漆黒の情報屋
所々屋根が抜け落ち、部屋と部屋との境目もほぼなくなっている、かつては屋敷だった場所。住人は何処へ行ってしまったのだろうか? 埃が積もっているが、高級感の保たれている木製の家具がそのまま残されている。荒らされた形跡は全くない。
歩くと砂埃の舞う道の隅々に蜘蛛の巣が張り巡らされており、それを鬱陶しそうに手で払い除けて青年は歩いて行く。青年の後ろからはもう一つの、小さな足音。
少女が息を弾ませながら、青年の背中を見失わないように歩いて――――否、走っていた。
青年は少女を振り返る事も待つ事もせず、一人ぶつぶつ呟きながら歩を進めている。
「……この屋敷は…………“レクス”の物ではないな……」
「待って下さいよぉ~カラス様!」
「まあ、さすがに残ってなどいないか……」
「待って下さいって~」
「しかし、調べてみる価値はありそうだな」
「………………」
ピタリと、先程まで喚いていた少女の声が聞こえなくなった。
声を上げるのも疲れたのだろう、と青年は気にせず、先へ進む。
だが、少しして、青年は異変に気が付き、踵を返した。
「……ヒヨコ?」
曲がり角から顔を覗かせ、少女の姿を確認する。
そこで青年が見たものは、少女ではなく、体長二メートル程の巨大な蜘蛛の魔物の後ろ姿だった。カサカサと長い毛を生やした六本足で床を滑ってゆく。
青年が腰の黒いポーチから二、三本のナイフを取り出して魔物に投げつけようとすると、魔物は動きを止めてゆっくりと青年の方に顔を向けた。
「ヒヨコ!」
魔物のギザギザとした口には、少女が咥えられていた。
「カラス様!」
少女が涙声で叫ぶ。
青年は魔物にナイフを投げつける。しかし、魔物が尻から粘り気のある白い糸を噴出させ、遮った。糸は青年にも降りかかり、青年が身動きを取れなくなったのを見計らって魔物は向き直り去って行った。
「カラス様ーー!!」
少女の悲痛の叫びだけが廃屋内で反響し、青年は糸を振り払って俯き、舌打ちをした。
オープンカフェを後にしたクラシェイド達は町の中を走り、青年を捜した。こんな人混みでも、頭から足先まで真っ黒な格好の青年ならすぐに見つかる筈だ。ただし、まだ町の中にいれば……だが。
四人は手分けして、町のあらゆる場所を捜す事にした。落ち合う時間は十分後。
クラシェイドは東へ。宿屋の中などを捜す。
クリスティアは西へ。商人の屋台を横切る。
シフォニィは南へ。民家の扉を叩き、来客の中に青年がいないか訊ねる。
アレスは北へ。町の出入り口で、行き交う人達に声を掛ける。
そして、十分後。町の中央で、四人は落ち合った。
しかし、誰一人として有力な情報は持っておらず、四人は落胆した。もしかしたら、本当にもうローゼルの町を旅立った後なのかもしれない。町の外へ出てしまえば、青年の向かう場所など分かる筈もなかった。
四人が諦めかけたその時、一人の商人の男が四人に話し掛けて来た。
「君たち、もしかしてカラスさんを捜してるのかい?」
カラスと聞いて、四人は一瞬誰の事を言っているのか分からなかったが、全身真っ黒な格好の青年と一緒に居た小さな少女が彼を「カラス様」と呼んでいた事を思い出した。
四人は頷く。
「やっぱりそうか。あの人、すぐいなくなっちまうから、俺達商人の中でも“神出鬼没な情報屋”として有名なんだよ」
「アイツ、情報屋なのか?」
アレスが訊き、商人は頷いた。
「はは。見えないだろう? だが、彼の情報には何物にも変えられぬ価値がある。彼のおかげで、俺達は成り立ってるもんさ。さ、彼が何処へ向かったのか教えようか。彼は町外れの廃屋に向かったよ」
「廃屋?」と、クリスティア。
「この辺りは人工物が殆どないからね。すぐに見つけられると思うよ」
「ありがとうございます!」
礼を言って通り過ぎようとしたアレスの腕を、商人は掴んでニヤッと笑った。
