それは天使か、悪魔か
深い森の中、クリスティアは走っていた。辺りに広がる夜の闇と迫り来る恐怖に怯えながら。
――――気をつけて。ターゲット以外を平気で殺す月影もいる。人殺しを楽しんでいるだけのヤツもいるから
ふと、思い出した少年の言葉。彼は父の仇である筈なのに、自分にそう忠告してくれたのだ。クリスティアは唇を噛み締めて、目を伏せた。
(私、馬鹿だ……クラシェイドの言う通りだった。あの人はクラシェイドとは違う。本当に私を……)
後ろから羽音が反響して耳に届き、クリスティアはそれに追いつかれまいと必死に走った。アルフィアードに撃たれた右足がズキズキと痛む。
月影の殺し屋から逃げ続けて数分後、ついにクリスティアは大きな樹の前で立ち止まった。呼吸を取り乱しながら身を屈めて、流れる血を押さえる様に右足を手で覆う。
これ以上走るのは限界……そう思った時、アルフィアードが歪な笑みを浮かべて近付いて来た。
「追~いついたっ♪」
クリスティアが振り返ると同時に、アルフィアードは樹の幹に手のひらをついた。クリスティアは樹の幹を背に、樹とアルフィアードに挟まれる形になって身動きが取れなくなった。
「だ~いじょうぶ。そんなに逃げなくてもさ」
優しく、囁く様な口調で話すアルフィアードだが、その心の奥にはそんなもの微塵も存在しない。それを感じ取ってか、クリスティアの顔は強張ったまま。
「俺、女の子大好きだから、たっぷり可愛がってあげる♪」
依然として、アルフィアードは笑顔を浮かべている。しかし、クリスティアの視線が自分の背中に生えている白い翼に向けられている事に気が付くと、さらに笑顔を歪ませた。今まで見せていた笑顔よりも、もっと暗い影の覆った、まるで悪魔の様な笑顔。
「あぁ……この翼、気になる? キミの思っている通りだと思うよ? ……そ、俺は呪人さ。まあ、天使って感じでカッコイイから、別に俺は気にしてないけどね。俺の美しさを惹き立てる素晴らしいアイテムだよ。ね? キミもそう思うでしょ……?」
アルフィアードの話を聞き流しながら、クリスティアは何とか逃げ出す事だけを考えていた。
アルフィアードに銃口を向けられた瞬間、迷わずクリスティアは行動に出た。アルフィアードを両手で突き飛ばし、全力で走った。
アルフィアードは少しよろめいたが、すぐに体勢を立て直して銃口を遠ざかる少女の背中に向けた。
「だ~から逃がさないって」
パァン!
今度は左足を撃ち、完全に少女の動きを止めた。
「ほら、お楽しみはこれからだよ」
クリスティアが撃たれた所を手で押さえ振り返れば、そこには銃口を向けて笑う天使…否、悪魔の姿があった。
クリスティアはもう動けない。足も怪我を負っているし、何よりも恐怖で身体が硬直してしまっている。
ヒュウ……
凍える程の冷たい風が流れた。
アルフィアードはまるでゲームを楽しんでいるかの様に愉快な顔をして、銃の引き金を引いた。
「今度は何処を撃とうかな♪」
パキ! パキ!
