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戻れない道

 街の中を全て見て回って、彼らはウィング教会の前に戻って来た。


「どうですか? クラシェイドくん。何か思い出しましたか?」


 ミシェルがそう問い掛けたが返事はなく、クリスティアはクラシェイドが居た筈の空間を見た。


「あ、あれ!? クラシェイドがいないよ!」

「そんな! 先程までご一緒だった筈……」


 二人は慌てて辺りを見回したが、街の人が数人ばかり歩いているだけで、何処にもクラシェイドの姿はなかった。


「ミシェルさん、私捜して来ます!」


 そう言って、クリスティアは駆け出していった。






 グラグラと揺れる不安定な足場。確かに落ちてしまいそうだという不安感に駆られるが、実際落ちてしまう事はなさそうだ。

 クラシェイドは平然と吊り橋を渡りきり、そこに広がる美しい風景に見とれた。

 一面は赤い花が覆い、風が吹いて花びらがふわふわと舞っている。その中心に、齢十程の少女が桜色のウェーブした長髪を靡かせて佇んでいるのが見えた。花の妖精かと思う程の美しさだ。

 クラシェイドが近付くと、少女は顔を上げて大きなピンク色の瞳でクラシェイドを見た。


「え? 嘘……。クラシェイドくん?」


 クラシェイドが瞬きをすると、齢十程に見えていた少女は見覚えのある人の姿に変わっていた。


「アウラ? 何でこんな所に……」

「クラシェイドくんこそ……」


 風がピタリと止んだ。それはまるで、二人の間に流れる時が止まったかの様だった。

 再び風が吹くと、アウラは悲しそうな顔をして身体の向きを変えた。


「ここは……私の生まれ故郷なのよ。今でも時々辛い事があったりすると、ここへ戻って来るの。ここにいると、安心……するんだ」


 赤い花の絨毯の向こうに少し古びた家が一軒建っていて、アウラの視線はそちらに向けられていた。

 クラシェイドも同じ方を見ると、不意にアウラが振り返って本当に嬉しそうな笑顔をクラシェイドに向けた。


「クラシェイドくんにまたここで逢う事が出来て、私良かった」

「また……?」


 クラシェイドは何かを思い出しそうだった。


「うん。だって、私……もうクラシェイドくんに逢えないかと思ったもの。でも、次に逢った時は敵かもしれない。ムーンシャドウ様は全力であなたを殺そうとしているみたいだから……」


 アウラの口から悲しげに語られる話に、クラシェイドは全く動揺はしなかった。


「そうだろうね。アルフィアードのあの様子からすると。……ねえ、アウラ」

「何? クラシェイドくん」


 先程見えた齢十程の少女の姿がまたアウラに重なり、クラシェイドは少しずつ記憶を――――ここでその少女に逢った事を思い出した。


「三年前、初めて月影で逢った時、アウラはオレに言ったよね」



 ――――セイントライゼーグで一度だけ逢った事あるんだけど、私の事覚えてる?



「……って。だけど、記憶がないから分からないってオレは答えた」


 アウラの瞳が一瞬揺れ、言いたかった何かを抑え込んで首を横に振った。


「きっと、それは私の勘違いだったの! あはは……馬鹿だよね、私。初対面の人にそんな事言っちゃうなんて……クラシェイドくんも迷惑だったよね……」

「違う」

「えっ?」


 クラシェイドが真剣な表情で真っ直ぐアウラを見据え、アウラはドキリとした。


「勘違いなんかじゃない。八年前のこの場所で、オレはアウラに逢ったんだよ」


 一陣の強風が吹き抜け、二人の視界を赤い花びらが覆い隠した。


「微かにしか憶えていないけど、八年前もアウラはここに居た。独り、寂しそうに赤い花に囲まれて」

「………い……」アウラは身体を震わせ、頬をピンク色に染めて瞳を輝かせた。「嬉しい! 凄く嬉しいわ……クラシェイドくん」


 アウラのその様子に、クラシェイドもドキリとした。


「あ……でも、本当に憶えてるのはそれだけで……まだ……」

「いいの! それだけで十分。ずっと、八年も捜していた男の子がクラシェイドくんだって分かったから。私ね、あの時からクラシェイドくんの事を忘れる事はなかったわ。私に優しくしてくれた初めての両親以外の人だもの。ここに来ると、あの笑顔を思い出すから……だから、凄く安心するの」


