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逃走

 東から顔を出した太陽が少し南へ傾く頃、クラシェイド達はホテルを出て、眼下に停泊する客船へと向かった。途中、クリスティアが不満そうな顔をして辺りを振り返っており、クラシェイドは足を止めてアレスとシフォニィを呼び止めた。


「港に行く前に、クリスティアが行きたい所があるんだって」


 クリスティアは驚いた顔で、クラシェイドを見た。


「え? クラ、知ってたの?」

「知ってたっていうか……昨日も、その辺見てたから」


 予期していなかった彼の優しい言葉に、クリスティアは胸が高鳴り、頬をほんのり赤く染めた。


「クラ……ありがとう」





「うわぁ~服がいっぱい!」


 店に入って早速、クリスティアは色取り取りの服が並ぶコーナーへ向かい、男三人は服には全く興味がなく、店の隅の方で彼女の様子を眺めていた。


「この服可愛いな~」


 クリスティアがクリーム色のふわふわとしたワンピースを手に取り自分に合わせていると、少し腹部が丸い女性店員が近付いて来て微笑んだ。


「お嬢ちゃんならきっとお似合いよ。どう? 試着してみない?」

「は、はい!」


 クリスティアは店員に連れられて試着室に入り、先程手にしたワンピースを着る。

 数十秒程で着替え終えたクリスティアはカーテンを開け、前で待ち構えていた店員が満面の笑みで拍手をした。時折、男三人の方を見ており、男三人は仕方なくそちらに注目する。


