開かれし街への扉
季節は移ろい、四年の歳月が流れた。
父クロードの用事で、彼の故郷でもある岩山に聳える街セイントライゼーグへ家族三人で行って来た翌日。
クラシェイドは滅多に出来ない貴重な体験を伝えるべく、歩ける様になった事に加えて言葉も操れる様になった義弟をルナ教会の二階にある自分の部屋へ招いた。
途中、正面入口を通りかかった時に街の子供達がクラシェイドを遊びに誘って来たが、熱がまだあるうちに昨日の事をシフォニィに話したくて仕方がなかったのできっぱりと断った。
別に、友達に話せばきっと盛り上がるに違いないが、クラシェイドはどうしても一番に本当の兄弟の様に育ったシフォニィに聞いてもらいたかったのだ。
クラシェイドはシフォニィを白いタイルの床に座らせ、その横で画用紙を広げて青のクレヨンを手にとった。
「セイントライゼーグはね……シヴァノスによく似ててね……建物が全部白いんだ」
シフォニィはクラシェイドの話を真剣に聞き、彼の手元を食い入る様に見ていた。
画用紙に、少しずつ青の線が描かれていく。
「ウィング教会も、ルナ教会そっくりで…………でも、微妙に違って」
やがて、線は一つの図形に。
脳内に描いた物と瓜二つに描け、クラシェイドは満足し、そんな義兄の姿を見てシフォニィも喜んだ。
「何描いてんだ?」
そこへ、クロードがやって来た。ノックもなしに入った彼の姿を、二人の子供は目で追った。
クロードは画用紙の前にしゃがみ、ニヤリと笑った。
「お。これはこの前母さんが作ってくれたレアチーズケーキだな。四年かけて益々上達して、もう最高だったなぁ」
クロードが言葉を紡ぐ度にクラシェイドの顔が段々と曇ってゆき、遂には不機嫌な表情になった。
「違うよ! ウィング教会!」
クラシェイドが強い口調で否定をすると、クロードは意表を突かれた様に驚いた。
「これ、教会かよ! お前……絵、下手だなー」
つい、思った事が口から出て、クロードは言い切った後にしまったと思った。案の定、更に息子の機嫌を損ねてしまった。
「お父さんに言われたくない!」
「おいおい! 父さん、メッチャ芸術的な絵を描くぞ。マジで」
「じゃあ、描いてみてよ」
クラシェイドがもう一枚の画用紙を自分の絵の横に並べ、青のクレヨンをクロードに渡した。
「よし! 瞬きせずに見てるんだぞ! マジで凄いんだからな」
ガリガリと、画用紙の上に線を描いていくクロード。
だが、結局横の絵と大差ない仕上がりになった。
「あら、二人共。仲良しね。同じ絵描いて」と、いつの間にか傍らに立って居たソフィアがクスッと笑った。
クラシェイドはクロードを横目で見る。
「同じだって」
「うっ……これはだなー。調子が悪かっただけで……」
クロードが見苦しい言い訳を始めると、甲高い楽しげな笑い声が響いた。
ソフィアがいち早くその笑い声の主に気が付き、微笑んだ。
「シフォちゃんが笑ってるわ」
「本当だ」と、不機嫌だったクラシェイドの表情も一変して柔らかくなった。
クロードも言い訳を喉の奥にしまい、眉を下げて笑った。
いつしか、部屋には幸せと平穏が満ち溢れていた。
***
記憶が映し出した風景は白く溶け、クラシェイドの現在居るべき白銀の世界へ戻っていった。
もう過去はそこにはないけれど、クラシェイドは確かな温かさを受け取った。
あんなに辛かった頭痛ももう消えていた。
クラシェイドは立ち上がり、シフォニィを見つめた。
「シフォニィはオレの大切な義弟」
シフォニィは頷く。
「アリビオ様もいつも傍に居た。そして、オレは大司祭クロード・コルースとその妻ソフィアの一人息子。全部……思い出したよ。シヴァノスがオレの帰る場所だ」
今まで何処か深海の如く暗い青が混じっていた様に見えたサファイアブルーの瞳は、最早澄んだ海となり生命感を取り戻していた。彼を覆う空気さえも変わった様だ。
彼は――――クラシェイド・コルースは記憶を失くす前の姿へ戻ったのだ。
これまでクラシェイドが記憶を取り戻す事を望んでいたクリスティアとアレスは、心から祝福した。加えて、クラシェイドとシフォニィの初めて知る関係性に半ば驚きを隠せずにいた。
このまま順調に事が進む様に思われたが、突如クラシェイドの脳裏に幼い頃の自分――――今まで何度か意識の淵で出逢った、自分が“クラシェイド・コルース”と言い切った少年――――が現れ、クラシェイドの表情が曇った。
「……だけど、これは本当にオレ自身の記憶?」
その疑問には答えられず、クリスティアとアレスの顔にも陰が落ちる。
三人がすっかり沈んでしまった最中、ルナ教会の白魔術師だけはしっかりとした眼差しでクラシェイドを見た。
