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月蝕の黒魔術師~Lunar Eclipse Sorcerer~  作者: うさぎサボテン
第十九章 月光の館来復〜それぞれの想いの果てにⅡ〜
175/217

父の仕事

 ***



 エメラルドグリーンの海に囲まれた街ソエレンジェ。かつて、ソエレンジェ初代侯爵が築き上げた街である故、そう名付けられた。

 白を基調にした街の建物は全て、津波の被害を避ける為に石造りの階段を上った先の高台にあり、街道と階段が複雑に入り組んだそこは芸術品の様に美しい。また、海に囲まれているので市場で売られているのは新鮮な魚介類ばかりで、市場へ足を踏み入れると魚介類を炭火で焼く香ばしい匂いが漂って来る。街の者も今日の太陽の様に清々しい笑みを浮かべ、とても活気に溢れた街だった。


 この街を治めるのは無論、ソエレンジェ家の現当主。街の奥の高台に位置する広大な土地に建てられた大きな屋敷がそうである。

 リスルドこと、アスカ・ティムス・ソエレンジェはソエレンジェ家四人兄弟の末っ子であった。

 海の臨める大きな窓のある室内で、白いブラウスに黒いジャケットとハーフパンツを身に付けた銀髪の少年は横長のテーブル席の端に座り、バターナイフで焼きたてのスコーンに木苺のジャムを塗っていた。


「アスカ様、紅茶でございます」


 横から、口髭を生やした初老の使用人がスッとアスカの目の前に淹れたての紅茶を置いた。


「うん。ありがとう」


 アスカが礼を言うと使用人は一礼して下がり、アスカは木苺たっぷりのスコーンを一口齧って紅茶を流し込んだ。香ばしい生地に甘酸っぱいジャム、温かい紅茶が口内で絶妙に絡み合い、それぞれの味を一層惹き立てる。毎日出される菓子の中で、アスカが一番好きな菓子だ。

 けれど、今日は大好物を食べても気持ちが落ち着かず、そわそわしていた。普段この時間は埋まっている筈の右隣の席も、斜め向かい側の席も空いているのだ。

 アスカが食事の手を止めて不安そうに辺りを見回していると、真正面の次男と目が合った。


「どうした? 美味しくないか?」

「違う。美味しいよ。……ただ」


 アスカがもう一度辺りを見回すと、次男は「ああ……」と声を小さく漏らしてエメラルドグリーンの瞳を細めた。


「兄上と姉上は今、父上の仕事の手伝いをしている」

「ねえ……その仕事って一体何なの?」


 父は仕事だと言って部屋に閉じ篭ったままで、食事の時ですら殆ど顔を合わさない為にアスカはずっと父の事が気になっていた。

 アスカが疑問を率直に口にした事で、しん……と辺りが静まり返った。次男は微笑んだまま、後ろに控える使用人も姿勢を正したまま、時間が止まったかの様に動かなくなった。

 アスカは訳が分からず、唯瞬きを繰り返す。もう一度口を開く事は出来なかった。

 窓の外で海鳥が鳴いた。それによって、室内の時間が動き出した。

 次男は微笑んだ口元に細い人差し指を立て、アスカは首を傾げた。



 翌日のお茶の時間の席に、長男、長女に続いて次男の姿もなかった。室内にはアスカといつもお茶を注いでくれる使用人の二人だけとなった。

 アスカは、隣でお茶を注いでいる使用人に話し掛けた。


「リチャードお兄様の姿もないけど、どうしたの? もしかして、お父様の仕事の手伝い? ……ねえ、お父様が何をしているか、キミは知っているんじゃないの?」


 使用人は注ぎ終えたお茶をアスカに渡し、態とらしく微笑んでみせた。


「申し訳ございません。私は存じません」

「……そう」


 アスカは言いたい言葉を紅茶と共に飲み込み、使用人が一礼して下がるのを横目で見届けた。


 ソエレンジェ家では元々、家族が揃う事は食事の席ぐらいしかなかったが、時々は兄弟同士屋敷内で擦れ違ったり、一緒に街へ出掛けたりもした。特に姉は同じ銀髪に黒目の自分とよく似た容姿のアスカを可愛がり、アスカと関わる頻度が一番高かった。

 他の兄弟二人は父の血をしっかりと受け継いだ金髪に翠玉の瞳であり、長女とアスカの容姿は完全に母の遺伝であった。

 その母は既に他界し、今は白い花の咲き誇る中庭の墓石の下で眠っている。



 日を追う毎に、アスカは兄弟達を見掛けなくなった事に疑問を持ち始めた。使用人の何人かに同じ問い掛けをしてみたものの、返って来た言葉は全て同じ。「存じません」と。それはまるで、何かを故意に隠しているかの様だった。

 兄弟の行方や父の仕事内容を誰も教えてくれないのなら、自分で見つけるしかない。そうアスカが決心したのは日が沈んでからだった。


 アスカは寝心地の良い天蓋付きベッドから下り、黒いブーツを履いて遠い扉へ向かう。そして、ドアノブに手を伸ばし、ゆっくりと静かに回して僅かに開けた扉の隙間から廊下を覗き見る。

