真実を知る為に
どれだけ上がろうが、階段は果てしなく続くばかり。窓の外の景色にも変化はなく、実際に階を重ねている訳ではなさそうだ。
クラシェイドは階段の前で少し息をつき、気を引き締めてもう一度階段を駆け上がる。すると、漸く別の場所へと辿り着いた。
短い廊下の先には一つの扉があり、クラシェイドは慎重にドアノブを回した。
本棚が沢山並ぶ此処は図書室。図書室は館の左右二箇所にあって、どちらもムーンシャドウの部屋のある屋上スペースへと続いている。此処はそのうちの片方であった。
日によってバラバラであるが、どちらかの図書室には必ずと言っていい程ティツィアーノ・クロムウェルが居る。彼の唯一の肉親グレートブレイクでさえも、敵か味方かの判断がついていない彼に、今会うのは少々危険である。それに、彼は武器を扱う月影の殺し屋の中でもトップクラスの戦闘力を持っていて、いくら最強の黒魔術師と言えども魔術を使う暇がなければ圧倒的にクラシェイドには不利。出来れば、会いたくなかった。
だが、扉を開けた瞬間からクラシェイドにそんな心配はなくなった。何故ならば、彼程の強い魔力の持ち主ならば此処からでも魔力の感知が出来るからだ。
クラシェイドは安心して、図書室内を歩いた。
途中通りすがった休憩スペースのテーブルには、淹れたてのコーヒーが置かれていた。しかも、何故か輪切りの赤い物体が大量に浮いている。そして、黒いソファーの端が少し凹んでいた。ついさっきまで誰かが居た様であった。
此処に居たのは恐らくクロムウェル。彼とは擦れ違いになった様だ。
クラシェイドは別の強大な魔力がある方へと進む。
扉を開き、夜空の下へ。
嘲笑う赤い三日月は普段よりも近くに感じられ、赤い光が月の魔王の居る部屋をより一層怪しく照らしていた。
月影の殺し屋として此処に居た頃は然程気にした事はなかったが、この距離からでも強大な魔力と威圧感を存分にクラシェイドは感じた。
もし、戦闘になったら勝てる自信はクラシェイドにはなかった。今でさえ、全身がピリピリとしているのだ。それを間近で感じる事になったら、最早どうなるか分からない。今心にあるのは自信ではなく、恐怖だけだった。
それでも、クラシェイドには立ち向かわなければならない理由がある。記憶も、居場所も、家族も……全てを奪った男の真実を訊き、そして野望を止めなくてはならない。これは、その為の一つの過程なのだ。
クラシェイドは改めて決意を固め、大きな扉を開いた。
仄暗い部屋に一筋の光が差し込み、金髪の男は回転椅子を回転させて正面を向いた。
「やあ。久しぶりだねェ。クラシェイド」
奇妙な仮面から発せられる声は聞き慣れた高音ではなく、低い生身の男の声だった。
クラシェイドは特に介意せず、紫色の絨毯の上を歩きその先にあるテーブルの前で足を止めた。
ムーンシャドウはテーブルに肘を付き、組んだ指の上に顎を乗せた。
「月影の黒魔術師に戻りたいのかな?」
クラシェイドは冗談混じりの言葉にすら反応せず、ハッキリとした殺意をムーンシャドウに向けた。
「取り戻した記憶の最後にアンタが居た。黒フードの男との関係……オレの前に居た意味。そして、アンタは一体何者なんだ」
「真実を知りたいか……人間」
ムーンシャドウはクスクスと笑い出し、立ち上がった。
「私と戦えば、答えが分かる」
クラシェイドは後ろへ跳んで間合いを取り、そこで瞬時に時空間が安定している事と周囲のマナの質が違う事に気が付いてマナを集める。
『ファイアブレス!』
詠唱呪文なしで炎属性のマナが紅蓮の炎へと形を変え、一気に対象に向かって吹き出す。
ムーンシャドウは空中浮遊し、軽々と魔術を躱す。と、そこへ炎が降り注ぐ。躱し切れなかったムーンシャドウは直撃を受け、灰色のマントを焦がしてテーブルの上に落下。
クラシェイドは更に追い討ちをかけようとしたが、突如身体に異変を感じて動きを止めた。その隙にムーンシャドウは起き上がり、空中を移動して本棚に向かって手を翳した。すると、魔術で一冊の本がひとりでに出て来てムーンシャドウの胸の前でページを捲り始めた。
『アイシクルスピア!』
クラシェイドの声が響き、ムーンシャドウの頭上から無数の氷の刃が降り注ぐ。
ムーンシャドウが横へひらりと躱すと、本が魔術の餌食となって床に落下した。
クラシェイドの魔術攻撃はまだ続く。
『ブラッディネイル!』
血の色の風が吹き荒れ、それもムーンシャドウは躱す。
躱す度に仮面から笑い声が漏れ、ムーンシャドウは楽しそうだった。