「それは間違いなくあなたの記憶だよ。あなたはルナ教会のクラシェイド・コルースだ」
シフォニィの縫いぐるみが光り始め、遥か頭上へ舞い上がった。
三人が眩しそうに見上げると、縫いぐるみを覆う光が縦に細くなってゆき下へと伸びていった。
光が消えると、縫いぐるみは通常の杖の形ではなく、杖に酷似する先端が鍵となった物へと変化し、落下を始めた。
シフォニィはそれを掴み、三人によく見える様に掲げた。
「この鍵はあなたが本物のクラシェイド・コルースだと証明された時にだけ姿を現し、そして扉を開く。ぼくはお兄ちゃんを此処へ導く為、ルナ教会現大司祭アリビオ・ネルヴィアス様より遣わされたんだ」
「じゃあ、レネス村で会ったのは……」
クラシェイドがそう口にし、彼と同じ事を思っていたクリスティアは微かに頷いた。
シフォニィは少し苦笑を交えながら答える。
「偶然じゃないよ。……大体、街の外へ出掛けて帰って来たら街が消えてたーなんて、さすがに有り得ないでしょ」
シフォニィは明るく元気な子供の顔を消し、任務を遂行する者の顔で雪上に鍵を差した。そして、声を張り上げてそれを180度右へ回す。
「さあ、現れよ。月と雪の輝きを纏いし聖なる街――――シヴァノス!」
カチッと音がし、鍵が差さった所から白き輝きが湧き出た。その輝きは前方へと広がって大円を描いて、更に大円の中に一筆書きで星が描かれ、最後に一番外側を古代文字が連なって出来た円が囲った。雪上に描かれた巨大魔法陣は白から水色へと変わり、天へ向かって光を放った。
人々のざわめきが聞こえ始め、周囲に一つずつ建物が現れる。
魔法陣から放たれる光が収束し、辺り一帯を飲み込んで四人がほんの一瞬視界を閉ざした間に扉は開かれていた。時空間からシヴァノスが戻って来たのだ。既に四人は街の中に立って居た。
目を開けて突然と広がった光景にクラシェイドとクリスティアとアレスは動揺し、シフォニィが落ち着いた様子で無言の疑問に答えた。
「時空間がずれていただけで、この街はずっとこの場所にあったんだ。それをこの鍵を使って元に戻した……って感じかな」
シフォニィは鍵を一撫でし、その所作とは関係なく鍵は本来の姿へと戻ってシフォニィの両腕にふんわりと収まった。
「ここが……シヴァノスか」
彼の言った事を納得した上でアレスがそう零し、辺りを興味津々に見渡す。
クリスティアは初めて見る景色に、以前訪れた事のあるセイントライゼーグの面影を重ねた。なるほど、あの時クラシェイドが似ていると口にした訳だ。そのクラシェイドはというと、似ている街ではなく本物のシヴァノスへ辿り着いた事に感動しつつも、少し戸惑っていた。
「あの頃とあんまり変わってない」
今は雪で見えない煉瓦のタイルの街道、その両脇に構える白い建造物、街の子供達の遊び場になっている街の中央の広場、多少は劣化もしている所もあるが殆どと言っていい程、クラシェイドの記憶の中の街と同じだった。
広場の前のブルーナの花屋も、街道沿いの食べ物屋が軒を連ねる場所も、少し奥まった所に店を構えるパーシーの薬屋も、何一つ変わっていなかった。
あの頃のままの街と、現在の自分……あまりに差がありすぎた。クラシェイドはこの街の時の流れに、自分だけが外された気がしてならなかった。せっかく、本当の居場所へ戻って来たと言うのに、素直に喜べなかった。同時に、クラシェイドにはある疑問が浮かんでいた。
(オレはクラシェイド・コルースで、此処はシヴァノス。それは確かな事なのに、何でだろう? どうしても思い出せない事がある。それが何なのか分からないけど、一番大切な事の様な気がする……)
「クラ?」
不意にクリスティアから声がかかり、クラシェイドの肩がビクッと跳ねた。
「あ、ごめん。何?」
「……また何か考え事?」
「そう、えっと……ようやく帰って来たんだって、感動してた……みたいな?」
クラシェイドはそれとなく笑ってみせたが、不自然なのは明らかだった。それに気が付くもクリスティアはあえて気付かぬふりをして、彼に調子を合わせて相槌を打った。
シフォニィとアレスは、二十メートル程先で二人を待っていた。二人が彼らに追いつくと、シフォニィは斜め後ろを指差した。
「取り敢えず、あっちへ行こうよ! お兄ちゃんはそこに何があるか……知っている筈だよ」
「うん。当たり前だよ。そこにあるのは――――」
白い建造物が並ぶ中でも分かる、一際大きな白い建造物。青い円錐形の屋根の上でシンボルの三日月のオブジェが街を見下ろし、屋根の下の金の鐘が時を告げる。この街の者なら知らぬ者などいない、それは――――「ルナ教会だ」
先頭をルナ教会の二人へと替え、一行は歩き出した。




