Loss of Memory―――弓
「...アレ、此処は?」
イア―――いや、佐々木 弓は由紀とすれ違う様に地界ヴァルドから戻ってきた―――というより、自分の力で戻ってきてしまった。
自分の力で異世界から戻ってくると本来は別の者として転移するのだが、これはあくまでも精神レベルで転移しているだけであり、しっかりと転移の先は彼女の本来の肉体だった。
―――が...今の彼女には唯一かけている物が有った。
それは―――。
「...僕って、何なんだ?」
本来彼女の意識レベルで存在するはずである、記憶だった。
―――
『ほう、記憶が...。
それは大変だな。私の実肉体はもう記憶が私の方に入る様になっているはずだが、実肉体が意外としぶとくてな、記憶がこちらにあまり流れてこんのだ。まあ、思考レベルでのリンクはしているが...。』
「おじさんも大変なんだね。
...よし、僕も頑張るぞ!」
『その調子だ。
...ついでと言っては何だが、今の私の肉体がもうすぐ完成すると思うのだが、完成した暁にはそのことを教えてくれ。頼む』
「勿論!ふふっ、よく分からないけど、こういう事に関してだけ言えば僕はなんとなくわかるから!」
『素晴らしいな。
...かつて、その智慧を以て自らを異世界へ封印し、そのまま滅びたとされる少女。それが君だというのか...。』
「何言ってんの?僕は僕だよっ!」
『...すまない。では』
その氷華 斉太が言った少女―――それは、弓が嘗て自らの肉体としていた者だった。
―――
「...え?由紀姉の居場所?」
「うん。なんだか、その名前の娘に僕の事を聞いたら少しだけ何かしら思い出せる気がして」
「へえ...。まあ、由紀姉が帰ってきたら言っとくよ。
...初めて見る人だけど、誰?」
「...!?」
由紀という、何故か自分の記憶に引っかかる名を持つ少女の事を姉と慕う、華と言う名の少女にその少女の事を聞くと、自らが最も気にしていて、なおかつ自らにも問いかけていた事を問われてしまった。
それきり、彼女の中で何かが見えなくなり―――。
―――
「...大丈夫?」
「......え?」
先程自らに問いをくれた少女が目の前に立っていた。
その想いですらも、今の弓には無かった。
「...僕、何してるんだろ」
「え?」
それでも、弓は自らに、そしてこの世界に問う。
「...僕、なんでこんなところにいんだろ?」
「それは君が知り得るところには無い。
...私の肉体はようやく完成した。これで実肉体にも用はない。智慧すらも戻ってきた今、実肉体はいつ死ぬのか...嗚呼、消えてしまったか...。」
それに答えたのはクローンの氷華 斉太だった。
弓は彼が言う『消えてしまった』が、本物の氷華 斉太が死してしまった、という事なのだろうと察した。
だが、弓は寂しさなど感じていなかった。
彼女にとって、氷華 斉太というのはただの記号であって、目の前の者がそのクローンだったとしても彼女にとってはそれが本物だったから。
だからこそ、彼女は氷華 斉太という者の葬式を、何事もなく切り抜けていた。
―――
「...あのくそ親父でも、一応親は親だもの。
少しぐらいは悲しんでやるわ」
優と横の男が呼んだ少女がその顔に憤りを滲ませながら悲しみの文章をつぶやいていると、
「...私が別の肉体になってこうやってのほほんと生きてるなんて知ったら、私はもう一度資することになりそうだ...」
その横の男―――つまり、同名の本体によって創られたクローンの氷華 斉太が、恐怖にその言葉を汚染されながら言う。
つまるところ、現在はその本体の葬式であり、ぬん、と出てみれば彼が優に滅多打ちにされ、本人の言う様に死ぬ―――事は無いだろうが、死にかけることは必至だった。
だが、優に悟られることなく葬式は終了し、『氷庭 海徒』という偽名に気付かれた様子もなく―――ほっと息を付いた氷華 斉太は、優のその瞳が、まっすぐに他ならない自分を見つめていることに気付いてしまった。
「な、何だね、斉太殿のご息女殿...。」
そう、恐怖と共に発すると優はその顔を喜色―――喜ぶというよりかは、またコイツに踊らされてたのか、という心に因縁を打ててうれしい、と言ったような顔―――に溢れさせ、その言葉を発する。
「...私に言うことあるでしょ、氷華 斉太?」
そこに込められていたのは、『父とは別の何か』と判断した、優のその冷徹さだった。