「どうした? クラシェイド。そんな魔術では私には当たらんぞ」
ムーンシャドウはクラシェイドの目の前まで来て、挑発する様にふよふよと浮いて腕を組んだ。
クラシェイドは仮面の男を一瞥するも、すぐに下を向いた。
「分かってる……でも、」
身体が思う様に動かなかった。恐怖や魔力の消費が原因ではなかった。クラシェイド自身にも分からなかったが、まるで心と身体が引き離される様な何とも表現し難い苦痛に襲われていた。此処から一歩も動いていないと言うのに、既に肩で呼吸をしていた。
「さあ、戦え。お前は真実を知る為に此処まで来たんだろう? その為に、多くの仲間の命を犠牲にしたのだろう? ふふふ」
「ムーンシャドウ!」
湧き上がる怒りを込め、クラシェイドは杖を振り下ろす。
ムーンシャドウは後ろへ躱し、より高い位置からクラシェイドを見下ろす。
クラシェイドは風属性のマナを集めながらムーンシャドウを見上げる。
「皆が死んだのはアンタがオレを殺すように命じたからだ。そんなにオレを殺したいなら、アンタ自身がそうすればいい筈だ!」
「そうだな……この私であれば、お前など簡単に殺せる。だが、それが出来ればこんな回りくどい事はしまい?」
「何?」
「クラシェイド、戦いを続けろ。さすれば、その答えだって分かる」
ムーンシャドウが両腕を広げ、クラシェイドはそこに風属性のマナを収束させて放つ。
『サイクロン!』
マナは巨大な竜巻へ変わり、ムーンシャドウを吹き飛ばし周りを蹂躙する。テーブル、回転椅子、本棚が部屋中を飛び回り大きな窓ガラスへぶつかって一部は外へ投げ出される。壁や天井も削れ、粉塵を散らす。
竜巻が消えると、綺麗だった部屋は荒れ果て、住人が壁に背を預けて項垂れていた。クラシェイドは、そこに容赦なく魔術を放つ。
『ダークネススピア!』
無数の黒い結晶は全てムーンシャドウに突き刺さった。
しかし、不思議な事にムーンシャドウの引き裂かれた服は血が一滴も付いていない。ムーンシャドウの様子からして、かなりのダメージはあった筈だが依然仮面の男は平気な様子だ。
ムーンシャドウはゆっくりと立ち上がり、服に付いた砂埃を払った。
反対にクラシェイドは座り込んだ。
クラシェイドの意識は遠退き、一度瞼を下ろすと一気に意識は淵へ引き摺り込まれた。
クラシェイドが目を開けると、空は暗闇、足場は底の見えない水面の場所に一人立って居た。
クラシェイドの足下の水面が揺れて波紋を描き、そこに映り込むクラシェイドの瞳は赤紫色に染まって口元が笑みを浮かべていた。
クラシェイドが驚いて後退ると、眼前の水面が大きく盛り上がって平面だったモノが立体のあるモノへと変わって水面に立った。
クラシェイドは、表情と瞳の色が真逆の自分自身の姿を前にし、動く事も言葉を発する事も出来なくなった。
対なる存在は怪しく笑った。
「漸く会えたな、クラシェイド。前まではあのガキ……いや、あれもお前自身か。まあ、そいつに邪魔されて此方には出て来れなかったからな」
「……誰……なんだ。お前は」
「この期に及んでまだ気付いていないのか? それとも、気付いていて気付かぬフリをしているのか? ……どっちでもいいか」
声も、姿も、紛れもなく自分自身で鏡を見ているかの様だが、クラシェイドには彼がとても自分と同一の存在だという事を認める事が出来なかった。
クラシェイドが暫く沈黙していると、対なる存在はクラシェイドに歩み寄って両肩を掴んだ。生きているモノとは思えない、冷たく無機質な手だった。
対なる存在はクラシェイドのサファイアブルーの瞳を捕らえ、ニヤリと笑った。
「オレに身体を渡せ。お前、もう戦えないだろう? オレなら戦える」
「そ、それは駄目だ」
クラシェイドはシザールと戦った時の事を思い出し、対なる存在の手を振り払って一歩後ろに下がった。
対なる存在は笑みを湛えたまま、クラシェイドに手を伸ばした。そして、そのまま押し倒し、クラシェイドは背中を水面に強く打ち付けた。痛みはなかったが、水飛沫が上がって顔や体に水滴が付いた。
対なる存在はクラシェイドを見下ろし、無表情で彼の腹を踏み付けた。
「まだ自分にこの身体の所有権があると思っているのか? それだったら目出度い奴だな。いいか? この身体の所有権はオレにある。オレのモノだ」
クラシェイドはその力と言葉に抗えず、身体が水の中に沈んでいった。やがて全身が水に浸かり、息が出来なくなって意識もプツリと切れた。




