ブラックマーケット
一行が港へと降り立つと、早速漆黒の青年の姿が視界に入った。一行は船に乗せてくれた男に礼を言って別れを告げた後、青年のもとへと駆けつけた。
「赤の器と青の宝玉は手に入れたか?」
カラスが集まって来た一行にそう訊くと、クラシェイドとアレスはそれぞれ赤の器と青の宝玉を取り出してカラスに見せた。
アレスが訊き返す。
「これだろ?」
「ああ。さすがだ。……では、エルフォートへ向かおう」
二人から依頼品を受け取ったカラスはそれを腰のポーチにしまい、白いマフラーを翻した。
四人は、歩き始めたカラスを慌てて呼び止めた。
「礼の言葉はなしか!」
「説明してくれないと分からないんだけど……」
アレスは怒りを露に、クラシェイドは困惑を露にした。
カラスは踵を返し、さも当然の様に返した。
「ある物を手に入れる為に、コイツが必要だったんだ。そのある物とは、魔術の街エルフォートにある」
「だったら、お前一人で行って来ればいいじゃねーか。俺達、そんな暇じゃねーの。これから、シヴァノスに向かわなきゃなんねーんだよ」
アレスは、真横で停泊している客船を親指で指した。
「それは知っている。だが、その船はシヴァノスへは行かないぞ。シヴァノス行きの船が来るのは今から一時間後。つまり、それまではお前達は暇な訳だ」
「そうなのか。それって、一時間で済む用事なのか?」
「ああ」
「それなら……大丈夫だよな?」
アレスが三人に言葉と視線を向けると、クラシェイドが真っ先にそれらを受け取った。
「オレは行きたい」
「何処へだよ?」
「勿論、エルフォートに」
それを聞いた瞬間、アレスはズッコケそうになった。
「エルフォートじゃなくて、お前が行きたいのはシヴァノスだろ?」
クラシェイドは首を横に振る。
「エルフォートには大きな図書館があって、そこには魔術書が沢山あるんだ。住人の大半が魔術師だって言うし。一度行ってみたかったんだ」
「そんなにお前って、魔術に興味あるのか?」
「何言ってるの? オレは黒魔術師だよ? 魔術に興味なかったら務まらないじゃん」
「ああ、そうだったな」
アレスは頭を掻き、一度咳払いをしてから軽く目を閉じた。
「――――なら、恋の魔法にかかってくれないか?」
アレスが目を開けて横を見ると、そこに居た筈の彼の姿がなかった。言葉も視線も、ただ空気に溶けて虚しく消えていった。気付けば、クラシェイド以外の仲間の姿もなかった。アレスは慌てて前方へ視線を飛ばし、遠くなっていく四人の姿を困惑の色に染まった瞳に映した。
「お前ら! 何で俺を置いていくんだ!」
カラス以外は立ち止まって、アレスを振り返った。声を発したのはシフォニィ。
「アレスが妄想してる間に、エルフォートに行く事が決まったんだよ~。ま、アレスなんて居ても居なくても、ぼくは平気だけどね☆」
「早っ! 俺、そんなに妄想してなか……いやいや! 妄想してないし! 笑顔で暴言吐くんじゃねーよ」
アレスは走り、一気に三人との距離を詰めた。
クリスティアは心配そうに前方を見る。
「カラスさんに置いて行かれちゃう」
「アイツ! マジで一緒に行く気あんのかよ」
アレスは溜め息をつき、シフォニィは満面の笑みを浮かべた。
「ないかもです☆」
「とにかく行こう!」
クラシェイドが走っていき、三人は意外そうな顔をしてからすぐに彼の後に続いた。
四人がカラスに追いついた頃には、既にエルフォートが目の前だった。高い煉瓦造りの外壁に囲われたそこは、白い建物が立ち並ぶ大きな街。街の真ん中には川が流れており、その上に架けられた橋を渡った先に長い階段がある。それを上りきると、この街のシンボルとも言えるドーム状の大きな図書館へと辿り着く。一見人工的で、大教会のあるセイントライゼーグやシヴァノスに似た印象を受けるが、一つ違うのが街の至る所に見受けられる青々とした木々。自然を取り入れる事によって、温かい印象を持たせているのだ。勿論、木々のおかげで空気も澄んでいる。街を見下ろす青空も綺麗だ。
早速、クラシェイド達が外壁にポッカリと空いた街の出入り口に足を踏み入れようとすると、カラスはそちらへは目もくれず外壁に沿う様に歩いていった。
「おい! 何処行くんだよ。街の入口はこっちだぜ?」
アレスが呼び止めると、カラスは言った。
「そうだ。街の入口は、な」
「街に行くって言ったのはお前だぞ。訳分かんねーよ」
「勿論街には行くが、その前に行っておかなければならない場所があるんだ。お前達は別に、先に街へ行ってても構わんが」
「じゃあ、俺達は先に行こうぜ」