 アウラは幸せそうに両手を胸の上で重ねて目を閉じ、いつの間にかクラシェイドはさらに黄色みを増した空を眺めていた。


「あ、あのね! クラシェイドくん……」


 アウラに名を呼ばれると、クラシェイドの視線はアウラへと戻った。が、クラシェイドと目が合うと、今度はアウラの方が視線を逸らした。


「クラシェイドくん、私ね……ずっと、八年前に初めて逢った日からクラシェイドくんの事が……えっと、あの……その、えっと……す」


「クラシェイド!」


 少女の声が聞こえ、クラシェイドはそれに応える様に声のした方を向いた。瞬間、アウラの瞳が大きく揺れた。

 クラシェイドはアウラから離れて吊り橋に向かい、吊り橋の半分ぐらい行った所で立ち止まっているクリスティアを見つけた。


「クリスティア。そんなに慌てて、どうかした?」


 クリスティアはムッとした。


「あなたを捜しに来たの! 急にいなくなるもんだから、ミシェルさんも心配してたよ?」

「あー……ごめん。言い忘れてた」


 クラシェイドが鬱陶しそうにしているのを見て、さらにクリスティアはムッとした。


「もう! ……それで、こんな所で何してたの?」

「何って……」クラシェイドが花畑を振り返ったが、「アレ?」もうそこには、アウラの姿はなかった。


 クリスティアは首を傾げる。


「よく分かんないけど、戻ろうよ。ここは立ち入り禁止の場所なんでしょ? 見つかったら怒られちゃうよ」

「分かったよ……戻ろうか」


 クラシェイドが吊り橋に足を踏み入れると、少し吊り橋が揺れてクリスティアはビクッとした。

 すぐに揺れは治まり、クリスティアが先に歩き出す。クラシェイドは時折花畑を気にしながら、クリスティアの後に続いた。





 ウィング教会へ戻って来た二人は、教会のエントランスホールの先にある階段を上った先の礼拝堂に集まった。

 祭壇の前には降り注ぐステンドグラスの光に照らされた大司祭マリー、横の少し離れた所には神父のミシェル、クラシェイドとクリスティアは並列してマリーの目の前に立った。


「クラシェイドくん、街を見て回ってどうでしたか? ミシェルくんの話では、突然何処かへ行ってしまったそうですけれど」


 クラシェイドはまずミシェルに謝罪し、マリーの質問に答えた。


「ミシェル、ごめん。――――少しだけ、思い出したんです。八年前の事」


 八年前と聞いて、心なしかマリーの表情が陰った。


「……確かに、セイントライゼーグに来ました。けど、来たってだけで、多分そんなに思い出のある場所ではないかもしれません。もしかしたら、オレの記憶はもっと別の場所にあるのかも……」

「そう。その別の場所に何か心当たりはあるのですか?」


 マリーの表情は笑顔に戻っていた。


「セイントライゼーグに似た場所…………なんて、ご存知ないですか?」

「それはきっと、ルナ教会のあるシヴァノスの街でしょうか。私が思いつく限りでは、そこしかありませんね」

「シヴァノス……」


 何処か聞き覚えのある街の名前だ。以前、時計台の街ティオウルで聞いたクロードと言う名前と同じぐらい、懐かしさを感じた。


「シヴァノス……ですか」


 ミシェルが複雑な顔をし、マリーもその訳を理解して小さく頷いた。

 ミシェルは続ける。


「シヴァノスといえば、今行く事が出来ないんですよ」

「行く事が出来ないって……?」


 クラシェイドが訊くと、ミシェルは複雑な表情のまま答えた。


「我が兄、アリビオ・ネルヴィアスが不死鳥フェニックスの力を使って、街ごと何処かへ移動させたのです。ルナ教会と深い関わりのある私達ウィング教会の者でも、その場所は分かっていないのです」


