ネクロマンサー
階段は二階へと続いており、先程壁に変わってしまった階段から行ける場所と全く同じ場所へ出た。
本来ならば、この先にも階段があってそのまま最上階まで上る事が出来るが、ここもまた、階段のあるべき場所が壁に変わってしまっていた。
仕方なく、三人は二階の廊下を通過する事にした。
天井のランプに照らされた紫の絨毯の上を歩く三人。
右手にある部屋は食堂同様に扉と壁のない開放的な空間で、壇上の椅子以外は何もない広いだけの部屋だ。此処はムーンシャドウが月影の殺し屋を集め、大事な話をする為の広間。クラシェイド殺害の命を出した時以外、ほぼ使われていない。
左手にあるのは、これまた広い空間。二つに区切られたそこは大浴場だ。男性の割合の方が圧倒的に多いが、男性、女性、どちらの浴場も同じ大きさだ。
一階に引き続き、生活感の溢れる空間に、シフォニィは不思議な気分になった。殺し屋と言えども、やはり同じ人間なのだ。こうやって、日常を繰り返している。きっと、そこに大きな違いはない。教会に住んでいるから、城に住んでいるから、月光の館に住んでいるからと言って、正しさも間違いもなく、そこに人間が住むから生活が生まれる。唯、それだけだ。
しかし、そんな月影の殺し屋の生活も今宵終わりを告げる事だろう――――二人の元月影の殺し屋によって。
クラシェイドとアレスも三年間此処で生活をしていたのだから、全く思い出がない訳でもない。けれど、もう終止符を打たなければならない。月影の殺し屋は壊滅するべきなのだ。
クラシェイドとアレスは思い出を振り払い、廊下を歩いていく。シフォニィも気持ちを引き締め、彼らの背中を追った。
長い廊下が終わり、目の前に階段が見えて来た。今度は近付いても消えず、変な時空間の乱れは感じなかった。
下りの階段もあったが、三人の目的は最上階。それに、何処へ繋がっているかも分からないので、迷わず三人は上がりの階段へと足を踏み出した。
階段を上り終えると、今度は四階まで辿り着いた。あと一階上がればいいだけだが、再びこの先の階段がなくなっていたので廊下を歩いていく事にした。
クラシェイドとアレスを先頭に歩いていると、目の前から顔のそっくりな二人の少年が歩いて来た。クラシェイドとアレスは瞠目し、立ち止まった。シフォニィも同様に足を止めた。
「ティニシー……さっきのムーンシャドウ様が言ってたクラシェイド殺害の任務、本当に引き受けるの?」
「……断れないだろ」
「そ、そうだよね。……あ、それじゃあボクが一人で行って来るよ!」
「何言ってんだよ。これはオレ一人で十分だ。黒魔術師なんて……」
「ボクが行くって言ってるじゃん」
「必要ない」
「ティニシー!」
去って行こうとするティニシーの腕に巻き付いた札を、ティアンザが軽く引っ張った。反動でティニシーは後ろへ倒れそうになり、眉をつり上げて振り返った。
「しつこいな! だったら、お前が戦えない様にしてやるよ」
ティニシーから殺気が漂い、ティアンザは顔に影を落とした。
「望むところ! それじゃあ、表に出よう。この前、ここで戦っていたらエドに注意されたからね」
二人が歩き出し、クラシェイド達の横を通り過ぎていった。まるで、そこに誰も居ないかの様に……。
三人は後ろを振り向いたが、もう既に双子の姿はなかった。
今度は別の声が前方より聞こえて来た。
「ルカ、まだ寝てるんじゃない?」
「そんな事ないって! アイツ、ボケっとしてるけど時間はきっちりしてるからな」
エドワードとウルだった。ティニシーとティアンザもそうだが、三人はこの二人が死んだのをしっかり見ている為、より一層驚いた。
ウルとエドワードが楽しげに会話をしながら歩いていると、その先の部屋の扉が開かれて話題の人物が姿を現した。
ウルはルビー色の瞳を輝かせ、青年に歩み寄った。
「ルカ! 今からティオウル行こうぜ」
「ティオウル? 行く行く」
ルカは笑顔を浮かべ、ウルの横に並んで三人一緒に歩き出した。
またしても、彼らはクラシェイド達を介意する事なく後方へと消えていった。
クラシェイド達は訳が分からず、首を傾けた。
「何だったんだ……今の」
アレスが疑問を口にすると、クラシェイドでもシフォニィでもない声がそれに答えた。
「それは、この館の記憶だよ……」
そこで、初めて三人はそこに人が居る事に気が付いた。一瞬、先程見た幻影の一部だと思ったが、それは紛れもなくそこに存在していた。
ボサボサの黒髪で殆ど見えない顔には黒縁の眼鏡、無彩色の装飾が一切ないゆったりとした服……何処を見ても地味な青年だった。最早、影と同化してしまっている程だ。
クラシェイドとアレスは辛うじて、彼の事を覚えていた。同時に、彼の名を叫んだ。
「ブラウニー!」
「トーマス!」