「ど……どうかな?」


 面映そうにクリスティアが三人に問い掛け、クラシェイドが答えた。


「うん。可愛いよ」

「えっ!?」


 どくんとクリスティアの心臓が跳ね、頬が一気に赤く染まった。が、彼の次の一言でそれは一瞬にして冷めた。


「その服」

「…………殴っていいかしら?」


 クリスティアは俯いてブルブルと震え、拳を強く握った。一方のクラシェイドは彼女の反応が理解出来ない。


「? オレ、何かマズイ事言った?」

「クラ、あなたねぇ……」

「まあまあ、落ち着けよ。クリスティア」


 アレスが歩み寄って来て、クリスティアの肩を叩いた。彼の優しさに少しだけ、クリスティアは安心をし、彼を見上げた。


「アレス……」

「馬子にも衣装……だから」


 アレスが爽やかな笑顔で言い、クリスティアは頭に来たが、言い返すのも疲れて黙った。


「ねーねー“馬子にも衣装”ってどう言う意味?」


 シフォニィが首を傾け、丁寧にアレスが説明をしようとする。


「馬子にも衣装ってのはなぁ……」

「説明しなくていい! 三人ともひどいっ! もう着替える!」


 クリスティアは三人の反応に耐え切れなくなり、頬を膨らませてカーテンの向こうに消えた。


「…………あんたたち、デリカシーないわね。見た目はイケメンなのに、中身は全然ね。それじゃあ、モテないわよ~」


 店員が苦笑いで三人を見、三人はよく分からないといった表情を浮かべていた。


 クリスティアが着替えている間、三人と店員は暇を持て余す。

 店と街道を隔てる硝子の向こうでは、色んな人が行き交っている。店を気にする者もいるが、踏み入れる者は殆どいない。

 何人か通り過ぎた頃、やっと一人店に入って来た。鎧姿の城の兵士だった。クラシェイドとアレスはギクリとした。

 店員は、客には見せない心からの笑顔で彼を出迎えた。


「あら。今日は早かったのね。おかえりなさい。疲れたでしょう?」

「ああ。飯……と言いたいところだが、客が来てるのか」


 兵士は青年一人と少年二人を見た。うち、一人の少年と目が合い、互いに「あ」と、声を上げた。クラシェイドとアレスは益々居心地が悪くなった。


「昨日街に来た坊やじゃないか。その二人は知り合いかな? あのお嬢さんと変わった毛色の犬と黒猫は一緒じゃないのかい」

「クリスはお着替え中☆ 動物は店内に入れないから、外で待っててもらってるんだ。この二人はぼくのお兄ちゃん☆ 田舎から逢いに来たんだよ」


 よくそんな嘘がサラサラと口から出てくるものだと、クラシェイドとアレスは呆れつつも感心した。

 少しも取り乱さないシフォニィの言動に、兵士は何の疑いもせずに笑った。


「そうだったのか。偉いな~。これから産まれて来る子も、キミみたいなしっかりした子になってほしいな」

「そうね」と、店員は自分の腹を摩って微笑んだ。


 今のところ、兵士には此処に月影の殺し屋の証を持つ者が居る事は気付かれていない。この隙にサッサと店を後にすればやり過ごせると思い、クラシェイド、アレス、シフォニィの三人は奥のカーテンを見るのだが……開かれる様子はない。


