崩れ始める日常
ティオウルの街が明かりを灯す頃、クラシェイドが向かっているムーンシャドウの部屋には既に先客がいて、ムーンシャドウと深刻な話をしていた。
「それは本当ですか? ムーンシャドウ様」
窓から差し込む月光でうっすらと浮かび上がる輪郭は、クラシェイドが苦手意識を持っている白い優雅なマントが特徴の金髪の青年だった。
青年の反応に、ムーンシャドウは納得した様に嬉しそう。
「ああ。本当だとも、アルフィアードくん。だから、彼を――――」
「……承知致しました」
ムーンシャドウが下した命令に動揺もせず、不敵な笑みを浮かべてアルフィアード・レイファスは頭を下げた。
「では、失礼します」
アルフィアードは扉まで歩いて行き、丁度その時に扉が開いてアルフィアードはそこに現れた少年に莞爾として笑った。
「クラ坊ちゃん。しっかり仕事しなよ~」
アルフィアードはクラシェイドの頭にポンと手を乗せ、彼と入れ違いに部屋を出て行った。
「じゃあね」
アルフィアードがそう言った後扉が閉まり、クラシェイドは正面の席の仮面の男のもとへ歩み寄った。
クラシェイドが目の前まで来ると、ムーンシャドウはいつもの奇妙な声を発した。
「やあ、クラシェイド。相変わらずキミは優秀だなァ……。老婆との戦いで大怪我したばかりなのに、もう次の暗殺なんて」
「え? はい」
いつも聞くムーンシャドウの声なのに、クラシェイドはこの時ばかりはゾクッとした。
「もう少し休んでいても良かったんだよォ?」
「いえ……もう平気なので」
ゾクッとした感覚は消えず、鼓動は早くなる。
ムーンシャドウの何気ない台詞に、クラシェイドは不信感を抱いていた。
(何でオレが怪我した事を知っているんだ? ノアン? それとも、さっきここに来ていたアルフィアード? でも、何か……)
「そうか。クラシェイド、一つ覚えておいて」
ムーンシャドウがひと呼吸置き、クラシェイドに妙な緊張感を与えた。
「ワタシはキミの事なら何でも分かる」
瞬間、クラシェイドは硬直し、瞬きも忘れて次第には呼吸さえも忘れそうになった。
ムーンシャドウはクスクス笑う。
「……何てね。びっくりした?」
そう言われても、クラシェイドの硬直は解ける事はなかった。こんなタチの悪い冗談、動揺しない方がどうかしている。
ムーンシャドウはいつもの調子で、手のひらにターゲットの映像を浮かび上がらせた。
「次のターゲットはコイツだよォ」
「……了解です…ムーンシャドウ様」
硬直した身体から何とか絞り出した声は低く、震えていた。
クラシェイドはターゲットのもとへ向かう。
「キミ…月影?」
仄暗い部屋でクラシェイドを待っていたのは、三十代ぐらいの男。今夜のターゲットだ。殺し屋が来たというのに、余裕の笑み。対して、クラシェイドの表情は無だった。
「そうだよ。アンタを殺しに来たよ」
一人の人間というより、ターゲットの一人として、男を冷たい瞳で見据えた。
「それはご苦労様」
男は後ろに跳んでクラシェイドとの間合いを取り、脇にあった本棚から本を取り出した。
「だけど、僕は殺されたくない!」
パラパラと本を捲り、ブツブツと独り言を呟く。
「魔術なんて、十年ぶりだからね……すっかり呪文を忘れてしまって」
クラシェイドは男の独り言に耳を傾ける事なく、杖を突き立てて移動術を使った。
目の前でクラシェイドが消え、男は目を瞠った。
(今のは移動術?! まさか……彼は人間だぞ)
ドスッ!
突然と首筋に衝撃が走り、男は前に倒れた。
後ろにはクラシェイドが立っており、男を殴った杖をもう一度、男の方に向けていた。
「くそ……不意打ちか」
男は立ち上がろうとし、クラシェイドは杖の先端を男の背中に押し付けてそれを阻止した。
バチバチと炎が男の周りで踊り狂う。
クラシェイドの詠唱が聞こえ、男はもう駄目かと諦めかけた。ところが、突然と詠唱が止み、背中を押し付けられている感覚がなくなった。
男は首を捻り、ちらりとクラシェイドの様子を確認すると、彼は杖を下げて青褪めたまま俯いていた。
この時のクラシェイドには男の姿は見えておらず、昨夜のターゲットの老婆の死体がフラッシュバックして男の姿に重なっていた。
老婆を殺した時に感じた罪悪感の様なものが、男に止めを刺そうとした瞬間に蘇ったのだ。
ただ、男にはこれは絶好の機会としか思えなかった。立ち上がり、本を手に取って捲り始める。
「悪いけど……僕はこの隙に逃げるよ」
男の詠唱により、黒い霧が発生した。
次第にクラシェイドの視界は黒く染まり、それに紛れて男は走り去った。
「……あ」
クラシェイドが男が逃走したのに気が付いたのは、大分経った後の事だった。霧が消えて誰もいなくなったその場所で、クラシェイドは呆然と立ち尽くしていた。
「逃げられた…………」
暗い暗い森の道、月の光だけを頼りに少女は歩いていた。
(クラシェイド……あなたはどうしてあんな顔をしたの?)
