できなかった少年だが、自分と同じ言葉を発する様子を察して、自分の話す言語のことだと予想した。口に含んだ草を全て飲み込み、言葉を発する。
「わかり、ます」
それを聞いて、二人組は目をまんまるに見開いた。人と話すことはしばらく無かったが、魔物と会話をすることがあった少年は、どうにか目の前の人間と話せないか思考した。幼き日に学んだ、慣れないですます口調で少年は言葉を続ける。
「ここは、どこですか」
彼は思ったことを率直に尋ねた。こんなに大きな建物に、人間が二人もいる。明らかにこれまで経験してきたダンジョンとは違う。まるでおぼろげな記憶にある日本のようだとすら感じていた。
「えっと……日本だよ。関西の探索者育成地区。リサーチャースクールがあるところって言った方がわかるかな」
少年は、どっと押し寄せた言葉の洪水に、脳がくらっとするのを感じた。前半は分かる。ダンジョンじゃなくて日本。しかし後半はなんだ。魔法か何かなのか、と質問しそうになったが、言葉をぐっと飲み込んだ。
(日本って、故郷と同じ場所みたいだな)
同じである。現実をあまり受け入れられていない彼は、まだ故郷へたどり着いたことに気づいていないようだった。
「そうだ。君、名前は? なんていうの?」
「名前? わからない、です」
「えー!? 記憶喪失ってやつ!?」
「きおくそうしつ? ってなんですか?」
女性の方が、そこからかぁ、と呟いた。色々なことを忘れてしまうことだと、男性の方から補足を受ける。それを聞いた少年は、はっとしたように言葉を発する。
「名前を呼ばれることがなかったので、忘れただけ、です。ずっとダンジョンにいたので」
「そっかそっか。……ねえ優利、もっと普通な感じの人を呼べるかと思ったけど、結構ヤバそうだね」
「ああ。学校の生徒を呼び出すぐらいだと思ってたけど、こういうタイプの人はどうしていいかさっぱりだ」
最終的に二人組は、少年を置いて話し合いを始めてしまった。人間と話すことがなく、言葉を選んで喋ることに精一杯だった少年は、つかの間の休息に安堵した。会話というのは下手な魔物と戦うよりも疲れる。そう感じた彼は、あまり二人の会話に耳を傾けず、自分の世界に閉じこもった。
(ゆうり。名前があるのか)
先程話題に挙がった「名前」について少し考えることにしたようだ。小さい時に両親から呼ばれていた名前はあるにはあるが、過酷な環境による生活が記憶を上塗りし、もやがかかったように思い出せずにいた。
だったら、今ある記憶の中から自分の名前を考えればいい。少年は目を据わらせ、人間でも魔物でも、自分をなんと呼んでいたかを思い出す。
(人間の言葉を話すヤツが何か言ってたような。賢くて、強いヤツ)
翼を持つ石像。人間の体に蛇の体がくっついた生き物。大きな大きな鳥。熱く燃える妖精。彼の頭を戦いの記憶が巡る。どれも強大な力を持つ魔物で、実際に勝てなかったこともあった。そして、その魔物たちが、戦いの最中、自分をなんと呼んでいたかを思い出す。
「サジン」
二人組の耳に届いたようで、彼女らは少年の方に顔を向けた。この言葉の意味は全く分からない。しかし、自分を呼ぶ名前がないと不便だろうと考えた少年は、たどたどしく続けた。
「サジン。前に、そんな呼ばれ方をした、気がする……です。本当の名前を思い出すまでは、そういうことに、します」
「変わった名前だね。海外って感じ」
「生まれたのは、日本、です」
「そこははっきりしてるんだな……」
言葉通りはっきりと思い出せるわけではなかったが、サジンは明確な確信があった。現に自分が話している言語が通用するし、家族がいた記憶もある。
その時だった。脳裏に家族のいた記憶がよぎったサジンは、日本に帰るという目的が、家族を探すためであると再認識したのだ。突如現れた浮浪者の対応に困る二人組を置いて、あてもなく歩き出す。
「ちょちょちょ、どこ行くの!?」
「家族を探します」
「確かに突然連れてきちゃったのは謝るけどさ! もう少し話を聞いてくれないかな!?」
どうしてそんなことをしなければいけないのか。サジンの率直な感想は思いっきり表情に出ていたが、渋々了承することにした。実にマイペースな行動ばかり行うが、彼の長いダンジョン生活は、人を気遣うという感情を忘れさせるほどのものだった。しかし、サジンの性根は、他人を放っておけるほど薄情ではなかったらしい。
「私は三上安子。で、こっちは九条優利。本題なんだけど、私たちの探検隊に入ってくれないかな?」
「……? よく分かりません。じゃあさよなら」
「えー!? もうちょっと聞いてよぉ!」
薄情ではないが、よく分からないことに首を突っ込む余裕はないみたいだ。見かねた優利が、サジンを引き止めるために1つの話題を持ち出すのだった。




