相容れぬ者
アルフィアードが追いかけてくる気配はないものの、クラシェイドは足を止めず、速度も落とさず、クリスティアの手を握ったまま走り続けた。
今まであまり意識をしていなかった為気が付かなかったが、この森はこんなにも深くて先が見えない。月の光があるといえど、木々が殆ど遮ってしまっていて薄暗い。
クリスティアは何も言わないクラシェイドの背中を見て、息を弾ませながら声をかけた。
「ねえ、どうして私を助けてくれたの?」
クラシェイドは前を向いたまま、答えた。
「……分からない」
「分からないって……」
「そう、分からないんだ……自分でも」
他にも訊きたい事はあったが、自分自身の気持ちの整理がついていない彼にこれ以上訊いても同じだと思い、クリスティアは何も訊かなかった。
会話のないまま、二人は走り続ける。疲労は確実に感じているのに、景色は殆ど変わらない。森であるから当然なのだが、それが一層恐怖を駆り立てる。
クラシェイドは急にクリスティアを引く手に重みを感じた。振り返ると、クリスティアが立ち止まって苦しそうに屈んでいた。
クラシェイドは手を離し、困った顔でクリスティアを見た。
「ごめん。両足、怪我してるんだったね。――――自分以外の人に移動術を使った事がないから、少し詠唱に時間がかかるな」
言って、クラシェイドは詠唱を始めた。時属性のマナが徐々に集まり、クリスティアの足元に魔法陣を描いた。
術の発動まであと少しだ。
ところが、発動直前になって、クラシェイドは突然と詠唱を中断した。直後、木々の隙間から魔法弾が飛んで来て、それをクラシェイドが杖で弾いた。
木々の向こうからクスクスと笑い声。
クラシェイドは再びクリスティアの手を引いて、走り出した。
「……マズイな。アイツから逃げ切るのはちょっと無理か」
クラシェイドがクリスティアを振り返り、一瞥。その一瞬に彼と目が合い、クリスティアは気まずそうに目を伏せた。
アルフィアードに追いつかれそうになっている原因は間違いなく自分。もっと言えば、追いかけられて命を狙われる原因は自分にあるのだと、クリスティアは自覚していた。
(私を置いていけば、簡単に逃げられるのに)
クリスティアは彼の背中を見つめた。
クラシェイドはクリスティアに対して全く文句を言う事もなく、ただ走り続けている。
バサバサと近付いて来る羽音、ざわめく風樹。
クリスティアが立ち止まりそうになり、真っ暗な茂みを見つけたクラシェイドはそこへクリスティアを半ば押し飛ばした。
「い、いきなり何?」
茂みに埋もれたままクリスティアが不安げに言い、茂みの外側からクラシェイドは返した。
「体力が回復するまでそこにいて。何とか動けるようになったら、歩いてでもいい……とにかく、ここから逃げるんだ。街まで行けば、さすがにアルフィアードは追っては来ないだろうから」
「え? ちょ、ちょっと……」
クリスティアが言いかけたが、もう既にクラシェイドの姿はなかった。代わりに、羽音と青年の笑い声が聞こえて来て、クリスティアはギュッと膝を抱えて震えた。
「さぁて、何処に隠れたのかな~?」
アルフィアードは身体を二メートル程宙に浮かせ、右に左に前に顔を動かしてターゲットを捜した。ふと、前方の茂みが目に入る。
「……そこかな♪」
銃を構え、茂みに迫る――――と、
真後ろの空中に魔法陣と共にクラシェイドが現れ、アルフィアードは背中を杖で殴られた。そのまま、地上へ落下。予期していなかった一撃にアルフィアードは咄嗟に反応出来ず、受け身も取れずに地面にうつ伏せた。
クラシェイドは地上に着地し、アルフィアードに追い打ちをかける。
『青き氷の乙女、汝に怒りと絶望の槍を振り翳せ――――アイシクルスピア!』
アルフィアードの頭上に無数の氷の刃が降り注ぎ、アルフィアードは地面を転がるようにして躱した。すぐさま体勢を立て直し、次の詠唱を始めているクラシェイドに魔法弾を放った。
「不意打ちに、追い打ちなんて、なかなか酷い事してくれるね~。あれ? あの娘はどうしたの? 逃がした……とか?」
クラシェイドは杖で防ぎ、同時に集中力が途切れて詠唱も中断された。
「――――まあ、いいや。俺は狙った獲物は逃さない。すぐにキミを殺して、あの娘も殺すからね♪」
アルフィアードの銃撃はこれに留まらず、次々とクラシェイドに襲いかかった。クラシェイドは杖で防ぎ、どうしても防ぎきれなかったものは躱し、徐々にアルフィアードとの距離を詰めていった。
アルフィアードの放つ銃弾はマナの塊――――魔法弾である為、自身の魔力が尽きない限りは撃ち続ける事が可能な上、詠唱の必要がない。さらには、属性が付けられる。炎のマナを銃に込めれば、炎の弾といった具合に。唯それだけならばいいが、アルフィアードの場合、銃弾を込める為の銃もマナで形成していて銃が破壊されてもまた創り出す事が出来るので、武器にマナを込めて特殊な技を生み出す武器使いよりも厄介だ。こう言った特殊な者達を“具現化武器使い”と呼ぶ。ただし、武器までもマナで創り出しているとは言え、結局はマナを塊にして放っているだけなので、詠唱によってマナを形にしている魔術よりも格段に威力は劣る。