少女が復讐の刃を向けた彼は、とても悲しそうな顔をしていた。少女はその訳を知りたくて、こうして確かめに来たのだ。
崖下の階段の前で足を止め、階段を見上げる。
(これを上れば、館がある……殺し屋の館が)
固唾を飲み込み、少女は覚悟を決めて一歩踏み出した――――と。
「やあ、今晩は。お嬢さん」
金髪の青年が白いマントを靡かせて、階段から下りてきた。
少女は小首を傾げる。
「あなた……は?」
青年は優しく笑い、柔らかい声で少女に質問で返した。
「キミこそ、月影の殺し屋に何か用かな?」
少女が返答に困っていると、青年の笑顔が徐々に歪んでいった。
「それとも……黒魔術師に用でもあるのかな?」
どくん、と少女の心臓が跳ねる。
慌てた様子で、少女は後ずさる様にして両手を振った。
「わ、私、道に迷ってここに来ただけです。黒魔術師なんて知りません!」
「へえ~そうなの?」
言いながら、青年は右手を前に出した。
「でも、アウラからこの前の事…聞いたんだけどなー」
光が収束し、青年の右の手の中でそれは銃に変化した。
青年は銃を少女に向けて、ゆっくりと引き金を引く。
「嘘はいけないよ、嘘は!」
少女が後ろに下がると、青年は前に出て少女との距離を一定に保った。
「……キミ、この前ここで彼に会ったんだろ? 彼を殺す為に! ふふふ……今夜はどうしたの? また殺し?」
少女は恐怖に耐え切れずに、青年に背を向けて駆け出した。
青年は銃を構えて舌舐りをし、獲物にしっかりと狙いを定めた。
「逃がさないよ」
パァンッ!
月光の館へ向かう途中の森の中を歩いていたクラシェイドは、足を止めて辺りを見渡した。
(今のは銃声? アルフィアードかな? ……今はどうでもいいか。ターゲットを逃がしちゃったし)
結局クラシェイドは逃げたターゲットの行方を掴めず、こうして帰って来た。ムーンシャドウに正直に話す他ないと思ったのだ。
クラシェイドは再び歩き始めた。後悔の念がぐるぐると脳内を駆け巡る。
人殺しを仕事だとちゃんと区別出来たと思っていたのに、また想いが揺らいでしまった。肯定して生きて来たのに、突然、復讐の刃を持つ少女に否定された様な気がして。こんな中途半端な気持ちで暗殺に臨むから、失敗してしまったのだ。けれど、心の何処かで生まれた感情に従って暗殺を行わなくなったら? それこそ、居場所を失ってしまうだろう。どちらの選択が果たして正しかったのか。……選択してからでないと分からない。
サァッと一陣の夜風が過ぎ去り、立ち止まって、クラシェイドは空を仰いだ。
銀に輝く満月と血の如く真っ赤な三日月が二つ並んで、まるで嘲笑っているかの様にこちらを見下ろしていた。
クラシェイドは小さく溜め息をつき、歩き出す。
ところが、三歩程進んだ所でまた歩みを止めた。
(誰か来る……?)
慌ただしい足音と羽音が、静かな空間に響き渡る。そして、それはこちらに近付いて来ていた。
クラシェイドが待っていると、目の前を足に傷を負った少女が走り去り、それを白い翼を背中から生やした青年が羽ばたきながら楽しそうに追いかけて行った。二人ともそれぞれ必死で、クラシェイドには気が付いていない様子だった。
クラシェイドは疑問と驚きを抱き、二人が去って行った方を見ていた。
(今のはクリスティアとアルフィアード!?)
二人の姿はもう闇に溶けて見えなくなり、代わりに純白の羽が月の光を浴びて、ひらひらと空中を彷徨っていた――――