突如として、周りの木々や地面が凍りついた。
「何だ!?」
異変に、さすがのアルフィアードも笑顔など忘れて焦りを見せていた。
さらに、地面に魔法陣が描かれ、尖った大きな氷が次々と天に向かって飛び出した。それらは全てアルフィアードを攻撃の対象としており、アルフィアードは翼を羽ばたかせ上空に逃れた。
ふぅ、と息を吐いてアルフィアードは自分が立っていた場所を見下ろす。剣山の様に氷が連なっており、直撃していたら一溜まりもなかっただろう。
クリスティアは何が起こったのか分からず、キョロキョロしている。
やがて氷が消えると、アルフィアードは地上に降り立ち、翼を消して苦笑いした。
「全く……派手にやってくれる。さっすが、スゴイ威力だね~♪」
アルフィアードが葉をたっぷり蓄えた背の低い木々の向こうに視線を流し、クリスティアの視線もつられてそちらへ向けられた。
「……そこにいるんだろう?」
カサっと、木々の葉が揺れた。
「――――黒魔術師、クラシェイド・コルース!」
アルフィアードが叫ぶと、木々の向こうから杖を持った少年が姿を現した。それは堂々として、というよりかは呼ばれたから仕方なく出て来た、と言う様子だった。
クラシェイドはアルフィアードの目の前まで来て、クリスティアを一瞥した。
「アルフィアード、何してるの? そいつはターゲットじゃないでしょ?」
「そーだよ? だから?」
アルフィアードは歪な笑顔で訊き返し、クラシェイドは顰蹙した。
「オレたちの仕事はターゲットを殺す事だ」
「え~? 心外だなぁ。俺はただこの娘と、」アルフィアードはクリスティアに歩み寄り、彼女の頭を撫でた。「遊んでただけだから♪」
軽々しいアルフィアードの口調に、クラシェイドは半ば呆れた。
「何処がだよ。怪我させておいて何言ってるの?」
「あ~あ~」
アルフィアードはクリスティアの頭から手を離し、態とらしく両手を広げた。
「そーゆーキミもけっこーマズイよ?」
「え?」
「だってさぁキミ、この前のターゲットの戦闘で大怪我負ったってムーンシャドウ様から聞いたよ? 殺し屋が殺されかけるなんて、ヤバイんじゃない? それに、今回だって上手くいかなかったみたいだね」
クラシェイドの顔が青褪めた。
「な、何で……それを…………」
「あ、やっぱりそうなんだ」
アルフィアードがニヤリと笑い、クラシェイドはハッと気が付いた。
「ごめんごめん。もしかしてって思って、鎌をかけてみただけ♪ いやぁ~マジだとは思わなかったな。優秀なキミもそこまで落ちぶれていたとはね~」
クラシェイドが言い返せない事をいい事に、アルフィアードは続ける。
「実はムーンシャドウ様に言われてるんだ。使い物にならなくなったら、キミを殺せと」
あまりにごく自然にさらりと言われたので、初めクラシェイドはアルフィアードの言葉の意味が理解出来なかった。それに、気まぐれな彼の言う事なら尚更だ。
しかし、アルフィアードの目を見ると、確かに表面は皮肉な笑みを浮かべているが、目の奥は真剣そのものだった。まさに、目は心の窓だ。
クラシェイドに、少しずつ焦りの色が見え始める。
「確かに今回は…その、ターゲットを逃しちゃったけど……次は大丈夫だから。絶対に」
「ふぅん……。じゃあさ、」
アルフィアードが隣にいるクリスティアを横目で見ると、彼女はビクッと肩を震わした。
「コイツを殺してよ。今、ここで」
クリスティアの顔が驚愕の色に染まり、クラシェイドは目を瞠った後俯いた。
「そしたら、この話はなかった事にしてあげる♪」
「…………そういう事なら……」
クラシェイドは杖を構えて、クリスティアを見た。
アルフィアードはクラシェイドの答えに期待してなのか、今は楽しそうな笑みを浮かべている。
クラシェイドは視線をアルフィアードに移し、落ち着いているが何処か力強い口調で言った。
「断るよ。そんな理由で人殺しはしたくない」
それが望んだ答えだったかの様に、アルフィアードは笑顔で納得した。
「真面目だね、キミ。分かったよ」
カチャ。
アルフィアードは躊躇わず、クリスティアの頭に銃口を突き付けた。
ゾッと、クリスティアの背筋が凍りつく。
「俺が代わりに殺してあげる♪ 俺って優しいでしょ~」
「ちょっと待って……話が」と、慌てた様子でクラシェイドが口を挟んだ。
「安心してよ。その後、キミも殺してあげるから♪」
アルフィアードが引き金を引き、クラシェイドは風のマナを瞬時に集めて放った。カンっと音を立てて銃に衝突し、銃は宙に舞い上がった。それを受け取ろうと、アルフィアードが翼を出して地上を離れた。
「も~クラ坊ちゃん、まさかの不意打ち」
アルフィアードが銃をキャッチして地上を見下ろすと、クラシェイドがクリスティアの手を取っていた。
「走るよ」
クラシェイドはクリスティアの意思に関係なく、彼女を半ば引っ張る様にして走った。
アルフィアードは銃をクルッと一回転させて持ち直し、遠ざかってゆく二人を目で見送った。
「この俺からは逃げられないよ」




