公爵令嬢の家庭教師(マリルノ視点)/ 赤子な教え子(マリルノ視点)
アルファポリス様に投稿しております複数話を一話内にまとめて掲載しています。
話の区切りごとに、登場人物の視点が切り替わる場合がございます。あらかじめご了承ください。
【公爵令嬢の家庭教師(マリルノ視点)】
「ねぇ、何かいいことあったの?」
放課後、帰り支度をしていると、スコッテに言われました。
「えっ?」
いけない。アルダタさんの家庭教師をすることになったという話は、まだ誰にも打ち明けてはいけないという約束なのです。
「何でもありませんわ」
「ふーん」
スコッテはそれで納得したかと思ったら、いきなり私の首や脇をくすぐってきました。
「何か隠してるでしょ!」
私は笑いながらスコッテの手を逃れて、「やめて頂戴。何も隠してないですよ」と彼女をたしなめた。
ごめんなさい、スコッテ。お話したいのは山々なのですが、今はまだだめなのです。
「ちぇっ。まあいいや」
スコッテは唇を少年のように尖らせました。
「このあとどうする? 今日は何も予定ないんだよね?」
「ごめんなさい。ペドロル様のところに呼ばれていて」
「またー?」
スコッテは不満げな声を上げました。
「ここのところ全然呼ばれてなかったのに、どうしてまた急に何度も呼ばれるようになったの?」
私は肩を竦めました。
スコッテは、「はぁ……」と深くため息をつきました。
「分かったよ。じゃあ、また明日ね」
「ごきげんよう」
しぶしぶという顔で、スコッテは帰っていきました。
「お待ちしておりました。どうぞ、お乗りくださいませ」
「よろしくお願いします」
馬車の上で揺られながら、私はアルダタさんにどんなことをお伝えしようかと考えます。
読み書き、計算をと言われていましたから、まずは基本のところからお教えしなくてはなりません。
子供の時から教育を受けてきた私たちにとっては簡単なことであっても、初めて習うことであれば難しく感じられるのは当たり前のことです。
私は子供のとき、似た文字の区別ができなかったことを思い出します。
大きくなった今では「なんでこんなにも明らかな違いが分からなかったのだろう」と思うようなことでも、当時の私にとっては、鳥のように空を飛ぶことと同じくらい、自分にはできないことのように思えました……
よーし。この気持ちを忘れないようにしましょう。
そんなことを考えていると急に馬車が止まりました。
あれ? 通れない道でもあったのかしら……と思い、窓から顔を覗かせると、目の前には大きなお屋敷、目的地であるペドロル様の住まいがありました。
「マリルノ様、お手を……どうかされましたか?」
パージさんは不思議そうに、私に尋ねてきた。
「いえ」
私は彼の手をとって、馬車から降りました。
「あの、今日はずいぶん早く着いたのですね。天気もいいから、馬たちも走るのが愉快だったのかしら」
するとパージさんは目を丸くして私の顔を見たあと、ははは、と大きな声でお笑いになりました。
「いや失礼。私は時刻を確かめながら走っていますけれど、いつもと全く変わりありませんよ。マリルノ様は時々、面白いことをおっしゃいますなぁ」
恥ずかしくて、耳まで真っ赤になりました!
