優しい嘘
口周りを親友の血で赤く染めるアレは、最早ウルではなかった。
二人を喰い殺された光景を目の当たりにしたアレスには、獣をウルとして認識出来なくなっていた。全身の血が煮えたぎり、クラシェイドが凍り付かせた大地に炎の大剣を振り下ろす。
氷を解かしながら、炎は大地を駆けて獣の両足を包み込む。
激しく燃える炎の熱に、獣はギャンギャンと騒ぎ地団駄を踏んで大剣士を睨む。
アレスは獣のもとへ走り込み、大剣を振り下ろす。当然獣には効かず、挑発しているだけに過ぎない。それでも、アレスは一切手を止めようとはしなかった。
「お前、本当にウルなのかよ! ルカとエドワードはお前の親友だったんじゃないのかよ!」
「駄目だ、アレス。それ以上の攻撃は相手の能力が上がるだけだ」
アレスとは真逆の落ち着いたクラシェイドの声がし、アレスは攻撃を止めて後ろへ下がった。
「じゃあ、どうしろってんだよ」
「それは……」
クラシェイドは考えを巡らせ、ハッと先の一瞬の出来事を思い出す。
「月の光だ! それを遮る事が出来れば……」
「そんな事出来るのかよ」
「……出来る。風属性のマナ……いや、時属性のマナを使えば!」
「時属性って、移動術か? でも、お前使えなくなったんじゃ……」
「もしかしたら使えるかもしれない……確証はないけど。でも、やってみなくちゃ分からないし、このまま戦いを続けていてもオレ達に勝ち目はない」
「……そうだな。じゃあ、頼む」
クラシェイドが頷いて時属性のマナを集め始め、その間にアレスは獣の相手をする。
空気中を漂っていた時属性のマナが少しずつだが、クラシェイドのもとへと集まり出した。
確かな感触を得たクラシェイドは、そのまま詠唱を続ける。
目の前に振り下ろされた豪腕をアレスは横へ避け、大剣で反撃はせずに次にきた獣の攻撃を唯ひたすらに躱し続ける。
理性のない獣の動きに変化はなく、真っ直ぐ攻撃を仕掛けてくるだけ。体力と怪我が回復したアレスにとって、それを躱すのは容易い。
狙いを外した豪腕が地面にぶつかり、アレスはそこに飛び乗って獣の肩まで駆け上がる。
獣はアレスを振り下ろそうと身体を激しく振る。
アレスはぐらつきながらもバランスを保ち、大剣に光属性のマナを集めて狙いを定める。眼前の赤い瞳に向かって大剣を振る――――が、鋭い爪が視界に入り、中断をした。
アレスはそこから飛び降りて攻撃を回避し、後ろへ跳んで地面へ振り下ろされた豪腕から逃れる。
空では、分厚い雲を捕らえる様に巨大な魔法陣が浮かぶ。
そして、雲は魔法陣と共にスッと消え、月の前に魔法陣と共に出現した。
月の光が遮られ地上が闇に包まれると、すぐに獣に変化が訪れた。
獣人化した時の様子を逆再生しているかの様に、どんどん獣は縮小して人の姿を取り戻していく。
クラシェイドは時属性のマナで雲をその場に強制的に待機させるが、時間操作そのものが困難なもので多少マナの収束具合が不安定である。
悍ましい獣の姿をしていたウルの身体はすっかり元に戻り、これまでの戦闘の疲労感でその場に倒れ込んだ。
アレスはウルに歩み寄り、心臓に剣先を向ける。
ウルの瞼が持ち上がり、先とは違う真っ直ぐな赤い瞳がアレスを映した。
アレスは彼と目が合った瞬間、瞳を揺らして力なく大剣を下げていた。
ウルが口を開き掛けた時、雲の隙間からほんの僅かな月の光が漏れた。
「アレス、これ以上は無理だ! 時属性のマナが還っていく」
クラシェイドの声に、アレスは大剣に力を入れ直してしっかりと狙いを定めた。
しかし、それをなかなか振り下ろす事が出来ない。ウルの瞳を見る度、その向こうに月影の殺し屋として一緒に過ごした日々が覗き見えてしまう。
ウル・アスディアも、死んだルカ・テミーラとエドワード・リエイダも、アレスやクラシェイドにとっては大切な仲間だった。時に意見が合わずに喧嘩になる事もあったが、共に笑い合う事も出来た。掛け替えのない友だった。
アレスに友の最期を委ねたクラシェイドも、心の底ではこの様な選択をしたくなどなかった。けれど、親友を自らの手で殺めてしまったウルに対し、これが一番良い選択だと思ったのだ。
クラシェイドの所思は理解出来ているものの、アレスは未だに思い出の中に浸って手を止めてしまっている。
ウルは先程開き掛けた口を、もう一度開いた。
「早く……殺せ」
現実から聞こえて来た声にアレスは思い出の中から戻って来るが、ウルの感情の読み取れない表情と声色に、余計アレスは困惑してしまった。
ウルは息を吸い、掠れた声で続ける。
「何の為にここまで来たんだよ。お前達は俺達と戦いに来たんじゃなく、この先に用があんだろ? だったらさ、俺に止めをさせよ。……俺がお前らを殺す前に」
雲の位置が大分ずれ、半分近く月が顔を出していた。
強い月の光に当てられ、ウルの瞳が一層赤く染まって瞳孔が開き始める。
アレスは小さく頷き、叫びながら大剣でウルの心臓を貫いた。
血が飛び散ってどくどくと溢れ出し、全身を露にした月がそれを艶やかに照らし出した。