アルフィアードとの距離を確実に詰めているクラシェイド。少しだけ魔法弾が掠って、身体から血が出ていた。
「……何でそんなに殺したがるの?」
アルフィアードの目の前まで来たクラシェイドが杖を振り下ろし、アルフィアードはクスクスと笑いながら、翼で空中へ逃れて魔法弾を放った。
「キミこそ、何でそんなに助けたいの? ……人の命なんて、ホント脆いもんだよ? でも、ただ死ぬだけじゃあ…勿体無いよね。だから、俺が散々痛めつけて殺す。たった一つの命が俺の玩具になるんだよ。何て素敵な事か。俺はね、何よりも殺す事が大好きなんだ」
この男は何処まで歪んでいるのだろうか? 人殺しを仕事にして来たクラシェイドでさえも、ゾッとして返す言葉も失った。
飛んで来た魔法弾を杖で弾き、クラシェイドは後ろへステップを踏んでアルフィアードとの間合いを取った。そして、移動術を使った。
クラシェイドが視界からいなくなり、アルフィアードは銃を構えたまま後ろに向き直った。
だが、そこにクラシェイドの姿はなかった。同じ作戦を実行する程馬鹿ではなかったようで、アルフィアードは溜め息をついて辺りを見渡した。
クラシェイドはというと、近くの樹の上に移動していた。枝に付いた葉っぱ達がクラシェイドの姿を隠してくれており、クラシェイドは葉の隙間からアルフィアードの様子を窺いつつ詠唱を始めた。
『烈風よ、神の魂をその身に纏い、汝の欲望を引き裂け――――サイクロン!』
巨大な竜巻が発生し、アルフィアードに牙を剥く。
真横へ飛び退こうとしたアルフィアードの左翼を、左半身を、竜巻が飲み込み、アルフィアードは空中から落下し、地面に身体を打ち付ける寸前に受け身を取って上手く着地した。
アルフィアードの左半身はズタズタに引き裂かれ、絶え間無く流れる血が地面を赤く染めていた。
アルフィアードは左半身を右手で押さえ、肩を上下させている。そこへ、再びクラシェイドの魔術が襲いかかる。
『邪悪なる獣の爪よ、全てを引き裂き血で染めろ――――ブラッディネイル!』
禍々しい紫色の風が、身動きの取れないアルフィアードを引き裂いた。
真っ赤な鮮血が迸り、アルフィアードは自ら作った血溜まりの上に倒れた。
アルフィアードの純白の服やマントは血が染み込んで、地面と同様真っ赤だ。それを見て、クラシェイドは移動術で彼の近くへ移動した。
呼吸はしているが、立ち上がるのは不可能だろう。彼が握っていた銃も、マナに戻って消えてしまっている。これは勝利というべきか。クラシェイドは杖を下ろし、アルフィアードを見下ろした。
仕事以外の殺しはしないつもりでいたが、この男はこのまま生かしておく訳にはいかない。生かしておけば、もっと多くの人間をこの男が殺すだろうから。
クラシェイドが覚悟を決めた、その時だった。
突如、アルフィアードの全身を白光が覆い始めた。
あまりの眩しさにクラシェイドは目を開けていられず、目を腕で隠してアルフィアードから少し離れた。
アルフィアードの左翼が、左半身が、白光によって元通り。次にクラシェイドが見た先には、虫の息だった筈の青年が光の粒をチラつかせて立っていた。
アルフィアードのそれに、クラシェイドは驚く事はなかったが、少し悔しそうにしていた。
「治癒術が使えるんだった……」
アルフィアードは自分の艶のある金色の前髪をサラっと手で横へ払い、余裕の笑みを浮かべた。
「自分自身にしか使えないんだけど、十分でしょ? あはは、これで振り出しに戻ったね♪ あーでも、キミは体力も魔力も精神力も削られたまんまだね~ちょっと怪我してるし。可哀想に。そんな状態で、また同じように俺を追い詰められるかなっ♪」
クラシェイドはアルフィアードの懐に一気に走り込み、杖を振り下ろした。当たる寸前に、アルフィアードは空中へ逃れてクラシェイドの後ろに着地。瞬時に銃を具現化させ、クラシェイドの背中に魔法弾を放つ。それをクラシェイドが杖で薙ぎ払い、ついでにアルフィアードの身体を掠めた。
アルフィアードは一歩下がって魔法弾を撃ち、クラシェイドは移動術を使った。
移動先は迷わず樹の上。しかし、そこから再び魔術を繰り出すつもりはなく、移動術を使った。
アルフィアードは何処から魔術が来るのか、辺りを確認している。そんな彼の背後にクラシェイドは現れ、杖を振り下ろした。
ところが、アルフィアードが振り向き様に片手で杖を受け止め、もう一方の手に握られている銃口をクラシェイドに向けて魔法弾を放った。
弾はクラシェイドの左肩に直撃し、クラシェイドは杖を下げて右手で傷口を押さえた。
一旦ここは体勢を立て直すべきだと思い、クラシェイドは移動術を使って樹の上まで移動した。




