消えた階段は別の場所に
三人が辿り着いたのは大きな壁の前、行き止まりだった。クラシェイドは驚いて壁を触り、後ろでアレスが腰に両手を当てて溜め息をついた。
「ほら。何となくなんてテキトーな事言うからだぜ」
クラシェイドは壁から手を離し、アレスに向き直って不満そうな表情を見せた。
「右でも左でも変わらないでしょ? アレスだって、それは知ってるよね。……と言うか、さっきまでは階段が見えていたんだ。それが、近付いた途端に消えた」
「それはつまり、侵入者を拒んでいるって事?」
シフォニィが問うと、クラシェイドは首を横に振った。
「それだったら、入口を塞ぐか、残りの月影をけしかけて来るよ。わざわざ侵入させる意味が分からない」
「そうだよねー……」
「残りの……か。確か、アルフィアードにクロムウェル……と、アウラか」
腕を組んだアレスが館内に居るであろう月影の殺し屋の名を口にする。どの名前も馴染みのないものであるシフォニィは微妙な顔をしているが、クラシェイドはハッキリと複雑な顔をしていた。
「誰と戦う事になっても簡単には勝てないだろうね。自己治癒の出来る銃使いに、月影最強の大鎌デスサイズ使い、風の上級魔術を多数扱う黒魔術師」
彼のそれは、単に相手の戦闘力が高いからだけではなかった。もっと複雑な想いがその裏にはあった。特に、最後の言葉は言いながら顔を曇らせていた。
アウラ・レイラ。クラシェイドにとって、月影の殺し屋の仲間と言う認識だけではない、幼き日の一ページを共に過ごした存在。勿論、アルフィアードやクロムウェルとも戦いたくはないが、特にアウラとは戦いたくなかった。
それに、ヴァジルが気になる事を口にしていた。
――――まずはアウラさんの願いを叶えるのが先
アウラの願いとは一体なんだったのだろう。それはヴァジルが明かさないまま死んでしまった為、最早本人に訊くしかない。それも、クラシェイドが躊躇する理由の一つだった。同時に毒をかけられたクリスティアの事も思い出し、クラシェイドはすっかり沈んでしまっていた。
「クリスティア……」と、無意識に一人の少女の名を口にする。今、最も心配に思っているのは他でもない、彼女の事なのだ。
シフォニィとアレスは急に彼の口からその名が出た事に少し疑問を抱くも、すぐに柔らかい笑みを作った。
「クリスなら、きっと大丈夫。ノアンがあんなに自信たっぷりに治すって言ったんだから」
「そうだぜ。それに、アルフィアードは微妙だが、クロムウェルやアウラは味方になってくれるかもしれないしさ」
二人の優しい言葉で再びクラシェイドは顔を上げ、今するべき事を再認識した。
「そうだね。ノアンを信じよう。命と引き換えに、ここまでの道を作ってくれたリスルドの想いも無駄にはしない為に、最上階を目指そう」
クラシェイドが歩いて行き、二人は後ろをついて行った。
また食堂の前を素通りし、今度は反対側の階段へと足を運ぶ。
「そっちはさすがに大丈夫だよな」
アレスはしっかりと階段を目に焼き付け、一人納得して頷いた。隣でシフォニィも頷いている。
クラシェイドも、このまま階段へ辿り着けると信じて疑わなかった。
だが、またしても結果は先と変わらなかった。
クラシェイドは壁へと姿を変えてしまったそれを、まだ目の前の現実を受け入れる事が出来ずに手で触って確かめた。
アレスとシフォニィも居ても立ってもいられず、彼と同じ様に壁に触れてみた。
「壁だな……」
アレスはひんやりとした感触を味わったその手を、そこから離して腕を組んだ。クラシェイドとシフォニィも手を離し、困惑の表情を浮かべた。
「これじゃあ、最上階に行けないよ……」
シフォニィは縫いぐるみをギュッと抱え、うつむいた。
クラシェイドは考え始める。
迷った挙句、アレスが背中に手を回して大剣の柄を握った。
「この壁、壊してみるか」
「ちょっと、待って」
クラシェイドが手でアレスを制し、アレスは柄から手を離してクラシェイドを見た。
「クラちゃん。もしかして、何かいい方法が?」
クラシェイドの顔には、もう戸惑いが消え去っていた。クラシェイドは言う。
「ノアンが館内は時空間が歪んでいるって言ってた。つまり、ある筈の物がなくなったり、ない筈の物が現れたとしても不思議じゃないって事。上手い事またここに階段が現れる事もあるかもしれないけど、何しろ不安定な状態。仮にそうなった所で、階段を上っている途中に時空間に飲み込まれてしまってもう二度と元の場所へ戻って来られないかもしれない」
その話に、二人の顔が青褪めた。
もし、アレスが壁を壊していたら時空間が乱れ、取り返しのつかない事態に陥っていたかもしれない。そう思うと、アレスは冷静な者が一人居てくれて良かったと安堵した。
