赤い三日月はもう見えない
ズキズキと脈打つ様に、傷口が痛む。
傷口を押さえている手の指の間から血が溢れ出し、ポタポタと滴り落ちてゆく。
詠唱をしなくてはとマナを集め始めるが、あまりの痛さで詠唱に集中出来ず、マナが分散していってしまった。
クラシェイドは気が付いていなかった……溢れた血が僅かに地面に滴っていた事に。
アルフィアードは少し歩き回って、すぐにクラシェイドの居場所を突き止めた。
ニヤリと不敵な、悪魔の様な笑みを浮かべて翼を広げて空中へ。
「クラ坊ちゃん、発見♪」
クラシェイドが顔を上げると、真っ先に銃口が目に入った。
バァン!
クラシェイドは胸を撃たれ、バランスを崩して地面へ落下した。勢いよく背中を地面に打ち付け、地面に血が広がっていった。
アルフィアードが舞い降りて来るのが見えた。
クラシェイドは杖を支えにして立ち上がるも、それ以上は動く事が出来ず、着地したアルフィアードによって蹴り飛ばされた。
クラシェイドは倒れ、咳き込んだ。そこへ、アルフィアードが歩み寄る。
「形勢逆転ってやつかな? 魔術師のキミにしては、よく頑張った方じゃない? でも、もうおしまい。なかなか楽しかったよ♪」
アルフィアードに銃口を向けられ、クラシェイドは負けを確信した。
(何でこんな事になってしまったんだろう……オレはそこまでして、クリスティアを助けたかったのかな? 分からない……分からないけど、もうきっとそれでいいんだ)
アルフィアードは何処か儚げな顔をして、クラシェイドを見下ろしていた。
「散り際までキミは美しいね。……だけど、それは現在を生きている美しさじゃない。そう。キミはまるで保存されし花みたいだね」
アルフィアードはクラシェイドに止めを刺す事に躊躇っているのか、なかなか銃の引き金を引かない。ゆっくり、ゆっくりと引き金を引いてゆく……。
「さよなら。黒魔術師クラシェイド・コルース」
アルフィアードの表情はいつもの不敵な笑みに戻っており、ついに銃の引き金を――――
「こ、殺しちゃ……ダメ!」
少女の声が響き、アルフィアードは銃を下げて横目で少女を見た。
「キミ……自分から殺されに来たのかい?」
クリスティアはビクっと肩を震わせ、眉を吊り上げた。右手には短剣が握られている。
「か、彼を殺すっていうのなら、わ……私! あなたをこの剣で……」
「この剣で……何だって?」
アルフィアードはクリスティアに向き直り、銃口を向けていた。その顔に笑みは残っていたが、怒りが大半を占めていた。
恐ろしい。まるで、悪魔に剣を向けている気分だった。
クリスティアはそれでも、引き下がろうとはしなかった。
「こ、殺すわ!」
「いいね~そーゆー強気な態度…俺、好きかも。だから、特別♪ キミに放つ魔法弾には属性を付けてあげるよ。うーん…そうだなぁ。風属性がいいな~一瞬でキミの心臓を貫くよ♪」
アルフィアードは銃口に風属性のマナを集め、引き金を引いた。
バァン!
カンッ!
風を纏った魔法弾が何かに弾かれ、クリスティアもアルフィアードも驚いていた。
なんと、二人の間には倒れていた筈のクラシェイドが杖を構えて立っていたのだ。
アルフィアードは、彼を見て苦笑いをした。
「クラ坊ちゃん、よくも邪魔をしてくれたね~。てか、まだ動けるだけの力が残っていたんだ?」
クラシェイドは答えず、クリスティアの剣を奪い取り、移動術で姿を消した。そして、
ザクッ!
「ぐ……あ…………」
アルフィアードの腹から短剣の先が見え、そこから血がだらだらと流れ出した。
後ろにはクラシェイドがおり、短剣を勢いよくアルフィアードの腹から抜いた。
血が一気に吹き出し、アルフィアードの身体がぐらりと倒れる瞬間、クラシェイドは移動術を使ってクリスティアの目の前に戻って来た。
彼が手に持った血がべっとりと付いた自分の短剣を見て、クリスティアはギョッとした。
クラシェイドは詠唱し、自分とクリスティアの足下に大きな魔法陣を出現させた。徐々に二人の身体は魔法陣から放たれる光に包まれていった。
その間にアルフィアードは倒れたまま顔だけを上げ、銃を構えた。
「逃がす…か……」
アルフィアードが魔法弾を放ったが、その時既にクラシェイドとクリスティアの姿は半透明になっていて、魔法弾は彼らを通り抜けて後ろの樹にぶつかった。
クラシェイドとクリスティアはその場から離脱した――――。
地面にのさばる雑草達がざわめき始める。
そこに魔法陣が出現して、クラシェイドとクリスティアが現れた。
クリスティアが辺りを見渡すと、ここ一帯は草原のようで、向こうには大きな岩山が聳え立っていた。見た事のない景色だ。恐らく、クラシェイドは行き先を頭に思い浮かばせずに移動術を使ったのだろう。その為、行き先がランダムに決まってしまったのだ。
クリスティアは視線を目の前のクラシェイドに移した。
「クラシェイド……助けてくれて――――!? クラシェイド!」
クラシェイドが倒れかけて、クリスティアは受け止めた。その時に感じた彼の体温の低さに驚いた。こんなに血を流していて、あれだけ動いたのだ。気を失っても当然だった。
クリスティアは助けなくてはと思いつつも、彼の背中に回した手に短剣を握っていた。
今なら、今なら彼を殺す事が出来る。そんな復讐心が彼女の中を支配し始めていたのだ。
クリスティアは彼の背中に短剣を突き立てる。これで、復讐は終わりを告げる。だが、クリスティアはそれを実行出来なかった。
(違う……私、そんな事する為に彼との再会を望んだわけじゃない……)
ポロポロと、クリスティアの瞳から涙が零れた。
(早く、助けなくちゃ……クラシェイド、死んじゃうよ……)
カサッと雑草が揺れ動き、クリスティアはハッとした。
目の前に人影が一つ現れたのだ。
「あの……こんな所で何をなさっているのですか?」
いかにも怪訝そうな顔でその人影――――法衣姿の中性的な青年は二人を見ていた。
クリスティアは無我夢中で、その青年に助けを求めた。
「この人、死にそうなんです! お願いです……助けてください!」
青年は目を見開き、少女の抱きかかえている少年を見た。
「酷い怪我ですね。ええ……分かりました。近くに私の乗って来た馬車があります。そちらに運びましょう」
クラシェイドを青年が抱え、クリスティアは青年の横へ並んで馬車へと向かった。
空の月は銀色の満月。血の如く赤い三日月はもう見えなくなっていた――――。




