扉の番人ガーゴイル
時計台の街ティオウルを出て、クラシェイド達は月光の館周辺の深い森を歩いていた。先頭を歩くのはウル・アスディアで、その横にエドワード・リエイダがいる。二人のすぐ後ろにルカ・テミーラがいて、三人は会話を楽しんでいる。それを最後尾で聞きながら、クラシェイドは思う事があった。彼らが普通に暮らせるのは、ムーンシャドウのおかげなのではないかと。
ウル、ルカ、エドワードの三人は普通の人とは違う。それは彼らの容姿から見て取れるもので、ウルの狼の耳は本物だし、口には牙もある。ルカは肌と髪の色は異常で、身体に巻き付けている包帯も特殊なものだ。エドワードはウル同様、口に牙を持ち、少し尖った耳も悪魔の様な尻尾も本物で、背中には出し入れ可能な蝙蝠の翼が生えていて今現在生やして地面から数センチ浮いている。
一般に、こう言う変わった容姿をしている人達の事を呪人と呼ぶ。何故、このような容姿になってしまったかというと、彼らが産まれる前に理由がある。それはお腹に胎児がいる状態で、母体が魔物を食べてしまうと、子供はその魔物の特性を持って産まれて来てしまうのである。ただ、それは近年になってから分かった事で現在は魔物を食べる習慣はなくなったが、以前は空腹を満たす為に魔物を食べる事はよくあったらしく、彼らはその頃の名残りだ。
呪人はその異形さ故に、今日まで世間に疎まれていた。理由がどうあれ、自分達とは明らかに異なる存在など、殆どの人は受け入れてはくれないのだ。
ウルやルカやエドワードも、過去に酷い仕打ちを受けて居場所を失くし、それを救い出したのがムーンシャドウだったという。彼らは殺しこそ好きではないが、この恩を返す為に月影の殺し屋として生きていくと決めている。
ティオウル洞窟の横を通り過ぎ、クラシェイドだけが少しだけ歩みを緩めた。
「クラシェイド~早く」
エドワードが翼で羽ばたきながら、クラシェイドの傍に寄ってきた。
「あ…うん」
クラシェイドはエドワードに連れられるように歩みを早め、先に歩いて行ったウルとルカを追った。
先に瞳の神殿の前に辿り着いたウルとルカは、その年期のある建造物を見上げて感嘆の声を上げた。
「ここが瞳の神殿か! すげーのいそうじゃんかよ」
「館の近くなのに、初めで来るべ」
瞳の神殿はティオウルの街が出来た頃より建てられ、以来愛され続けたのだが、いつからか人々に忘れ去られ放置された。結果、外装はボロボロになり、蔓草がのさばり始めた上、魔物の絶好の棲み家と化してしまった。その為、人々は神殿の金属の扉が開かぬよう、壁に差した杭から垂らした鎖で扉を縛り付けた。扉の左右にある台に乗ったドラゴンの様な石像も、人を近付けさせない為の物だろう。
ウルとルカはどうしたら神殿内に入れるものかと、考えていた。
「二人とも、お待たせ」
そこへ、エドワードが来て、その後ろからクラシェイドも来た。
「おーエドに、クラシェイド」
ウルはエドワードとクラシェイドを見たものの、腕を組んで考え込んでいた。
ウルが考え込んでいるのは非常に珍しく、クラシェイドは疑問に思い、彼の視線の先を見た。――――扉だ。古くて錆びている神殿の扉……鎖で縛り付けられていて、入れそうもない。
「なるほどね。じゃあ……諦めて帰ろうか」
ルカとエドワードが少し残念そうな顔をしたが、それは仕方のない事だと彼ら自身も割り切り、特に反論はしなかった。
「そうだね。見たところ、入口はこの扉しかないようだし」
「今度別のとごろに行ぐとして、今日は館でのんびりするべ」
クラシェイド、エドワード、と歩き出し、ウルを気にしながらルカも歩き始める。ウルは神殿を睨んだまま、その場を動こうとはしない。
七歩程進んだところで、後ろからウルの声がした。
「お前ら、待て!」
三人の足が止まる。振り返ると、ウルが自信に満ち溢れた表情で三人を見ていた。
三人は踵を返し、ウルの所へと戻った。三人が来ると、ウルは表情を保ったまま、神殿の扉を見た。
「思い付いたんだ。あの鎖をぶっ壊せばいい! そうすりゃ、中に入れる」
「さすがだべ! ウル」と、ルカ一人が嬉しそうに言い、クラシェイドとエドワードは頭を抱えて溜め息をついた。
「考える事でもないでしょ」
「ただの強行突破って言うんだよ」
「黙れ! 俺だって、他の方法考えたんだよ。だけど、これしかねー!」
ウルは助走を付け、扉に向かって一直線に駆けて行った。
クラシェイドが止めようと、一歩動く。
「やめた方がいいって……」
しかし、もう遅い。ウルは走りながら、自らの黒い爪を長く鋭利な姿に変形させ、扉を縛り付ける頑丈な鎖に向かって振り上げた。
「分かってねーな! こーゆーのが、男心を燃やすんだよ」
パキン!