アレスが視線を真横にずらすと、クラシェイドがカラスの方へ歩いていった。彼につられる様に、クリスティアとシフォニィもカラスのもとへと移動した。
アレスは首を傾けた。
「アレ? クラちゃん、あんなに街に行きたがってたじゃねーか」
「ある物を手に入れる為に、赤の器と青の宝玉がどう使われるのか気になるんだ」
「ふぅん。俺は気にならないけどな。ま、お前が行くってんなら俺も行くよ」
渋々ながらもアレスは四人のもとへと歩いていき、再びカラスを先頭に歩き始めた。
「なあ、ラグナロクはどうした?」
目的地に着くまでの数分間、アレスはカラスの背中を見てそう問い掛けた。実際、カラスの背中には何も背負われていない。彼と初めて出会った時と同じ、ラフな格好だ。カラスは振り返る事なく、淡々と答えた。
「家に置いて来た」
「それでも大剣士か」
「俺は大剣士ではない。情報屋だ」
「そうかよ。……てか、ここまで来るのに結構かかった気がするんだけど」
カラスは小さく溜め息を吐いた。
「よく喋る奴だ。約四十分かかった」
「四十分かー……って、おい! 今から戻っても、一時間オーバーするじゃねーかよ! てめー嘘つきやがったな!?」
カラスはもう一度、小さく溜め息をついた。
「嘘はついていない。お前は俺にこう問い掛けたんだ。――――一時間で済む用事なのか? ――――と」
「あ……そう、だった」
アレスは、数十分前の自分の言動に激しく後悔をした。あの時、港からエルフォートまでの往復時間も一緒に問うべきだった。いや、それ以前にカラスも何故それを言わなかったのか。やはり、嘘をついたのだろうか。四人をここへ導く為に。
――――では、それは何の為に? その答えを、アレスが知る由もなかった。このメンバーで一番警戒心がありそうなクラシェイドは、意外にもアレス程思考を巡らせていない様だった。クリスティアとシフォニィは言うまでもない。
アレスはいつもよりも楽しそうなクラシェイドの横顔を見て、カラスに対する疑念を心の奥深くに今はしまっておく事にした。
エルフォートの外壁に沿って歩いていると、いつの間にか街の裏側まで来ていた。丁度、そこから真っ直ぐ図書館が見えた。
カラスは立ち止まり、外壁に手を当てた。すると、外壁が光りだして扉の形を描いた。それはすぐに銀色の扉へと変化した。カラスは扉に手を掛け、中へと進んで行く。クラシェイド達も彼の後を追って扉の中へ。
扉の向こうは街だった。ただ街と言っても、これは所謂スラム街。裏街だった。美しい表街との境界線は、表街の背の高い建造物。丁度それが陰にもなっており、昼間だと言うのに仄暗い。ここに建てられている物はあちらとは比べ物にならない程に脆く、家屋の殆どは崩壊をしていた。住人達は汚れた衣服を着て、野晒し状態で暮らしている様だった。中には小さな子供も居て、突然綺麗な格好をして現れた一行を物欲しそうな顔で見つめていた。
初めて見る光景に、カラス以外の四人は心を傷めた。まさか、あんな立派な街の裏がこんな事になっていただなんて思ってもみなかったし、特に大きな戦争がないこの平和なディンメデス王国内に貧困に喘いでいる人々が居るとはあまり考えた事がなかった。
カラスは住人達の視線を全く介意せず、瓦礫を避けながら歩いて行く。四人も、黙って彼について行くしかなかった。
目の前で無言の助けを求めている彼らを見過ごしたくはなかったが、四人には彼らを助ける術はなかった。仮に助けられたとしても、その先の未来の保障など出来ない。今以上に、壮絶な人生が彼らを待ち受けているかもしれない。状況を悪化させてしまうだけかもしれない。同情だけで、簡単に手を出して良い問題ではないのだ。カラスもそれを分かっているからこそ、敢えて周りの視線を流しているのだ。
瓦礫の向こうの空間は少し拓けた場所で、広場になっていた。足場は固い石で覆われていた。そして、そこに転々と露店が並んでいた。どの店も、真っ黒なフードを被ったローブ姿の怪しい人物が経営をしていた。扱う商品も、店主に見合った怪しい品ばかりだ。濁った色の薬草や黒ずんだ人の手の形の様な何か。瓶に詰め込まれたゼリー状の赤い物体。クラシェイドは、月影の殺し屋に居た頃ノアンと訪れたティオウルの街の店を思い出した。イザベラが経営するあのこぢんまりとした店も、この様な不思議な物が沢山並んでいた。ノアンが薬の材料にすると言ってイザベラの店の商品を買っていた事から、これらの怪しげな物も薬の材料の一種だろうとクラシェイドは思った。何も知らないクリスティアは、明らかな嫌悪感を顔に映しているが。
カラスは一番端の、武器や水晶などが並んだ店を訪ねた。
「約束の物を持って来たぞ」




