日記帳3ページで終わり
隣の部屋のベランダから、ロケット花火のパンパンと乾いた音が響く。むかし身なりも子供だった頃に母親が買ってきたロケット花火を遊んだのを想いだした。あれもベランダでやったが、当時はうるさいとしか思えなかった。
いま聞くとだいぶ印象も違う。いまだパンパンと続いている無味乾燥な音は、その鮮明な刺激とは逆に、私の記憶をあいまいに呼び起こす。オブラートに包まれたような淡い光景が頭の中でちかちかする。そこには利己的な美化がかかっているが、少なくともいまのわたくしよりははるかに人間らしい私が、その光景の中央にいることは間違いない。
火のついたままの花火を飲み込んで、平気で吐血できるような人間ならどれほど幸せかしれない。私は長らくのあいだ、一瞬に賭けられる人間ではないのであった。