 窓から差し込む月光でほんのり明るい長い廊下には人影はなく、気配もない。アスカは再度それを確認すると、ゆっくりと部屋を出た。

 廊下を暫く歩く。曲がり角に差し掛かる度に一度立ち止まり、向こうをしっかり確認した後歩き始める。

 もっと早い時間であれば、使用人が彷徨いているが今の遅い時間では皆夢の中だ。

 海の向こうでは治安が悪く、こういった貴族の屋敷は夜半に襲われる事も少なくないが、この街は治安が良いので此処を警備する必要は全くないのだ。


 アスカはやっとの事で次男の部屋に辿り着いた。自分の部屋から一番近い此処でさえ、長い廊下を歩いて更に階段を上がって、また長い廊下を歩いて行かなければならず、その上神経も尖らせていた為、もう既にアスカは疲労感に襲われていた。

 乱れる呼吸音が廊下に響かない様に整えた後、アスカは扉をそっと開いた。


「お兄様……?」


 声を出来るだけ抑え、暗い部屋を見渡す。

 アスカの部屋と同様、此処も広く、ベッドまでが遠かった。

 アスカは一向に返事がない事に不安を抱き、後ろめたく思いながらも部屋に足を踏み入れた。


 家族同士でも互いの部屋に立ち入らず、初めて歩く次男の部屋は新鮮だった。姉の部屋には何度か招かれた事もあり、香水の匂いがしたり窓際に花が飾ってあったりと女性らしい部屋と言う印象を受けたが、此処はさすが男性の部屋。アスカも兄の事は言えないが、此処はもっとシンプルで必要最低限の物しか置かれていなかった。そのおかげで、暗い中でも何かに躓く事はなく、容易にベッドまで辿り着く事が出来た。

 天蓋のないキングサイズのベッドを見下ろし、アスカは愕然とした。


 次男が居ない。


 しかも、シーツが全く乱れておらず、最初から此処には居なかった様だった。

 アスカの不安は募り、次は一番親しい長女のもとへ少しばかり足を急かした。


 しかし、長女のベッドもまた、もぬけの殻だった。窓際の長女の大事にしていた花も枯れてそのままだ。部屋に戻って居ないのは昨日今日の事ではない様に思えた。


 最後に最も遠い場所に位置する、殆ど会話をした事もなく、畏怖の念すら感じる長男の部屋の前に辿り着いたアスカは、此処に最後の望みをかけてその扉を開いた。

 入っただけで肌がピリピリとする錯覚に陥る部屋であったが、その元凶たる長男の姿は何処にもなかった。

 アスカは安堵すると同時に、一気に不安になった。


 長男、次男、長女が一斉に居なくなっている……。これが一体何を意味するのか、この時のアスカには知る由もなかったが、不安である事には変わりはなかった。このまま大人しく自室に戻る気にもなれず、アスカは一度長男の部屋を出て暫く廊下を歩いた。

 歩きながら考える。三人が行きそうな場所……。屋敷の外であればお手上げだが、アスカには一つ心当たりがあった。それは、屋敷北館一階にある奥まった部屋。古びた扉の向こうにあるそこに、アスカは一度も足を踏み入れた事はない。家族の自室もそうであったがそこはそれとは訳が違い、踏み入れる事は疎か近付く事さえ固く禁じられていたのだ。

 何故かは分からない。唯、絶対なる権力者の父が禁じるからだ。それ以上の追求は誰一人として出来なかった。

 父と関係しているのなら、三人が居ても不思議ではない場所。

 アスカは南館と北館を繋ぐ廊下を早足で進み、階段を駆け下りていった。


 目的の部屋に近付く度に、窓からの月光が廊下に届かなくなり暗くなっていく。何処からか迷い込んだ冷たい夜風が通り過ぎて、アスカの頬を掠める。

 夜の闇も相まって、この先は「悍ましい」の一言だ。

 自分の瞳より暗い黒が視界を覆い、アスカの足は何度か止まりかけた。だが、兄弟達を心配する心が彼の足を動かし、何とか扉の近くまで辿り着く事が出来た。

 アスカは、曲がり角の向こうに構える扉をじっと睨む。そこまで離れていないが、殆ど闇と化しているそこは見えづらく、自然と、アスカの視線と意識はその先に注がれていた。だから、後ろから歩み寄って来た人影に全く気付けなかった。


「アスカ様」


 不意に耳元で声がし、アスカは漸く後ろに誰か居た事に気が付いた。肩をビクッと震わせ、恐る恐る首を後ろへ回すと、そこには若い男性の使用人が居た。


「な、何」

「それはこちらの台詞でございます。もうお休みのお時間でございましょう。さあ、お部屋へ戻りましょう」


 使用人はアスカの手を取り、咄嗟にアスカはそれを振り払った。

 暫し両者は視線を合わせた後、アスカが隙をついて駆け出した。向かう先は勿論、闇の中に浮かぶ扉。


「いけません!」


 使用人は血相を変え、若き主を追い掛けた。

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