アレスはウルからそっと大剣を抜き、血を振い落してから背中の鞘に収めた。クラシェイドがアレスの隣に並んだ。
二人でウルを見下ろしていると、微かにウルの口から声がした。
「……なあ…………最期に一つだけ……。ルカとエドは…………無事か?」
二人は返答に困ってしまい、何も答えられなかった。
辺りが静まり返り、ウルの瞼が落ちてゆく。
暫く苦慮していたアレスは、ウルの瞼が完全に落ちてしまう前に口を開いた。
「ルカとエドワードはな……」
「無事だよ」
クラシェイドがアレスの言葉を遮り、アレスは瞠目した。
「クラちゃん!」
クラシェイドは手でアレスを制し、ウルの最期の言葉に耳を傾けた。
ウルは穏やかに笑って言う。
「そうか……それなら、よかった…………ありがとな」
ウルは息絶え、彼の身体から光が溢れた。やがてそれは透明になり、残された光が天へ舞い上がっていった。もう、そこには生々しい血溜まりしか残されていなかった。
クラシェイドは杖を握って蹲り、アレスは俯いた。
先程とは比べ物にならないぐらいの静寂が降り、冷たい夜風が木々の隙間を吹き抜けていった。
なかなか顔を上げないクラシェイドを心配し、アレスはしゃがんで彼の背中にそっと触れた。
少しして、クラシェイドは微かに顔を上げた。前髪に隠れて、表情は覗えない。
「ごめん……アレス。一番辛い事を任せちゃって……」
「いや、そうするしかなかったし。お前だって、辛かっただろ。アイツらと仲良かったもんな」
「うん。三人にはあんな最期、迎えてほしくなかった。もうこんな事、絶対に起きちゃいけないんだ」
クラシェイドはしっかりと顔を上げ、強い意志を秘めたその横顔が月光に照らされて鮮明に浮かび上がった。
クラシェイドは立ち上がる。
「早くムーンシャドウの所へ行こう。真実を知る為に、そしてこの戦いをやめさせる為に」
「ああ!」
アレスも立ち上がり、二人は階段の方へ向き直った。
階段横では、未だに蹲ったままのシフォニィとクリスティアの姿がある。この状態だと、この先へ連れていくのは精神的にも辛いだろう。
クラシェイドとアレスは彼らを置いて行こうと思ったが、急に無数の魔物の気配がして急遽二人をその場から強制的に移動させた。
顔色の優れないシフォニィとクリスティアも、木々の向こうに潜む影に気が付く。
影は全て魔物で、姿形から種族はバラバラであるが、皆共通して腹を空かせている事は確か。辺り一面に充満する血の臭いに引き寄せられたのだ。
今にも飛び掛らんとする魔物達の包囲の陣の中に、二人だけを置いて行く訳にはいかない。本人もそれを理解し、クラシェイドとアレスと一緒に階段を上る事を承諾した。
先頭をアレス、最後尾をクラシェイドで、二人を護る様に挟んで階段を一気に駆け上った。階段下では獣が木々の向こうから姿を露にし、唸り声を上げ始める。間一髪だった。
階段を上りきった大地に一歩足を踏み入れると、そこはクラシェイドとアレスですら知らない別空間となっていた。
もっと間近にある筈の月光の館は霞んで遠くに見え、眼前に広がるのは既に廃墟と化した白や水色の建造物。規則的にそれらが並ぶ此処は街だった。
周りは森ではなく、広大な海が囲み海面に映りこんだ赤い三日月がユラユラ揺れて笑っている。
四人は辺りを慎重に歩き始めた。
「何処なんだ……ここは」
アレスがそう零すと、シフォニィが首を傾げた。
「いつも通ってたんじゃなかったの?」
「いや、こんな場所俺は知らない。俺が知ってんのは、ただポツンとそこに館があって周りを森が囲ってるだけの場所だ。街なんてなかった」
「もしかして、この場所自体に移動術がかけられていたのかも。ほら、最初に階段を上がる前にオレが言ったでしょ? 上の方が前と違う感じがするって」
クラシェイドの言った事に全員は納得するが、結局この場所が何処であるかには辿り着けなかった。
建物の間の、街道だった場所を四人は進んでいく。建物を見れば見る程に、此処が四人の記憶にはない場所である事が明白となる。また、古びていたり倒壊していたりして分かりづらいが、どれも立派な建築物で高級感があり、これらが身分の高い者の屋敷であった事も見て取れた。
元貴族であったアレスの記憶に薄らと、ある貴族のファミリーネームが浮かぶ。父から聞いただけの話だが、その貴族は侯爵の位で、一代で一つの街を海上に築き上げたと言う。その貴族の名は――――
「ソエレンジェ……」
「え?」
アレスの言葉にクラシェイドが振り返ると、アレスの隣に居るシフォニィが前方を指差して叫んだ。
「お兄ちゃん! 前!」
クラシェイドは咄嗟に視線を戻し、前方より伸びて来た植物の蔓を杖で弾いた。
刺のある頑丈なそれは階段下の道を塞いでいたものと酷似しており、全く傷を負わないまま元来た方向へとスルスルと戻ってゆく。
そして、その先には小柄な少女が目を擦りながら歩いて来た。
少女は四人の前で立ち止まると、手を下ろしてグレー色の瞳でクラシェイドとアレスを見た。




