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「こんなの誰だって出来るさ」
「出来そう、でも知ってるよ、できないやつでしょ?」
「簡単簡単。シャーーってね」
シャー。
左官屋が言う「いつものやつ」だ。
ーーー
これは偏見にもほどがあるが、この歴史上左官屋は文章を書いてこなかったのだから"その音"に特別なオノマトペが振られているわけがないのだ。
これ以降だってその成立は期待は出来ない。これからも左官屋は文章を書いていかない。必要が無いのだから。
彼等は壁を生む、それは居る者に直接語るのだ。
ーーー
それを「パチパチ」と「サリサリ」と、とでも言えばいいか、「漆喰を金鏝で塗りつける」時にだけ生まれる音。
下地の壁と漆喰の間にある細かな空気が寄せられ押し潰され石灰と麻スサに置換していくその時にしかおこらないあの心地の良い音を静かに鳴らしながら彼は言った。
「腕が勝手に動いて、目がそれを確認していくだけ。何かおかしい事があれば鏝が教えてくれるしね。何を考えてるかと言えば、そうだなあ例えば」
「例えば?」
僕がそう聞き返すと
「そうそう例えばさ、幽霊ってどんな服着てるのかなって。鎧の奴って大変そうだよな!」
「羨ましい時間だね」
まあ確かに僕もそれは思う。幽霊が現れる時の格好がもしも死んだ時の服装なのだとしたら、そうやって閻魔大王だとか霊界の法みたいなもんが決めているのだとしたら、死ぬ時はちょっと良い服を、気合いの入った服を着ておきたいもんだ。
その時の僕が何十年何百年も"そこ"に居続けてしまうのだとしたら。
それこそ「鎧」、僕にとっては何になるかわからないけど、それも良いかも知れない。
大切な何かをずっと失わずにすむのかもしれない。
それ自体が、その衣装が呪いになる可能性も否定は出来ないが。
カクが喋っている間にもその鏝が通ったあとには真白な漆喰が均一に壁に残っていく。
「誰だって出来るさ。10年。10年やればね。」
「それを世間では誰でも出来るとは言わないよ。」
「……いやもっとだよなあ。」
「はあ。」
壁に向かったままの体勢でこちらにそう言うと何を思いついたのか少し吹き出して壁塗りを続けた。
その現場は仙川駅から伸びる商店街にあり休日を楽しむ人の賑わいの音が玄関の開口から優しく入って来る。
「日曜日は誰も来ないから左官日和なんだ」
そういうことで僕らは日曜日にそこにいた。
練り置きをすることによって麻スサが良く馴染んだ漆喰を緑色の樽から柄杓で板に移し、それを先の尖った美しい黒鉄の鏝でざりと向こう側に返しその腹に乗せ、壁を上下に塗り付け白く変え、左右に整えていった。
その一連の動きは滑らかに行われ、"踊るように"の言葉がぴたりとハマった。
いつだってその動きは美しいとしか言いようが無かった。
ーーー
それは3年前の、確か6月の日曜日だった。
少し前にカクから電話があってなんやかんやで現場にお邪魔することになった。
しっかりと正確に、完璧に正しく、美しいほどに僕はその年の5月、「五月病」に陥った。
もしこれが世間で「六月病」と言われていたら僕は6月に罹患するし、「七月病」ならきっと馬鹿みたいな汗をかきながらベッドに横になりいつまでも鳴り止まない会社からの着信を無視し続け、バイブレーションによる振動でテーブルからその下のゴミ箱へ自死していくスマホの様子を眺めていただろう。そのくらい正しく凡人であった。
いや凡人の全てが五月病にならないのだから僕は……
カクから電話があったのは所謂「鬼電」が止んでから数日経った頃だった。
「生きてる?」
「生きてません」
「そりゃ良かった。ギリギリ生きてるな。良いねえ、生きてるねえ」
「はあ」
「最近会わないからさあ。今日行こうと思うんだけど、来ない?来るね。オッケー。では。」
いつでもいきなりだ。
強制に心底参ったり、救われたりする僕も僕だが。
ーーー
僕らが出会ったのは高円寺のタブラオだった。
タブラオというのはフラメンコのステージがあるバーだとかレストランだとかそういう場所のことをいう。
高円寺の古着屋にモッズコートを探しに行きそれがたまたまオープニングパーティーの日だったようで、店の前で盛りがりすぎてしまった酔っ払ったお姉さん方(とここでは書いておこう)に声をかけられ半ば強引に店の中に連れて行かれた。
漆黒の洞穴がそこにあった。
それは店自体の雰囲気の例えではなく、ドア4枚分ほどしかない間口の狭さから想像できないほど奥行きは深く、その一番向こうににある正方形の板張りのステージを取り囲む三面の壁は深い黒の岩肌を模していた。窪んだ向かいの壁の天井がアーチになっているのがそれに拍車をかけた。
「良いでしょう?」
息を飲んでいた僕に、今思えば"自慢げに"話しかけて来たのがカクだった。