シフォニィは首を傾げ、二人は互いを見て瞬いた。
「ブラウニー……だよね」
「いや、トーマスだろ」
「ジェニファーだよ……」
本人の口から全く違う名が飛び出し、クラシェイドとアレスは驚いてジェニファーと自ら名乗った青年の方を見た。
ジェニファーは肩を竦め、溜め息を吐いた。
「キミたち、一文字も合っていないじゃないか……」
クラシェイドは明後日の方向を見、アレスは苦笑して後頭部を掻いた。
ジェニファーは壁際から離れ、廊下のど真ん中に立った。天井のランプの光を受けた眼鏡のレンズが怪しく光り、血色の悪い口元は角を引き上げて不気味に歪んだ。そこから漏れる低い笑い声で、空気がガラリと変わって緊張感が駆け抜けた。
「さあ、ここから先は行かせないよ……。僕の友達と遊んでもらうからね……」
ジェニファーがバッと両腕を広げると、羽音が響き始めた。
羽音はどんどん大きくなり、それが一匹ではない事は明白だった。やがて、羽音は三人の前方と後方に到着した。
ジェニファーは再び壁際へ退却し、取り残された三人は羽音を立てていた生き物に囲まれてしまった。
一見すると、それらは魔物の様だが決定的に異なる点が一つだけあった。それは、鳥の身体に対し、顔だけが人間の女性である事。つまり、魔物と人間を合体させた合成獣と呼ばれる生物だった。中でも、この様な鳥の姿をした合成獣をハーピーと呼ぶ。
ジェニファー・ボンズは死体を弄ぶネクロマンサーだ。自身に戦力がなくとも、こうして魔物と人間を合体させて新たな生き物を産み出し、従わせる事が出来るのだ。
魔物は死ぬとすぐにマナへ還ってしまい死体が残る事はないので、生きたまま人間の死体の一部と合体させる。その詳しい方法はジェニファー本人しか分からないし、正常な人間ならば知りたいとも思わないだろう。
ハーピーの光のない瞳がギョロギョロと動き、首がぎこちなく動く。まるで機械の様な動きだ。顔が人間であっても、もう魂は消滅しているので、単なるネクロマンサーの人形だ。
生命のないその目と目が合う度に、シフォニィはビクッと身体と震わせた。そんな彼を庇う様に、前でアレスが大剣を構え、後ろでクラシェイドが杖を構えた。
アレスとクラシェイドは一切言葉を交わす事はなかったが、信頼という形のないモノで当然の様に互いの背中を任せて動き出した。
アレスは目の前に浮いている三体のハーピーに向かって、大剣を薙ぎ払う。
ハーピー達は同時に後ろへ逃れ、大剣は空を裂く。
その後も、アレスは攻め続けるが全く刃は掠りもしない。
「浮いてる相手は不利だな……」
それは、クラシェイドの方も同じだった。
至近距離での詠唱は出来ない為、杖でこちらも三体のハーピーと戦っているがその攻撃は全くハーピー達には届かない。
二人の攻撃を優雅に躱したハーピー達は皆同時にピタリと動きを止め、空気中に漂う風属性のマナを吸い込み始める。
クラシェイドとアレスは危険だと判断し、ハーピー達から離れる。それぞれ武器を構え、攻撃を迎え撃つ体勢を取る。
二人の間に佇んでいたシフォニィが縫いぐるみを杖に変形させ、足下に大きな魔法陣を展開させて言う。
「二人とも、ぼくの所へ集まって!」
二人はそれに従い、シフォニィのもとへ。
ハーピー達が口から球体に濃縮させた風を吐き出すのと同時に、三人の周囲をドーム状の半透明な壁が覆ってハーピー達の攻撃を防いだ。
シフォニィは息をつき、杖を下げる。
三人の視界の端で、ジェニファーが眼鏡を光らせて笑っていた。
「なかなか優秀な白魔術師が居るね……。でも、何処まで耐え切れるかな……」
ハッと気付いたシフォニィはもう一度気を引き締め、防御壁を張り直す。
ハーピー達はマナを吸い込み始める。二体ずつ、属性の異なるマナを集めている。同じ様に球体となったそれらは、防御壁に衝突。今度ばかりは先程の様にはいかず、炎、水、風の三つの同時属性攻撃に大きく揺らぎ、パキパキと音を立てて崩壊し始める。
クラシェイドは詠唱を始め、アレスは大剣に光属性のマナを纏わせる。
シフォニィは懸命に防御壁の修復をしようと努めるが、遂に防御壁は崩壊してマナへと還ってしまった。
無防備な彼らを三つの属性の球体が二つずつ、計六つ襲いかかる。
アレスは光り輝く大剣を円弧状に振り、六つの球体を弾く。一部弾けなかったものはアレスの肩に当たって、アレスは軽い火傷を負った。
『大地の女神ガイア、大地を揺らし愚かなる者に裁きを――――グランドランス!』
クラシェイドの詠唱呪文と術名と共に、集っていた地属性のマナがハーピー達の足下に黄色の魔法陣を描く。
何故か壁際のネクロマンサーは口角を上げていて、黒魔術師はすぐにその訳に気が付いた。
展開していた魔法陣が消え、地属性のマナは形にならずに分散して空気中へ還っていった。




