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船上での邂逅

 ザザーン、ザザーンと波打つ音に、青空を飛び交う海鳥の鳴き声。船上に降り注ぐ陽光は温かく、時折頬を撫でる風は潮の香りを運んで来た。

 ベランダの手摺りに背中を預けていた法衣姿の男は大きく伸びをし、隣で海を眺めていた男の妻は男に微笑んだ。相変わらずの妻の様子に安心をしつつも、男は少しだけ不安だった。


「……本当について来て良かったのか? お前……身体弱いんだから、クラシェイドと一緒に家で待っていてくれても良かったんだぞ?」


 妻は笑顔のまま、首を横に軽く振った。


「私ね、セイントライゼーグに……クロードの故郷に行ってみたかったの。私の身体がまだ動くうちに」

「そうか。だけど、あんまり無理すんなよ?」

「ええ。ありがとう。ふふっ……こうして、親子三人で遠出するのは初めてね」


 妻は傍らの息子を見下ろした。髪の色は夫婦のどちらとも異なるが、母親と同じ所に癖がついていて、澄んだサファイアブルーの瞳も母親と同じだった。まだ十歳である為、中性的な雰囲気はあるが、妻は彼に夫の面影を見ていた。夫の幼い頃も、きっとこんな感じだったのだろうと思った。そして、将来は夫の様に逞しくて優しい男性へと成長してくれる事を夢見ていた。


「クラ、どうか貴方は――――」



 ザザーン、ザザーン……




 純白の建造物の横を歩いていく父と母。それについて歩いていた筈の少年は、何かに吸い寄せられるかの様にふらりと何処かへ消えてしまった。


 鎖の巻かれた吊り橋を渡っていく……

 その先に見える真っ赤な花の絨毯……

 そこに居たのは自分と同じくらいの年の少女……


 少女は少年の姿を捉えると、摘んでいた花を撒き散らして怯えたように立ち去ろうとした。慌てて、少年は少女を呼び止めた。


「待って! 別に、驚かせるつもりはなかったんだ」


 少女は立ち止まり、少年の方へ向き直った。


「気になってここに来たんだけど、まさか人がいるとは思わなかったよ」

「わ、わたしだってっ……ま、まさか、ここに人が来るなんて、お……思わなかった……。もう、ずっと、ずっと……人が来ることなんてなかった……から」


 少女は俯いたまま少年と目を合わせようとはせず、両手を胸の上で重ねて小刻みに震えていた。恐怖を抱いているのか、緊張をしているのか定かではなかったが、少年は少女に笑い掛けた。


「何でなんだろうね? ここは花がこんなに咲いていて綺麗なのに」

「あ、うん。とっても素敵でしょ? わ、わたしのね名前、このお花からもらったんだ……」


 少女の心臓は忙しなく動き、顔は熱が帯びて赤くなった。


「へえ、そうなんだ。それで、キミの名前は何て言うの?」

「あ、えっと……。ア、アウラ……アウラ・レイラ」

「アウラ……良い名前だね」


 それから二人は打ち解け、色んな話をした。

 好きな食べ物や趣味など、たわいもない事から、自分の家の話など。とにかく、互いを知る為に自分自身の事を話した。そして、彼女がここで一人でいる訳も。それは幼い故なのか、少年には理解の出来ない理由だった。それでも、力のない子供がしてあげられる事などなく、どうする事も出来なかった。ただ、してあげられる事と言えば、こうして彼女の隣で笑ってあげる事だけ。

 けれども、少女にとってはそれで十分だった。これ以上の幸せは、少女の脳裏に思い浮かばなかったのだ。


「ありがとう……えっと……な、名前……」


 少女が少年をどう呼べばいいのか困っていると、少年はハッと気が付いた。


「ごめんね。名前訊いておいて、自分は名乗ってなかった。ぼくは……」


 サーっと風が吹き、赤い花びらが舞い上がった。


「クラ――――!」


 母の自分を呼ぶ声が聞こえ、少年は眉を下げて少女に笑った。


「……そろそろ行かなきゃ。アウラ、また来るから」

「え? あ……そっか。うん。わたし、待ってるから」







 景色が揺らいで遠くなってゆき、クラシェイドは意識を取り戻した。どうやら、あのまま目を閉じて眠りについてしまったらしい。

 クラシェイドは上半身を起こし、片手で頭を押さえた。まだ脳内が夢の中にあるように、ぼんやりとしていた。


(今のはオレの記憶……? 中途半端な所で終わっちゃったけど、あの後どうしたんだっけ? 結局、アウラに会いに行ったんだっけ?)


