表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月蝕の黒魔術師~Lunar Eclipse Sorcerer~  作者: うさぎサボテン
第十六章 闇を照らす銀の月 後編
159/217

溶けた心の氷は涙となって

 日が沈み、夜の帳が降りた時刻。月の光をカーテンで遮った仄暗い部屋の中で、一つの影が蠢いた。ソフィアである。

 ソフィアはベッド脇の丸椅子に腰を掛け、ベッドで寝息を立てている息子の小さな手を取ってギュッと握った。


「クラ……ごめんね。私が……」

「お母さん……?」


 クラシェイドの声がして、ソフィアはバッと彼の顔を見た。

 同じサファイアブルーの瞳が互いを映した。


「クラ! 良かった……」


 ソフィアは嬉しさのあまり、涙を零した。

 クラシェイドは微笑む。が、元気は感じられない。


「うさぎさんは死んでも寂しくなかったんだよね。月にお父さんとお母さんが居たから。ぼくのお父さんとお母さんは此処にいるけれど、向こうにはきっと誰か居るよね? そうだ……ジュール様が居るかな? 逢えると良いな……」

「クラ、貴方はうさぎさんじゃないの。私の大切な大切な子供なのよ。クラが居なくなったら、私が寂しいわ……。だから、そんな事言わないで? ずっと傍に居て」


 ソフィアの瞳から溢れた涙はソフィアの手の甲に落ち、表面を滑って繋がれたクラシェイドの手の平に溜まった。


「そうだね。……ありがとう、お母さん。ぼくはずっと此処に居るから、だから……寂しがらないで?」

「……クラ?」


 ソフィアは不意に心配になって、クラシェイドの顔を見た。

 クラシェイドの瞳は閉じていたが腹が穏やかに上下していたので、眠っただけであるとソフィアは理解をして安堵した。

 ソフィアはクラシェイドの温かく柔らかな頬をそっと撫で、両手でしっかりと彼の手を包み込んだ。

 心の中で呟くのは、神への祈り――――。

 


 ところが、翌朝。いつの間にか眠っていたソフィアが目を覚まし、まず始めに感じたのは両手の冷たさ。正しくは、両手で包んでいた息子の手の冷たさだった。それは異常なまでに冷たく、まるで……。

 ソフィアは目を閉じたままの息子の顔を見、何度も名前を呼んだ。身体も何度も揺すった。しかし、あの優しい声を聞く事はもう出来ず。

 呼吸をしていない事からも、嫌でもソフィアは目の前の残酷な現実を受け入れるしかなかった。


「そんなの嘘よ! 嘘よね!? そ、そんな事あるはず……。だって、クラ言ったじゃない……ずっと此処に居るって! それなのに、何で? 何でなの? クラシェイドは私の大切な……。うぅ……! クラ、クラぁっ! あああああぁぁぁぁぁぁっっ!!」




 深く、深い闇は少年の小さな身体を包み込む。底の見えない何処かへと意識と共に引き摺り込んでゆく。

 母の悲痛な叫びを最後に、少年の意識は途切れた――――



 ***



 墓石の前で、その墓石に眠っている筈の少年本人の口から語られた過去の話に、一同は表情を固くしたまま沈黙した。

 すっかり時を止めたかの様な状況で、しっかり時を告げるのはひらひらと舞い落ちる雪と全員の白い息だけ。

 自ら非現実的な事を語ったクラシェイドも、それを聞いた四人も、それぞれ情報を処理する事に努めていて声を発する余裕はなかった。

 そんな中、クリスティアだけが情報を処理しきれないまま声を発した。


「今の話……全部、嘘よね?」


 全員の視線がクリスティアに集まり、彼女の真正面のクラシェイドは儚げに微笑んだ。クリスティアの心臓はドクンと跳ねた。


「嘘だったら良かったんだけど……ね。でも、こんな嘘をついて誰に何の得があるの?」

「そ……それは……」

「……全てはもう終わった事。クラシェイド・コルースの過去の話。現在いまとなってはどうしようもない事だから、オレは気にしてない。皆も……気にしないでほしい」


 クリスティアは黙ってしまい、他の者も沈黙したままだった。

 しかし、一人だけクラシェイドの言葉に納得出来ずにいた。


「それ、本心で言ってるか?」


 アレスだった。

 目の前に来たアレスの鋭い茶色の瞳から目を逸らし、クラシェイドは静かに頷いた。


「…………勿論。そう、思っているよ」

「だったら――――」アレスは眉間に皺を寄せた。「何でそんな顔してんだよ」

「え……?」


 クラシェイドは、左手に持った金色の杖に取り付けられた水晶を見た。そこには自分の顔が映りこんでいて、被っていた筈の笑顔の仮面はいつの間にか外れて本当の表情が覗いていた。