「おっと、ただで俺が“情報”を提供したと思うなよ?」
「――――情報も売り物ってか? さすが、商人様様だぜ。ほらよ」
アレスは苦笑いし、商人の手に銀貨一枚を無造作に置いた。
「毎度あり! 早く行った方がいいぞ。カラスさん、すぐにいなくなっちまう」
四人はにっこりと笑って見送ってくれている商人を背に、ローゼルの町を出て行った――――。
町から出て草原を歩く事、十分。緑の中で一際存在感を放つ、白くて古い人工物が見えて来た。あれが、商人の言っていた廃屋だろう。
近付けば近付くほど、その古さは鮮明になる。
入口には一応まだ木製の扉が備え付けてはあるが、殆ど役目を果たしておらず、風でふわふわと開閉を繰り返している。風が猛威を振るえば、一溜まりもなさそうだ。
四人は扉をそっと開けて中へと入った。
歩いてみると、意外に広く、道が迷路になっていた。
天井の穴から陽光が漏れ落ち、光が象った丸が床をデザインする。まるで、水玉模様の様に可愛らしい。だが、埃や蜘蛛の巣だらけのこの場所は息がしづらく、居心地はとても悪い。潔癖症の者ならば、間違いなく気を失う事だろう。幸い、四人はそれほどまで潔癖ではなかった為、気を失う様な事はなかったが、四人共顔が険しい。
本当にこの様な場所に、カラスと言う情報屋が居るとは思えなかった。小さな少女を連れていたのだ。彼女も、きっと嫌に違いない。
それでも、他に行く当てがない為、四人は進むしかなかった。
アレスとシフォニィを先頭に、二列で歩く。
太陽が陰り、廃屋内は薄暗くなった。
シフォニィがアレスより先に角を曲がり、突然と悲鳴を上げた。
「シフォニィ、どうした!?」
アレスが最初に駆けつけ、クラシェイドとクリスティアも彼の後ろから現れた。
「真っ黒お化けにぶつかっ――――あれ? このお化け……」
シフォニィは目の前に居る黒を目を凝らして見つめ、太陽が再び顔を出して廃屋に光を届けた事によって、黒の輪郭が鮮明になり、それが人であると……まさに、自分達の探し求めていた人物だと気が付いた。
クラシェイド以外の三人は「あ――!!」と、大声を上げて青年を指差した。
青年は無表情のまま溜め息をつき、四人を見た。
「またお前達か。……悪いが、今俺は忙しい。用事なら後にしてくれ」
青年は片手をひらひらと振り、早足で四人の横を通り過ぎた。
アレスは走り、後ろから青年の肩を掴んで引き止めた。
「おい……えっと、カラス! まさかとは思うけど、あの女の子に何かあったのか? 姿が見えない」
「そうだ。ヒヨコが魔物に連れ去られた。だから、急いでいるんだ」
カラスは振り返らない。
「分かった! 俺達も手伝う! ――――いいよな?」
アレスは三人を振り返り、了承を得る。
三人が躊躇なく頷き、あとはカラス本人が了承するだけだ。
「…………奴の居場所は大方予想がつく。さっさと行くぞ」
カラス自身、彼らの助けを期待していたのか、答えに迷いはなかった。
四人はカラスを先頭に、廃屋の奥へ走り出した。
廃屋の奥の大広間の壁際に大きな蜘蛛の巣があり、そこに少女は捕らえられていた。
蜘蛛の魔物はそろそろ食べ頃かと思い、少女の前に移動し、カサカサと前足を動かす。
ふさふさとして、それでいて冷たい足が頬に触れた瞬間、少女はガチガチと震えて涙を零した。もはや、恐怖で喉が貼り付き、声が掠れて出なかった。
魔物は大口を開け、少女の頭にかぶりついた。
――――ガタン!
扉の壊れる音に魔物は反応し、口から少女の頭を吐き出した。
少女の額からは魔物の唾液と、少女自身の血液が流れ落ちる。
魔物は内側へ倒れ込んだ扉の向こうに立つ人間達に、警戒心を剥き出しに全身の毛を逆立てた。
一人の人間は背中の鞘から大剣を抜いて駆け出し、もう一人はその場で魔術の詠唱。そして、もう一人は大剣を持った人間を追い越し、魔物の獲物を奪い取った。




