義弟
食堂のいつもの場所に、クロードとアリビオは並んで腰を掛けた。目の前には、甘い生クリームが沢山盛られたコーヒーが置かれていて、二人は平然とそれを口に含んだ。
生クリームの山が崩れたコーヒーをソーサーに置き、クロードは本題に入る。
「で、その子供をウィンターノワールで拾ったと言っていたな。捨てられていたと言う事か?」
「いいえ。母親に抱かれていましたよ」
アリビオが片手で抱いている赤子の柔らかい頬を、もう一方の手でそっと撫でた。
平然と親友の口から放たれた言葉に、クロードは目を見開いて生唾を飲み込んだ。顔が段々と、驚愕に満ちてゆく。
「略奪……ってやつか?」
途端、アリビオの静かで気品に溢れる笑い声が響いた。クロードは訳が分からず、再度驚いた。
「まさか。教団員であろうものが、そんな事をする筈ないじゃないですか。クロードくんは親友である僕をそんな目で見ていたのですね」
「あ、いや……悪い。そう言うつもりは……。それなら、どうしてそんな状況に?」
アリビオの笑顔がスッと消え、暗い影が顔に落ちた。
「……亡くなっていたんですよ。近くに彼女の家と思われる山小屋がありましたが、誰もいらっしゃいませんでした。その後も辺りを捜索したのですが、誰もおらず状況も分かりませんでした。見たところ、彼女は餓死でした。きっと、食べ物を探しに外へ出て……力尽きて倒れたのでしょう」
「子供だけは無事だったんだな……」
「母親が必死に護ろうとしていたのでしょうね。大分弱っていましたが、温かい場所へ移したら何とか一命を取り留めました。もう少し発見が遅かったら、この子も恐らくは」
「それは本当に奇跡だな」
「ええ。連れ帰るのもどうかと思いましたが、他に当てがなかったので僕が面倒を見る事にしました」
「そうか。お前、子供が好きだもんな」
「大好きです」
アリビオは懐から、小さな蛇の縫いぐるみを取り出して赤子の前にチラつかせた。目を覚ました赤子は興味を示し、ルビー色の大きな瞳をキラキラとさせていた。
クロードは頬杖を付いた。
「相変わらず、趣味の悪い縫いぐるみだな」
「ええ~? 可愛いじゃないですか。この円な瞳が」
アリビオはクロードの顔面に縫いぐるみを押し付け、クロードは頬杖を付いていた手でそれを払い除けた。
「何処がだ。もろ、魂抜けちゃった~みたいな顔してんじゃねーか」
「ひっど~い! ね、シフォニィくん」
大の大人が子供の様に頬をぷっくりと膨らませ、藍色の瞳を下へ向けて同意を求めた。
赤子はアリビオの視線を感じ、ニコニコ笑うだけだ。
クロードは手をまた頬の下へ移動させたが、はたと気が付いて手をテーブルに下ろした。
「それ、その子供の名前か?」
「そうですよ。親御さんから頂いた名前の様です」
アリビオは赤子を纏う白い布の端を少し捲り上げて、ふっくらとした小さな足を見せた。そこには、銀色のタグが付けられていて“シフォニィ・ハルム”と名前がしっかりと刻まれていた。
「なるほどな。だが、お前が育てるならファミリーネームは“ネルヴィアス”に変えた方が良いんじゃないか?」
アリビオは布を元に戻しながら、首を横へ振った。
「変えませんよ。この子はあくまで“ハルム”さんのお子さんなんです。お母様は残念ながら亡くなられてしまいましたが、お父様の方がまだ所在がハッキリしておりません。ご自宅には二人分の食器がありましたし、確かにそこには居たのです」
「もう死んでんじゃねーか?」と、大司祭が縁起でもない事を口走る。
「……何処かで生きていらっしゃるかもしれないのですよ?」
「……そうかな。俺だったら、妻をそんな風に死なせたりしねーよ。どんな理由があってもな」
「……それもそうかもしれませんが、何か家を離れなければならない理由があったのかもしれません。故に、僕はこの子を“シフォニィ・ハルム”として育てます。本人にも、言葉が理解出来る様になったら事実を伝えようと思っています」
「ふぅん。ま、お前が決めた事だしな。これ以上俺は口を出せない」
「そうそう。クロードくんは、ソフィアくんとクラシェイドくんの事だけを考えていればいいんです」
「ああ。シフォニィはお前に任せたぞ。じゃ、俺は大聖堂に行かなきゃな」
クロードはコーヒーを飲み干し、席を立った。
後日の同時刻。
アリビオが教会内の廊下を歩いていると、前方から小さな足音が聞こえた。
「アリビオ様――!」
「クラシェイドくん」
アリビオは姿勢を低くし、目の前に来たクラシェイドに口元を緩ませて藍色の目を細めた。
クラシェイドはサファイアブルーの瞳をキラキラと輝かせ、アリビオの両腕に抱えられている白い布を覗き込んだ。中には、血色の良い赤子が眠っていた。
「ぼく、今日からお兄ちゃんになるんだね」
「そうですよ。可愛がってあげて下さいね」
「うん! 早く目をさましてくれないかなぁ」
クラシェイドは期待した顔で、まじまじとシフォニィに視線を落とす。
シフォニィはふくよかな腹を上下させ、気持ちよさそうに寝息を立てている。クラシェイドは眉を下げて笑った。
「……おこすのもかわいそうか」
「うー」
子猫の様な鳴き声がし、布の中でシフォニィが蠢き出した。
「あ、おきたかな」
クラシェイドが再度シフォニィに視線を落とすと、シフォニィの薄い瞼がゆっくりと持ち上がっていった。
そして、大きなルビー色の瞳が目の前の少年の姿を映した。
クラシェイドの表情が忽ち笑顔に変わる。
「はじめまして、こんにちは。シフォニィ。ぼくはクラシェイドだよ。よろしくね」