 クラシェイドは、自分でも意外だった自分の姿に困惑した。


「アレ……おかしいな……悲しくなんてないのに」


 クラシェイドは両の目から溢れる涙を拭い、俯いた。


「どうしてだろう……何で、笑う事が出来ないのかな」

「楽しくも、嬉しくもないなら、笑う必要なんてないだろ!」


 アレスが声を荒げ、クラシェイドは微かに杖を握る手に力を入れ、他の三人は目を見開いた。

 アレスは何も言い返す素振りを見せないクラシェイドに更に近付き、彼の胸倉を乱暴に掴んだ。弾みで、杖が雪上に落ちた。


「ちょっと! アレス!」


 クリスティアが止めようとするが、もう遅い。


「笑顔を貼り付けていれば、誰も傷付かないとでも思っているのか!? 単にお前は誰かに同情される事で自分が傷付きたくないだけだろうが!」

「……離して」

「あ?」

「離せよ!」


 クラシェイドのこれまでにない強い口調にアレスは怯み、その隙にクラシェイドはアレスを突き放した。


「アレスにオレの何が分かるの!? ずっと笑って誤魔化す事しか出来なかったオレの気持ちが! オレが辛い所や悲しむ所を見せれば、母さんが凄く心配してくれた。でも、それは母さんの心を削って結果的に身体を弱らせた。母さんは元々身体が弱かったのに。だから、オレはオレのせいで母さんが傷付かない様にしようと思ったんだ……」


 クラシェイドのサファイアブルーの瞳から、ポツリポツリと涙が零れ落ちた。


「けれど……それもまた、ソフィアくんを傷付ける事となってしまった」


 アリビオが静かに言い、クラシェイドは涙を拭って目と耳を彼に向けた。


「キミは死ぬまで自分の気持ちを偽ってきた。それ故、それを後々気付いたソフィアくんはより一層傷付いた。勿論、クロードくんだってそうです。お二人は本当に、キミの事を心から愛していたのですから」

「お前はさ……賢すぎたんだよ。大抵の子供はそんな事まで考えたりしない。唯、辛い事も悲しい事も、全部まとめて親に抱き締めてもらうもんだ。お前も、子供らしく親に甘えていれば良かったんだよ」


 アリビオとアレスの言葉に、せっかく拭ったのにまたクラシェイドの瞳からは涙が溢れ出した。


「……ぼくも、お兄ちゃんが頑張ってきた事知ってるよ。どんな時でも、お兄ちゃんはぼくに優しくしてくれたから。今回の旅だって、何度もぼくの事を護ってくれたじゃないか。ぼくはそんなお兄ちゃんが昔も今も大好きだよ。だからもう、お兄ちゃんも自分自身に素直になっていいと思うんだ」


 いつの間に、義弟はこんなにも大人になったのだろう。泣いたり我が儘ばかりだった彼をいつも支えていたのは義兄である自分の役目であった筈なのに。今では立場が逆転した様で、クラシェイドは寂しくも嬉しかった。

 これならば、シフォニィの言葉に従っても大丈夫だ。心地良い安心感からか、力がすっかり抜けてクラシェイドは膝から崩れ落ちた。


「気にしてないって言ったのも、悲しくないって言ったのも、全部嘘だ。本当は辛くて悲しくて寂しい……八年前に自分が死ぬって分かった時もそうだった。笑っていたくなんてなかった……平気だって嘘もつきたくなかった。せめて死ぬ前に“死にたくない”って我が儘を言えば良かった……それが叶わない事だとしても」


 俯いたクラシェイドの瞳から零れた涙が雪上に落ち、真っ白なそれを少しだけ解かした。


「せっかく思い出したのに……どうしてこんな事になってしまったんだろう。父さんも母さんも居なくなっちゃって…………。幸せだったあの頃に戻りたいな……」


 傍らでクリスティアがクラシェイドの杖を拾い、アレスがクラシェイドの前にしゃがんだ。


「……辛かったな。よく頑張ったよ、お前は」


 アレスはクラシェイドの背中に手を回し、優しく叩いた。

 寒い雪の上で唯一それだけが温かく、クラシェイドの心を覆っていた冷たく分厚い氷がゆっくりと溶け始めた。


「……っ! ああっ……ああああぁぁぁっ!!」


 溶けた氷は涙となって、クラシェイドの瞳から絶え間なく流れ落ちた。

 アレスは彼が落ち着くまで彼をギュッと抱き締め、氷の壁がなくなったその心がまた冷気で凍えてしまわぬ様にしっかりと温めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