 己に疑問を投げ掛けるが、返ってくる答えもなく、疑問だけが残った。


(何も思い出せないな……)


 クラシェイドはベッドから下りて扉の方へ歩いて行き、扉を開けて廊下へ出て何処かへと足を運んだ。




 その頃のシフォニィとクリスティアは、クラシェイドが部屋を出て行った数分後に部屋へ戻って来た。

 部屋の扉を開けてクラシェイドがいない事を確認すると、二人はクラシェイドを捜しに元来た道を戻っていった。






 レストランのカウンターにて、クラシェイドは注文した物を受け取った。それはグラスに入った苺味のソーダで、水面には苺味の丸いアイスクリームが浮いている。

 クラシェイドは席には着かず、グラスを持ったまま歩き出した。――――と、


「あ! お兄ちゃん、こんな所にいた!!」


 シフォニィがやって来て、後ろからクリスティアも来た。


「どうしたの? 船内見て回ってたんじゃなかった?」


 二人が見た騒ぎの事など知る由もなく、クラシェイドがそう言い、シフォニィは説明するのも面倒なので、クラシェイドの腕を引っ張った。瞬間、反動でクラシェイドの手からグラスがずり落ちた。


「あ……」


 ガシャン!


 グラスが砕け散り、中身は床の上に広がっていった。

 クラシェイドがそれに気を取られていると、シフォニィは彼の腕をもう一度強く引っ張った。


「とにかく! 甲板が大変なんだよ」

「……いや、オレのイチゴクリームソーダの方が大変なんだけど」

「そんなのどうでもいいよ! いいから、早く!」


 クラシェイドはシフォニィに無理矢理連れて行かれ、クリスティアはクラシェイドを哀れに思った。


「可哀想なクラ……」






 同じ頃の甲板では、まだ騒ぎは治まっていなかった。

 頭にバンダナを巻いたタンクトップの女が、じれったそうに吠えた。


「だから、その背中の大剣をよこせって! さっさとしねーと、周りの野次馬どもを殺すぞ!」


 ザッと、周りの人集りが顔を真っ青にして身を引く。

 女に脅迫をされている赤毛の男は人集りを気にしながら、女の要求を断った。


「見ず知らずの他人に渡すかっての。関係ねー人達を巻き込むってんなら、俺も容赦しないぜ?」


 男は大剣の柄を握り、鞘から抜く体勢を取った。


「ああ! やれるもんならやってみろよ!」


 ナイフを構えた女の額から一滴の汗が滴る。

 周りの空気は一気に緊張に包まれ、この二人以外は呼吸する事すら忘れて硬直していた。ただ、目だけは二人の方へ向いており、逸らせずにいた。






「何がそんなに大変か説明してくれない?」


 前方を歩くシフォニィの背中にクラシェイドが声を掛け、シフォニィは答える間もなく甲板の人集りに突っ込んでいった。


「えぇ!? ちょっと……」


 シフォニィに腕を掴まれているので、クラシェイドも当然人集りに突っ込む事になり、クラシェイドはぶつかりそうになった人達に謝ってはシフォニィの後に続いた。クリスティアも二人が作ってくれた道を進む。

 そうして辿り着いた先に、例の男と女が居た。


「ほら、お兄ちゃん。あの人達だよ。早く止めないと!」


 シフォニィが振り向くと、クラシェイドは驚いた顔でそこに居た男の名を呟いた。


「……アレス」


 静かな空間でクラシェイドのその声は前方の二人の耳にしっかりと届き、アレスと呼ばれた男は顔を横に向けてクラシェイドの姿を発見すると、目を瞠った。


「ク、クラちゃん!?」


 アレスは女の事など忘れて一歩前に出て、クラシェイドもシフォニィをどかして前に出た。

 シフォニィとクリスティアは彼らの関係に疑問を抱いたが、アレスの胸元にある血色の十字架のタトゥーを見て月影の殺し屋だと理解した。


「何でアレスがこんな所にいるの? しかも、何騒ぎ起こしてるんだよ」


 久しぶりの仲間との再会だというのに、クラシェイドは全く嬉しそうではなかった。一方のアレスは驚きと嬉しさがごっちゃになって、何とも言えない表情をしていた。


「俺、クラちゃんを捜しに来たんだよ! ムーンシャドウがお前を殺すとか言い出すから、それに従えず……。あぁ、でも逢えて良かった! こんな所で逢えるなんて、もう……運命だよな!?」

「そういえば、ウルがそんな事言ってたなー」


 二人が親しげに話していると、女は不敵な笑みを浮かべて指をパチンと鳴らした。

 バサバサと大きな羽音がし、その場に居た全員は上空を見た。


「大きな鳥さんだ!」


 シフォニィが言うと、人が一人乗れる程の大きさの鳥はキッと地上を睨み、物凄い勢いで下降して来た。

 人集りは悲鳴を上げ、四方に散ってゆき、我先にと逃げ出した。

 怪鳥は逃げ出した野次馬の事など介意せず、真っ先に標的を鋭い鉤爪で掴み上げた。

 他の三人は顔を青くして叫んだ。


「クラちゃん!」

「クラ!」

「お兄ちゃん!」


 女は飛躍して怪鳥の背に乗り、遠ざかってゆく地上を見下ろした。


「コイツを返して欲しければ、聖剣エクスカリバーを持って来い!」


 怪鳥が向こうの島へ飛び去り、残された三人は呆然と立ち尽くしていた。

 アレスは悔しそうに、拳を強く握った。


「くそっ……俺のせいだ」

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