すると、シフォニィも笑った。
シフォニィの笑顔に、更にクラシェイドも笑顔になる。
「わらってくれたよ! アリビオ様」
「どうやら、シフォニィくんはクラシェイドくんの事を気に入ってくれたみたいですね。さて、行きましょうか。今日はソフィアくんがレアチーズケーキを作ってくれるそうですよ」
「うん! シフォニィもきっとおいしいって言ってくれるよ」
「クラシェイドくん。シフォニィくんはまだ食べられないのですよ」
二人は歩きながら会話をする。
「え? そうなの?」
「そうなんです。今はミルクだけで十分なんです。生き物とは皆、その様に出来ているのですよ。大きくなれば、色んな物が食べられる様になります」
「へぇー」
「クラシェイドくんだってそうだったのですよ」
「おぉー」
「……僕の言った事、分かってます?」
「わかんない!」
「そうですか。……分からないのに返事をする所は、クロードくんそっくりですね」
食堂の前に辿り着き、アリビオが扉を開けてクラシェイドと一緒に中へ入った。
食堂の席はいつも通り教団員達で埋まっていて、今日は摘みたての茶葉で淹れた黄金色のお茶とソフィア手作りのレアチーズケーキがテーブルに人数分並んでいた。
アリビオはクラシェイドとシフォニィを引き連れ、迷わずクロードとソフィアのもとへ向かった。アリビオはクロードの隣、クラシェイドはクロードの向かいのソフィアの隣に座った。シフォニィはアリビオに抱きかかえられたままだ。
クロードとソフィアは二人が来るまで待っていた様で、全く目の前の物に手を付けていなかった。
周りでは、レアチーズケーキの感想が飛び交う。皆、見た目も味も大満足の様だ。それを聞いたソフィアの顔がつい、綻ぶ。
「作って良かったわ。さあ、あなたたちも食べて?」
クロードとアリビオとクラシェイドはフォークを持ち、目の前のスイーツを食べ始める。
丸い皿にちょこんと乗ったソフィア手作りのケーキは皿の色よりも自然な白さの長方形で、アクセントに赤いベリーソースと赤と紫の二種類のベリーが上にバランス良く飾り付けられており、とても上品な見た目だった。味も勿論見た目に劣らず、上品で且つ美味だ。酸味の効いた舌先でとろける食感のレアチーズに、甘酸っぱいベリーは味の方でも良いアクセントになっている。そして、食感のアクセントは下に敷かれた香ばしいクッキー生地で、サクサクとして歯触りも良いので、最後まで味も食感も飽きさせない。
普段からスイーツを趣味で作っているソフィアだが、レアチーズケーキを作ったのは今回が初めて。しかし、誰一人としてそうだとは思わない程、上出来だった。
美味しいケーキとお茶を堪能し、他愛ない話にも花を咲かせるルナ教団員達。今日も、実に素晴らしく平和な日が始まるであろう事を予感させる空気だった。
ところが、平穏は扉が開かれた事によって崩れ去った。
皆、扉の方を見、ざわつき始める。
クロードは席を立ち、皆の視線の集う場所へと向かった。
大司祭が近付いて来ると、そこで幼子を抱きかかえて座り込んでいる若い女性が顔を上げて涙でクシャクシャになった顔を露にした。
「クロード様! この子を、この子を助けて下さいっ。あ、あの、さっき家の階段から転落してしまって……け、怪我を…………い、意識が戻らないんです!」
「落ち着いて。ちょっと、お子さんの怪我を見せてもらえますか?」
クロードは膝を着き、頭部から大量出血している事を確認すると、そこに手を翳して目を伏せた。
聖なる光がクロードの手元に収束し、それは傷口へ吸い込まれてゆく。
光が消えた時には、子供の傷も跡形もなく消えていた。
クロードは目を開けて手を下ろし、大司祭の顔で微笑んだ。
「もう大丈夫ですよ。意識もそのうち戻って来るでしょう」
女性は、今度は感謝の気持ちで目頭が熱くなってポロポロと涙を流した。何度も頭を下げる。
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます! ああ……良かった」
「お気になさらず。人々を救うのが我々の仕事ですから」
クロードは女性に手を差し出し、女性は遠慮気味にその手を取って立ち上がった。
微笑む大司祭の後ろには、食事の手を止めている教団員達の姿があった。目線と精神が元通りになった事で、女性は不意にそれに気が付いて冷や汗をかいた。
「あっ……す、すみません! お食事中に……しかも、本当なら一般人はこちらへ無断で入ってはいけなかった筈なのに」
「それだけお子さんが心配だったって事でしょう。私達はその様な事に腹を立てたりしませんよ」
大司祭の温かい言葉に、表情に、教団員達の穏やかな眼差しに、女性は感謝して頭を下げた。
クラシェイドは、父の背中を静かに見つめて呟く。
「ぼくも、お父さんのようなやさしい白まじゅつしになりたい」
「そうね。クラならきっとなれるわよ」
ソフィアは微笑み、息子のブロンドに近い茶色い髪を撫でた。
愛する妻子に尊敬の眼差しを向けられているとも知らず、彼は大司祭ではなく、クロード・コルースの顔で女性に耳打った。
「今度、宜しければゆっくりお茶しましょう。勿論、二人きりで」
途端、女性の顔が顎から額までムラなく赤く染まった。
クロードの声は聞き取れなかったが、女性の反応を見てソフィアは勘付き頬を膨らませてそっぽを向いた。
「もう……クロードったら」
その後、別室へソフィアに呼び出されたクロードは、彼女にこっ酷く怒られたのだった。