なんだ。私の思い違いだったのですね……
「マリルノ様!」
馬車から降りると、すぐにアルダタさんが走ってきました。
「わざわざご足労頂き、申し訳ありません」
「気にしないでください。私は馬車の上で揺られていただけですから」
アルダタさんと一緒に、私はペドロル様の部屋を訪れました。
「あら。ペドロル様はいらっしゃらないのですか」
アルダタさんはなぜか俯きながら、答えました。
「王子はまたやらなければならないことが増えてしまったようで……しばらくは自分抜きでやってほしいとのことでした」
「そうですか……」
ペドロル様からお話を伺ったときは、ペドロル様自身もとても乗り気だったように見えたから、ちょっと嬉しかったのですけれども。
「お忙しいのなら仕方ありませんね。では彼が顔を出せるようになるまでの間に、私たち二人で進めてしまいましょう」
「よろしくお願いします」
こうして私の家庭教師生活は、幕を開けたのです。
【赤子な教え子(マリルノ視点)】
週に一度、私はペドロル様の住まいを訪れました。
いつもアルダタさんは、屋敷の外で私を出迎えてくれました。
ペドロル様とは、家庭教師をして欲しいと頼まれた日以来、会うことはありませんでした。
学校でお見掛けすることは何度かありましたが、廊下ですれ違い様に挨拶を交わしたり、遠くにいるところをこちらが一方的に眺めていると、彼が気が付いて手を振ってくれたりと、二人だけでじっくり話し合う機会には恵まれませんでした。
当然、家庭教師のことについてお話することはできません。
私は秘密を守って、父にも母にも、親友のスコッテにも打ち明けていませんでした。
学園にいるとき、ペドロル様はいつも複数のご友人に囲まれていましたし、学園外で会われたいという様子は、あの日以来、全くありませんでした。
私には、話したいことが沢山あったのですが。
というのも、アルダタさんはとても魅力的な生徒だったのです。
彼はまず、真っ白な紙のようでした。
そこにはまだ何も書かれていません。
私はさしづめ、お絵描きが大好きな子供でした。
何の文字を見せても彼が首を傾げたまま動かなったとき、つまり彼の頭の中にまっさらな空間が広がっているのを知ったとき、私は心の中で、「これは教えがいがあるぞ」とわくわくしたのです。
そして彼は、生まれたての羊のようでもありました。
生まれたての羊は、まだ歩くのもおぼつかないうちに、立ち上がって、母の胸から必死に乳を得ようとします。
それは羊が生きるために、必要不可欠な本能なのでしょう。
私は、知識を貪欲に吸収しようとする彼の学習姿勢に、生きようとする子羊の必死さを見ました。
私が昔、ダパス地方の孤児たちを相手に先生の真似事をやっていたとき、確かに彼らも素晴らしい意欲を持った、魅力的な生徒たちでした。
しかしアルダタさんの素直さ、真剣さは、私の記憶が正しければ、孤児たちのはるか上を行くものがありました。
私は、人に物を教えるということの尊さを、そして身分や年齢の別なく、0から物事を学ぼうとする人の美しさを、改めて実感させられました。
と、このような感動を、きっかけを与えてくださったペドロル様にはぜひ聞いていただきたかったのですが、彼はやっぱり、私との時間をとってはくださいません。
去年あたりからなかなか会えない日々が続いて、家庭教師のお話をしてくださったときにはこれを機に一緒にいられる時間が増えるのではとちょっと期待もしていたのですが……
ペドロル様のご評判に関わるため、周りには話さないという約束を破るわけにもいかず、しかし教えることで感じたことを誰かに打ち明けたい、分かってもらいたいという気持ちを抑えることもできず。
私は次第に、人に知識を伝えることがどれほど意義深いことで、どれほど自分にとって幸せなことであるのかという私の思いのたけを、教え子であるアルダタさん本人にぶつけるようになりました。
アルダタさんは「幸せなのは私の方です」「そんなことをおっしゃられないでください」と恐縮していましたが、私が熱を込めて話し続けていると、「教えることや学ぶことは、どちらにとっても尊いものなのですね」と優しく微笑んでくださいました。
私は自分の本心が分かってもらえたような気がして、とても晴れ晴れしい気持ちになりました。
しかし同時に、少しだけ気にかかることもありました。
それは彼が私に向けた優しくて穏やかな表情の中に、どこか辛そうで、無理をしているようなぎこちなさがあったことでした。
私はそのことを思い出すと、「もしかして本当は私なんかに教えられたくなかったのかな」「使用人である自分が、こんなことをやって何になるんだと思っていたりするのかな」などと考え、夜、ふとんの中で一人、不安に駆られることもありました。
しかしそんなとき私は、ペドロル様のことを思い出すようにしていました。
自分の決めたことに自信を持ち、決してぶれない彼の意志の強さ、勇ましさを。
私も見習わなくちゃ。
そんな気持ちを反芻していると、いつしか不安も和らいで、私は眠りにつくことができるのです。
そして一週間が経ったなら、ペドロル様のお屋敷へ向かいます。
ペドロル様本人はいなくとも、私には教えがいのある熱心な生徒がいますし、いつかはペドロル様のなされることにも一区切りがついて、私との時間をもっともってくださるようになると思うのです。
なぜなら、私と彼は婚約者だからです。
生涯を共にするのだから、気を短くもってはいけないのです。
最後までお読みいただいて誠にありがとうございました。
アルファポリスにて最新話まで配信している作品です。
小説家になろうにおいては、まだ投稿頻度を定めておりませんが、順次アップロードいたします。
どうぞよろしくお願いします。