「そうだ。此処で出逢ったのも何かの縁。一緒に食事しないか? うちの嫁の料理はとても美味いんだ」


 兵士の提案に、シフォニィが代表で向き直って応えた。


「わぁ☆ それはいいねっ。でも、ぼくたち、これからおばあちゃんの所でカボチャのパイを食べる事になっているから、残念だけど……」

「そうかぁ。それならば、仕方ないな。ところで、お兄さん達は何でずっと向こう向いているんだ?」


 クラシェイドとアレスの肩が跳ねた。

 兵士は少しの好奇心と悪戯心で、彼らの前に回り込む。そこで、和やかな雰囲気は一変した。


「血の色の……十字架のタトゥー?」


 じわじわと、鎧の下から汗が染み出す。

 二人も、兵士と同じ様に胸が早鐘を打ち出した。

 兵士はゴクリと唾を飲み、指を差した。


「月影の殺し屋!!」

「えっ!?」


 店員は喫驚し、胸の上で手を重ねてきょろきょろし始めた。


「ヤ、ヤバイぞ……バレた」

「ど、どうしよう」


 慌てふためくアレスとシフォニィ。クラシェイドは落ち着いた様子で二人に視線を送った。


「とにかく、逃げよう!」


 二人は頷き、一斉に店から駆け出した。


「ちょっと待て!!」


 背後からは、ガシャンガシャンと、重量感のある足音が響いた。





 店を出てから、兵士が仲間達を道中で引き連れ、クラシェイド達を束になって追い掛けて来た。道行く一般人は何事かと、両者を目で見送った。

 クラシェイド達は捕まらないように、建物と建物の間を全力で走り抜けた。

 騒ぎはどんどん膨れ上がり、逃げ場も無くなって来た。そんな時、クラシェイドはある重大な事に気が付く。


「ねえ、クリスティア……忘れて来た」


 アレスとシフォニィもハッと気が付き、青褪めた。


「おいおいおい! あの店に戻るのは無理だぞ」

「……というか、クリス大丈夫かな?」


 しかし、彼らに他人を心配している余裕はなかった。先程よりも勢いを増した兵士の束に、今にも押し潰されそうな状況にまで追い込まれていたのだ。

 右も左も兵士だらけ。逃げ場はもうないと思われた――――と、


「お兄さんたち、こっち!」


 クラシェイドの後ろの長い服の裾を小さな手がグイっと引っ張り、クラシェイド達を薄暗い細道へ招き入れた。

 兵士達はクラシェイド達を見失い、辺りをうろうろしている。その様子を壁にくっついて眺めていた少年は、小さく息を吐いた。


「……危ないところだったね」


 三人は少年、そして彼の横にいたもう一人に驚いた。


「レイ! クリスティア!」と、アレスが声を漏らした。


 名前を呼ばれ、クリスティアはムスッとする。服は無事着替えたようだ。


「三人とも、置いてくなんてひどい。無神経過ぎるわ」


 三人は否定出来ず、黙って項垂れる。

 レイはというと、四人の様子に笑みを零す事もなく、険しい表情を浮かべたまま。


「あまり、ゆっくりしている暇はない。……この道を辿れば、街の外へ出られる。早く行くがいい」


 口調も、彼の放つオーラも、何処か別人の様に思ったが、今は非常事態。特に介意せず、四人はレイに言われるまま、その場を後にした。


「ありがとう、レイ!」


 シフォニィが代表して感謝の言葉を残し、レイは今日初めて笑って手を振った。






 四人を見送った後、レイはバッと右手を広げて自らを光で包んだ。そして、光が消えた時にはレイの服装が純白で、より高貴なものへと変化していた。美しい青の長髪は後ろで一つに束ね、純白の帽子の中へ収まっている。帽子から伸びた二本の長い帯には十字架に似た、ディンメデス王国の紋章が金色で描かれていた。

 レイの首のペンダントの赤い宝石部分が輝き、レイはそれに向かって言葉を発した。


「……大丈夫じゃ…………こっちは何とかなった。これから、おぬしはどうする気かの? …………そうか、それは気の遠くなる話じゃな……」


 まるで誰かと会話をしている様だが、相手の声は外には漏れていない。レイだけに聞こえる、そう言う事だろう。

 レイは誰かとの会話の途中で気配を感じ、会話を強制的に終了させて黒い影に声を掛けた。


「儂に何か用か? マイルよ」


 マイルと呼ばれた影は低い笑い声を漏らし、スッと正体を現した。


「いいえ? クロル・レイバード様。偶然、貴方様をお見掛けしましたので。しかし、いいのですか? 国王の側近であろう者が、こんな所でうろうろしていて」


 それは銀髪に禍々しい紫の瞳の、髭を薄ら生やした三十代の男で、深緑の着物には金色のディン王国の紋章が描かれている。

 マイルの作り笑いを見抜き、レイ――――クロルは鼻で笑った。


「おぬしの方こそ、何をしておる?」

「あぁ……。私は兵士達が月影だ、と騒いでいたもので。様子を見に来たのですよ。国民を護るのも我々の使命でしょう」

「そうじゃな。その通りだ。だが、おぬしは月影を捕まえる事を拒んでいるではないか?」

「ええ。アガレグ様に何かあるといけませんので。けれど、もし本当に月影が王都に侵入していたとすれば、さすがに私も捕まえない訳にはいきませんからね。そう言うクロル様はどうなのですか? まさか、その月影を逃がした……なんて事はありませんよね?」


 マイルが含んだ笑みを見せ、クロルは彼を睨んだ。


「大変失礼致しました、クロル様。貴方様がその様な愚かな真似……する筈ありませんね。誠に申し訳ない」

「…………マイル、そろそろ城へ戻るぞ」


 クロルは呆れて溜め息をつき、歩いて行った。

 マイルはクロルの小さな背中を見て、また含んだ笑みを見せた。


「先程……どなたと話されていたのかは分かりませんが、私は貴方の正体を掴んでいますよ」


 クロルは振り返り、同じく含んだ笑みを返した。


「それはお互い様じゃ、“マイル・ローレンス”」

「……ふふふふ。そうでなくては面白くない」

「別に、おぬしを楽しませるつもりはないんじゃがな」


 細道を抜け、大きな街道に出た二人の表情と雰囲気は霧が晴れたかの様にすっかりと消えていた。

 クロルは、何処までも続く青空を見上げた。


(……無事だといいんだが。先にあるのは――――)






 その頃のクラシェイド達。何とか王都から出られたのはいいものの、巨大な砂地を前に立ち尽くした。直接空からの日の光が降り注ぎ、熱気に満ちた、生物の殆どが生存する事の出来ない――――砂漠。

 振り返れど、あるのは今逃げ出して来たばかりの王都のみ。ここを越える他に、道はない。


「まあ、成せば成るでしょ☆ 行きましょう!」


 シフォニィが楽しそうに最初に砂漠に足を踏み入れ、他の三人は仕方なしに後に続いた。

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