序章3:たいありでした。と言う台詞。
「たいありでした~」
「お疲れさま。たいありー」
ゲーマー特有の奇妙な挨拶を交わして店を出る。
たいあり、は、対戦していただきありがとうございました。の略。純粋に聞いたまま、それだけの言葉ではあるのだが、勝者と敗者がいるゲームでは皮肉としても使われる。
《ロスパニ》では負けた方が100円玉(1クレジット)を台に入れて再戦を申し込める。
なので、勝ち越した方は優越感たっぷりに「あなたのクレジットと勝ち星ごちそうさまでした」だとか、負け続けた方は「次はそうはいかないぞブッ●してやる」だとか。
日常的になっている我々にとってはもうそんな意味すらどうだっていい。「たいあり」はただのこなれた適当な挨拶でしかないのだ。
「ようっす。吉野ちゃん、凛さんお疲れ様」
店先の灰皿の周りで喫煙者一行と出会した。
彼らも先ほどまで薄暗い部屋で筐体を囲って同じゲームを遊んでいた人達だ。
以前からよく見掛けているし対戦をしたこともあるが、本名も出身も来歴も何も知らない。彼らのことはただ、ロスパニをやる人間。としか把握していない。
「どう? ロスパニ新作は?」
「んー。私あんまりやる気無いんですよね。シグマいなくなっちゃいましたし」
「はぁ。吉野さんってばよく言うよ~」
喫煙者の一人、無精髭で歯の欠けた男が私に尋ねてきた。
素っ気なく返すと凛が横で口を尖らせる。
「シグマじゃなくたって全然動かせてるじゃないっすか。同キャラで3回負けてるんですよ。僕、アプス使いなのに……」
「へぇ。ホントに? どのくらいなの? 勝率」
「10戦中のたった3勝ですよ」
凛もそこそこロスパニでは強いゲーマーに入るのだろう。少なくとも私の見立てでは喫煙者一行にはいつも勝ち越しているくらいだし、私も今日は負け越した。小さな店舗の大会では結果を残せるようなプレイヤーではある。
自分達より強い彼が言えば無精髭の歯欠けは興味を持って私に聞く。そうして私はまた素っ気なく応える。
「三割じゃん。アプス(同キャラ)使いに三度勝てればアプス使いの素質あるでしょ」
「うーん。どうかなぁ……」
そもそもキャラクターに興味がない。といったら失礼な話ではあるが、本心はそうだ。
気が乗らない。という表情も声音も隠さずに唸ってやり過ごす。
「じゃあ俺らは飯食って帰るわ」
「あっちの路地のワンタンメン屋」
「そうですか。私、明日も仕事なんでこの辺で……」
「おう。おつかれさま」
「また来週~」
各々手を振って別れる。
よくもまぁ十時を過ぎてからワンタンメンを食べる気になれるものだなぁ。などと思いながらも私は帰りの電車に乗るため駅を目指す。
過去に何度か断っていたからか、女性だからと気を遣ってか。はたまた野郎同士で話したいことでもあるのか。凛と煙草チームは私を今日の遅い夕飯に誘うことはなかった。
昔から学生の往来が激しい高田馬場駅は朝も夜も人で賑わっている。
JRの改札を横目に階段を下り、地下鉄東西線へ。水色の丸を追ってホームにたどり着く。地下鉄のホームは淀んでむわっとした空気。なんだか湿っぽい匂いもした。
大学の頃から何千回と通いなれた順路を辿り、私は今日もいつもの電車に揺られて南砂町のアパートまで帰るのだ。
学校の都合で名古屋から上京して一人暮らし。
思い返せば学校に通った記憶よりもゲーセンに通っていた時代の思い出のほうが多い気がする。
本名よりもゲーム画面に表示されたプレイヤーネームで呼び合うような人とばかりつるんでいた記憶がある。
三十を迎えるまでカウントダウン数が一年を切った私。男性経験なし。付き合ってきた男子ゼロ。
モテなかったわけではないが、男女関係に時間を費やすことがもったいなかった。
最低限の単位をキープし、学校が終わればすぐにゲーセン。毎日が楽しくて。
ゲームに費やしてきた青春は花の女子大生をすっかり枯らしてしまっていた。
いつからこうなったのだろう。電車を待つ間に少し思い出してみようと私は首をひねって考えた。