紙切れの様に、鎖がスパッと切れた。
「見たか! この俺の実力!」
ウルは変形させた爪を元に戻し、誇らしげに腰に手をやって向こうの三人を見た。
「うわー何て事を……。おいらは知らないよ~」と、エドワード。
「ウル、やったべ!」と、ルカ。
「……さっきまで感じなかった魔力を感じるんだけど」と、クラシェイドだけ、何か意味深な言葉を漏らした。
ウル、ルカ、エドワードの視線が一気にクラシェイドに集中する。その時だった。
バサッ! バサッ!
二つの羽音がしたかと思えば、今度は二つの影がウルを覆った。
「ガ、ガーゴイルか!」
ウルは間合いを取り、台から離れて空中を羽ばたく二体のドラゴンの石像――――ガーゴイルを見上げた。
魔物は基本的にマナを取り込み過ぎた動植物が突然変異して凶悪化したものだが、希に人の想いが強く残った人工物も魔物化する場合があり、ガーゴイルはその代表的な存在だった。
「あ~もぅ! ウルが余計な事するから、こんな事になったんだよ」
エドワードが文句を言うと、勿論ウルは反論して来た。
「エド、いちいちうるせーよ! 口うるさくて細けー男は、女にモテないぞ」
「大きなお世話だよ!」
「はいはい。でさ、クラシェイド。そっちに一体行ったから、お前が一人で倒せよ。こっちは俺が倒すからさ」
ウルの言葉通り、一体のガーゴイルがクラシェイド達の方に向かって来る。戦わざるを得ない事は理解出来たが、“一人で”という事がクラシェイドには理解出来なかった。
「な、何で、オレが一人で倒さなくちゃいけないの!? 基本的にオレの役目は後方支援なんだけど……」
金色の杖を少し前に出して主張してみせたが、ウルには通用しない。
「その杖でボコればいいだろ! その為の武器なんじゃねーの?」
「え……あーそうだけどさ。いつも。でも、あくまでオレの武器は魔術だから」
「お前も細けー奴だなぁ。とにかく、これは勝負だかんな!」
ウルに適当に丸め込まれ、戦う羽目になってしまったクラシェイド。仕方なく、杖を構えてガーゴイルを迎え撃つ事に。ルカとエドワードはクラシェイドの後ろに下がり、戦いの様子を見守る。
ガーゴイルは羽ばたきながら少し上昇し、ガッと大口を開けて空気と一緒に炎のマナを吸い込んだ。それが口内で球体を創り、炎と化して、空気と共に外へ吐き出される。
クラシェイドは杖を盾にして走り、一気にガーゴイルとの距離を詰めた。そして、自分の手の届く高さを浮遊している動く石像に杖を振り下ろした。ゴンっと、硬い音が響き、ガーゴイルは地上に落下した。
「やるじゃねーか、クラシェイド」
離れた所で、もう一体のガーゴイルと戦っていたウルは、クラシェイドの方を見た。
ウルも負けていられないと、目の前の動く石像に攻撃を加えた。長く鋭いウルの爪がガーゴイルの身体に掠り、浅い傷を付ける。ガーゴイルは唸りながらウルに向かって下降してきて、ウルは獣の如く俊敏な動きで躱し、その隙だらけの背中を爪で引き裂いた。
今度は深い傷を負わせたようで、ガーゴイルは地面にうつ伏せ悲痛の叫びを上げた。
「よっしゃ! 案外、扉の番人ってのも弱っちいんだな」
ウルは爪を元に戻し、ガーゴイルの横を通り過ぎた。――――と、
「ウル! まだだ」
クラシェイドが向こうからそう言い、ウルは驚いて咄嗟に後ろを振り向いた。
バサ、バサ。
数秒前まで地面にうつ伏せていた筈の石像が、何事もなかったかの様に空中で羽ばたいていた。クラシェイドの方も、同じ状況になっていた。
ウルはもう一度爪を変形させ、ガーゴイルに切りかかる。が、今度は上手い事躱され、ガーゴイルはウルの背中に炎を吐き出した。先程の逆パターンだ。ウルはハッと気が付き、真横に飛び退いた。対象を失った炎は、地面にぶつかり消滅した。
ガーゴイルはまた炎のマナを収束させ、ウルに向かって次々と吐き出した。ウルは全て躱し、地面を蹴って飛躍して、爪でガーゴイルを薙ぎ払い地面に叩きつけた。さらに、無抵抗な石像にもう一撃加える。右翼が引き千切れ、サラサラと砂塵が宙を舞う。
これで、さすがにもう動く事はないだろうと一息をついた。
「まったく、しぶとい奴だったぜ」
宙を舞う砂塵が集まり出す。
ふと、ウルはクラシェイドの様子を伺った。向こうも、起き上がって来たガーゴイルを無事に倒したところだった。
集まった砂塵が、倒れた石像に注がれてゆく。
「ん? 何だぁ?」
ウルがそれに気が付いた時には既に遅く、石像に命が戻った瞬間だった。
ガーゴイルは失われた右翼を取り戻し、再び空中へ羽ばたいてウルを見下ろした。
「おいおい……またかよ」