「本当、助かったぜ……クラちゃん。じゃあさ、移動術でムーンシャドウの所行った方が安心じゃね? お前、使える様になったみたいだし。と言うか、最初からそうした方が……」
クラシェイドとシフォニィは同時にアレスを見た。クラシェイドは困った顔をし、シフォニィは呆れた顔をしていた。アレスはたじろぐ。
「今の話の流れで、それはちょっとマズイかな。時空間が乱れていると言う事は、オレが扱う移動術にも必ず影響はある。移動術は時空間を行き来する術で、不安定な場所へは移動する事が出来ない。ここ自体が不安定だから、今移動術を使った所で望み通りの場所へ移動出来るかどうか分からない。下手したら、時空間に飲み込まれてしまう」
「そうそう。お兄ちゃんの言う通りだよ~アレス」
自分だけ場違いな発言をしてしまったアレスはまた青褪め、気持ちを落ち着かせる様に後頭部を掻いた。
「……そう、だな。でもさ……時空間が乱れていて階段も使えない、移動術も使えないんじゃ、あとはどうすればいいんだ?」
「オレが思うに、消えた階段はまた別の空間に移動してる可能性が高い」
クラシェイドは、視線を数十歩後ろの医務室と斜め向かいの食堂へ向けた。
シフォニィとアレスも同じ様にその場所を見、納得した。
「医務室か食堂に階段があるって事だな?」
アレスが問うと、クラシェイドは頷いた。
「まずは医務室を調べてみよう」
三人は医務室へと向かう。
誰も居ない筈の医務室の扉を開け、そっと中へ入る。
明かりのない室内は暗く、物の輪郭が少し分かる程度だった。
クラシェイドは扉横の壁にある手の平サイズの魔法陣に触れ、天井のランプを点けた。部屋が明るくなり、物の輪郭が鮮明に、互いの姿をしっかり確認する事が出来た。
クラシェイドとアレスは歩き慣れた様子で室内を探索し、シフォニィは黙って後をついて行く。
向かい合わせのソファーのある休憩スペースの横を通り、その先にある薄い水色のカーテンをサッと開き、患者用ベッドが並ぶ空間を確認する。窓の外の銀色の月が綺麗に見えるだけで、他に変わった点は見当たらなかった。
医務室を一通り見て回った三人は隣にある、ノアンとリスルドの自室へ向かった。
医務室から直結したそこは、当然ながら誰もおらず真っ暗だった。医務室よりも少し狭い部屋だったので、一目見ただけで何もない事が分かった。
ここの住居人がもう二度とここに戻らない事に、三人の心と瞳は揺れた。
最後に部屋から出たクラシェイドがそっと扉を閉め、二人は彼の方を振り向いた。
「あとは食堂だけだな」
アレスがそう言い、クラシェイドは曇った顔のまま頷いた。
「うん。誰も居なければいいけど……。行こうか」
三人は医務室を出、食堂へと向かった。
食堂には扉はないので、変な緊張感はなかった。三人は先程よりは軽い足取りで、食堂に入った。
横長のテーブル席がいくつかある食堂内は、見渡す限りその広さを視認出来るが他には何も見当たらない。
クラシェイドは慎重に食堂内を壁伝いに歩き、一箇所一箇所丁寧に壁に手を当てて調べた。しかし、何処にも目的の物は見当たらず、クラシェイドは首を横に振るばかりだ。
アレスとシフォニィもテーブルの上や下を調べるが、何も見当たらなかった。
残るはコルトの仕事場、厨房だけだ。
クラシェイドには料理人の魔力と気配は感じない様だが、無警戒のまま踏み入れる訳にはいかない。
三人は十分警戒心を抱き、壁一枚向こうの空間へ。
沢山の調理器具や食器、調味料が使い勝手の良い様に並べられた空間で、竈の炎だけがバチバチと音を立てて存在をアピールしていた。料理人の姿は何処にもない。
厨房内は香ばしい匂いが充満していて、その源を突き詰めたアレスとシフォニィが竈の上の鍋を覗き込んだ。
「わぁ。美味しそうなビーフストロガノフ。ぼくはお肉食べられないけど☆」
「コルトの奴、作りかけかよ。焦げるぞ」
二人が料理に夢中になっている間に、クラシェイドは真面目に厨房内を調べていた。
クラシェイドは食器棚横の壁の前に立ち、暫くそのまま動かなくなった。
アレスとシフォニィは料理から目を離し、クラシェイドの後ろ姿を見た。
「クラちゃん、どうしたんだ?」
「見つかった?」
クラシェイドは振り返り、しっかりと頷いた。
「この先の時空間だけ変だ。でも、安定してる。ここから行けるよ」
言いながら、クラシェイドは壁に触れた。
壁は光って半透明になっていき、やがてその先に金の手摺り付きの階段が姿を現した。これが本来、廊下にあった階段だ。
クラシェイドは躊躇わずに階段を上がっていき、彼の姿を見失わない様にアレスとシフォニィも慌てて後に続いた。