 不死鳥、時空間……訳の分からない事を言われ、クラシェイドもクリスティアも戸惑いを隠せなかった。

 クラシェイドは訊き返した。


「それは一体、どういう事?」


 すると、今度はマリーが答えた。


「何でも、外部の者を避けているのだとか。……詳しい事は私達にも分かりませんわ。ですが、シヴァノスはこの世界に存在している筈です」


 クラシェイドは少し考えた。


「何処か……か。じゃあ、探します」


 クラシェイドの決意にマリーとミシェルは何も言わず目で賛成の意を示し、一方でクリスティアは驚いていた。


「探すって……何処にあるのかも分からないのに?」

「オレはもう月影には戻れない……。だったら、失くした記憶を探しに行くのも悪くないかなって思ったんだ。最悪何も見つからないかもしれないけど、何もしないよりはマシだと思うんだ」


 最初は記憶を取り戻す事に躊躇っていた。記憶を取り戻してしまったら、そこに自分の居場所がない気がして。だが、今は“月影の殺し屋”という居場所が失くなったからなのか、記憶の先の居場所に期待する事が出来た。


 クリスティアはクラシェイドが居場所を失くした原因の半分が自分にあるのだと自覚していた為、何も言い返す事は出来なかった。


「大司祭様、ミシェル。お世話になりました。これ以上ここには居られないので、オレはもう街を出ます」

「そうですか。貴方が決断された事に私達は口出しは出来ませんね。ええ、道中お気を付けて」


 マリーは微笑み、首に下げている十字架に触れた。


「貴方に神のご加護があらん事を」

「神のご加護があらん事を」と、ミシェルも自分の十字架に触れて復唱した。

「……ありがとうございます。それではまた」


 クラシェイドは二人に頭を下げ、クリスティアにアイコンタクトを送った。クリスティアはそれに従って、クラシェイドについて行った。その際に、きちんとマリーとミシェルに頭を下げた。

 クラシェイドとクリスティアが扉を開けて外へ出ようとした時、マリーは言った。


「もう日が沈みますから、麓にある村へお泊りになって下さい」


 クラシェイドとクリスティアは頷き、扉の向こうへ姿を消した。





 岩山を下った先で、クラシェイドは移動術の魔法陣をクリスティアの足下に描いた。

 クリスティアはクラシェイドの所作が分からず、彼の詠唱を止めた。


「どうしたの? 急に……」

お前の家(サンヴァーティエ)まで送るよ。歩いて帰るのはさすがに辛いだろうし」


 クリスティアは首を激しく横に振り、クラシェイドは首を傾げた。


「私は帰らないからいい」

「帰らないって……じゃあ、何処へ行くの?」

「一緒に行く!」


 クリスティアが強く言うと、クラシェイドは呆れた様な顔をした。


「一緒に行くって……オレと? それって、すごい変じゃない?」

「うん……変だよ。あなたはお父さんの仇だから。それでも、あなたが記憶を取り戻す事で何かが変わるのかもしれない……。あなたが本当はどんな人なのか、知るべきなんだわ。私、全然あなたの事を知らないんだもん。復讐はその後でも遅くない」

「それは知らなくて当然だよ。オレだって、お前の事知らないし」

「だから、一緒に行くよ」


 クリスティアの心には変わらず復讐したい気持ちがあったが、数時間クラシェイドと過ごしてみて疑問が生まれていた。記憶を失っていた事、月影の殺し屋を居場所にしていた理由など、知らない事ばかりだ。殺し屋としての彼は冷酷な顔を見せていたが、それ以外では普通の少年ではないか。もしかしたら、父を殺したのは彼と同じ姿をした別人なのではないかと言う気さえする。だけど、それは紛れもない事実で。だからこそ、クリスティアは本心を押し殺し、彼を――――記憶の先に居る本当の彼を信じる事にした。


 クラシェイドは溜め息をつき、横を向いた。


「……とにかく、今日は大司祭様の言った通り、あそこにある村に泊まるよ」


 それを賛成の台詞と捉えたのか、クリスティアの顔がパァっと明るくなった。


「うん! ありがとう」


 クラシェイドが村の方へ歩いて行き、クリスティアも彼の少し後ろを歩く。

 クラシェイドはクリスティアを一瞥し、付け足した。


「今日は一緒に村まで行くけど、明日は一緒には行かないから」

「な、何よそれ。どうしてあなたは……」


 冷たく聞こえる彼の一言一句。けれど、それは本当に冷たいものではなく、何処か温かかった。きっと、これが本来の姿なのだろう。


 黄色かった空はもう、橙に染まって夜の闇とグラデーションを創り始めていた――――

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